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闇を統べる者

 リーナとアルト、そしてグレイスの三人は城のダイニングルームで簡単な食事をとっていた。

 三人が口にしているのは、野菜と鹿肉のシチューとコッペパンだった。

 王族としてはあり得ないくらいの質素さは、国の財政状況を表している。

 また三人とも国が大変なこの時に、舌を楽しませるような王族らしい食事など取る気になれなかった。

 三人とも淡々と食事するなか、リーナは複雑な心境で、右手のスプーンを動かしていた。

 目的地はわかった。

 やるべきこともはっきりしている。

 まずグレイスとアルトにこれからストラグラムへ行くことを伝えなければならない。

 馬を使っても片道で二週間ほどかかるような距離だ。きっと心配をかけることになるだろう。

 そして、今は繭となっている鎧竜アーマード・ドラゴンの力を借りることにもなるだろう。

 マモノと戦ってくれた時のように力を借りることができれば、大きな戦力になるだろうし、何より空を飛んで行ける。馬を使うよりはるかに早く目的地に付けるだろう。

 鎧竜アーマード・ドラゴンがいつ目覚めるかはわからないが、なんとなく……そんなに時間はかからないのではと、思う。

 なんの根拠もないがそんな気がするのだ。

 同時に、気がかりなことがあった。

 誰が王位を継承するのか。そもそもギルバルト王の死をいつ国民に伝えるのか。

 父のみならず、死に絶えた多くの人々の遺族と墓をどうするか。

 そして何より、アダマンガラスは国としてやっていけるのか。

 この山積みになった問題を放棄して、唯一国王と直接血の繋がった自分がストラグラムへ向かってもいいのか。

 マモノがこの国にやってきた理由、そして戦うべき敵の存在。

 リーナはそれを知りたいと思う。

 それはエゴかもしれない。がこの件に関してわからないままにしておくとまたマモノがやってくるかもしれない。そうなってしまう可能性をなくしたいとも思う。

 なんにしても自分一人で勝手に決めていいことではない。

「ねぇ、二人とも。ちょっといいかな?」

 リーナはアルトとグレイスの二人を見る。

「どうしたのリーナ?」

「……?」

 二人はリーナの言葉を待った。

「二人はすでに、この国の復興のために行動を起こしているのよね?」

「ええ、そうよ」

「それがどうかしたのか?」

「……二人は国を運営、発展させていくために、必要な知識を持ってる。でもあたしにはそれが……ない。

 だから、なんの役にも立てないんじゃないかって思ってた」

「リーナ……そんなこと……」

「……」

 グレイスは無言でリーナの台詞を聞いている。

「でも今は違う。あたしにもできることがある。その事に気づいた」

「もったいぶらなくていい」

「?」

「リーナ、お前には僕たちにはない戦闘能力がある。お前がいたから、この国は滅んでいないんだ。それはお前だってわかっていることだろう」

「……ん」

 リーナは頷く。どうしてだろうか。今ほどグレイスの言葉が待ち遠しいと感じたことはない。

「その上で、今、この時点で、お前にしかできないことがある。少なくともそう思える心当たりがある。そういいたいのだろう?」

 完全に図星だった。グレイス相手に隠し事は通用しないなと、リーナは改めて思った。

「ええ。そういうこと。そこで二人に相談があるの。あたしは、この国を出て、ストラグラム国に向かおうと思う」

 グレイスの眉が一瞬動いた。

 アルトはリーナが発した台詞があまりにも突拍子がないので驚いているようだった。

「ストラグラムってあなた……何をするつもりなのよ?」

「悪ふざけで言っているわけではないようだな……。だが、それがどういうことがわかっているのか?」

 ――わかってる……。

 ただでさえ国王不在で、かつ王位継承についても考えなければならない現状において、リーナが国を離れるなど、普通なら考えられない。

「でも、それでも行かなきゃいけない。あの魔物達が、なぜこの国にやってきたのか、なぜあんな事件が起こったのか。その原因を突き止め、確かめるために」

「あなたがストラグラム国に行けば、それがわかるの?」

「確証は……」

 口をつぐむ。軽はずみな言動はできない。リーナは言葉を選びながら続ける。

「ない。だけどもし、マモノをこの国に差し向けた何ががそこにいるとしたら、あたしはそいつをほおっておけない」

 沈黙が流れた。リーナは表情を変えず、アルトはどうしたものかと困惑している。グレイスは紅茶を一口含み、言葉を繋いだ。

「リーナ、お前は王位継承権を捨てる気なのか?」

「いいえ……」

 そう答えたリーナの表情はどこか自虐的だった。

「でも、あのマモノの原因を突き止めるために、王位を捨てざるを得ないのだったら、捨てても構わないわ。だってそうでしょ? どんなに優れた指導者に恵まれても、またあのマモノ達がやってきたら、滅ぶしかない。

 あたしは、あたしにできる方法で、この国を守りたい。もう誰の血も、流させたくない」

「お前にならできるんだな? この国を襲う脅威を完全に排除することが」

「できるわ。だって、そのためにこの左目があるんだから……」

 リーナは包帯越しに自分の左目を指す。

 ほんの少し前までは呪うだけだった左目。

 今ではそれが、戦う力を持つ証なのではないかとさえ思える。

 リーナは自分のことを戦うことしかできないと思っていた。だが、それはある意味間違っていた。戦うことでしか守れないものもある。

 そして、あのマモノとまともに戦えるのは、鎧竜アーマード・ドラゴンを従えることができるのは自分だけだ。

「兄さん、姉さん。あたしにしかできないことは確実にある。この国を守るために、あたしはその力を使いたい」

「ならば、頼む」

 その言葉はグレイスにしては珍しい言い回しだった。

「悔しいことに、僕の力では、マモノを撃退できなかった。しかし、お前にはできた。僕達兄妹は、それぞれできることが違う。自分ができることをするべきだろう」

「そう……ね……」

 アルトはポツリと呟いた。

「できれば私は、もうあなたには戦ってほしくないと思ってた。血が繋がっていなくても、紛れもなくあなたは妹だと思ってた。それでも……」

 アルトとリーナの視線が交差する。

「私達は、あなたを送り出すしかないのね……」

 寂しげに語る姉の表情は、苦悶が見え隠れしていた。

 

 鎧竜アーマード・ドラゴンの繭はすでに光を失い、黒い透明のクリスタルのような結晶を形作っていた。そのクリスタルはやや透明で、鎧竜アーマード・ドラゴンの姿がはっきりと見えた。

 リーナがクリスタルの前に現れると、そのクリスタルの中から、赤い瞳がリーナを見据えた。

『グゥゥ……』

「行きましょう、鎧竜アーマード・ドラゴンもう一度、あたしに力を貸して」

 そういうと、鎧竜アーマード・ドラゴンが動き出した。

 黒い結晶はガラスのように割れ、鎧竜アーマード・ドラゴンはリーナの前で膝を折った。

「目的地は、極北の国ストラグラム。この国に、アダマンガラスを脅かした原因がある。あなたの背中を借りるわ」

『ゴオオオウ』 

 承知、と言わんばかりに頭を垂れるドラゴン。リーナの後ろにいたグレイスとアルトはその光景に驚きを隠せなかった。

「本当にドラゴンを従えている……」

「これが、あの子が長年の修行の果てにつかんだ力なのね」

 リーナは鎧竜アーマード・ドラゴンの背に乗る。

「じゃあ、行ってくるわ。兄さん、姉さん」

「本当に一人でいいの? 一人でも護衛をつれていった方がいいんじゃない?」

「ううん」

 リーナは静かに首を降った。

「あたしを守ってくれたフィーネも、ゼイルも奴等にやられた。あたしのために、誰かが死ぬのはもう嫌なの」

「そう……気を付けてね」 

「うん」

 その直後。

「必ず帰ってこい」

 そうグレイスが言った。

「グレイス兄さん……」

「今までお前に対して冷たい態度を取っていた、兄らしいことをお前にはなにもしてやれなかったからな」

「その気持ちだけでも、嬉しいわ。約束する。必ず帰ってくるって」

「ああ」

 リーナは鎧竜アーマード・ドラゴンに向き直った。

「じゃあ、よろしくね」

『ゴオオオオオオオオオウ!』

 リーナは鎧竜アーマード・ドラゴンの背に乗って、広大な空へと飛び立っていった。


 ストラグラム帝国。

 リーナにとっては知識の上でしか知らない国だ。

 この大陸の極北に位置する国で、大陸一の製鉄技術持つ国だ。

 良質な鉄鉱石が取れる広い大地を有しており、鉄製品の品質にかけてはアダマンガラスを上回る。

 リーナの父ギルバルト王もこの国の出身で、アダマンガラス国が大陸有数の鍛冶大国とされる理由もそこにある。

 優れた製鉄技術から生み出される刀剣の切れ味と頑丈さ。それは、ギルバルト王が国を作るほどに勢力を拡大できた力の一つであるといっても過言ではない。

 そのストラグラム帝国の空は、毒々しい赤色に染まっていた。

 それを象徴するかのように、本来ならば国の最高権力者のために存在する玉座の間も、赤いペンキを塗りたくったかのように赤かった。

 ろうそくの明かりすら灯っていないその部屋は薄暗い。日中であっても明るい太陽なんか見えやしない。

 真っ赤な血と、謎の粘液で汚れている空間は、不快極まりない悪臭を放っている。

 そんな場所なのに、不快感を露にすることなく、むしろ笑顔でたたずむ二人の少女がいた。

 どちらも双子と言わんばかりに顔がそっくりで、しかし目付きだけは違っていた。

 その少女のうち片方、目付きが柔らかな少女ががぶっきらぼうな表情で呟いた。

「私達の敵となりうる人間。面白そうね。その子に私達の歌を聞かせたら、どうなっちゃうのかしら」

 もう一人、鋭い目付きの少女も呟く。

「聞かせてやるといい。きっと新たな形に歓喜するに違いない」

「それもそう。ねぇ、あなたはどんな姿になりたい?」

 そういって少女が向けた視線の先には一人の男がいた。

 男は震えていた。血と粘液の悪臭で顔を歪めながら恐怖に怯えていた。

「た、助けてくれ、お願いだ。殺さないでくれ……」

 玉座の間。もといこの国は支配されていた。目の前の双子に。たった二人の少女に。

「大丈夫、新たな形になれるから……」

 甘い囁きはその甘さゆえに恐怖を掻き立てた。

 優しい目付きの少女はいい終えると、囁くように歌い始めた。

「やめてくれ、助けてくれ! 俺は、俺は人間でいた……うぷ、る、え?」

 男の体が大きく変化し始める。

 皮膚が裂け、体が膨張し始める。人としての形は壊れ、骨格が壊れては再生し、体液が飛び散る。

 やがて骨格が別の形を成してきて、皮膚が形成されていく。数十秒ほどで、人間だった男は赤茶色の翼をもったまったく別の生物になった。

 その姿は槍のように細長い姿の鳥だった。人間としての原型は残っておらず、頭から腰にかけて巨大な翼を形成している。

 翼竜とでも呼ぶべきドラゴンの姿。

 その大きさは人を背中に乗せることができる程度には大きい。

「お前の作品はまだまだ形がおかしいな」

「あら、いいじゃない。空も飛べない姿よりよっぽど可愛いわ」

「どうするつもりなんだ?」

「ちょっと試してみる。私達の作品を壊した娘を」

「いってらっしゃい」

「いってくるわ」

 少女はついさっきまで人間だったマモノの背に乗り、飛び出していった。


 はるか上空、鎧竜アーマード・ドラゴンの背中の上にリーナはいた。

 鎧竜アーマード・ドラゴンの首には鎖が巻き付いている。それはリーナが振り落とされないように捕まる場所が必要だと考えた上でのもので、リーナはそれを頼りに鎧竜アーマード・ドラゴンに指示や合図を送りながら上空を移動していた。

 空を飛ぶ。それは有史以来人類が思い描く夢の一つといってもいいだろう。

 地上を歩むどの動物よりもはるかに速く、建造物や森のような障害物を意に介することなく移動する手段としてこの世でもっとも効率がよくもっとも実現が難しいものだ。

 リーナは今そんな人類史上、もっとも最上級の手段で移動していると言えた。

 地上の人間から見えないようにかなり上空を飛んでいるため、そこから見える景色はとてつもなく壮観だった。

 人の姿なんて小麦粉一粒ほどの大きさで、森も林も湖も荒野も、ありとあらゆるものを俯瞰ふかんして眺めることができた。

 リーナ同様、ドラゴンを使役することができた人間は、最終的に国を滅ぼす存在になったと言う伝説がある。

 もちろんそこまでいかずとも、この状況は人類に対して優越感を得るには十分すぎる効力を持っていた。

 だが、リーナの心には優越感よりも大きく上回る感情があった。

 それは己の持つ力の虚しさと、自分自身に対する恐怖だった。

 鎧竜アーマード・ドラゴンと戦ったあの日以来、リーナは確実に感じていた。自分が人でなくなっていくのを。人間とはかけはなれた存在になっていくのを感じていた。

 この戦いが終わったとき、本当に自分は人間として生きていられるのか、不安もあった。

 だが、そう感じてもいられない。今の自分にできることをやらねばならないのだ。

 旅立ってからすでに丸一日経過していた。

 空を飛んでの移動は思いのほか寒く、体力を消耗するため、数時間ごとに休みながらの移動だった。

 休むごとに地図を見て、現在地の確認も怠っていない。

 飛行による移動はリーナの予想よりはるかに早く、ストラグラム帝国まではもう半日ほどで到着するとリーナは考えていた。

 まだ日が上った直後だから、着くとしたら昼ごろだろう。あくまで予想ではあるが。

『グゥゥゥゥゥァアアアア!!』

「……?」

 鎧竜アーマード・ドラゴンが突如として咆哮を上げた

「どうしたの……?」

 鎧竜アーマード・ドラゴンは自らの意思で火球を発射した。何も見えない雲に向かって。

「……!?」

 リーナは悟る。鎧竜アーマード・ドラゴンは自分には見えないものを見ている。鎧竜アーマード・ドラゴンの視線の先にはなにかがある。

 同時に左目の疼きを感じた。

「あれは……なに……?」

 包帯で覆われているはずの左目に映るのは、無数の黒い影だった。

 透明な水にペンキを垂らしたときのように、雲を構成する水滴が黒く塗りつぶされていく。

『みぃ~つけた♪』

「!?」

 背筋を駆け抜ける悪寒。歌うような囁きはとても甘く、しかしそれゆえに恐怖を想起させる。

 森に潜む悪魔が人間を誘う時の声はこういうものなのかもしれない。

 左目に移る雲はその全てが黒く塗りつぶされていく。左目にはもはや闇しか映らない。

鎧竜アーマード・ドラゴン! 雲の下へ、このままじゃまずい!」

 リーナは感じていた。自分達はなにかにとらわれようとしている。恐らくは左目に見えるなんらかの闇に。

 鎧竜アーマード・ドラゴンが雲の中から脱出した直後、雲はさらに大きな変化を見せた。

 右目でもはっきりわかるくらい徐々に黒く染まっていき形を持ち始めた。

 その姿はまるで……。

「ムシ!?」

 そう虫だった。恐らくハエかなにか。それらが白い雲を食らいつくし、巨大な闇を作り出している。

 リーナは自分で自分の顔が引きつるのを感じた。どんなに虫が大好きな人間でもおぞましいその数の前では恐怖を禁じ得まい。

『あなたね……わたしたちを倒そうとするのは……?』

 声が聞こえたさっきと同じ、囁くような声だ。

 リーナの目付きが鋭くなる。そして理解した。この闇こそ自分が立ち向かうべき敵なのだと。

 毅然とした態度でリーナは口を開いた。

「そういうあんたは何者よ!」

『わたし? あなたたち人間の言葉で表現するなら、アクマとでも呼ぶべき存在かもしれないわね……』

「何が目的?」

『あなたを……タベルコト……』

 羽音が静かになっていく。同時に黒い虫の集まりが、一つの形をなしていく。

 それはドラゴンの顔のような姿をしていた。虫の群体が作り出したドラゴン。そのドラゴンはリーナと鎧竜アーマード・ドラゴンを食らおうと、その大口を開けて覆い隠そうとする。

「あたしは……!」

 恐怖に飲まれまいと、眼前のドラゴンを睨む。そして、腰に下げてある、刀身のない黒い剣、竜黒剣(リーナが命名)を構えた。

「負けない!」

 竜黒剣から刃が延びる。その刃で目の前のドラゴン目掛けて真上から降り下ろす。

 すると、今度はパンと、何かが弾けるような音と共に、ドラゴンの頭が無数のハエの姿となって分散する。

 散り散りになった黒い虫達は、再び一つとなりドラゴンの頭を形作った。

『グウウウオオオオオオウ!!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンが吼える。どうやら戦わない方がいいと忠告しているらしい。

 ――確かに……死んだら意味がない……。

 奥歯を噛み締める。倒すべき敵は目の前にいるというのに、対抗手段がままならない。

 そんな状況で戦っても勝ち目がない。頭ではその事が理解できても、どこか悔しい思いがあった。

 だが……リーナは冷静だった。

「速度をあげて!」

『ゴオオオオオオオオオオオオ!』 

 リーナの指示通り、鎧竜アーマード・ドラゴンは飛行速度を一気に上げる。

 否それは急降下と呼ぶに相応しい。

 鎧竜アーマード・ドラゴンは上空から地上へ向かって急激に下降することで、追跡を逃れようとしたのだ。

「ううッ……」

 吹きすさぶ風が、体をかすめていく。鎖を握り締める手から体力がジワジワ削れていく。

 そうであるにも関わらず、手には鎖が食い込み熱い。

 急降下した先には森林が見えた。鎧竜アーマード・ドラゴンは速度を落とすことなく、その森林スレスレで滑空する。

 無数のハエ達も鎧竜アーマード・ドラゴンに続く。その瞬間リーナはおぞましいものを見た。

 まるで津波が木々を飲み込むかのように、ハエの群れは闇となって森林を覆い隠したのだ。そして、一瞬にして緑が食い荒らされ、無惨な姿をさらしていった。

 子供の頃誰もが森の奥へいってはならないと母親から学ぶ。その理由は森には悪魔や魔物の類が潜んでいるからだと言われている。

 しかし、それさえ飲み込む闇が今リーナを追いかけてくる。森に待ち構える魔物さえ、目の前の闇が相手では敵わない。

 闇は森林を食い荒らしながらリーナ達を食らおうと迫る。

『どうして逃げるの? あたし達の一部となって永遠に生きましょうよ』

 少女の声が聞こえてくる。おぞましい群体を目の前にしながら聞こえてくるのはあまりにも甘い声だった。

「冗談じゃないわよ! 誰が好き好んで虫の栄養になるってのよ!」

『何かが生きるためには、何かの死が必要なのよ。あたし達が生きるためにはあなた達の死が必要なのよ』

「だったら、殺しあうしかないわね!」

『そう、そうよ。私達と人間は所詮相容れない存在なのよ。共存なんか無理。だぁかぁらぁ……』

 ハエの群体が再びドラゴンの頭を形作る。今度は頭だけではない。蛇の様に細長い体を持つ、東洋の竜のような胴体まで形になる。


『死んでちょうだい』


 黒い竜は速度をあげる。鎧竜アーマード・ドラゴンとの距離がグングン縮まっていく。

 ドラゴンはリーナ達を食らおうと再びその巨大な口を開けた。

 ――マズイマズイマズイマズイ……! このままじゃやられ……

「ウっ……」

 その瞬間リーナの顔色が変わった。

 緊張と汗がにじみ出ていた表情が苦しげに呻く。

 呼吸が荒くなり、胸が苦しく熱い。

 ――……なに? この感じ……。胸が、熱い……!

 今までにない感覚に戸惑う。直後、リーナはハエの群体竜を睨み付けた。

『な、なにその目……!?』

 リーナの変化を感じたその声も、戸惑う。

 ――なぜ? あたしにこんな力が……?

 リーナは今自分にできることを理解した。自分に備わった新たな力を理解した。

 黒い群体竜が鎧竜アーマード・ドラゴンを飲み込もうとする。その瞬間だった。

 ――燃えろ……!

 リーナの眼前に見えない壁が出現した。その炎はハエの群体竜の口をチリチリと燃やし始める。

『な、なに? その力……』

「ああ――――――――!!」

 群体竜はドラゴンの形を失いハエの姿に戻り散り散りになっていく。そして散り散りになったハエ達はリーナが起こす壁に触れることで焼かれていく。

 やがてハエ供を焼き焦がしていた小さな炎は小さな爆発となり、導火線のように連鎖的にハエ達を燃やし始める。

 そして小さな爆発はさらに大きな爆発を呼び、闇が炎の光に消えていく。

『私の子供達……!!』

 声は叫ぶ。子供達というのは当然ながら同行しているハエ達のことだろう。

『ア、アア………………………………フッ、フフッ……』

 動揺を隠すかのような小さな声が聞こえた。と思いきや。

『フフフフフフフフフフ……』

「……?」

 まるで壊れたオルゴールのように笑い始めた。

『フフフフフフフフ……面白いねぇ。それじゃあ、私自ら相手してあげちゃおうかな……』

 直後、リーナの目の前で、生き残っていたハエの群体が散会しはじめる。

 その中心にそれはいた。

 灰色のドレスに身を包んだ少女。ドレスと同じ色の長い黒髪。瞳を閉じた少女の容姿はまるで職人が作り上げた精巧な人形のようだった。

 少女の周囲には丸くて黒い縁の結界に包まれている。その結界の内側からその少女はリーナ達を見ていたのだろう。

 少女はゆっくりと目を開き、リーナと鎧竜アーマード・ドラゴンを見た。

「こ、子供……!?」

 リーナは驚く。見た目は完全に人間なのだからそれも無理からぬことだろう。

 少女はそんなリーナを冷ややかな目で見つめている。その顔は笑っているが目は笑っていなかった。

『驚いたわ……ただの人間にこんな芸当ができるなんて。それに今まで見てきたどの人間よりもずっと勇猛なんだもの』

「……なにがいいたいの?」

『簡単なことよ。もうあなたのことを、家畜とは思わないことにする。あなたは、そう、私達の敵』

「……一つ聞いていいかしら?」

『あんた……いや、あんた達は何者なの?』

『私の名前はベール。さっきも言ったけど、あなた達の言葉を借りるなら、悪魔とか魔物とかそう形容されるものよ。そして私達にとって、あなた達は家畜よ』

「……!!」

 竜黒剣を握るリーナの右手に力が籠る。

 脳裏に浮かぶのは、崩壊した街。そして、死んでいった人達の断末魔の姿と声。

 その瞳には、はっきりと怒りの炎が宿っていた。

「あたし達が家畜なら、あんたはムシケラの親玉ね」

 その皮肉がきいたのかきいてないのか、ベールは直後に


『フフフ、フフフフフフフフフ』


 と笑った。

 ベールを覆っていた球状の結界が消える。同時に彼女の背中からどす黒い四本のエネルギーが溢れだした。

 それはまるで翼だった。一定の形を持たない、黒いエネルギーが翼のような形を形成し、禍々しいオーラを放っている。

『それじゃあ……いくわよ』

 静かにそう宣言する。

 直後、ベールの黒翼から赤い玉が大量に放たれた。

 否、放たれたというのは正確ではない。

 それは真っ赤な闇だった。おびただしい量の赤い玉はリーナの視界を埋め尽くす程で、重力の存在がなければ上下すら分からなくなってしまうほどだった。

「な、なに、これは……!」

 なにも見えない。まるで血の海に落ちたかのような闇がリーナと鎧竜アーマード・ドラゴンの周囲を完全に覆いつくしていた。


ここんとこ忙しくて、執筆サボってました。

ストックがそろそろ切れそうなんで、がんばって続き書いてますが、感覚が戻ってこない……。

執筆速度が戻らない場合、ひょっとしたらもっと小出しになるかもしれません。

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