ドラゴンを駆る一族
静かな空が戻ってきた。
鎧竜の視線を感じる。恐らく心配してくれているのだろう。
「大丈夫よ。ちゃんと自分を保ってるから」
ベールが仕掛けた精神攻撃は人の心を壊すには十分すぎるほどの力を持っていた。
それも本人に気づかれることなく背後を取って羽交い締めにするなど、人間の常識が通用しない能力を持っている。
――あれが、あたしの敵なのね。
見た目は完全に人間の少女の姿。しかし、明らかに人間ではない。人間の姿事態が本当の姿ではない可能性もある。
――あんなのがいるなんて……。倒さないと、この世界があいつらのものになってしまう。
――大丈夫、あたしは戦える。
自分の胸に手をあて、改めて戦う意思を固める。
「鎧竜。一度地上に降りましょう」
そう指示を出すと同時に鎧竜は高度を下げ始めた。
「あら? あれは……」
鎧竜の進行方向には森らしきものがあった。荒野が広がる大地のど真ん中に、場違いなほど大量の緑が敷き詰められている。
そこになにが潜んでいるのかはわからないが、少なくとも身を隠すには丁度いいと思えた。
「な、なんなの、この森……」
普通の森ではない。その事に気づくのに時間はかからなかった。
森を形成している木の一つ一つがあまりにも大きい。一体樹齢何百年なのだろう、鎧竜さえも上回るようなとてつもなく太い幹と大量に生えた刺々しい針葉の数々。
巨人の世界に迷い混んだかような錯覚を覚える。
日の光は地上を目指せば目指すほど薄くなっていく。
針のように細い針葉のため、それでも陽光が完全に遮られることはない。
針葉のカーテンを抜けると、広大な谷が広がっていた。
だだっ広い等と言う言葉では言い表せないほど広く、小さな国が丸々一つ収まってしまうほどに広い。
水源となる湖や地上からの光を反射するヒカリゴケが至るところに存在し、その気になれば人間が生活することも十分可能な場所と言えた。
「凄い……こんなところがあるなんて……」
アダマンガラスの外に出たことがないリーナにとってそれは、異様とも言える光景だった。
――お父様も、こういうものをたくさん見てきたのかな?
戦争を経験する最中、父ギルバルト王も、こんな風に驚き、感動した経験があったのかもしれない。そう思うと、胸が熱くなる思いだった。
『ゴオウ!』
「え?」
鎧竜が吠える。何事かと見渡し、同時に見えた。
赤い閃光のようだった。今まで見たことのない攻撃。
「!!」
――耐えて!
「承知」とばかりに吠える鎧竜。しかし防御行動をとるわけでもなく、そのまま赤い先行をその身に受ける。
閃光は鎧竜に直撃する。ダメージはないようだった。悲鳴も叫びも聞こえない。
閃光による衝撃を受けたまま、進む。その先にいる敵の存在を確認するために。
閃光はフッと途切れた。
「反撃!」
閃光の源目掛けて、火球を放つ。
その火球目掛けて再び、閃光が飛んできた。
赤い閃光と炎の玉が衝突する。灰色の煙が拡散し、リーナと鎧竜の司会を奪い去った。
『双方ともそこまでだ』
視界が回復しない中、突如として広大な空間に男の声が響き渡った。
視界が徐々に開けてくる。
火球を放った先の大地にそれはいた。
鎧竜と同じ二足歩行のドラゴン。体色は赤く、より人間に近いフォルムを持っている。
その横には奇妙なことにドラゴンの首が二本大地から突き出ていた。東洋の神話に出てくるような細長い竜の首だけが二本突き出ているような状態で、その下に胴体らしきものがある。
『漆黒の竜の帰還か。大義であったな、鎧竜よ』
「?」
――誰がしゃべっているの?
『そなたが、リーナ・ギルバルト殿か?』
声が聞こえる。声の主はまだその姿を表さない。
「違うといったら?」
『違うのならばそもそもここにはおるまい』
「貴方達は、何者なの? あたしのことを知ってるってことは、このドラゴンの関係者?」
『それはこれから話す。目の前の赤き竜がそなた達を案内するだろう。まずはそれに従ってもらいたい』
「……わかったわ」
どうやら招かれざる客、というわけではないらしい。警戒しながら、とりあえず目の前の二体(?)のドラゴンと声に従うことにした。
地上に降り立ち、二体のドラゴンに案内されるまま広大な大地を歩む。
赤い竜と共に歩いているもう一体の竜は、どことなくマモノめいた姿をしていた。
二本の首が生えた四足歩行の竜で、赤い竜ともども翼というものがない。
案内されたのはどうやら村のようだった。
太陽の光とは違う、淡い光に支配された空間に、煉瓦作りの巨大なコテージが五つほど存在している。
すぐ近くには河川と森林があり、人間が生活するのに配慮されているようだった。
コテージのうちの一つの前で、赤い竜が足を止めた。
人間が生活する空間に、三体もの竜がノシノシ歩いている姿は実に奇妙な光景だ。
鎧竜の手の平から颯爽と降り立つ。
ほぼ同時にコテージから一人の老人が姿を表した。
筋骨隆々という言葉がぴったり似合う2メートル近い男で、年齢は判別不能。恐らくまだ五十代くらいだろう。
白シャツとズボンというシンプルな服装と、白髪まみれの頭と整えられた髭という出で立ちで、すさまじくワイルドなご老人であることがわかる。
――お父様もこれくらい若々しかったらなぁ……。
老人は右手を差し出した。
「お初にお目にかかる。リーナ・ギルバルト殿。ワシの名はヴィルド。ヴィルド・アンダールというもの」
差し出された手にリーナも反射的に手を出していた。お互いに握手をする。
「リ、リーナ・ギルバルトです。えっと、ヴィルドさん」
手を離す。同時にヴィルドは肩を竦めた。
「先程はワシの孫が失礼した。少しばかりよそ者に対して過敏になっていてな。どうか許してほしい」
「マゴ?」
視線を下に向けると、ヴィルドの後ろに彼の腰くらいの慎重の女の子が隠れていた。
「エイリス。挨拶しなさい」
ひょっこりとエイリスと呼ばれた女の子が顔を出す。
丈の短いショートパンツに、黄色のシャツとこれまたシンプルな服装で、リーナとおなじセミロングの金髪を頭頂部でまとめている。
「エ、エイリス・アンダール、です。ご、ごめんなさい」
ペコリと頭を下げる。その姿に思わず、
――なにこのイキモノ、カワイイ!
と、本気で思った。
「先程リーナ殿を襲ったのは、エイリスの操る竜だ」
そこまで聞いて、さっきから一緒に行動している二頭の竜のことだと思い至った。
――この人達は竜の力を自在に操ることが出きるということ?
「立ち話も、なんだからまあ入りなさい。長旅は疲れたじゃろう」
「竜達はどうするの?」
「あやつらはしゃべることこそできないが、人間と意思の疎通が出きるレベルに賢い。ワシらとは付き合いも長いし、任せても大丈夫だ」
「ふうん」
一応納得した。しかし、たった数十分の出来事ではあったが、疑問は山のように生まれでた。一つ一つ確かめる必要がある。
コテージは小綺麗に整理されている。暖かな木造の床と、薪がくべられた暖炉。調理と食事のスペースは一つに整理されていて、王宮にはない暖かな生活感を感じる。
ヴィルドはテーブルに腰かける。
「座りなさい。色々と聞きたいことはあるじゃろう。まずは、リラックスしようではないか。エイリス、コーヒーを淹れてくれ」
「うん」
エイリスはトコトコと台所に向かっていく。
目の前の老人に対し、リーナはポツリポツリと話始めた。
「じゃあ最初の質問」
「言ってみなさい」
「貴方達は何者?」
「まあ、そうなるじゃろうな」
ヴィルドは椅子の背もたれに体重を預けながら両手を組む。
「ワシらは竜の力をもって、世界の均衡を管理する一族。その末裔だ」
「世界の均衡を管理する?」
「言わば世界のパワーバランスを整えると言えばわかるか? この世界に災厄が訪れた時に、選ばれしものに竜の力を授け、これを叩かせる。そうすることによって、この世界を脅かすものを排除してきたのだ」
――……それって……。
言葉が出ない。この爺さんは一体何をいっているのだろう?
「じゃあ、竜って、貴方達の差し金だったの?」
「そういう物言いは好まないところではあるが、間違ってはいない」
「あ、あ、ああ……」
池に浮かぶ魚のごとく口をパクパク動かしつつ、その心から沸々と怒りが沸いてきた。
「あ、鎧竜がアダマンガラスにやってきたことで、たくさんの人が死んだわ」
声が震えている。しかし、目の前の爺さんは眉一つ動かさない。
「そうだろうな……」
「貴方達はそうなることがわかっていたっていうこと?」
「鎧竜がどれほどの命を奪ったのかはワシには分からん。その裁量は鎧竜が決めたことだからな」
――イライラする……。
強くそう思う。この男が鎧竜を差し向けて、それで兵士達は木っ端のごとく蹴散らされこの世を去った。
それなのに、目の前の男が冷静であることに苛立ちを隠せない。
「貴方達が一緒に行動していれば、その被害だってなかったかもしれないじゃない……そうよ、それに……!」
両手でテーブルを叩いて立ち上がる。そうせずにはいられなかった。
「あのマモノ達が攻めてきたときだって、貴方達がいれば被害を最小限に押さえられたかもしれないのに……!」
ヴィルドの目が見開かれた。
「マモノが、攻めてきた?」
自分を抱き締め、ガリガリと二の腕を掻く。怒りの捌け口を求めて、手が無意識のうちに動いていた。
「そうよ。馬も人もゴミのように食い散らされて……あたしは、運がよかったから生き延びることができたけど、でも、一歩間違えてれば、あたしも死んでた……!」
「どうやら……ワシが思っているよりも酷い修羅場を潜ってきたようじゃな……」
「貴方がどう思っているかなんて知らない。だけど、たくさんの人が死んだ。それだけは、間違いないわ」
沈黙が訪れる。張り詰めた空気が、とても嫌な感じだ。
「お主の言う通り、ワシ自らが竜を伴い力を行使すれば、余計な被害が押さえられた可能性は否定できん。しかしそれはできないのだ」
「なぜ……!?」
「竜とは、人間から恐れられる存在でなければならないからだ」
「恐れられる?」
「順を追って説明していこう」
「あ、あの……」
嫌な緊張が漂うなか、鈴の音のような声が聞こえた。
ヴィルドの孫娘、エイリスだ。両手で持ったトレーの上にコーヒーカップを二つ乗せている。
「ありがとう、エイリス」
ヴィルドは自分とリーナの前にコーヒーカップを置いた。
「まあ、とりあえず座りなさい。そうやって立っていては、落ち着いて話もできん」
「……」
促され、憮然とした態度を隠さずに、リーナは再びいすに腰掛けた。
ヴィルドが話を続ける。
「竜と人間。その二つの種族はかつて同じ世界に当たり前のように存在していた時代があった」
「そんな時代が……」
「あったのだ。昔はな。しかし今この世界はほとんど人間が支配する世界となりつつある。だが今現在竜と呼ばれる生物はごく一部を残して『世界の裏側』へ行ってしまった」
「世界の、裏側?」
全く聞いたことのない単語だ。目の前の老人は実はもうボケが始まっていたおかしなことを口走っているのでは? 思ってしまう。
正直そう思いたくなるほど頭が混乱し始めている。
話事態は割りと単純なことのはず。しかし、情報が頭のなかにすんなり入ってこないのだ。
「あの、こんなこと言いたくないけど……」
怪訝な顔でヴィルドを見る。そのニュアンスと視線は明らかに疑いの眼差しに満ちていることがわかる。
「ボケていってる訳じゃないわよね?」
ヴィルドは軽くため息をついた。
「どうやら、ワシの話が信じられないようじゃのう」
「だって、そんな歴史聞いたことないもの。誰だってそう思うわよ」
「まあ、待て。信じられない話かもしれないが本当のことだ。世界の裏側。まあ別の次元の世界とでも言えばいいか? その頃は人と竜は共存共栄の関係にあり、互いに手を取り合うのが当たり前だった。今のワシらや、お主達のように。
だが、竜の力を悪用しようという人間が存在することもまた事実だった。人間の叡知は時に竜を上回ることがあり、その均衡が崩れた時、人も竜も滅びるかもしれない。そんな未来が危惧されていた」
――あり得る話……なの?
リーナは鎧竜と直に戦っている。そして竜の前では、人間の力などほとんど通用しないことも知っている。
だけど、その力を人間が存分に活用した場合、恐ろしい事態を簡単に引き起こすことも可能かもしれない。
実際、鎧竜の力を使えば、簡単に他国を滅ぼすことも可能だろう。
しかし、あくまで『かもしれない』として言いようがない。鎧竜が自分に従ってくれる理由は今だもってわからない。少なくとも自分の力一つでてにいれた力じゃないことだけはわかる。
「人間の叡知、竜の力。この二つは同じ世界に存在する訳にはいかない。 竜の力は簡単に人の命を奪ってしまいかねず、人間の頭脳は強大な力を持つ竜の力を越えかねない。
そう考えた、竜の長と当時の人間達は、お互いに干渉しあわないようにした。混沌とした世界を二つに分けることによって互いの世界に平和をもたらした。
それがもう何千年も昔の話だ。一つの例外を除いては」
「例外は?」
「人と竜、それぞれの世界の均衡を崩してはならない。それを守るためならば種族を越えて力を結ぶこと。これがどういう意味がわかるかね?」
頭のなかで情報を整理しながら、その答えをなんとか出そうと考える。
「……今現在進行形で、世界の均衡が崩れるかもしれないっていうこと?」
ヴィルドは大きくうなずいた。
「ほとんどの場合において、人間の側が竜から力を借りる場合だがな。それでも竜が我ら愚かな人間に力を貸してくれるのは、それが竜にとっても必要だからだ」
「人間の世界の均衡が崩れると竜にとっても不都合っていうこと?」
「そうだ。人間と竜は言わば知恵と力、その世界はコインの表と裏なのだ。ここまで話せばもうわかるのではないかね? なぜ竜が今この世界で恐れられなければならないのか」
――……ええ。なんとなくね。
「人が竜を恐れなくなれば、人は竜を、意のままに操ってしまうかもしれない。そしてそれが原因で世界の均衡が崩れてしまうかもしれない。その可能性を潰すため、竜はあくまで恐れられなければならない……」
「そういうことだ。仮に、ワシが鎧竜の背に乗って、お主達の前に現れたとしよう。そうしたら、きっとお主を含め多くの人間はこう思うだろう。
人間は竜という存在を使役できると。そしてそのような認識を一部とはいえ、なにも知らない人間達に植え付けることになる。だがそれは避けねばならん。
今言ったように、下手をすれば世界の均衡を再び崩しかねないからだ。
だからこそ、敢えて多少の犠牲に目を瞑ったのだ」
「……ッ!」
正直いって納得できない。納得したくない。ギリギリと奥歯を噛み締める。
多くの人の命を救える可能性があった。それをこの男は捨ててしまった。世界の均衡という、よくわからないもののために。
「ワシが憎ければ、恨んでくれていい。リーナ姫どの。お主にはその理由がある。だが……」
「ええ、分かってる」
ゆっくりと息を吐き出す。納得なんてしたくない。この男がアダマンガラスに最初の混乱を招いた張本人であることは疑いようがない事実。
「それでも、納得するしかないのよね」
自嘲気味にそう口にし、不満を無理矢理飲み込むことにした。今自分がするべきことを理解していたから。
――お父様もグレイス兄さんも……こんな気持ちを何度も味わってきたのかしら?
来週あたりから一度の更新量が少なくなるかもです。




