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冷たい部屋

 フィーネが王宮を後にしてから丸一日ほどたったある日。グレイスとギルバルト王の二人は、屋上に足を運んでいた。

 快晴で、青い空と太陽が眩しい天気だ。

 それ故に、闘技場の状況がはっきり見てとれた。

「この状況では、聖剣武大会を開催することはできぬな……」

 ギルバルト王は屋上の惨状を見ながらそう漏らした。

 屋上、もとい天空闘技場はリーナと鎧竜アーマードドラゴンとの戦いで壊滅的な被害を受けていた。

 至るところに血が飛び散り、観客席の一部は崩壊しており、無慈悲に殺された兵士達の遺体がそこかしこに転がっている。修復には膨大な時間がかかりそうだった。

 致命的なのは、巨大なドラゴンの死体がごろんと横たわっていることだ。その肉はすでに腐り始め腐臭を放っている。

「申し訳ありません父上。私がもう少し、部隊を上手く扱えていれば……」

「お前は、自分にできることをやったのだろう? ならば、お前が謝る必要はない」

「痛み入ります……」

「うむ……しかし報告書を読んだが、リーナの戦闘能力……お前はどう思う?」

「わかりません。あの灰色の瞳と、ドラゴンとの接触がリーナの眠れる力を引き出した、としか」

「もしも、仮にその力を持ったリーナが、我々人間の敵となったら、どうなっていたと思う?」

「私を含め全ての兵士が皆殺しにされていたことでしょう。恐らく、現存兵力すべてを投入しても、あの時のリーナを止める術はなかったものと思われます。しかし、リーナはそれをしなかった」

「ドラゴン打倒を成し遂げた直後、気絶するように眠りについたそうだな」

「はい、恐らくリーナ自身、自分の力を制御できていない可能性があります」

「ふー、む……」

 ギルバルト王は大きく息を吐いた。そして、沈黙の末にポツリと語りだした。

「これ以上、何も起こらないのであれば、娘の生を素直に喜べるのにな……」

「父上?」

 ギルバルト王は、壊れた観客席からさらに遠くを見ていた。その先に広がっているのは、青い空と王都の町並みだった。

「あの子は望んで人間に危害を加えるなどと言うはしない。それくらいはわかっている。だから、これ以上、何事もなければ、純粋にあの子を愛してやれるのに、と。そう思ったのだ。私はあの子に、父親らしいことを何一つしてやれていないからな」

「父上。私の口からこのようなことを言うべきではないかもしれませんが、あまり期待なされないほうがよろしいかと……」

「わかっておる」

 ギルバルト王は空を仰いだ。その表情に苦笑いを浮かべながら。

「我々の心とは不釣り合いなくらい、空は明るく綺麗だな」

 そう呟いた。


 おぼろげな光景がよみがえってくる。

 その光景は蟻が象を殺すに等しい光景だった。

 殺気を放つ瞳は、勇猛果敢に獲物をに向かっていく。向かっていくのは一人の少女だった。

 対峙するのは巨大なドラゴンだった。金属のように黒光りする皮膚に覆われたその体躯は所々から血を滴らせている。

 大きさからして、普通に考えれば少女の方がはるかに不利だ。勝てるはずがない。勝機などない。

 そう、少なくとも、普通の人間ならば。

 しかし、少女は普通ではなかった。セミロングの髪の毛を振り乱し、一心不乱にドラゴンに立ち向かっていく。

 少女はドラゴンを追い詰めていた。ドラゴンをも圧倒する、溢れでる力はドラゴンの目で追えないほどに速く、その強固な皮膚を叩き割るほどに力強かった。

 目を潰され、尾を両断され、噴水のように撒き散らされる血液は、人間で言えば失血を起こしている状態に酷似していた。

 否、実際そうなっていた。

 やがてドラゴンは両手を地につき、身動きができなくなっていた。

 ――忘れるな……お前はもう、人間には戻れん。

 そんな声が聞こえた直後、少女は大きく跳躍し、ドラゴンの首を両断していた。


「……!!」

 ろうそくの明かりが目に飛び込んでくる。光に照らされて見えるのは、無機質な石で作られた天井と鉄格子の影。

 リーナ=ギルバルトは 玉の様な汗を額に浮かび上がらせながら、目を覚ました。

「ここは……」

「お目覚めになられたようですね」

「!」

 突然聞こえた声に、リーナは一瞬全身を強張らせた。

 そこに立っていたのは、フィーネとはまた別のメイドだった。

 黒いショートカットの髪の毛に、ブラウンの東洋系の瞳と、やや無機質な雰囲気をまとっている少女だ。

 彼女は冷たい鉄格子を隔てて立っていた。

「あなた……アルト姉様の」

「私のことより、ご自分の状況を把握された方がよろしいかと思います」

「え?」

 言われてリーナは周囲を見渡した。鉄格子で仕切られた石作りの部屋。外からの光が存在しない断絶された世界。

「ここは……地下牢」

「ご明察です」

 目の前のメイドは淡々と答えた。

 リーナは今簡素なベッドの上で 目をさました。 必要最低限、寝るためだけに設けられた 固く簡素なベッド。 掛け布団とよべるものはなく 薄毛の毛布をかぶった状態で 彼女は目をさましたのだ。

「この状況……そう……そういうこと……」

 リーナは可能な限り冷静に状況を判断した。ドラゴンと戦うこと。それをよしとしない父と兄を欺き、実際にはドラゴンとの戦いに赴いた自分。

 そのためにフィーネと入れ替わったことが露見したのだろう。長々と騙し通せるわけがないし、何よりリーナは自らグレイス達の前に堂々と姿を晒している。

 ドラゴンと戦った罰なのか、それともそれ以外の理由なのか、いずれにせよ、リーナは今自由を奪われている。

 それだけは理解できた。

「思いの外、冷静ですね」

「慌てて取り乱すと思ったの?」

「いえ、そのようなことはございません。ただ、私なら最初に取り乱し、一暴れして疲れてから冷静になると思いましたので」

 一見無機質で感情が表に出てこないこのメイドが、慌てふためいて暴れだす、等ということがあるだろうか?

 そう疑問に思いつつも、それを言葉には出さないでおいた。

「ところで、どうして貴方があたしの目の前にいるの? あなたはアルト姉様の専属メイドでしょ? こんなところであたしの話なんてしていてもいいの? って言うか、フィーネはどうしたのよ?」

「質問は一つずつにしていただけますか?」

「あ、それもそうね……」

「フィーネはリーナ様と入れ替わった罰として一週間のお休みを与えられ、現在王宮内にはおりません」

「あ……」

 一瞬なぜ、と思ったものの、すぐに考えを改めた。フィーネはリーナのためと思った行動は基本的になんでもする子だ。

 今回の入れ替わりだってフィーネの理解があったからできたことだ。

 フィーネも罰の対象になっくてもおかしくない。そんなことは当たり前のことだ。決して失念していたわけではないものの、やはり親友が罰を受けると言うのは胸が痛む。

 同時に心の中でほっとして気持ちがあった。 フィーネに与えられる罰が、痛みを伴うものではなかったからだ。

 フィーネの背中にある大きな傷跡。 生まれついた時からほくろのあった場所で、リーナが初めて見た時はまるで亀の甲羅のような大きさだった。

 それを取り除いた後の背中は見るものをゾッさせるほどに 痛々しい。 これ以上フィーネの背中に傷が増えるような罰を与えられたとしたらリーナは父に対して強い怒りをを感じていたことだろう

「リーナ様、また妙な事を企んでいるわけではないですよね?」

「失礼しちゃうわね。妙な事って何よ」

「例えば……そうですね。隙を見てここから脱出を図ろう……等と言うことです」

「そんなことしないわ。大体、人間が自力でこの鉄格子をどうにかできるわけないでしょう?」

「私には、とてもそうとは思えません」

「心外ね一体あたしがなんだって言うのよ?」

 まるで人間ではない、と遠回しに言われているような気がした。

 しかし、メイドはどこか不振な面持ちでリーナを見る。

「覚えていないのですか?」

「何を……?」

 リーナは目を丸くする。

 メイドは続けた。

「ご自分がどうやってあのドラゴンを撃退したのかです」

「え……あ……」

 言われて考えを巡らせ始める。

 ――そう言えば……。

 状況が状況なのでそこまで考えが及ばなかった。

 ここにいること事態は、自分がフィーネを利用して入れ替わり、ドラゴンと戦闘行為を行った罰だと納得できる。

 では、自分はどういう経緯でドラゴンとの戦闘をしのぎここにいるのか。

 その辺りの記憶が、まったくといっていいほどない。

 ――なんで……?

「もしかして本当に覚えていらっしゃらないのですか?」

「え……ええ……」

 声が震えているのが自分でもわかった。

 明らかにリーナは困惑している。それが理解できたからだろう、メイドはどう言葉をかけるべきかわかりかねている様子だった。

 言うまでもなく、それはリーナも同様である。

 リーナの視線は明らかに泳いでいた。やがてその視線がゆっくりと目の前のメイドに向けられていく。

 彼女もまたどう声をかけるべきか分からず、微妙な沈黙が流れた。やがてメイドは言葉を選びながらゆっくりと言葉を紡いだ。

「私には、リーナ様の苦悩は理解できかねます。ですが、どうか……」

 そこで一旦言葉を区切る。

「どうか、御自身を見失うことだけはないよう、願います」

 そしてまたも気まずい沈黙が流れた。その沈黙の果てに、呟くように。

「分かってる」

 と言った。同時に心の中で。

 ――だけどどうやって?

 と思った。

 その疑問は誰に対するものだっただろうか。リーナ自身、自分でわからなかった。

「ところで、一つ聞いていいかしら?」

「はい、なんでございましょう?」

「あたしはどれくらいここにいればいいの?」

「フィーネの罰と同様、一週間です」

 それを聞いて、何にも興味なさげにリーナは「そう」とだけ答えた。

 メイドは無言になったリーナに背を向け、ゆっくりと離れた。そして、両手で四角のトレイを持ってリーナの前に戻ってくる。

 トレイの上に乗せられていたのはパンやスープにハムなどの食事だった。そして、そのトレイを鉄格子の下にある隙間から入れる。

「食事です。召し上がってください」

「そんな気分じゃないわ」

 そう言ってリーナは暗い顔をする。 確かに空腹を感じてはいたが、どうにも食欲がわかない。

「そうですか……」

 メイドはそう言うと再びリーナに背を向けた。

「もう行っちゃうの?」

「はい。 私の役目はリーナ様に食事をお届けする事ですので」

 リーナは小さくため息をついた。その様子を見て、メイドはさらに続ける。

「それに今は誰とも話たいお気持ちとは思えませんので……」

 確かに 今は誰とも話たい心持ちではなかった。

 それを察してか、それ以降メイドが話しかけてくることはなく、静かにその場を立ち去った。

 一人残されたリーナは考える。 自分が何故ここにいるのか。あの時、自分はどのようにドラゴンを倒したのだろう?

 覚えているのは ドラゴンに自分の足を踏み潰すされた瞬間までだ。

 そのとき自分の心には強い怒りがあった。自分がこんな目にあわなければならない理不尽に対する怒りが。

 しかしそこで記憶が綺麗に途切れている。そのまま記憶を辿るなら ドラゴンに足を踏み潰すされた直後そのままここに運び込まれたことになる。

「……!」

 そこで大切なこと思い出して、リーナは自分の足を見た。足は潰れていなかったまったく傷を負っておらず、いつもどおりの綺麗な足があった。

 思わず自分を抱きしめた。

「なにこれ……?」

 思わずそう呟いた。リーナは覚えている。あのとき確かに、自分の足は潰されたはずだ。原型なんかとどめている筈がない。そのときの感触ははっきりと覚えている。

 それなのに、足はまったく傷ついていなかった。

「あ、あたしって一体……」

 途端に自分が恐ろしくなった。

 自分が普通の人間じゃないことは分かっている。理解している。だけどバケモノだとは思っていない。

 ――思い出せ! 思い出せ!

 脳を酷使し、必死にあのときの事を思い出そうとする。

「う……うっ……」

 だが、思い出そうとすればするほど、頭痛が襲ってくる。

 ――思い出せない……! 何も思い出せない……なんで!?

 自分で自分が分からない。それがとてつもなく恐ろしい。このままでは自分自身でも気づかないうちに、家族を殺しかねない。

 自分の頭を抱えたまま、固いベッドの上に寝転がる。

 ――あたしはリーナ・ギルバルト。アダマンガラス国第三王女で、生まれてからずっと災いをもたらすとか言われていて……。

「あたしはそんな運命が嫌で嫌で、抗いたくて、だから剣術を始めた。そうすれば強くなれるから」

 心の中の呟きは、次第に口から漏れ始めた。

「運命だって変えられるって思って、それを信じて今まで剣を振るってきたのに、それなのにそれなのにそれなのに……!!」

 言葉に怒りが籠っていく。どこに、誰に向けていいのか分からない気持ちが、心の中でくすぶっていく。

「もう!」

 固いベッドに拳を突き立てる。拳に伝わる衝撃は、布団が吸収し、なんとも言えない音が地下牢に響き渡る。

 それを何度も何度も繰り返す。それでも心の中に溜まったどす黒い感情が消えることはなく、ただ己の拳をいたずらに傷つけるだけだった。

 苛立ちが募る。こういうとき自分はどうやって、感情を沈めていただろう。

 思い出すのは、フィーネの存在だ。こういうとき、愚痴を聞いてくれたのはフィーネだった。ベッドに拳をいくら叩きつけたって、気分なんか晴れない。誰かに聞いてもらいたい。感情を吐き出しても受け止めてくれる相手が今は恋しい。

 ――あたし……結構あの娘に依存してたのね。あの娘がいてくれたから、あたしは今まで頑張ってこれた……。

 リーナにとって、フィーネはまともに本音をぶつけることのできるはじめての相手だった。それはフィーネにとっても同じだったはずだ。お互いがお互いの手を取り合って生きてきた。

 自分以外の大人達。父や使用人達が自分に向けてくる視線が、リーナには辛かった。自分が特殊な存在であるがゆえに、大人達の負の感情が敏感に感じとることができた。子供の頃からそれを感じて生きてきたから、本音で話し合える同世代の友人がいなかった。

 そんな状態でも、真っ直ぐに成長できたのはフィーネがいたからだと断言できる。

 聖剣武大会で連勝を重ねることができたのも、フィーネが常に見えない部分で支えてくれていたからだ。

 今まで頭の中ではそれを理解していた。しかし今、心がフィーネの存在を渇望している。メイドとか使用人とかそれ以前に親友として話がしたい。

 そんな気持ちで胸がいっぱいだった。

 自分自身への怒りや、渇望。そしてどうにもできない無力感と焦燥感。そんなどうしようもない気持ち が 頭の中でぐちゃぐちゃと渦をまいていた。

「はあ、取り合えず……」

 と言ったところで、空腹を告げる音が響いた。

 先程まで食欲がなかったのに、今は猛烈な空腹を感じていた。我ながら現金なものだ。

 リーナはメイドが残していった食事に目を向けた。

 ベッドに座り、トレイを膝に乗せて食事を始めた。

 水とスープとパンとハム。普段の食事とは違って、えらく簡素な食事内容だった。それに対して不満を感じるわけでもなく、黙々と食べ進める。

 先程まで心の中にあったグチャグチャな感情。簡素な食事でも、その味を噛み締め、飲み込むごとに、そういった悪いものが多少は吐き出されていくような気がした。

 食事を終えると、すぐにベッドの上に横になった。

 目は冴えているが、特にすることがあるわけでもない。話し相手もいない。ひたすらになにもすることがない。

 ボーッとしていると、また自分の内側から嫌な感情がわき出てくるのではと、不安になってくる。

 そんな状態で一週間を過ごすというのはかなりキツい。だからこその罰なのだろうが、リーナは自分に化せられた罰があまりにも残酷なのではと感じていた。

 地下牢の天井を見つめる。すると、もう何度目か分からないため息が漏れた。

 無意識のうちに蝋燭ろうそくの明かりが消えた後の想像をする。想像して、またゾッとした。

「暗闇、地下牢……なんて冷たい空間なの」

 地下牢はリーナにとってトラウマだ。思い出したくないことを嫌でも思い出してしまう。

「……フィーネ……早く、またあなたと話がしたい」



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