彼はもういない 1
「好きです! 付き合ってください!」
人気のない体育館裏。わたしは頭を下げられ、そう懇願された。
発端は五時限目の移動教室からクラスに戻ってきたときだった。机の物入れに手紙が入っており、何かなと見てみれば、それは放課後体育館裏にきてほしいという内容だった。そして現在、こういう状況にある。
わたしは苦い顔をしつつ頭の後ろを右手で掻いた。
「ごめん。……わたし、異性が好きなんだ」
彼女はがばっと顔を上げた。目尻に涙が滲んでいた。それを見たわたしは目をそらす。
彼女は制服の袖で涙を拭うと、
「私、諦めませんから!」
そのまま走り去っていった。わたしは一人、溜息を吐いた。告白してきたのが女の子だとしても、どうしても罪悪感を感じてしまう。
肩を落としつつ歩き出すと、
「あんな可愛い娘をふるなんて、罪な女だねぇ、ナッシー」
体育館の角。壁に友人のサバサバメルヘン――もとい楓が立っていた。どうやら一部始終見られていたらしい。
「いたの?」
「手紙が入ってるのを見たから、後を尾けてきたのよ」
わたしたちは並んで歩き出した。
「にしてもすごいわねぇ、入学して一ヶ月も経ってないのに、もう告白されるなんて」
楓が茶化すように言ってきた。
「告白してきたって言っても女子よ?」
「いや、それ余計にすごいから」
冷静につっこまれた。
「あの娘、クラスも中学も違うわよね? どうやって知り合ったの?」
「二週間くらい前に練習中の野球部から飛んできたボールが彼女に当たりそうだったから、そのとき……」
楓はぽかんと口を開けた。
「まさかキャッチしたの?」
「まあ、反射的に」
「素手で?」
「グローブは持ってないもの」
「王子様……?」
「違う」
楓までそうなられると困る。しかし冗談だっようで、彼女は呆れたような息を吐いた。
「文学少女なんかより、少女漫画のヒーロー目指す方が、まだ芽があるわよ?」
「いやよ」
わたしは、やたらと女子にモテるのだ。小学生のときに初めて告白されて、それは文学少女を目指すきっかけの一つにもなった。
「いままでで、何回女子に告白された?」
「いまの入れて九回」
「ラブレターもらった回数は?」
「十一回。全員別人」
「バレンタインにハート型のチョコは何個もらった?」
「十三回……」
「断言するけどそんな文学少女はいない」
わたしはがっくりと肩を落とした。これは流石に認めざるを得ない気がする。なに? いったい何なの? わたし……。
「そこら辺の男子よりモテてるわよね、奈白って……」
楓が嘆息してみせる。わたしへの呼称がナッシーから奈白になったのには、特に意味はない。呼びかけるときナッシーと呼ぶのである。理由は知らない。
「ねえ、楓。同性から見て、わたしってそんなにかっこいいの?」
二人同時に立ち止まる。そしてカメラマンがやるように、両手で四角を作ってわたしを凝視した。
「奈白は……普通に美少女だとは思うのよ。可愛い系のね」
それを聞いて少し嬉しくなる。
「基本的に馬鹿面だし」
それどういうこと? 馬鹿面だと可愛いの? ていうか馬鹿面なの?
「それにスタイルもいいし。腹筋は割れてるけど」
「少しね!」
慌てて付け加える。
「……でも、何か窮地に向き合ったり、誰かのピンチに遭遇すると目が鋭くなって少年漫画の主人公みたくなるのよね。そのときは確かにかっこいいかもしれない。間颶馬君に並ぶわよ」
「そこまでいく!?」
関わった女子を高確率で尻軽にしてしまう連太郎と同等レベルって……。でもそれなら異常なまでに告白されるのも……いや、納得できないな。いくらなんでもあれはおかしい。太陽が西から昇ったり、地球が逆回転したり、雲が綿飴になったりするくらいおかしい。最後の例えなんだ?
「きっと奈白は、女子を同性愛に引き込むフェロモンを放っているのよ」
わたしの考えていたことを見透かしたかのように楓が言った。そして楓は両手で自分の身体を抱き、身をよじらせた。
「まさか! 私もいつかは奈白の毒牙に!?」
「あんたにはメルヘンシールドがあるから大丈夫よ」
「何よそれ?」
「さあね」
わたしは再び溜息を吐いた。そんなにかっこいいなら、宝塚でも目指してやろうかと思わなくもないが、倍率二十倍以上の試験に受かる気が皆無なのでやめた。
「これから帰り?」
楓が訊いてきた。わたしはかぶりを振り、
「ううん。図書委員の仕事がある。……手芸部に入ったけど、全然顔出せてないのよね……」
言ってから思い出した。
「そういえば楓、どこに入部するか決めた?」
王子様っぽい男子がいる部活に入るとか言っていたけど……。
「まだよ」
「水曜日までに入部しないと、歓迎されないわよ?」
その日以降に入部しても、部員数が部費に反映されないからである。
「わかってるわよ。天文部に王子様っぽい男子の先輩がいたんだけど……」
天文部……佐畑さんのお孫さんのことを思い出す。でも確かあっちは天文学部だ。
「そこに入部すればいいじゃない」
そう言うと、楓はその王子様っぽい男子を思い出すかのように、苦々しく返してきた。
「しようとしたけど、僕に時給五百円払ってくれるならいいよ、とか頭の悪いこと言われたのよ」
「なに、それ?」
この学校の生徒はどこか頭がおかしい。
「他の部員はどうしてるんだろ」
「彼以外にいないのよ」
「え? じゃあ、どうして天文部なのよ? 二人以下は同好会でしょ?」
「発足時に部だったからいまもその名称を使ってるだけ。部費なんて、殆ど出てないそうよ」
そういう部もあるんだ。
「ああ、くそっ。あんな爽やかな優男のくせに、どうして守銭奴なのよ!」
その先輩のことが腹立たしいようで、楓は両手で頭を掻きむしった。
◇◆◇
足早に図書室に向かう途中、四階へ続く階段の踊場に漫才同好会の二人がネタ合わせ……というか、ネタを考えていた。
「ここはさぁ、お前の身体は健康だあああ! の方がいいと思うんだよ」
「お前、本当にパロディ好きだよな」
「あとここも、センター前キャッチャーゴロかよ、の方がリアリティがある」
彼らを無視して四階の図書室に急いだ。
図書室の扉を開けると、カウンターの内側に尊敬する彩坂桔梗先輩がいた。彼女の他に珍しく他の生徒もけっこういる。
「すいません。遅れました」
彩坂先輩に謝りつつ、そそくさとカウンターに入った。先輩は、いえ、と微笑んで許してくれた。
「今日は、何も読んでないんですね」
そう尋ねると、先輩は床に置かれたバッグに視線を注いだ。
「いまは人が大勢いますので、忙しくなるかもしれませんから」
流石は文学少女を超越した大和撫子。大波には備えているようである。バッグから少年漫画の単行本を取り出しかけていたわたしは、ひっそりとそれをもとに戻した。
「ちなみに、何を持ってきたんですか?」
バッグに目を落としたのだ。本は持ってきているのだろう。
彩坂先輩はにこりと笑みを浮かべ、
「旧約聖書です」
この人も変人なのではないかと疑う今日このごろである。




