ジェネロウの真実
フィーネ・アルリット。その名前はリーナにとって特別な名前だった。
六年以上もの間、自分の側でにいてくれた侍女であり、リーナのよき理解者だった。
マモノに食い殺されたときのことは今でも鮮明に覚えている。
だからこそ、わからない。目の前の竜がフィーネである理由が。
「あたしはまた、夢でもみているのかしら?」
『いいえ。夢ではありませんよ。リーナ樣』
「突然理性が飛んで、気がつけば腕がこんな風になってて、鎧竜が実はフィーネで……もうなにがどうなってるんだか……」
『説明が必要ですね。しかし、その前に……』
フィーネがあらぬ方向に視線を向ける。リーナもそれにならって同じ方向に目を向けた。
『リーベ樣達がお迎えにこられたようです。お話しする前に移動するべきでしょう』
視線の先には十字一角竜のイコロスの姿があった。
その後全員合流したあと、ストラグラム国の外にでることにした。
状況と情報を整理するために。
ストラグラム国の一部となっている鉱山の裏側。人間が移動しようとすれば徒歩で半日ほどかかる場所だ。
リーナ達はそこに移動することにした。
一応木々があるので多少なりとも身を隠すことはできる。しかし、巨体を誇る竜達と行動を共にしているわけだから、目立つことに違いない。
なのでいつマモノが襲ってきてもいいように、鎧竜以外の三体と、リーベとエンの二人は見張りをすることにした。
赤い空の下、巨大な鉱山の麓で、二つの国の王族と、竜を使役するものが一同に介する。
それはあまりにも奇妙な光景と言えた。
「なんということだ……」
ヴィルドはリーナの右腕を見て言葉を失っていた。
彼女の右腕は竜黒剣と一体化し、腕の形は人間のそれとはかけ離れたものになっていた。
黒く硬いは虫類の皮膚。まさに竜の腕だった。
「なぜ、契約しなかったのだ。ジェネロウよ!」
いいながら、ヴィルドは鎧竜に問いただす。ジェネロウ。それが鎧竜の真の名前なのだろう。
『申し訳ありませんが、私はジェネロウではありません』
鎧竜、もといフィーネは、リーナにも聞こえるようにテレパシーを飛ばす。リーナがフィーネの声を聞き取れるようになったため、リーナを介してテレパシーを飛ばしているのだと言う。
もっともテレパシーの仕組みなんて、リーナにはどうでもいいことだが。
「では鎧竜よ。お主は何者なのだ? 本物の鎧竜、ジェネロウはどうなった?」
『ジェネロウは、リーナ樣の剣にかかって命を落としました』
――え?
「何をバカなことを言う!」
憤懣やる方ないとはこのことか、ヴィルドはいままでにないほど興奮していた。
「ジェネロウがリーナ姫殿に与えた試練は、竜の魂宿りし瞳の力を引き出すことだったはずだ」
『はい、それだけのはずでした。しかし、それだけではすまなかったのです。リーナ樣は感情を爆発させると同時に竜の力を、竜の因子を引き出してしまった。リーナ樣の感情が暴走し、理性が飲み込まれてしまうほどに』
――竜の……因子?
「では、こういうつもりか? 竜の因子によって理性を失ったリーナ姫殿が、ジェネロウを感情の赴くまま殺してしまったと。」
『はい』
「では、今鎧竜に身をやつしているお主は何者だ?」
『私の名前は、フィーネ・アルリット。リーナ樣の身の回りのお世話をしていた侍女です。そして、この姿はジェネロウ樣の思念と、私の魂によって作り上げられた、竜の姿をとった思念体です』
「ちょっと待ってくれない?」
リーナが待ったをかけた。
「あたしが鎧竜を殺したらしいってことはわかった。でもどうしてフィーネがその姿になったの? 話の前後が繋がらないんだけど……あと契約ってなに?」
「契約とは、」
フィーネが答えるより前に、ヴィルドが口を開いた。
「竜の因子による侵食を押さえるために必要なものだ。お主の右腕は、お主自身の瞳から発生する竜の因子に蝕まれている」
「蝕まれてるって……」
「人間の肉体に竜の力を宿すことで人を超える力を手に入れる。ワシらは竜を使役することぐらいしかできないが、お主は自らの肉体で戦うことができる。
しかし、竜の因子は同時に人間の肉体を蝕み竜の肉体に変異させてしまう。人間としての記憶や理性を失うと言うおまけつきでな。
それを封じるために、竜と人間の間には、一時的な魂の交換にという契約が必要だったのだ」
「今のあたしは人間の魂のままで竜の因子による力を振るっている。だから侵食を止める方法がなかったのね」
ヴィルドは頷き「そういうことだ」と答えた。
「右腕に症状が現れたのは、竜黒剣を使っていたから?」
「お主が竜黒剣と呼んでいるのは、鎧竜の爪を削り出して作ったもの。竜の因子が反応したのは無理からぬことと言えよう」
『リーナ樣、私の手に触れてみてもらえますか?』
唐突にフィーネは手のひらをリーナに見せた。リーナが侵食された腕でそれに触れると、リーナの手の平から竜黒剣が姿を表した。
カランと音を立てて黒い剣は地面に落ちた。
『少なくとも、私がお側にいれば一時的に竜黒剣との一体化と侵食を阻止することができるでしょう。思念体とはいえ、一応竜ですから』
しかし、リーナの右手までは元に戻らない。
「一度進んだ侵食は、もう戻らないのね」
それは自分に言い聞かせるような呟きだった。
「すまない……」
ヴィルドは申し訳なさそうに頭を下げた。
つまり、もう右手は人間のものに戻らない。それどころかこれ以上侵食が進めばどうなるかわからない。
それでもリーナは気丈に首を振った。
「この戦いに決着をつけられるのはあたしだけ、だったわね?」
「ああ」
「あたし一人の命で、これ以上死者がでないのなら、その時まであたしは戦う。例え人以外の何になろうとも」
「怖くはないのか?」
「怖いわ。でも、そうも言ってられないじゃない」
「そうか……」
その台詞にどんな思いがあったのかリーナにはわからなかったが、その表情は強い苦悩に満ちていることだけは伝わってきた。
竜の因子と侵食。その関係がわかったところで、リーナはさっきからずっと気になっていた疑問をフィーネにぶつけた。
「それで、フィーネ。あなたはどういう経緯で竜《その姿》に?」
『その前に、リーナ樣。一つお願いがあるのですが、』
「なに?」
『私の人間の姿を想像してみてください』
「え? ええ……」
なにがなんだかわからないが、目の前の竜の言うことを素直に従うことにした。
すると鎧竜の姿に変化が現れた。
ドロリとその姿が溶けだしたかと思うと、一つの小さな形に収束していく。そして、人間の姿をとった。そう、人間だった頃のフィーネ・アルリットの姿に。
「うっそ……」
幼さを残すショートカットの栗色の髪、ロングのメイド服も生前のままだ。
フィーネは両手でスカートを軽くつまみ、一礼した。
『お久しぶりです。リーナ樣』
「どういうこと、なの?」
困惑する。余計に混乱をきたしそうな状況に、頭を抱えた。
『この身は私の魂とジェネロウ樣の思念が融合したもの。肉体の姿を保つ主導権、即ち思念は、常にジェネロウ樣の方にありました。
しかし、竜の因子による侵食が進んだことにより、リーナ樣の体は竜化が進んだのです。それによって、肉体の姿を決定付ける主導権がリーナ樣の方に移ったのです』
「そんな簡単に主導権が移るものなの?」
『鎧竜の姿はジェネロウ樣の生前の姿をそのまま模写したに過ぎません。リーナ樣は肉体の竜化によってその思念に干渉することができるようになったのです』
「つまり、今フィーネの姿形を決定付ける権利は、あたしが持っているということね?」
フィーネは『その通りです』と言いながらうなずいた。そして、そのまま自分がなぜ鎧竜に身をやつすことになったのか、説明を始めた。
『ジェネロウ樣がリーナ樣に倒される寸前、ジェネロウ樣はリーナ樣の思考を読み取って、私の存在を知り得ました。そして目に見えない思念という形で、王都をさ迷っていたのです』
「思念だけが町をさ迷っていたって言うの?」
『はい』
リーナはヴィルドに説明を求めた。そんなことがあり得るの? と目で訴えかける。
「あり得ない話ではない。人間にも、気とか魔力とかそういったものを自在に操る能力を持った者は、生まれ変わったり、あるいは人の目に見えない形である種『生きている』こともある。そう聞いたことがある」
『ジェネロウ樣もそのように生き長らえました。そして、その思念が私と接触したのです』
「生きているときのあなたに?」
フィーネはコクンと頷きながら『はい』と答えた。
『リーナ樣が地下に監禁され、私が暇をいただいている間のことでした。ジェネロウ樣の思念は私の精神に干渉し、アダマンガラスに来た理由、使命、あらゆる情報が一瞬で私の頭に流れてきました。
そして、私がマモノの餌食になり、肉体を失った直後、ジェネロウ樣の思念と私の魂が一つになりました。結果、鎧竜の姿の思念体として、私は復活を遂げたのです』
どうして生きているうちに話してくれなかったの?
そういおうとして、口をつぐんだ。恐らく今いったことを、あのとき聞いたとして、素直に信じられただろうか?
恐らく否だ。あの切羽詰まった状態でそんなことを話されても、突拍子もない話としてまともに考えることはなかったに違いない。
『そのあとは、リーナ樣もご存じの通りです。何度かリーナ樣とテレパシーだけでも会話ができないものかと思っていましたが、本来の竜の肉体ではないせいか、それはできませんでした。
リーナ樣の竜化が急激に進んだ今、それが可能になったのです』
「人間をやめることで、親友と話ができるようになるだなんて……ひどい皮肉だわ……」
『言葉もありません……』
フィーネの表情が沈んだ。
「そんな顔しないでよフィーネ……」
いいつつ、リーナは首を横に振った。
「嫌ね、物事を悪い方向に考える癖がついちゃったみたい……」
『リーナ樣……』
「ごめんなさい。あたしがしっかりしなきゃいけないのに、ちょっと混乱してるみたい。
……フィーネ」
『はい』
「最後まで、あたしに力を貸してほしい。あたしが自分でいられるまでは……」
『最後だなんて……』
「このまま戦いを続ければ、あたしはいずれ人じゃなくなる。人間に戻れなくなる。その時まで、あたしを支えてほしい」
『……』
フィーネは言葉を失った。
しばし、重苦しい沈黙がその場を支配した。
「ところで……」
リーナは先程からずっと沈黙を守り続けている人物を見た。
ストラグラム国。その最後の生き残りであり、かつて王を名乗っていた男。
しかし、王族とは思えないほどの酷く見すぼらしい姿で、とても王とは思えない。
威厳を出すための髭は、あらぬ方向に伸び放題になっており、単なる無精髭となっている。
服もヨレヨレになっていて、とても王族とは思えない姿だ。
「この人がストラグラムの王様で、全ての現況なのね?」
「ああ、間違いない」
「その通り……」
ストラグラム国王は呻くように呟いた。
「全て、話してもらうわうよ」
「今さら、隠し立てするようなことなどありはしまい。全てに答えよう」
国王は全てを話した。自分のしたことと、身の回りで起こったことの全てを。
「ストラグラムは鉱山で発掘される鉄鉱石によって支えられている国だ。鉄が取れなくなれば、この場所に国を構える理由がなくなる。その時のために、鉄鋼に変わる新たな支えが必要だったのだ。
そのために、異国より手にした魔術の書に手を染めた。異界の眷属を操る術を。そうしたら……」
「奴等が召喚されてしまったと……そういうことか」
国王は頷いた。
「奴等は私の娘達に取りつき、人の肉体を手に入れた。奴等を御することはできなかった。国民は次から次へとマモノに変えられ、一夜にしてストラグラムは地獄絵図と化した」
「ちょっと待って」
リーナが口を挟む。どうしても気になることがあったからだ。
「あの二人は、貴方の子供なの?」
「そうだ。奴等、ベールとゼブルは一心同体のマモノであり、この世界では肉体を持たない。こちらの世界に固着するために側にいたワシの娘二人と、身も心も融合した。
奴等はマモノでありながら人間としての意思も同時に持ち合わせている。ワシが殺されなかったのは、奴等も一応私のことを父と認識しているからなのだろう」
「奴等を倒すということは、貴方の子供達を殺すということになるのね」
「ああ、そうなる。そしてできるならそうしてやってほしい。マモノとして人間に牙を向きながら生き長らえるなど、望んではいまい」
「ええ、そのつもりよ」
「迷うことなく言い切ったな」
「今さら迷ったり、立ち止まったりする必要なんてないでしょう。あなたの子供たちはすでに人間じゃないし、マモノになってしまった人達だって、もう人じゃないのだから。
人外の姿で、理性を失って、死ぬことも許されないなんて、あたしだったら耐えられない」
「リーナ・ギルバルトと言ったな。お主」
「ええ」
「私が憎いか?」
「いいえ」
リーナはストラグラム国王に背を向けた。
「今のあたしに大事なのは、誰かを憎むことじゃない」
「すまない」
国王は空しく頭を垂れた。




