三種の暗号 2
わたしと連太郎、そして坂祝の三人で佐畑さんなる人物が住んでいる根無町へと繰り出した。
連太郎が言った映画研究会なら大丈夫という、謎の言葉の意味を考えながら先を行く坂祝についていく。
すると不意に、坂祝が立ち止まった。わたしと連太郎の足もとまる。小学校の前だった。
坂祝はわたしたちに振り向いた。何故か口の端を上げて笑っている。
「お前ら、あんま夜にここら辺ふらつかない方がいいぞ」
「何でよ?」
わたしは訝しげに尋ねた。急になんなのよ。
「最近、ここら辺で不審者が目撃されてるからな」
「不審者? どんな?」
連太郎が興味ありげに訊く。……坂祝はよく自分が持っている情報を話したがるときがあるのだ。
坂祝は踵を返し、再び歩き出した。
「スポーツ刈りでマスクをした男だ」
わたしは呆れた。わざわざ立ち止まってまで言うから、もっと面白かったり重要なことかと思ったら……、わたしは坂祝を軽く睨み、
「それって、ただのスポーツ刈りの花粉症の男の人なんじゃないの?」
「だろうな」
あっさりと認めた。
「じゃあ何で話したのよ」
わたしがそう言うと坂祝はすぐ脇にある小学校に目を向け、
「この学校のPTAでは話題なんだよ」
「そうか……。圭一の妹、この学校に通ってたな」
連太郎が校舎を見上げながら呟いた。
「そうそう。その男が目撃される時間が朝早いから、登校する生徒に注意するよう呼びかけてるんだとよ。まあ、子供が事件に巻き込まれるのが最近多いからなぁ。大人たちも過剰になってるんだろ。……そのスポーツ刈りの男の人は気の毒だが」
確かに気の毒だと思った。本人の知らない間に不審者として扱われているのだ。わたしも気をつけよう。
「この話はこれで終わりだけど、四人とはいえ、夜中に若人が揃って出歩くのは控えろよ。木相先輩は知らないけど、果園先輩と風原は見た目はいいんだから」
普段つっかかってる人間に突然褒められると、ちょっと変な気分になる。見た目はの部分が気になるけれど。
坂祝はまだ言葉を継ぐ。
「人攫いが現れても、唯一の男手たる連太郎は貧弱なんだから」
連太郎がすぐさま口を挟んだ。
「僕が貧弱なのは否定しないけど、不審者や不良が現れても奈白がいるから大丈夫だよ。奈白は中学一年のとき、高校生五人に絡まれてる同級生の女子たちを助けたことがあるくらいだ」
「そういや、そんなこともあったな。その女子たちは確か、バレンタインの日に風原にチョコを渡していたよな」
何で知ってるのよ。
「それに果園さんも護身術を一通り使えるし、まったく問題ないんだ」
「言われてみりゃその通りだ」
と、二人仲良く笑いあった。……わたしを探偵団に一人はいる肉体派のポジションに当てはめないでほしい。
◇◆◇
その後、恥ずかしながらお腹が空いてしまったので、小学校の近くにあったコンビニでスイーツを買って食べた。コンビニスイーツなんて、初めて食べたけれど、異様に美味しかった。デパートの地下で高いスイーツを買うよりも、二百数円でこちらを買った方が遥かに得な気がした。
そのコンビニから佐畑さんの家はすぐ近くだった。あの廃屋敷とはそこまで離れておらず、おおよそ徒歩四分といったところだろう。
佐畑さんの家は住宅街に紛れた、そこそこ広い建物だった。
壁はクリーム色で茶色のトタン屋根。上部に窓がないところを見ると、おそらく一階建てなのだろう。木製の表札は長年この土地に居座り続けてきたのをアピールするがごとく黒ずんでいる。しかし壁や、遠目から見た屋根はとても綺麗だった。新築とまではいかないが、表札と比べるとやはり美しい。ここまで説明して、綺麗ではなく、清潔なのだとわかった。
わたしたちは三人並んでインターホンの前に立った。
真ん中に立つ連太郎を横目で見やる。
「で、どうするの?」
「インターホンを押す」
「それからよ」
「見てればわかるよ」
連太郎は躊躇せずインターホンを押した。こういうとき、彼は緊張も遠慮もしない。普通は会ったこともない自分より遥かに年上の人物を訪ねのなら、多少なりともそわそわはするだろう。なのに彼にはそれがない。本人曰く、人見知りしていたら探偵にもヒーローにもなれないらしい。
しばらくしてスピーカーからくぐもった男性の声が聞こえてきた。
『はい』
「すみません。音白高校の一年生なんですが、お時間よろしいでしょうか?」
いつも通りの表情で言葉を発する連太郎に、わたしも坂祝も緊張した面持ちを彼に向ける。
どうするのよ? まさかありのままつらつらと事実を述べる気じゃないわよね?
『音白高校……? 学生さんがどうかしたのかい?』
その言葉のニュアンスから警戒されてはいないのが伝わってきて、ひとまずほっとする。しかし、よくわからない、といった雰囲気はありありと伝わってくる。
「実はですね、僕たち――いま、三人いるんですけど――映画研究会に所属していまして、文化祭で自作映画を発表することになっているんです」
『ほぉ……。最近の文化祭はすごいねぇ』
「それでですね、僕たちはホラー映画を撮りたいと主張していまして、部員たちを納得させるためには映画の舞台を用意しなくてはいけないんです」
連太郎の真っ直ぐな受け答えを聞いて、なるほど、と素直に感心した。
『舞台?』
「はい。この近くにある、『神崎』という表札がある屋敷、佐畑さんが出入りしていたとお聞きしまして、撮影許可の他に参考としていろいろとお話を伺いたくって」
佐畑さんは特に思案するでもなく、すぐに返事をくれた。
『なるほどね……。なら、鍵は開いているから、入っていいよ』
「ありがとうございます」
やっぱり連太郎はすごい。彼くらい真摯な声で頼まなければ、ここまで円滑に進まなかっただろう。
お言葉に甘えて、ドアノブを捻り玄関に入った。玄関も広く、屋内も清潔だった。掃除が好きなのだろうか?
三人で待っていると、奥から人のよさそうな顔のおじさんが現れた。髪は白髪で、顔に皺も多いが、立ち振る舞いからまだ元気だと把握できた。杖も使っていないし、腰も曲がっていない。
連太郎がすぐさま頭を下げて挨拶し、わたしと坂祝もそれに続いた。
佐畑さんは目尻に皺を寄せ、微笑んでくれた。
「最近の高校生は礼儀正しいんだねえ……。ここじゃなんだし、リビングに来るといい」
おじゃましまーす、と三人で声を揃えて言うと、佐畑さんに続いてリビングに向かった。
見知らぬ高校生が三人も家に押し掛けてきたというのに、まったく警戒することなく家に上げている。もしかしたら、市議会議員として色んな人を見てきたから、いい人間と悪い人間の違いがわかるのかもしれない。
リビングもきちんと掃除が行き届いていて、埃一つ見あたらなかった。部屋は二分割されていた。右半分にはカーペットが敷かれており、左半分には何も敷かれていない。右半分にはソファーと茶色の座卓が、左半分には食事用テーブルとキッチンがある。そして何故か座卓に大きめの金庫が置かれている。
佐畑さんに食事用テーブルを勧められ、三人で座った。佐畑さんがキッチンへ足を運び、お茶とお菓子を用意し始めた。わたしが手伝おうと腰を浮かすと、いいよ、いいよ、と引き留められてしまった。
真ん中に様々なチョコレートが乗ったお盆が置かれ、わたしたちの前に麦茶が用意された。チョコと麦茶はどうなのだろうと思ったが、わざわざ用意してくれたというのに文句は言うまい。
「あの屋敷の、何を知りたいんだい?」
佐畑さんが切り出した。連太郎は有力な情報を手に入れるためか、思考を張り巡らせるときと同様の表情をしていた。
「色々ありますけど、以前からずっとお訊きしたかったことがあるんです」
「なんだい?」
「『神崎』さんという人はわざわざあの土地買い取って、あんな大きな家を建てたんですか? それとも、もともとあった建物を改装したんですか?」
あっ、そっちなんだ……。てっきり『神崎』さんは何者なのかを訊けのかと思った。しかしよく考えてみると、いきなりそんなプライバシーなことを尋ねるわけにはいかないと、自己完結した。
「あそこはもともと、民宿だったんだよ。そこが潰れたから、『神崎』さんが買い取って、改装したんだ」
やっぱりそうだったんだ。あの部屋の多さと、殆どの部屋に鍵が取り付けてあったことを考慮すると、自然と導き出されることである。
連太郎を挟んで座る坂祝を見る。興味深そうに聞いていた。彼としては、新たな情報が得られるチャンスだから、テンションが絶賛上昇中なのだろう。
「へえ……民宿だったんですか。じゃあ、もしかして、部屋とかたくさんあるんですか? ホラー映画としては、部屋の数は多い方がいいですからね」
連太郎が目を見開いて驚いてみせる。白々しいことこの上ない。
「部屋の数は多かったと思うよ。一階は寝室や浴室があったかな。それから二階は……どうだったかな?」
佐畑さんは首を捻り、わたしたちに笑いかけた。
「すまないねえ。一階は最近まで掃除していたんだけど、二階は長いこと掃除していないから、あんまり憶えてないんだ」
「あの広い屋敷をずっと掃除されていたんですか! 通りでお元気なわけだ」
連太郎が驚愕に満ちた声を上げた。本当に白々しい。何故かわからないが恥ずかしさが出てきた。
「はっはっは。掃除は割と好きなんだ。といっても、目覚めたのは、五年前に家内に先立たれてからなんだけどね。それまでは家内が掃除していたんだ」
「へえ……。二階はどうして掃除していなかったんですか?」
会話に坂祝が混じった。
「板張りの階段が痛んで、底が抜けそうになっていたんだ。七年くらい前、家内が危険と判断して二階は放棄したんだ。それからは一度も二階に上がっていない」
通りで汚らしかったわけだ。最近まで掃除されていた一階と違ってくれ何年も放置されていたんだから。
坂祝が両手を頭の後ろに回し、
「二階が使えないのかあ……。ホラーとして、ちょっと物足りない感じがするなあ」
「いやいや。あの広さなら、一階だけでも十分舞台として役割を果たせるよ。……というか、まだ許可ももらってないし、ホラーを撮ると決まったわけじゃないんだから、そいうこと言うのは性急だぞ」
「悪い。……すみませんね」
二人の会話を佐畑さんは微笑みながら眺めていた。二人とも、よくもまぁこんなに平然と嘘をぶち込めるものだ。
よし。わたしも何かせねば。先ほどから気になっていた部分を訊いてみた。
「あの、一階は最近まで掃除していた、ってことは現在は掃除していないんですか?」
坂祝も最近は屋敷に出入りしているところを見ていない、と言っていたのを思い出した。
「いまは掃除していないね。二月の始めごろに、あの家の元主人から電話があったんだ。屋敷の状態を訊かれて、一階は掃除していて綺麗だけど、二階はたぶんもう駄目だと伝えた。そうしたら、一階も掃除しなくていいと言われた」
「どうしてそんなことを?」
連太郎が眉をひそめて言った。佐畑さんは首を横に振り、
「さあね。もともと変人だったから、何を考えているかはわからないよ」
「その元主人というのは、表札にあった『神崎』という人なんですか?」
連太郎は純粋に気になる、という気持ちを顔に出して尋ねる。表情で気持ちを表現するのが上手い男だ。ルックスもいいし、俳優としての素質があるんじゃなかろうか。唯一ネックなのが、身長だけれど。
「そうだよ」
「前から気になっていましたけど、何者なんですか? その人」
別の話題から自然な流れでこの質問に持っていった。わたしたちすごい!
しかし佐畑さんは渋い顔を返した。駄目か……! ここで断られると、もう一度訊きづらくなってしまう。
わたしは固唾を飲んで連太郎を見守った。そしてふと、坂祝が座卓に何故か置かれている金庫を眺めていることに気がついた。しめた! 話題を変えて、うやむやにしてしまえ。断られるよりましだろう。
「坂祝、どうしたの?」
「ん? ああ。どうしてあんなところに金庫があるんですか?」
坂祝は純粋に興味があるようだった。実はわたしも気にはなっていたけれど。
連太郎との会話が中断された佐畑さんは、坂祝が指差す金庫の方を向く。
「あれは孫娘が、一週間前に誕生日プレゼントとして送ってきたものだ」
「お孫さんはおいくつなんですか?」
「君たちより二つ下だよ」
中学二年生か。反抗期かつ思春期の真っ只中なのに祖父にプレゼントを贈るなんて、佐畑さんは愛されているのだと思った。
いや、でも……、
「金庫がプレゼントなんですか?」
わたしが訊くと、佐畑さんはかぶりを振った。
「プレゼントは金庫の中に入ってるんだ」
「へえ……。何が入っていたんですか?」
佐畑さんは顔をしかめた。
「それがわからないんだ」
「え?」
図らずも、わたしたち三人の声が重なった。
「金庫はダイヤル式で、五桁の暗証番号が必要なんだけど、それを孫が暗号で寄越してきたんだ」
「暗号?」
ミステリー好きの連太郎の目が輝いた。わたしは肩をすくめた。ただでさえ探偵っぽいことをしているというのに、更に謎に見舞われる。相変わらずの『探偵体質』だな、わたし。
「そうなんだ。暗証番号を三つの暗号にして送りつけてきたんだ。孫はパズルゲームのようなものが好きだからねえ……。プレゼントをくれるのはありがたいのだけど、暗号が一つも解けずに参っていたんだ」
佐畑さんは肩を落として溜息を吐いた。すると連太郎がテーブルから少し身を乗り出した。
「僕たちが手伝いましょうか?」
「え?」
「僕、そういう暗号とか解くの得意なんですよ」
情報収集なぞどこ吹く風、という具合に連太郎のテンションが上がっている。隣に座るわたしと坂祝は苦笑いを浮かべた。
「本当にいいのかい? 手伝ってもらって」
「はい」
仕方がないので、わたしたち二人も頷いた。
「ありがとう。じゃあ、君たちを頼らせてもらうよ。プレゼントを一週間も見れないというのは、流石にもどかしいからね」
佐畑さんは微笑み、金庫とその後ろにあった三枚の白い封筒をテーブルに並べた。封筒には①、②、③とナンバリングがなされている。
佐畑さんは①と書かれた封筒から、白い縦長の長方形の紙を取り出した。
「これが、最初の暗号だよ」
三人で身を乗り出して眺めた。
0~9の中からとある共通点を持つ数字を五つ抜き出せ。その中で一番大きな数字が最初の番号である。
ヒント 算用数字で考えなさい。
「さて……この暗号、素早く吹き散らかそうか」
フィンガースナップをしながら、連太郎が言った。




