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奇妙な絆

『ウフフフフ……』

 赤い闇は自分が上を向いているのか、下を向いているのかさえ分からないほどに深かった

 ――落ち着け……落ち着けあたし……

 自分にそう言い聞かせる。平衡感覚が信用できないこの状況では頼りになるのは自分の感覚だけだ。

 それでもこの異常事態は精神を摩耗させるには十分な力があった。

『ゴアアアアアアアアア!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンが吼える。しかし、その咆哮にどれだけの意味があるというのか。敵はどこにいてどこから襲ってくるのかさえ分からないと言うのに。

『フフフフフフ』

 静かな含み笑いが聞こえた。

 鎧竜アーマード・ドラゴンを小さな衝撃が襲った。元より、砲弾程度では傷さえつかない皮膚だ。大きく揺れはするものの、ダメージはほとんどない。

 だが問題は、敵がどこから攻撃してきたかだ。

『硬いねぇ~びっくり。傷一つないんだもんねぇ~』

 闇に紛れて攻撃する。それは、どんな時代にも共通する強力な戦法だ。

 ――今の攻撃はどこから?

『でも、まだまだいくよ~!』

 眼前から、黒い球体が飛んできた。

「それがあんたの攻撃!」

『せいか~い。さあ、死んで。死んで! 私達のために死んで!!』

 無数の黒い球が鎧竜アーマード・ドラゴンに直撃する。そのたびに衝撃が走り揺さぶられる。

『ゴオオオオオオウ!』

 火球を放ち、反撃に出る。火球はほんの少しの距離を飛んだと思ったら爆発四散した。

「奴は……」

 ベールの姿を探す。しかし、自分達以外にいかなる存在もその姿を見つけることはできない。

 不安が心に広がっていく。広すぎる闇は、狭い空間とたいして変わらない。心に蘇るのは恐怖。

 暗くて狭い地下牢に閉じ込められたときの恐怖。

『アナタの闇が見える……』

 声が聞こえた。しかし、どこから聞こえたのかは分からない。敏感になった感覚に任せて、リーナは勢いよく視線を走らせる。

『こっちよこっちこっち!』

「ああ……ううっ……」

 胸の奥からいいようのないイライラが顔を出す。

 怒り、恐怖、憎悪。負の感情が鎌首をもたげ、心が爆発しそうになる。

「……!」

『ゴオオオオオオオオウ!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンが何かを呼び掛けている。

 ――わからない……。

『いい顔だわ。もっと見せて、貴女の心を……』

「ヒッ……!」

 息がつまったような声をあげる。いつの間にかベールが背後から抱きついてきたからだ。

『ウッフフフフフ……』

 含み笑いが聞こえる。気がつけば鎧竜アーマード・ドラゴンの姿はなかった。気づかぬうちに消えていた。

 水の上にフワフワ浮いているような奇妙な感覚と、背後からぴったりと張り付いているベールの呼吸や体温だけが感覚を支配する。

『こんな固い鎧で、自分の身を覆っちゃってぇ……』

 甘えるような囁き声。

 背筋がゾクゾクする。生暖かくも柔らかい、ベールの肉体の感触。

『クスッ』

「ぁぁ……!」

 ベールの手が、鎧をすり抜けていく。まるで最初から、鎧など存在していないかのように。そしてベールに手が胸に触れた。

『さあ見せて、アナタの心……』

 体が動かない。嫌悪しているのに、まるで彫像か何かのように体がカタマってしまっている。頭だけは左右に振ることができるが、そんなものはなんの抵抗にもならない。

 ――いや……なんなの、こいつ!

『見えたわ……アナタの心……』

 それは、リーナが思い出したくない、過去の自分の姿だった。


 剣を振るい始める前のリーナは内気な少女だった。

 剣を振るい始めた直後のリーナの目は虚ろだった。

 何もわからない当時の彼女はわき出る怒りと憎しみを鏡にぶつけた。

 自分の目を見たくなかったから。剣を振るいたくなかったから、自分で自分を傷つけ、城中の鏡とガラスを叩き割った。

 自分も他人も、何もかもキライだった。

『キライ、キライ! みんなキライ! なんで、なんであたしばっかりこんな目に!』

 ――剣の稽古なんかしたくない……痛いのいや。

 ――こんな世界壊れちゃえ。鏡もガラスもなくなっちゃえ。ついでのあたしの体もコワレチャエ。


『フ、フフ……クスクスクス……』

 背後のベールは邪悪な笑みを浮かべて笑っている。顔が見えなくてもそれがなんとなくわかった。

「やめて! せっかく忘れているのに思い出させないで!」

『ダァメ、もっと見せて、あなたの膿んでただれた心を……』

「あ……うぐぅ……ぅ」

 自分でも自分の瞳に何が映っているのか理解できない。

 ベールが引きずり出そうとする幼い自分自身の記憶。そして、当時の自分自身が吐き出した鈍いの言葉の数々が頭の中で何度も繰り返される。

 悪鬼のごとき形相で剣を振るうことを強要する父の姿。

 血まみれになり包帯で巻かれた自分の両手。

 感情に任せて暴れまわっていた醜い自分の姿。

 何もかもがどうでもよくなり壊れかけた自分の姿。

 暴れまわったリーナに与えられた罰は、両手を縛られた状態で地下牢に丸一日監禁されることだった。

 壊れかけた心は毒を吐き出し続け、縛られた両手は化膿かのうが進み、ウジがわきだすほどだった。

 

「うっ……ヒ……」

 目に涙が浮かぶ。記憶が塗りつぶされていく。嫌な思い出だけの記憶が頭を支配する。

『さあ、壊れて……。あなたにいい思い出なんて必要ない。嫌な記憶と感情だけあればいい。あなたの傷だらけの記憶を、私が全部舐め取ってあげる』

「あ……あ……」

 リーナの記憶の中から知ってるはずの情報が消えていく。ただれた記憶が肥大していく。

 ――お父……様……。

 ――みんな死んでしまった……。みんな壊れちゃった……。

 ――あたし……何のために生きてたんだっけ……?

 ――ア、タシが……コワ、レル――――――――――――――。

 ブツリと、目を見開いたまま気を失った。


 心はグチャグチャに、記憶はズタズタになっていく。自分がなくなっていく。


『アハハハハハハハハハ、ハーハッハッハッハ……!』


 耳障りな笑い声。頭の中に直接響くようだ。

 頭の中にウジがわいたような、すこぶる不快で、身を凍らせるような感触が心を舐め回していく。

 自分が何をされているのかわからなかった。

 ――……………………………………。


『フッフフフフ、あ~ぁあ……壊しちゃった』

 ベールはとても満足そうに笑う。

『思ったより、あっけなかったな。人間なんてみんな同じ。記憶と感情をちょっといじっただけで壊れちゃう』

 ベールはリーナの体を放す。赤い闇の中にリーナの体が溺れていく。

『ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!』

『!?』

 唐突に聞こえたその声は咆哮だった。獣じみた。しかし、確かな感情のこもった咆哮だ。

 その咆哮は鎧竜アーマード・ドラゴンのものだった。

 いや、もはや咆哮と呼ぶべきかどうかさえわからない。

 それは音波だ。空気を強烈に振動させる超音波。鎧竜アーマード・ドラゴンからそれが放たれている。

 その超音波は赤い闇を揺さぶっているのだ。

『み、耳が痛い……』

 ベールは耳を塞ぐ。同時に、赤い闇にヒビが入り始めた。否、それほど間をおかず、赤い闇で終われた空間は壊れ、青空が一瞬で広がった。

『あ、あのドラゴン……!』

『ゴオオオオオオオオオオオウ!』

 落下していくリーナの肉体は淡い光に包まれた。そして高速で飛行する鎧竜アーマード・ドラゴンが受け止める。

 鎧竜アーマード・ドラゴンの手のひらの上で、リーナはグッタリと横たえていた。


 そんな最中。

 知っているはずなのに知らない声が。

 知らないはずなのに知っている声が聞こえた。


『……ダメで……』

「……っ! だれ」

『……かり、っ……り……して……さい!』

「あ、アア……ダ、レ?」

『壊……せない。あ……たを壊させない!』

 その時、リーナの体を誰かが抱き締めたような気がした。

「ヒッ……」

『怖……らな……で』

「誰なの!?」

『リー……。闇に……心を……まれ……で……』

 声は断片的にしか聞こえない。しかし、それで十分だった。

 心から絶望が消えていく。心地よい安心感が広がっていく。

 同時に自分を抱き締めていた感触が消えた。


『グウウウオ!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンはベールを見る。そして進行方向を変え、ベールに向かって飛行する。

『なぜ……』

 ベールは問う。

『なぜドラゴンが人間を助けるの! そんな猿を助けてなんになる!?』

『人……は、猿……ゃない……!』

 それは確かな声だった。ベールのものでもリーナのものでもない、別の誰かの声。

 その声に反応して、微かに目を開けた。鎧竜アーマード・ドラゴンの手のひらの上で。

「アーマー、ド、ドラゴン……?」

 ――なに……これ?

 フワフワとした感覚だった。自分が鎧竜アーマード・ドラゴンの手のひらの上にいるのは理解できる。しかし、それ以上に奇妙な感じがした。

 いま自分を守っているはずの鎧竜アーマード・ドラゴンに人間の気配のようなものを感じた。

 鎧竜アーマード・ドラゴンがまた咆哮をあげる。

 しかし、その咆哮がおぼろげながら確かな声に聞こえた。

『わた……えを…許……い。お……は……ーナ……の……を汚……た……だから……許……い!』

「……?」

 鎧竜アーマード・ドラゴンが何を言っているのかわからない。しかし、これだけはわかった。鎧竜アーマード・ドラゴンは自分のために怒りを感じている。

 自分を抱き締めた。体にはまだ残っている。暖かく、柔らかな、自分の身も心も安心させようとする感触が。

「あなたなの?」

 鎧竜アーマード・ドラゴンの手のひらの上で、リーナはドラゴンの顔を見る。鎧竜アーマード・ドラゴンの視線はベールに向けられていた。

 声はもう聞こえない。しかし、何となくわかった。鎧竜アーマード・ドラゴンが何を考えているのか、言葉にせずとも何を求めているのか。

 鎧竜アーマード・ドラゴンと同様にベールを見る。

『あなた達は……一体……!』

 答えはない。その代わりに、鎧竜アーマード・ドラゴンが、一気にベールとの距離を詰めた。

 ベールは自らの手を前に突きだし、なにかを放とうとした。しかし、そのなにかが放たれることはなかった。

 その手が切り落とされたからだ。

『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』

 リーナは鎧竜アーマード・ドラゴンが距離を詰めたと同時に、大きく跳躍していた。そして龍黒剣でベールの右手を切り飛ばしたのだ。

 跳躍したリーナは鎧竜アーマード・ドラゴンの背にきれいに着地する。

「不思議だわ」

『!?』

「ずっと昔から知ってる親友に対する絆のようなものが、言葉を交わさずとも感情が読み取れるような、そんな不思議な縁を、鎧竜アーマード・ドラゴンから感じる」

『私にもあるわ、そういうの』

 ベールは開ききった瞳孔のままリーナと鎧竜アーマード・ドラゴンを見る。

『でも、異種族同士で、人間とドラゴンの間でそんなことが……』

「確かに、あたしはこの子のことを本当の意味で理解はしていないかもしれない。なぜこの子があたしのために戦い、あたしと共に戦ってくれるのかはわからない。だけどこの子が、鎧竜アーマード・ドラゴンがあたしを裏切らないことだけは分かる」

『な、なぜ……!』

「さあ、それはきっとあんた達との戦いの果てに、分かるかもしれないわね。だから……」

 リーナは龍黒剣を構える。

「倒させてもらうわよ。ベール」

『そうは、いかない……』

『グオウ!』

 背後から接近する何かに気づいたのは鎧竜アーマード・ドラゴンだった。

 リーナが気づくと同時に接近していた何かは鎧竜アーマード・ドラゴンを無視し、ベールの方に向かっていく。

『また遊びましょ』

 接近していたのは赤黒い皮膚のドラゴンだった。しかし、それが視認できたのは一瞬で、あっという間にベール共々その場から去っていった。

今後は5千文字くらいしか更新できないかもしれません。

最後まで完結させてみせる!

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