廃屋敷への侵入 4
「うわぁ……」
屋敷のリビングの広さにわたしは感嘆の声を上げた。一言で表すと広い。カーペットでも敷けばドラマで出てきそうな屋敷になるだろう。いや、ホテルのロビーにも見えるかもしれない。いずれにせよ、わたしの家のリビングよりも広いことには変わりない。リビングどころか家の床面積より広い気がする。お父さんだって公務員なのに……。この家の主は、いったいどんな仕事をしていたのだろう。これが格差社会というやつか。
リビングの壁沿いには二つの板張りの階段が伸び、二階へと繋がっている。扉は四つで、それぞれ対角線上に配置されている。うち二つは玄関、裏口へと繋ぐ扉だ。残りはわからない。家具は何も置かれていなかった。
「廊下もそうだったけど、床は綺麗なんだよね。トイレや外の壁は汚かったけど」
連太郎がライトで床を照らしつつ言った。
「んー確かにそうだねー。たぶん誰かが掃除してるんだろうね。管理している人がいるのかな?」
梨慧さんが電気のスイッチをパチパチしながら返事をした。電気も来ていないらしい。
「だとしたら、ただ廃屋ってわけじゃないですね」
わたしは連太郎からライトを借りて、床を照らして目を凝らした。どこも黒ずんだり、カビたりはしていない。埃も少ない。十年も放置されていたわりには綺麗だ。
「誰かが掃除したのかもしれないねー」
人が出入りしている可能性が高くなった。それだけで一層緊張が増した。ん? でもひょっとして。
「もしかして、木相先輩のお兄さんが……?」
わたしがそう呟くと、連太郎が否定してきた。
「それはないと思う。木相先輩が尾行したときには、入ってすぐに出てきたんだから」
「そのときはたまたま掃除しなかったんじゃない?」
「なわけないだろ」
「そうよね……」
わたしは連太郎にライトを返した。
それから梨慧さんが扉の一つを開けた。これは引き戸だった。扉はキッチンに繋がっているようだ。
四人でキッチンへ向かう。こちらも嫌になるくらい立派である。けれど冷蔵庫も電子レンジもオーブンも炊飯器もなくて、シンクだけが置かれているキッチンはなかなかシュールだ。
わたしがシンクを覗くと、連太郎がライトで照らしてくれた。
「汚いわね……」
「そうだね」
シンクのところどころが茶色く錆びつき、カビが発生している。これはなかなか気持ち悪い。
梨慧さんが床に光を当てていた。ここもリビングと同じような状態だ。
「うん。やっぱり何日前に掃除されたのかも」
木相先輩が呟く。わたしもそんな感じだと思った。でもそれなら、誰が何のためにそんなことしてるんだろう。木相先輩のお兄さんと関係があるのかな?
お次は対角線上にある扉に。廊下は先は行き止まりのようだ。しかし、
「部屋があるね」
梨慧さんがライトで照らす左側の壁に押し戸があった。ここには特にプレートは掛かっていなかった。
木相先輩がノブを捻った。が、
「あれ? 鍵が掛かってる……」
わたしと連太郎は梨慧さんに視線を向けた。彼女は満足そうに頷いた。
「木相ちゃん。ちょっとどいてー」
「え? うん……」
梨慧さんはポケットに手を突っ込むと、中からキーリングのようなものにまとめられた金具を取り出した。いわゆるピッキングツールである。
梨慧さんはライトで鍵穴を照らして状態を確認すると、金具を鍵穴に差し込んだ。そのままガチャガチャといじくり回し、十秒ほどで開錠してしまった。どうやら腕は落ちていないらしい。むしろ上がっている。
「流石ですね、果園さん……」
連太郎が半ば呆れたような声で言った。同じ気持ちである。しかし木相先輩だけは目を丸くして驚いている。
「さっ、入ろう」
梨慧さんは我関せずを決め込んで、扉を開けた。
「おっ」
しかしすぐに部屋に入らず、扉の左斜め上をライトで照らした。
「蜘蛛の巣発見。廃墟といえばこれだよねー」
梨慧さんは何故かウキウキだが、わたし含め残りの三人は大きな蜘蛛に顔をしかめていた。あまり入りたくないなぁ……。
連太郎が部屋の外から室内を照らした。誰かの寝室のようだ。広い室内に二台のベッドが置かれていた。ベッドと言ってもマッドも敷き布団も掛け布団もないけれど。ベッドの他には閉め切られた白いカーテンがあった。
そしてこの部屋もまた、床は綺麗だった。カビてないし黒ずんでもいない。カーテンがあるから埃は少しあるが、気にするほとじゃない。
「次行こうか」
そう言って梨慧さんは扉を閉め、ピッキングツールを鍵穴に差し込んだ。そして開けるときより長い時間を掛けて施錠した。連太郎が目を剥く。
「果園さん……。施錠もできるんですね」
「まぁねー。習得したのさ」
どうやらピッキングでの施錠は開錠より難しいらしい。
一階の最後は玄関へと続く扉だ。例によって梨慧さんが迷いなく開け、廊下を突き進んでいく。
玄関も広いんだなぁ……。広けりゃいいってもんじゃないでしょうに。
途中で先頭の梨慧さんが立ち止まり、左を向いた。引き戸がある。そしてやっぱり何の迷いもなく開けた。そしてまた蜘蛛の巣。テンションの上がる梨慧さん。蜘蛛に顔をしかめるわたしたち。デジャヴ?
この部屋はどうやら脱衣所らしい。奥に浴室ドアが見える。嫌みなことに脱衣所も広い。この家の主人だった人は、広い=金持ちと思っているんじゃないだろうか。確かにその通りかもしれないけど、旅館並の脱衣所は馬鹿だと思う。
梨慧さんが中に入り、浴室ドアを開けた。仕方なく三人で後に続く。
想像はしていたけれど、ここもやっぱり広かった。民宿のような風呂場である。というかもうここ民宿なんじゃないの?
連太郎と梨慧さんがライトでひとしきり照らして、特に何もないようだったのでリビングに戻った。
「そうだ、木相先輩。お兄さんはどうですか?」
「ちょっと待って」
先輩はポケットからスマホを取り出し、画面を見せてくれた。赤い点が点滅している。動いてはいない。
「大丈夫なようだね。じゃ、二階に行こうか」
梨慧さんの言葉に三人で頷く。彼女を先頭に、階段の一つを上がっていく。
「ん?」
梨慧さんが立ち止まった。
「また蜘蛛の巣ですか?」
「風原ちゃん。私は別に節足動物マニアではないよ。……これだよこれ」
梨慧さんがライトで階段の一部を指し示した。一階の床と違ってひどく黒ずんでいた。
連太郎がその上の部分を照らしていく。カビが生えている箇所もある。
「汚らしいね。もしかしたら、板が抜けるかもしれない。たぶん、一階しか掃除されていなくて、二階は放置されているんだと思う」
連太郎が誰にともなく呟いた。それに梨慧さんが反応する。
「だね。こことか、腐ってるよ」
嬉々とした声音でライトを上から三つ目の板に当てた。何がそんなに面白いのかニヤニヤと笑みを浮かべている。
わたしは焦って言う。
「これ、大丈夫なんですか……?」
「んー……、あそこ以外は特に腐敗してないようだから……ま、大丈夫でしょ」
「本当ですか……?」
「行きたくなかったら待っててもいいよ。私と間颶馬君の二人で行くから」
「僕、行くことになってるんですね……」
連太郎が溜息混じりにこぼした。でも否定はしないらしい。行くのか……。
わたしは木相先輩を見る。
「私も行くよ。頼んだのは私なんだし……」
この暗がりの中一人で待つのは……嫌だ。観念的しよう。
「わたしも、行きます」
「うんうん。そうこなくっちゃ面白くないよねー」
わたしは一人、溜息を吐くのだった。




