プロローグ
憧れ……という言葉はなかなかの汎用性を誇っている。みんなも胸に手をあてて、自分の中の憧れを探ってみよう。
思ったことは当然、人それぞれ違うだろうし、そもそも憧れの種類からしてたくさんある。
例えば人への憧れ。尊敬する人への羨望や、好きな人への淡い想いはもちろん、漫画や小説の登場人物に影響を受けるのもまた憧れと言えるだろう。
例えば将来への憧れ。自分の将来の理想像を想像することや、スポーツ大会の優勝を目指すのも憧れである。
そして場所への憧れ。どこかへ旅行に行きたいと思ったり、絶景を見たいと思うことも憧れだ。
このように、憧れのレパートリーは数え切れないほどに存在し、それらは全て人の心の中にある。
わたしの周りにも憧れを持つ人が大勢いる。まず父親。彼は『太陽にほえろ!』のボスこと藤堂俊介に憧れてる。母親は未踏の強さに強い憧憬の念を抱いている。……これだと、わたしの母親がものすごく変な人のようだが、実際に変だと言われた返す言葉が浮かんでこないから、まぁ、つっこまないでほしい。
小学四年生からの親友は名探偵とヒーローに憧れている。知り合いの先輩はスタイリッシュな犯罪に、友だちは白馬の王子様が颯爽と助けてくれることに憧れている。……非常に危ない先輩とメルヘンな友人だが、実際に色々と危なくメルヘンであるため、何も言わないでほしい。
そしてこの話題を出した張本人たるわたし――風原奈白も、当たり前なのだが憧れているものがある。小学生のころからずっと心の中で熟成させてきた思いがあった。それは……清楚で可憐でおしとやかな文学少女である。
文学少女……なんて美しく、儚い雰囲気を持った言葉なのだろう。
幼いころからわたしは、前述した変な母親の影響で格闘技を嗜んでいた。しかも超絶アウトドアで、休日に友達と集まって家でゲームするなんて考えもしなかった。スポーツゲームが特に理解不能で、「どうしてスポーツを仮想空間でする必要があるの? 外でやろうよ」と思っていた。いまでも思ってるけど
学校の休み時間も五分休みだろうがなんだろが、とりあえず外に出ていた。多少の雨も気にしない。ここまでの話でわかると思うけれど、小説なんて読みゃしない。読む本なんて父親が買っていたド直球の少年漫画くらいだ。
こんな破天荒な少女時代を過ごしていたわたしは、いつからか危機感を憶えるようになっていた。
――このままじゃまずい!
みたいな感じだ。
本当にその切羽詰まったような感情を抱いたきっかけはわからない。当時はわたしは背が高く(いまも割と高いけど)、力も強かったためアホな男子たちから『ゴリラ』という渾名をつけられていた。……ん? 思い返すと、危機感を抱いたきっかけは、たぶんこのことを知ったからだ。……いやまてよ。同じクラスの女子生徒に告白されたときかもしれない。
まぁとにかく。単純かつ純情のピュアガールだったわたしが、それらのことに衝撃を受けたのは想像に難しくない。
そんな鬱屈した悩みを抱えているとき、一人の女子生徒が図書室で凡そ小学生向きとは思えない、難しそうな小説を読んでいるのを見たのだ。彼女は男子たちのマドンナ的存在で、アホ男子たちからよく照れ隠しという名のからかいを受けていた。彼女はしかし大人で、そんなものは軽々と受け流していたのだが……。
話がそれたね。わたしは彼女が本を読む何とも言えない美しさ……そう、聖女感に魅せられたのだ。目を細め、耳に髪をかけ、ページを捲る……これら一つ一つの清廉かつ艶っぽい動きに息を飲んだ。
――そうか、これが文学少女。これが、わたしの目指すべき姿に違いない。
いま思い返すと、非常におつむの悪い女の子だが、実際に魅了されてしまったのだから仕方がない。……いや、なんかわたしが同性愛者みたいに読み取れちゃうけど、これは違いますからね? さっき言った、憧れってやつですからね。同性のスポーツ選手に少年少女が憧れるのと同じように、健全な気持ちだったのです。
しかしまぁ、その女の子は転校しちゃうし、体育の成績が5+という破格の数値で、あとは2と1のわたしがそんな聖女になれるはずもない。目標を先延ばしにしていたこともあってか、あっという間に小学校を卒業した。
中学デビューを試みるも、同じ小学校の生徒がけっこういたため、無駄だと思って結局しなかった。
だが、これではいけない、と高校入試が近づいたところでわたしの心が警鐘を鳴らした。高校ではみんなが憧れるような文学少女にならねば、と……。
まず最初に、高校入学に向けて髪を伸ばした。文学少女といえば、三つ編みだよね。さすがにそれをやる勇気はなかったけど。……一応断っておくと、ものすごく勉強しましたよ。親友と同じ高校に行きたかったから、人生で一番勉強しました。女子力アップなんて図る余裕は微塵もなかったから、髪を伸ばす程度だった。
しかし問題が発生した。両親含め、その他大勢の人から「似合わない」と言われてしまったのである。自分でもそう思ったので、三つ編みの文学少女は諦めて、セミロングの文学少女を目指すことに決めた。けれどやっぱり「ショートの方が似合ってた」とみんな口を揃えて言う。
いやぁ、それは違いますよ。みなさんは、ただショートのわたしに見慣れちゃってるだけなのよ。だってそれまでわたし、髪を肩より下に伸ばしたことなかったんだよ? それなら昔の方が似合うと思うのは、当然だよね? ね? というわけで、セミロングのままキープすることに決めた。
そんなこんなで高校に入学した。祝・文学少女デビュー! ……なーんて、簡単にいくはずがない。
わたしが目指す文学少女は清楚で可憐でおしとやかなのだ。そんな少女が、入学式に遅刻しかけて、食パン咥えて全力疾走なんてするかな? 答えは当然否だ。それはただの少女漫画の主人公であって文学少女ではない。
とっくにわかりきっていたことだけれど、わたしほど文学少女に向いていない人間はいない。さっきも言ったけどアウトドアだし。運動神経もそれなりだし、パワーも強大だ。男子より女子にモテるし。そして腹筋が少し……すこーしだけ割れている。いやでも最近はそういう女性が好きって人もいるみたいだからこれはまぁいい。それが女子高生に求められているかは別として。
わたしはモテたいわけではなく、文学少女になりたいのだ。世間一般の文学少女の腹筋は割れていないだろう。
以上のことから、『全世界文学少女に向いていない選手権』なんて大会があれば、表彰台の一番高いところに立てる自負がある。いやな自負だな。
そして、ここが最も……最大にして最重要のことなのだけど。文学少女は不測の事態に巻き込まれたらどうするのだろう。……というか、そんなデータが得られるほど文学少女は――否、普通の高校生は過度の不測の事態など経験しないだろう。
それに照らし合わせると、わたしは文学少女どろか、高校生お決まりのフレーズ『ごくごく普通の高校生』、これすらも当てはまらなくなってしまう。
入学してから一ヶ月しか経たないうちに、『あんな出来事』に巻き込まれたんじゃ、自信の一つや二つ消失するだろう。
あの忌々しい体質が消えない限り、文学少女への道は混迷を極める。