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生きると言う罰

 痛みは一瞬だった。

 自分の体がどういう風に斬られたのか、それを確認することさえできない。

 フワフワと水の上を漂っているような意識のまま、リーナは何を見るでもなく、何を聞くでもなく、目に映ったものを見ていた。

 色んなものを一瞬で思い出したような気がする。

 これが噂に聞く走馬灯というやつだろうか?

 しかし、なぜだろう?

 とても大事な使命を負っていたはずなのに、心が壊れてしまったかのように動かない。

 意識があるような、ないような奇妙な感覚。

 これが生死の境なのだろうか?

 フィーネが、なにかを叫んでいる。見えているはずなのに意識が動かない。

 ――アタシ……イキテル?

 体が動かない。意識が働かない。タンポポの綿になったみたいだ。

 ――ここで終わるのか?

 その時また声が聞こえた。誰の声なのか、リーナは知っている。

 ――ジェ……ネロウ……。

 ――いかにも。それで、どうだ? もう満足なのか?

 ――マンゾク?

 何が満足なのだろう? なんの話だろう? 意識が希薄な今のリーナには、どんな声も小鳥のさえずりかなにかにしか聞こえない。

 しかし、その声はどことなく、自分の胸を打った。

 ――マンゾ……ク?

 ――まあ、ここまでというのならそれもよかろう。我は既に死した身。干渉できるのはお主の親友だけだ。人間の身でありながら、よくぞここまで戦ったぞ。

 案ずることはない。戦う存在ならお主以外にもろうぞ。

 皮肉で言っているのか、それとも本心から言っているのかはわからない。

 ただ、その台詞を聞き逃すことはできなかった。

 ――マンゾクなんか、してない。

 ――ほぅ?

 死んだ意識が覚醒し始める。

 ――まだ、死んでいる場合じゃない!

 ――ならば起きるがいい。痛みと血に溺れながらも、お主の友ならなんとかしてくれようぞ。


「ん……うぁ……」

 ――リーナ樣!? 生きているのですか?

 意識は唐突に覚醒した。その瞬間自分の肉体が一瞬でどうなっているのかを悟る。

 ものすごい痛みだ。どこを動かしても激痛が走ることはわかった。動かなくても痛みは感じたが。

 ――しゃべらないでください!

 ――そうするけど……もう、どうしようもないんじゃない? この体じゃ。

 ――いいえ。まだ方法はあります。リーナ樣の傷を塞ぐことができます!

 ――どうやって?

 目線だけ動かす。

 血液はダラダラと流れ出ている。自分が人間じゃなくなり始めているから生きているだけで、そうでなければとっくに死んでいたかもしれない。

 ――私の思念を使います。

 ――え?

 ――私の体を構成する思念でリーナ樣の傷を塞ぎ、一体化するのです。そうすれば、再び立ち上がることができます!

 ――そんなことしたら、貴女が……。

 ――リーナ樣に代わりはいません。リーナ樣にはなんとしても生きていただかないといけません。

 そんなこと頭では理解している。だからそれ以上なにも言い返せなかった。

 ――いいですね、リーナ樣。私の思念でリーナ樣の傷を塞ぎます。ですから、リーナ樣は元の自分自身を思い浮かべてください。傷ひとつない、自分自身の姿を。

 ――……わかった。

 時間がない。自分だって死ぬのは嫌だ。だけど、それでも思ってしまう。

 ――あたしは……またフィーネの命を……。

 また、一緒に歩きたい。同じ大地を。

 また、同じときを過ごしたい。同じ空気を吸いたい。

 しかし、そんなわがままをいっている場合ではないのだ。

 ――あたしは、本当に一人じゃなにもできない……。


 時間の経過があまりにも遅く感じる。

 倒れてからどれくらいたったのかわからない。

 まどろみの中で意識を集中させる矛盾は、あらゆる感覚を奪い去っていく。

 ――動けますか? リーナ樣?

 唐突にフィーネの声が聞こえた。

 ――大丈夫、みたい

 ――それでは、お願いします。この戦いに決着を。

 その体をゆっくり起こす。傷は塞がっており、十分動けそうだ。

 ――リーナ樣。最後に一つわがままを言っても良いですか?

 ――なに?

 ――もう一度、言ってくださいませんか? リーナ樣の力がなんのためにあるのか。


 変化は突然だった。

 それは突風と呼ぶにはあまりにも強く。風と呼ぶには細やかすぎた。

 超広範囲を多い尽くしていたもやが消し飛んでいく。どこからともなく、大嵐が発生したかのように。

「こ、これは……!?」

 その光景に誰もが目を疑った。そう、もやを発生させた、ゼブル自身でさえも。

 次の瞬間、ゼブルの肉体は大きく吹き飛ばされていた。

 その動きは人の動きをやめていた。一瞬で接近し、一瞬で斬り飛ばす。形容するなら簡単なことを、当たり前のようにリーナはやってのけた。

 吹っ飛ばされたゼブルを追いかける。ゼブルは嗤いながら、リーナを見た。

『クックク……来い!』

 地面を滑りながら、ゼブルは構える。同時にリーナの剣を受け止めた。

 火花散り、互いに隙ができる。お互いに、握る刃は人の作りしものではない。そうであるにも関わらず、刃と刃は悲鳴をあげていた。

『さっきよりパワーがあがってる。それも、ドラゴンの力のなせる技か』

 ――違う!

 その答えはゼブルに向けたものではなかった。

 再び刃がきしむ。金属の悲鳴。それに混じって、ベールの声が聞こえた。

『こ、このちか、ら……』

 幾度かぶつかり、風が互いの頬を撫でる。剣圧だけで両断されそうだ。

『ベール!?』

『もう、た、え、られな、い』

 剣に姿を変えたベール。それを握るゼブル。互いの存在が、わずかな隙を生んだ。

 その瞬間、リーナの剣はゼブルの剣を斬り飛ばした。

『なっ……!』

 ゼブルの剣が地に落ちて、リーナも一瞬動きを止める。

 ――あたしの力は、復讐のためのものでも、誰かを殺すためのものでもない!

 刹那に息を整えて、同時に動いた。

 リーナは大きく剣を振りかぶり、ゼブルはその手に剣を引き寄せようとした。

 ――仲間と、家族と…… 大切な人たちを守るための力だ!

 リーナの剣が真っ直ぐ降り下ろされる。壊れかけた刃は、ゼブルの肩から腰にかけて大きく切り裂かれた。

『ウウウウウウウアアアアアアアアアア!?』

 ゼブルの絶叫が響いた。

 血があふれでてる。しかし、その傷はすぐに塞がり始めた。

『グッ……フゥ、フゥ、フゥ!』

 血の色に染まりながら、ゼブルは再び剣を握り立ち上がる。

 しかし痛みのせいか、動きがひどく鈍い。

 その姿に、リーナの心が痛みを感じることはなかった。

 ――これで……終わりにするわ。

『う、うう……ググッ……』

 リーナが竜黒剣を握りしめる。

「ハッ!」

 ゼブルの剣を腕ごと斬り飛ばす。そして無防備になったところを、再び大きく振りかぶり、その首を撥ね飛ばした。


 ゼブルの肉体はもう再生していなかった。普通の人間と同じように、ただ、血を流して倒れた。

 首をねた直後に、黒い何かが出ていったように見えた。それがマモノだったのかどうかはわからないが。

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 肩で息をする。ひどく疲れた。何も考えられないくらいに。

 ――まだ……!

 それでもまだ終わったわけではない。倒すべき敵はまだいるのだ。

『やりましたね、リーナ樣』

「……?」

 リーナの横にいつのまにかフィーネが立っていた。本当にいつ横にたったのかまるでわからなかった。

 ――貴女……どうして?

『もう、一つになっている必要はないと思いまして……』

 合点がいった。フィーネはリーナと思念を一つにしていた。肉体の傷を塞ぎ、最大限戦えるように。

 最大の敵を打ち破った今、肉体を繋ぐ最低限の思念があれば十分ということなのだろう。

「……! ……! ……?」

 ――あ、あれ? あたし……声……。

『竜の因子の侵食が大幅に進んでしまったようですね。もう顔半分まで侵食が進んでいます』

 ――じゃあ、もうしゃべれないのね、あたし。

『ご心配なさらず。私がリーナ樣の声になります故……』

 ――ありがと。じゃあ、とりあえず……。

 リーナとフィーネはもう一人の元凶に目を向けた。

 すでに人間の形態に戻ったベールだ。

『なんで……なんでこんな……!』

 ベールはさっきから手をこちらにかざしている。衝撃波か何かを出そうとしているようだ。

『どうして、魔力が……私の、魔力が……!』

 リーナとフィーネは顔を見合わせる。何が起こっているのか、二人にもわからない。

「一心同体とは、まさにこのことか」

『ヴィルド樣それに……』

「うむ、一応この国の国王ということになるのう」

 ヴィルドと国王。二人並んでたっている。その後ろからエンとリーベも歩いてくる。

 ヴィルドが続ける。

「あの二人は一心同体だった。互いの存在が互いを補っていた。見えない二本の糸で繋がっているように」

『二本の、糸ですか?』

「あの二人の間で、互いにエネルギーの循環と交換が起こっていたのだろう。どちらかが倒れそうになっても、必要なエネルギーを供給すればそう簡単に死なないはずだからな。だが今回は完全に倒された」

『つまり今、あの人は……』

 その先は国王が口にした。

「ただの人間と変わりない」

『フフフフフフフフ』

 ベールは笑っていた。それは余裕のある笑いとは違う。恐怖、嗚咽、怒り、嘆き、様々な負の感情が混じりあった笑いだった。

『アハハハハハハハハ、ハハハハハ、ハハハハハハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ……』

 その声になんとも言えない怒りを込めて、リーナはベールを睨み付ける。直後、ベールは思いもよらないことをいった。

「殺せばいいじゃない」

 その台詞にどんな意図があるのか、誰にもわからない。何せ相手は肉体だけが人間で、その心は人のそれではないのだから。

「私が憎いんでしょう? じゃあ、殺せばいいじゃない。私一人、こんな世界でたった一人、無駄な命を消費するなんて考えられない、信じられない。なんの力もなく憎まれながら生きるなんて真っ平ごめんだわ!」

 ヒステリックに叫ぶその声は、本当に自らの死を望んでいるようだった。

「……!」

 リーナは何かを言おうとしたが、声にならない。だからその胸のうちをフィーネが代弁する。

『リーナ樣は貴女を絶対に許さないと言っています。簡単に死ねるなどと思わない方がよろしいかと……』

『ヒッ……!』

 怯えている。その怯え、そして支配する力のない今の状態で生きることこそが、この世に現れたマモノへの最大の罰。

『貴女達のせいで死んだ大勢の人々の魂は、貴女を決して許しはしないでしょう。貴女は、死ぬその時まで、この世の中にある何千もの魂から憎まれ続けるのです』

『あ、あう……わ、わた、し……』

 数分前に剣となって命のやり取りをしたものとは思えない。それほどに今ベールは追い詰められていた。精神的にも状況的にも。

 フィーネの台詞の続きを、今度はヴィルドが続ける。

「罪の重さに悶え、のたうち回りながら生きるがいい! ワシが代わりに言ってやろう。貴様に救いはない!」

『アアアアアアアアアアアアアアアアア! イヤアアアアアアアアアアアイヤアアアアアアアアアアアア、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 ゴロゴロとだだっ子のように地面を転がり、声と涙が枯れるまで、ベールは絶叫し続けていた。


やっとここまで書けました!

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