蹂躙する者達
空の暗雲はその暗さを増していく。雷も鳴っている。雨が降り出すのは時間の問題だった。
まるでリーナが戦うことを祝福するかのようなタイミングだ。所詮錯覚でしかないのかもしれない。しかし、心を強く保つには、やはり暗いより明るいほうがいい。
「行くわよ!」
リーナが構え、走り出す。その瞬間、鎧竜の鋭い尻尾がリーナに向かってきた。
「!!」
咄嗟にロングソードを盾にする。ガンッ、と金属音がした。刹那、彼女の体は大きく吹き飛ばされた。
リーナは宙を舞っている僅かな瞬間で体勢を整える。結果、彼女の体が客席に叩きつけられることはなかった。その代わり、乾いた靴の音がした。客席の壁に両足で着地したのだ。その瞬間、彼女が履いている栗色のスカートが花弁のようにふわりと広がった。
鎧竜の尻尾はうねり、リーナの胴体を真っ二つにするべく薙ぎ払われる。リーナは客席の壁を蹴って跳躍し、回避する。
鎧竜の尻尾が彼女の真下に来たときそれは起こった。尻尾が突如、上に向けて跳ねたのだ。
「うっ……」
リーナは叩き上げられ、再び宙を舞った。空中では身動きが取れない。隙だらけになってしまう。鎧竜もそれを理解しているのか、リーナを串刺しにするべく、先端の鋭い尻尾がまっすぐに伸びてくる。
――しめた!
だが、リーナはその状況をマイナスに捉えなかった。
ロングソードを真下に向ける。そして、尻尾と彼女の体が交差したその刹那、リーナはロングソードを鎧竜の尻尾に突き立てた。
頑強な皮膚と皮膚の間にピンポイントで突き刺したのだ。
『グウウウウウウウウウウウオオオオオオオオン!』
鎧竜はブンブンと尻尾を振り、ロングソードを引き抜こうとしているようだった。
リーナはロングソードの柄に捕まったまま、少しでも傷を広げようと腕に力を込める。
やがて尻尾は鎧竜の持つ最大限の力で振るわれ、リーナごとロングソードを引き抜いた。
リーナは地面に向かって吹っ飛ばされる。その際、再び体勢を立て直した。一度両足で地面を蹴り、何歩か後退しつつ構えなおす。
「ハァ……ハァ……」
肩で息をしながら、ドラゴンの尻尾を見る。傷口こそはっきり見えないものの、確かに血が滴っている。ダメージを与えていることだけは確信できた。
――まだ……浅い!
尻尾を傷つけただけでは鎧竜をダウンさせられない。もっと、確かな手応えが必要だ。
リーナの目は鎧竜を捉えて離さない。同時に頭をフル回転させていた。確かなダメージを与える方法を。
「ハァ……ハァ……あ……」
そして、先ほど死んだ兵士の死体と共に転がる剣に視線を移した。
――……!
これから取るべき行動を一瞬でイメージし、即座に行動に移した。その行動とは、自身の持つロングソードを投げつけることだった。鎧竜の顔面目掛けてとてつもない威力で、刃をぶん投げる。
驚く程正確に、そして凄まじいパワーで投擲された刃は、鎧竜の目を直接狙っていた。
鎧竜は一瞬瞳を閉じた。
『グォンッ!?』
それでも衝撃は十分だったようで、鎧竜は瞼に刃が激突した衝撃から、数歩後ずさりした。そして、鎧竜が体勢を立て直し、瞳を開けたその時、目の前にリーナがいた。
ほんの一瞬だった。いかに鎧竜といえど、痛みはある。痛みがあるならある程度隙を作り出すことができる。その一瞬の隙をついて、リーナは地面に転がっていたロングソードを両の手に拾い上げ、鎧竜の顔面近くまで跳躍したのだ。
リーナは右手に持ったロングソードで鎧竜の目を突き刺した。
『ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイオオオオオオオオオオオ!!』
鎧竜の雄叫びが、大気を振動させる。続けざまに左手に持ったロングソードを右手に持ち替える。そして落下しながら、硬い皮膚と皮膚の間に右手に持ち替えたロングソードを叩き込んだ。
うなり声が聞こえる。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
同時に歓声があがった。鎧竜に一方的に蹂躙されるだけだった兵士達が、あまりにも意外な戦闘経過に色めき立っている。
「おいおいおいまさか、姫様が勝つのか?」
「姫様なら勝てるかもしれない!」
それはあわよくば期待であろう。リーナがドラゴンを倒すという。
「俺達は勘違いしていたのかもしれないな」
兵士の一人が声を上げた。
「何がだ?」
「姫様は災いを呼ぶ悪魔じゃなくて、災いを払いのける女神だったんじゃねぇかって思ってよ」
他の兵士達も徐々に興奮し始める。
「姫様なら、きっとやってくれる!」
「そうだな! 情けないかもしれないが、この場は姫様に託すしかないかもしれないな」
「頼むぜ姫様!」
兵士達が高揚する。自分達では叶わなかったドラゴンを倒すかもしれない可能性に。
グレイスも兵士達も、リーナが打倒ドラゴンのために剣術を磨き、自分を鍛え上げてきたことを知っている。
聖剣武大会での優勝実績は彼女の弛まない努力の賜物だ。アダマンガラス城で常に訓練を重ねている兵士達でさえ、リーナと互角に戦えても勝てる者はほとんどいない。
そして実際に、鎧竜と互角かそれ以上の戦いを繰り広げている。期待が高まるのは当然と言えた。
だが、グレイスの表情は険しかった。
――確かに……リーナなら勝てるかもしれない。あいつの悲願が叶うのは時間の問題かもしれない。しかし……。
リーナは玉のような汗を浮かべつつ、肩で息をしている。朝の冷たい空気のせいか、吐き出す息は白く、熱に浮かされた顔をしている。この時点で既に相当な披露が溜まっているのだ。だが、グレイスが危惧しているのは、彼女の疲労ではなかった。
――リーナよ。気づいているのか? 自分が既に、人間離れした動きをしていることに……!
リーナの体は疲労でクタクタになっていた。呼吸を整えようと多めに空気を吸うが、人間の体はそこまで単純にはできていない。
メイド服は汗と返り血で濡れていた。栗色のロングスカートは返り血で、濡れている。
――まったく、借り物なのになぁ。
中に着ているシャツや下着は汗ばみ、肌に張り付いている。動いていると気にならないのに、黙っていると嫌でも気になる。
――この戦いが終わったら洗濯して返さなきゃね。
笑みを浮かべる。心には十分な余裕があった。
――大丈夫、あたしなら勝てる。このドラゴンを打倒できる!
心の中でつぶやく。必ず勝てると彼女は信じている。
――あたしは負けない。負けてたまるか! あたしは、この世界に災いなんかもたらさない!
恐怖はない。それは虚勢を張っているからじゃない。体が火照ると同時に、高揚していく心が、自然と恐怖をかき消していたからだ。
呼吸が回復してくる。深呼吸をし、鎧竜を睨み据える。
――それを……。
「証明してやる!」
構えると同時に走り出す。鎧竜には確かなダメージがある。尻尾、目、胸部。それぞれから血が流れている。片目もすでに潰してある。戦いの流れは確実にリーナに傾きつつある。
『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
鎧竜が咆哮を上げた。同時にドラゴンは自らの口から一筋の光を放った。その光は地面を走り、正面からリーナに向かっていく。
「!?」
リーナは進行方向を九十度変えて跳躍し、これを回避する。光はそのまま真っ直ぐに走っていき、観客席を直撃する。
「直撃したら……」
呟き、体勢を立て直す。
「死ぬ……!」」
鎧竜が放った光は、屋上の地面を貫通していた。それが観客席まで伸び、細長い穴を開けていた。まるで光の刃だ。石でできた城を貫くくらいだから、人間が喰らえば即死するのは目に見えている。接触は許されない。
気を引き締める。しかし、僅かなミスが死に直結する攻撃方法はリーナに僅かながらプレッシャーを与えた。尻尾による攻撃はそれ自体が大きく動くため動きの予測が立てやすく、回避もしやすいが、今の攻撃には隙がまるでないのだ。
一度発生したプレッシャーが、リーナの心を蝕み始めていた。
――あたしはまだ、死ねない!
それでもリーナは心を強く保ち、果敢に挑む。
鎧竜は再び口から光を放った。
「クッ……!」
当たれば即死。それを肝に銘じ、回避に回る。幸いにも光は真っ直ぐにしか飛んでこないので、回避は容易だ。だが、体力をかなり使う。
体勢を立て直してもう一度、リーナはドラゴンに挑む。同時にまた光が襲ってきた。
――ちょ、ちょっと、待って……!
三度目も回避に成功する。しかし、ただでさえ疲労が溜まっていた体は連続回避で悲鳴をあげていた。
鎧竜は容赦なく、続けざまに光を放ってきた。
――マ、マズイ……!
体温が明らかに上がっていた。さっきまであったはずの心の余裕が失われていく。
リーナが鎧竜の閃光を回避すれば、その直後からすぐに閃光が飛んでくる。
攻撃の感覚は徐々に縮まっていき、体力の回復を待つ暇もなくなっていく。それどころか、体力は落ち込む一方だ。
焦りが湧いてくる。その焦りが恐怖を産み始める。恐怖は気力を奪っていく。
その最中、足がもつれた。
「ああっ!?」
体がいうことをきかなくなり、地面を転がる。同時に剣を握り締める握力がなくなり、ロングソードが手から滑り落ちる。耳障りな金属音が鳴り響いた。
呼吸が乱れる。汗が溢れる。喉が渇く。両手、両膝を地面につき、鎧竜を見上げる。
その状態になって、
鎧竜の攻撃が止んだ。
――な……なんで……?
不自然だった。今この瞬間こそ、リーナを殺すチャンス。なのに、鎧竜は攻撃してこない。疲れ果てて、動けなくなっているリーナに攻撃してこない。
「ハァ……ハァ……ま……まさか……」
同時にリーナは気づいてしまった。その理由に。
――あたしは……試されている?
鎧竜はいつだってリーナを殺すことができたのだ。だけど、あえてそれをしなかった。だからリーナは思った。自分がもてあそばれているだけなのではないかと。あるいは何かを試されているのではないかと。
その証拠に、鎧竜はリーナを見つめたまま動かない。
冷静になって頭を働かせる。すると、意外にもリーナを殺すチャンスは多々あったことに気づいた。
常にこちらから攻撃していた。鎧竜はその攻撃に反撃する形で応戦していた。
――そんなはず……ない……!
頭を左右に振る。リーナの心はまだ死んではいない。
しかし、心は死んでいなくても、体は限界だった。
「う、うう……」
立ち上がるのが辛かった。膝が笑っている。心臓が破れそうなほど鼓動している。
それでもリーナは、なんとか両足を地について立ち上がった。
『ゴオオオオ……』
「?」
鎧竜の口内で再び光が発生する。今度は先程までの閃光の刃ではない。
光が集まりそれは光球に変化する。光球は火球となっていき、徐々に大きくなっていく。
「あ……ウソでしょ……」
心に絶望の影が広がっていく。真っ白な紙に黒いインクが染み込んでいくかのように。
――動け、動け、動け、動け!
リーナは自分の体に命じた。
――なんで……なんでよ!
自分自身でさえさっきまでどうやって動いていたのかよくわからなかった。
思った通りに体が動いた。疲労の回復も早かった。でも今はそのどちらも感じ取れない。
披露が蓄積しすぎて動きは鈍り、その分回復が遅くなっているためだ。
鎧竜の火球が、口内で最大限まで膨らんだ。その瞬間、火球はリーナ目掛けて放たれた。
「そんな」
迫り来る火球に恐怖を感じた。死への恐怖が脳内をかけ巡る。
――いや……死にたくない……。
その直後、火球は地面に接触して爆発を引き起こした。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
衝撃と刺すような熱風がリーナを襲い、地面をゴロゴロと転がっていく。
力の抜けた手足は捨てられた人形のようだった。
メイド服は熱と衝撃でボロボロになり、肌がところどころ露出する。露出した部分の肌は火傷を負っていた。顔も皮膚が一部ただれ、左の瞼が動かなくなっていた。
同時に爆炎を吸い込んでしまったため、喉と肺も潰れ、声が出せなくなっていた。
「ハッ………………ハッ……ハッ……う、ああ……!」
それでもまだリーナは生きていた。
一応生きている。そう実感した時、声が聞こえた。
『お、おい……嘘だろ……』
『姫様……』
『姫様でさえ勝てないのか?』
兵士達の声だ。動揺が広がっていく。
『お待ちください! 我々がするべきことは、ここで嘆くことじゃないんじゃないですか?』
――……?
動揺が広がることは十分予想していた。
彼らがリーナに期待した分、それを裏切った時の絶望は大きさを増す。
だから、今の兵士の声はちょっと意外だった。
『このまま姫様がやられるのを黙って見ているつもりですか!? 自分たち兵士が、本来守るべき王女であるリーナ姫様が戦っているだけでもおかしいのに、このまま黙ってみているだけならば腰抜けになってしまいます!』
――……誰よ……今の声……。
リーナの周りにいる人間は、ほとんどが余所余所しい態度で接していた。本音で話してくれる人間もフィーネと義理の姉アルトくらいのものだった。
だから、意外だった。自分を守ろうという兵士がいたことが。
その声は義務だから仕方なく戦うという諦めの声ではなかった。本音でリーナを守ろうとして言っている。それが伝わってきた。
『そいつは心外だな』
『新兵に気づかされるとはな』
『やるしかねぇか!』
賛同の声が集まっていく。兵士達の士気が上がっていった。
『ならぬ!』
しかし、それを静止する者がいた。聞きなれた声だった。こんな状態でもわかる。グレイスの声だ。
『お前達の命を、ここでむざむざ散らせるわけにはいかない。黙って見ていろ』
『グレイス様! 妹君が死ぬかもしれないんですよ!? 何も感じないんですか!?』
『貴様にそれを答える義務はない。逆らうならば極刑も辞さない! これは命令だ!』
『……!!』
それ以上、兵士は何も言えなくなった。グレイスは貴重な人員をこれ以上失いたくなかったのかもしれない。
そもそもこの戦いは、リーナが勝手に始めた戦いだ。グレイスにとっては作戦に組み込まれていないイレギュラーだ。だから、リーナを助けようとしないのかもしれない。
『……』
鎧竜は沈黙していた。しかし、兵士とグレイスのやり取りが終わると同時に動き始めた。
倒れているリーナに向かって歩きだしたのだ。巨体を揺らし、動けないリーナの元へと。
『ひ、姫様!』
そして、倒れているリーナを踏みつぶそうと、足を上げた。
――う、ウソでしょ……やめて……!
「た、たっす、けて……」
リーナは助けを乞うた。しかし、ドラゴンの動きは止まらなかった。
鎧竜の足はリーナの下半身目掛けて下ろされた。
グシャリと、リーナの足が潰れた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
絶叫がこだました。
――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!
頭の中は『痛い』という単語で埋め尽くされていた。
潰れている喉で絶叫したため、正常な呼吸ができない。
「ゴッ……ハッ、アッ、ハッ……アッ、アア……!!」
もうなすすべがなかった。心が壊れ始めていた。
――なんでなんでなんで!? なんであたしがこんな目にあわなきゃならないの!? 死にたくない死にたくない!
鎧竜はリーナから足を放した。
本来の機能を失った両足から大量の血が、まるで湧水の様に流れ出していた。
「ウウ……!」
鎧竜を睨みつける。しかし、鎧竜は無表情……に見えた。
――あんたが……あんたが憎い! あんたさえ……あんたさえいなければ……こんな左目を持たされていなければ!
自分自身を呪った。怒りと憎しみ。ドス黒い感情が心を支配していく。
――好きでこんな左目に生まれたわけじゃないのに!
――こんな左目さえなければ普通に暮らせていたのに!
――お前達さえいなければ幸せに暮らせたのに!
――普通に生まれることができていれば、お父様に愛されていたかもしれないのに!
――ドラゴンのせいだ! お前達ドラゴンのせいだ! お前のせいだ!
――お前さえ……お前さえお前さえ……お前さえいなければ!!
失血で意識が遠のいていく。それでも足掻きたかった。死ぬなんて認めたくなかった。だからリーナは呪いを刻み続けた。
――殺す! 殺す殺す! コロしてやる! コロしてやる、コロしてやる……。
――コロシテヤル!!
その時だった。
全身の失血が止まった。
『ゴオオオオオ!?』
鎧竜が何かを恐れるように一歩、二歩と後ずさる。
――……………。
心に穴が空いたようだった。もう呪いの言葉が出てこなくなった。
全身の傷という傷からまばゆいばかりの光が放たれた。
光は損傷した体と繋がり、痛みを和らげ、修復されていく。
『ようやっとか……』
声が聞こえた。聞いたことがない声だった。しかし、そんなことはどうでもよかった。もとい、今のリーナは何も思考していなかった。
焼けただれた体中の皮膚が再生していく。潰れた両足は骨と骨がつなぎ合わさり、肉が形成されていき、元の形に戻っていく。
やがて光が収まった。壊れていたリーナの肉体は完全に元通りになった。
閃光と静寂が支配する空間で、リーナはゆっくりと立ち上がる。
体のいたるところが露出しているその姿は、どこか怪しかった。瑞々しささえ感じる肉体は以前にも増して健康的に見える。
さっきまでただれて動かなくなっていた左目の瞼もしっかり動くようになっていた。
その瞼が開かれる。その瞳は今までのような灰色の瞳ではなくなっていた。
真っ赤だった。目の前の鎧竜の瞳と同じように赤く変色していた。
青の右目と赤の左目。その両目でリーナは天を仰ぐ。
暗雲に穴が空いていた。その穴から、神々しさすら感じる太陽の輝きが溢れ出し、天空闘技場を照らし出す。今この瞬間、天空闘技場の真上に太陽の光が輝いていた。
『気分はどうだ?』
また声が聞こえた。その声に脊髄反射するかのように、リーナは走り出した。
否……跳んだ。
『グオオオオオオオン!?』
鎧竜が吼えた。
リーナが目にも止まらぬ速さで、ロングソードを拾い上げ、鎧竜の胸部を突き刺したのだ。
それも鋼のような硬さを持つ鎧竜の皮膚を、力任せに貫通した上で。
――な、なにぃ……!? これは……。
戸惑いの声。しかしリーナは止まらなかった。なんの感情も感じさせない表情で次の行動に移る。
鎧竜が尻尾を動かし、リーナを狙う。同時に口内から閃光の刃を放ち、リーナを両断しようとする。
しかし、どちらの攻撃もリーナには当たらなかった。獣のような俊敏さと凄まじい反応速度で、いずれの攻撃も当たらない。
『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
鎧竜はここに来て初めて大きく動いた。一度大きく跳躍し、リーナから距離を置く。
『我を殺すか人間!?』
リーナの目に光彩はなかった。なんの感情もなかった。その視線は鎧竜を見つめていた。
『よかろう……だが、我が命までは奪えても、魂までは汚せぬと思え!』
それは鎧竜が初めてリーナを『敵』と認めた瞬間だったのかもしれない。
再び閃光を放つ。今度は直線だけではない。顔を動かし、縦横無尽に光の刃を動かす。
だがやはり当たらない。当たらないどころか、回避したその瞬間に姿を見失ってしまう。
鎧竜はリーナの体をボロボロにした火球を口内に作り出す。そしてその火球を口の中で噛み砕いてから発射した。
それは火球の礫となって、リーナに襲いかかる。リーナは足を止め、閃光の刃を回避しながら拾い上げていたロングソードを構える。
そして無数の火球を弾き飛ばし始めた。体全体が凄まじい速さで動き、自らに降りかかり接触せんとする火球の礫を一つ残らず弾き飛ばす。弾き飛ばされた無数の火球は闘技場全体に飛散し、至る所で爆発が発生する。
そうしている間に鎧竜は、再び火球を作っていた。今度はさっきリーナを襲ったものとは段違いの大きさだ。
下級の礫を叩き落とした直後、特大サイズの火球が発射される。圧倒的な破壊の炎がリーナに迫る。
リーナはこれをかわそうとしなかった。その代わり。ロングソードの刀身で弾き飛ばし、機動を変えた。
「衝撃がくるぞ! 伏せろお!」
グレイスが支持を出す。その直後、火球が闘技場の観客席に直撃した。
闘技場の一部、観客席の五分の一ほどが大爆発を起こし、壊れ、落下した。
衝撃はこの闘技場のみならず、城全体に波及し、大地震が起きたときのように揺れ動いた。
鎧竜はリーナがそうしている間に、尻尾を動かしていた。鋭く尖った先端がリーナに向かっていく。
その直後、リーナは高々と跳躍した。それもとてつもなく高々と跳び、鎧竜を跳び越していく。
『馬鹿な……』
空中でロングソードを構える。落下の勢いを利用して、鎧竜の尻尾の……その根元に突き刺した。
『ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!』
その瞬間、尻尾がだらりと垂れ下がる。リーナの突き刺したロングソードは鎧竜の尻尾の神経をピンポイントで突き刺し断絶させた。つまり、もう鎧竜の尻尾は動かない。
『お、おのれ……まさか、これほどとは……』
リーナは尻尾から刃を引き抜いた。そして力任せにもう一度尻尾に刃を叩きつけた。
鎧竜はリーナを引き離そうともがく。しかし、武器であったはずの尻尾は既に動かなくなり、逆に邪魔になってしまっている。リーナにとってそれは願ってもないチャンスだった。丸太に何度も斧を入れて切り倒すように、ロングソードをひたすら力任せに叩きつける。何度も、何度も、何度も。
それは鎧竜にとっては地獄の瞬間だったかもしれない。リーナが足を踏み潰され、身動きできなかった時と同じように。
そうしているうちに、刃が骨まで達した。そして露出した骨にもう一度ロングソードを叩きつける。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
鎧竜がまた絶叫した。骨が砕け、ズルズルと引きずるだけになった尻尾を見て、リーナは満足したのかその場から離れた。そして鎧竜の正面に回って相対した。
リーナの体は全身血まみれだった。ロングソードは刃こぼれだらけで使い物にならなくなり、これもまた血がべっとりと付いていた。
鎧竜が膝を折り、両手を地に付ける。痛みと失血でそうしなければ体を支えていられないのだろう。さっきのリーナと完全に立場が逆転していた。
『リ、リーナ……ギルバルト……我の声が聞こえぬか……?』
「…………………………………………………………」
鎧竜は尻尾からおびただしい血を溢れさていた。壊れた闘技場に血の色が広がっていく。
『今のお前には……我が声が聞こえているはずだ……なぜ攻撃の手を止めない……?』
「………………………………………………」
『……そうか……我を殺すか』
「……………………………………」
『殺すが良い。それがお主の望みであるならば』
「…………………………」
『認めてやる、お主と契約する必要はない』
「………………」
『だが覚えておけ。お主はもう……人間には戻れん……』
「……」
『後のことは……任せるぞ……』
リーナはニヤリと、口元を吊り上げて笑った。
さっきと同じように、可能な限り高々と跳躍した。そして血まみれのロングソードを鎧竜の首に叩きつけた。
刃は鎧竜の硬い皮膚もろとも、骨を砕いた。
途端に鎧竜の全身から力が抜けた。その巨体は肉塊と化し、地面に倒れ伏す。
尻尾や手足は痙攣していた。その動きも、鎧竜の肉体から血液が失われていくたびに小さくなっていく。
やがて、鎧竜の動きが止まった。
リーナは鎧竜の体が完全に動かなくなるのを見届けた。
その直後、リーナは目をゆっくりと閉じた。事切れたかのように全身から力が抜け、闘技場に倒れ伏す。
双方動かなくなったタイミングを見計らったかのように、雨が降りだした。さっきまで闘技場を照らしていた光は、既に雲に覆われ見えなくなっていた。
既に動かなくなった鎧竜の体からはドクドクと血が湧き出ていた。