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無名の戦姫

 アダマンガラス国は大陸でも有数の鍛冶大国だった。剣の製造、研磨の技術は大陸一と呼ばれ、それに正比例する形で剣士の人工、実力も高かった。

 故に、その実力を試すための大会もよく開かれる。

 今日もその日だった。大陸中から腕に覚えのある剣士達が集まり、実力を競い合う、聖剣武大会。その決勝戦。

 雲一つなく晴れ渡った空の下、コロシアムは観客で溢れかえっていた。その舞台の上に彼女はいた。

 美しいセミロングの金髪の持ち主で、背後から見れば細く小柄な体つきをしていることが分かる。

 肩の部分の膨らんだ白いワンピースの上から、魚のうろこのような鉄の小片を縫いつけたスケイルアーマーで、胸、胴、スカートの前面部分を覆っている。

 彼女のスタイルが背後から浮き彫りになるのは、背中側には鎧の類は一切装備していないからだ。

 両手の平は包帯が巻き付いている。包帯で覆われていない部分は血豆ができていて、女性の手とは思えないほど皮が厚くなっているのがわかる。

 腰からはロングソードが提げられており、剣士であることが伺える。

 彼女の名はリーナ・ギルバルト。アダマンガラス国の正当な王位継承権を持つ、アダマンガラス国第二王女だ。

 もっとも、彼女は王女としては有名でも何でもない。実の父、ギルバルト国王が、彼女の存在をおおやけにしていないためだ。そのため、民衆からは若き女性剣士としてしか見られていない。

 戦いは男の仕事。そういう風潮がまだまだ強いこの国で、女性の聖剣武大会出場者は珍しいほうだった。

 しかし、この武大会において何より目を引くのはその露出度の高い格好でも、女性であることでもなく、左目を覆う包帯だった。

 彼女を見て誰もが最初に思うことは、『右目だけで戦うのか?』という非難と驚きだった。

 それだけに、コロシアムの舞台で華麗に舞う彼女の姿に言葉を失う人間は多かった。

 それくらい、リーナは強かった。事実、彼女は一度も優勝を逃したことはない。王宮の兵士達でさえ、彼女に勝てる者はほとんどいなかった。

 元々聖剣武大会が開かれるコロシアムはかなり盛況だったが、彼女が参加する武大会は、他のコロシアムに比べてさらに活気づいていた。

「随分有名人だな……あんた」

 リーナと相対している男性剣士はつまらなそうに言った。リーナより背は高く、年齢も彼女と大差ないくらいの若き剣士だった。

 チェインメイルで身を包み、腰にはリーナと同じロングソードを提げている。剣士としては模範解答の装備だ。

「……好きで有名になったわけじゃないわ」

 そういうリーナもつまらなそうだ。物心ついた頃から、彼女は剣を振るうことを義務づけられた。この武大会の参加も彼女の意志ではなく、父の意志だ。左目に包帯を巻いているのも含めて。

「そうなのか? だったらなんでそんな格好で、聖剣武大会なんかに参加してる? つまらないなら参加しなければいいじゃないか」

 男性剣士は意外そうな顔で答える。

 リーナは無表情のまま答えた。

「それが義務だからよ」

 素っ気ない返事だった。プライドを刺激されたのか男性剣士の表情が変わる。

「なんだそれ?」

「あら。誤解させちゃった?」

 リーナは不敵に笑う。

「あたしは親の言いなりだからここにいるわけじゃないのよ」

 笑いながら、彼女は続けた。

「あたし自身、そうしなければならない理由があるから」

 嫌みも皮肉もない、真剣な表情。そこにはお遊びで剣を振るっているわけではないことがはっきりと見て取れた。

「あたしは……絶対に負けるわけにはいかない」

 その瞳には気迫があった。

 その瞳には覚悟があった。

 その瞳はまさに、戦士そのものだった。

「チッ、なるほどな、どおりで……強いわけだぜ……」

 ――当たり前よ。

 リーナはそう思った。道楽で武大会を何度も優勝できるほど、聖剣武大会は甘くない。勝ち続けられるには理由があるのだ。

「そろそろ始めましょう」

 舞台の上で、二人は互いの距離を縮める。この武大会では、戦いの前に握手を交わすのがルールだからだ。

 勝敗を決する方法は刃を突きつけ、相手を動けなくすること。ただし、直接殺してはならない。

 ルールはシンプルにそれだけだ。

 握手を交わし、一定の距離をとる。舞台の上に描かれた赤い棒線の上に二人は立つ。そして、この大会の司会進行役の声が響きわたった。

『それでは! これより、リーナ選手対クロイツ選手の試合を始めます!』

 二人は互いに構える。にぎわっていた観客も静かになっていき、緊張の糸が張りつめられていく。

 静かな空気が緊張を、緊張が殺気を生みだしていく。風がリーナの頬を優しくなでる。その刹那、ゴングが鳴り響いた。

 お互いに刃を抜き、構える。剣士同士の戦いは常に刹那の戦いだ。鍛え抜かれた己の力を信じ、時には疑い、いくつもの選択肢を絞り込んで刃を振るう。

 その一瞬一瞬が勝負だ。そしてその一瞬に、観客はカタルシスを覚えるのだ。

 リーナはロングソードを両手で握る。その構えにはゆったりと余裕があった。柔軟な対応がいつでもできる状態だ。

 先に仕掛けたのはクロイツだった。殺意が弾ける。

 ロングソードが真っ直ぐに向かってくる。リーナはそれを小さな力で弾く。

 瞬時に距離を取る。クロイツはそれを許さぬように、ロングソードでリーナに斬りかかってきた。リーナがそれを受けると同時にクロイツは体重をかけてくる。

 リーナはあえて力を抜いてそれを流した。

 その瞬間、クロイツの動きが乱れる。その一瞬の隙をリーナは逃がさなかった。

 クロイツが身につけているチェインメイルは鎖の輪を繋ぎ合わせて作られたしなやかな鎧だ。それ故、単純な斬撃では斬るにしても衝撃を与えるにしても効果が薄い。

 だから、リーナは刃を真っ直ぐにし、体重をかけ、チェインメイルの一点、腹部を突いた。

 肉には突き刺さらなかっただろうが、剣の切っ先の細さで突かれた衝撃は人間を行動不能にするには十分な衝撃だった。

「ぐうッ!?」

 痛みからかクロイツが呻く。そして彼のロングソードを握る力が弱まったと見るや、リーナはクロイツのロングソードを斬り飛ばした。

 斬撃の軌跡が見えるほどの一瞬の斬り上げ。

 白刃が地に落ちる頃には、勝敗は決していた。

 リーナがクロイツに刃を突きつけるという形で。

 その刹那、リーナは小さくため息をついた。


 コロシアムから歓声が聞こえてくる。リーナの勝利を信じ、そして心から歓迎してくれる人達の声だ。

 彼ら、彼女らは恐らく今日見たリーナの戦いっぷりを肴に酒を飲むのだろう。美しく舞い、戦う女剣士の姿を想像し、胸を躍らせることだろう。

 聖剣武大会は剣士達の力試しの場であると同時に、民衆にとって最高の娯楽でもあるのだ。それを利用してギャンブルを行うものもいる。人もお金も動き、国家の利潤にも繋がる。聖剣武大会で優勝するということは、国に貢献するということだ。

 出場した選手も、聖剣武大会で優勝すれば、剣士としての実力を認められ、多くの分野で仕事を与えられるようになる。

 しかし、リーナにとってはどうでもいいことだった。

 初めて優勝したときは、その歓声が心地よかった。多くの人達に認められたような気がした。それが単純に嬉しかった。

 民衆は彼女が戦うだけで喜んでくれる。それは嬉しい。

 血の繋がりはないけれど、姉も喜んでくれる。これも嬉しい。

 しかし、彼女が何度優勝しても、何度この国に貢献しても喜んでくれない人がいる。

 それが虚しかった。

 コロシアムの外では、いつものように馬車が用意されていた。馬の手綱を引く御者は、いつものように、「お帰りなさいませ、姫様」と呼んでくれる。

 リーナは適当に「ありがと」と返した。 

 その声に反応して、馬車の中から一人の女性が姿を表す。

 青を基調とした薄手のシュミーズドレスを身につけており、とても柔らかな印象を受ける。髪の毛はリーナと同じく金髪で、リーナよりさらに長いロングストレートだ。

 彼女の名はアルト・ギルバルト。リーナの義理の姉だ。

「お帰りなさい。リーナ」

 アルトは柔和な笑みで、妹にそう告げた。

「ただいま、姉さん」

 アルトの台詞にリーナは、本心からの笑顔を見せた。

 馬車に乗り込む。馬車の中には、もう一人女性がいた。メイド服に身を包んだ、女の子だ。

「お帰りなさいませ。リーナ様」

 栗色のショートカットをカチューシャでまとめており、まだ幼さの残る顔立ちをしている。その左目には、白い眼帯がつけられており、リーナ同様右目だけで世界をみているようだった。

 彼女の名はフィーネ・アルリット。リーナ専属のメイドで、リーナが幼い頃から共に成長し、時には支えてきた少女だ。

 その声や挙動は淡々としていながらも、彼女の声からは、湧き上がる嬉しさを抑えきれない感情が読み取れた。リーナの勝利が純粋に嬉しいのであろう。

「ええ、ありがとう」

 フィーネの祝福に、思わず笑みが漏れる。近しい人間が自分の勝利を喜んでくれるのはやはり嬉しいものだ。

 御者はリーナが馬車に乗ったことを確認すると、すぐに馬車を走らせた。

「今日も……お疲れさま」

 アルトはやや曇り気味にリーナに言った。

「ありがとう。姉さん」

 リーナは逆に微笑みで返す。しかし、その笑顔はどこか不自然で空虚だった。

 リーナもアルトも、別に嬉しくないからだろう。武大会で優勝したことが。

 微妙に気まずい空気が流れていた。メイドであるフィーネも気の利いた話を投げかけることができずに沈黙している。

 そんな中、最初に口を開いたのはリーナの姉であるアルトだった。

「ねえ、リーナ」

「ん?」

「少し休んだら? あまり無理を続けると体に悪いわ」

 それはリーナのこの後の予定についてだった。体を壊さないのが不思議な位、リーナは病的に剣を振るい続けている。健康のため……というなら逆効果なのではないか? と思うくらいに。今日も全八回の勝ち抜き試合を行った。疲労はピークに達している頃であろう。それでもリーナは、この後も鍛錬と称して王宮の兵士達を相手に剣を振るうのだ。

「大丈夫よ。姉さん」

 リーナは首をゆっくりと横に振った。アルトの気持ちは嬉しいが、彼女はまだ剣を振りたかった。もっと強くなりたいから。

 だから、まだやめるわけにはいかない。

「まだ、休むべき時じゃない」

「そう……」

「アルト様」

 そこでフィーネが口を開いた。 

「リーナ様の体調なら、私が把握しています。リーナ様は決して無理をなさってはいません。ご心配なのはわかりますが、ここは見守っていていただけますでしょうか……」

 アルトは少し考える。数秒してから、「ふぅ……」とため息をついてからいった。

「わかったわ。フィーネ。リーナが無理をしないように……お願いね」

「かしこまりました」

 フィーネはゆっくりを頭を下げた。

「それにしても……リーナ。あなたは何のために、戦っているの?」

 アルトとリーナの視線が交錯する。

 リーナの瞳は挑みかかるような鋭い瞳のまま、答えた。

「……この国に降りかかる、災いを討つためよ」


 アダマンガラス国を象徴する巨大な城。防衛拠点として始まった巨大な建造物で、多数の兵士、使用人がそこで働いている。

 リーナ含むギルバルト王家の人間ももちろんここに住んでいる。

 傾き始めた日は黄昏に染まり、食堂ダイニングルームを照らしていた。

 そこにギルバルト王とリーナ。アルトともう一人、ギルバルト家の男児、グレイス・ギルバルトがいた。

 かなりの高身長で、黒い髪の毛をショートカットにまとめている。肩幅も広く、高貴というイメージがしっくりくる男性だ。彼もまた、ギルバルト王とは血が繋がっておらず、養子として育てられた。

 この中で直接王家の血を引いているのはリーナただ一人なのだ。

 リーナはこの食事の時間がどうにも苦手だった。アルトとは女同士話がしやすいからいいのだが、父とグレイスは無口で、リーナと会話を交わすことは少ない。父に至っては、以前まともな会話を交わした記憶がいつだったか思い出せないくらいだ。

 父であるギルバルト王のことを一言で語るなら、悪い意味で年齢不相応という言葉がしっくりくる。

 結婚前は、この国を守るために軍の指揮を執り、幾度となく発生する戦争を終結させた豪傑だったという。

 アダマンガラスは剣の国だ。それゆえ、その製造技術や職人を奪うための戦争がよく起こっていたのだという。

 しかし、今ではそのような勇猛さはいささかも感じられない。頬はやせこけており、とても健康そうには見えない。

 だが、どれだけ年齢不相応な容姿になろうと、どれだけ身体能力が衰えようと、瞳の奥の鋭い眼光だけは変わっていないようだった。

 少なくとも、リーナにはそう見えた。

「リーナ」

 淡々と静かに食事が進行するなか、ギルバルト国王がおごそかに口を開く。その顔に感情らしい感情はなかった。本当に、食事のついでに質問をしている感じだった。

「はい」

 リーナは骨付きスペアリブの肉をナイフで切りながら返事をした。

「今日の聖剣武大会も、無事優勝を収めたようだな」

「はい」

「ご苦労」

「ありがとうございます」

 それっきり、ギルバルト王は一切しゃべらなくなった。沈黙が支配する食卓。あまりにも無味乾燥なやりとりだ。

「あのお父様……」

 その沈黙に耐えかねるかのように、アルトが口を開く。

「なんだ」

 やはり無表情のまま、国王は口を開く。

「どうしてリーナは……その……」

 言葉を選ぶように、アルトは逡巡しながら言葉を紡いでいく。

「戦わなければならないのでしょう?」

「どうして……とは?」

 鋭い双眸そうぼうがアルトを射抜く。まるで試しているかのような目だ。

「私は……リーナには幸せになってもらいたいと思っています。ですが、今のリーナの生活の延長に、リーナの幸せはないのではと思うのです……」

「アルト……」

 そこで今まで黙って食事をしていたグレイスが口を開いた。

「君の言いたいことは分かるよ。だけど、君も知っているはずだ。あの子の左目のことを」

 そう、それがリーナが眼帯をしている理由。

 灰色の瞳をもって産まれた子供は、大人になったとき国を滅ぼす悪魔になる。その言い伝え。

 国王はもちろん、アルトもグレイスも、そしてリーナ自身も、そのことは理解していた。

「この子の幸せより、大昔の言い伝えの方が重要だというのですか?」

「言い伝えというのは、中々バカにできないものだよ。アルト。言い伝えられるにはそれなりに理由がある。そして、後世に残したい情報があるっていうことだ。つまり、彼女の目にまつわる言い伝えは本当である可能性がある。そして、仮にそれが本当だった時の為に備えて、リーナは闘わなければ……」

「そこまでだ、グレイス」

 グレイスの言葉をギルバルト王が止める。

「それ以上、よけいなことは言わなくてもよい」

「これは失礼を……」

 グレイスは深々と頭を垂れて陳謝する。

「え? どういうこと……なんですか?」

 アルトは訳が分からず、抗議の声を挙げる。ギルバルト王は静かに応えた。

「アルトよ、私とて、リーナの幸せを願っておる。そしてお前の幸せもな……」

「そ、それならば……」

「だからこそ。私の言葉を信じてほしい。私はお前達の幸せを願っている」

「お父様……」

 アルトはそれ以上、言い返せなかった。目の前にいるのは父親で、それ以上にこの国の王だ。国王ならではの気苦労や考えもあるだろう。何より、聞けば答えが必ず帰ってくるような人でもない。

「……」

 ――どこまで……本音なのかしら?

 一方リーナは終始無言だった。ギルバルト王同様に無口で何もいうことはない、と態度で語っている。

 もちろん、今ギルバルト王の語ったことが本音なら嬉しい。しかし、リーナは素直に喜べなかった。

 今の今までそういう態度をとってもらったことがなかったから。

「姉さん」

 しかし、アルトに対してだけはそういう態度は取らない。彼女にとって気楽に言葉を交わすことができるのは、アルトだけだ。

「あたしは大丈夫。気にしないで……」

 リーナはそれだけ言い切ると再び食事に集中し始めた。まるで今までの会話など聞いていなかったかのように。


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