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反撃の狼煙《のろし》

 コロシアムの周囲は流血に彩られていた。

 人とマモノ。両者の血と肉片が無数に散らばっており、まばらに赤く血塗られた石畳が生々しさを助長する。

 情報がほとんどなかった最初の数時間は成すすべ無く殺されるしかなかった。

 グレイスの指示によって大砲を使い、マモノを弱らせた上で斬りかかる。その戦法が確立できたおかげで、ようやくまともにマモノと渡り合えるようになった。そうなるまで、どれほどの民間人を死なせてしまったことか。

 コロシアムの周囲は彼らのおかげでなんとか平和を取り戻していた。いつでも民間人を受け入れられるようにと、戦える状況だけは整っていて、今も兵士達が警備を続けている。

 逆に言えば、大砲がなければ戦いにすらならないわけで、それが彼らの行動範囲を著しく狭めている原因にもなっていた。

 兵士達に指示を出す立場であるグレイスは、コロシアムの最上段にいた。そこで連絡係である兵士と連携を取り、マモノがやって来た際には指示を出している。

 彼は焦っていた。

 この事態を完全に収束させるために、あとどれだけ砲弾が必要なのか? 現存する砲弾で、駆逐できるのか?

 仮に収束できたとして、この国はこれから国として機能するのだろうか? 今後はこのような事態を未然に防げるだろうか?

 そして敬愛する父と、妹であるリーナは生きているのだろうか?

 彼は事態を一刻も早い事態の終息のために動き出した。兵士に指示をだしマモノとまともに戦える状況を構築することに力を注いだ。

 そのため父とリーナの生存を確認する暇は彼にはなかったのだ。

 ――リーナ……。

 グレイスは後悔していた。今まで自分はリーナに対してどのような態度をとっていただろう。

 半日前まで、リーナのことを災いの原因だと思っていた。しかし、これほど規模の大きい事態が、たった一人の小娘に起こせるとはとても思えない。

 リーナが災いの原因足る、灰色の瞳の持ち主であるからこそ、彼はリーナに対して慎重な態度を取っていた。

 情が移るのを避けるため、なるべく顔をあわせないようにした。会話も必要以上にはしなかった。父の心労の原因をリーナが生まれたせいにすることで、リーナという存在をいつでも切り離せるように自身の精神の安定を図っていた。

 しかし、今となってはそれらは全て無駄だったのではと思える。

 リーナは自らの意思で鎧竜アーマード・ドラゴンに挑み、倒した。そして起こっている事態は、とてもリーナが原因とは思えなかった。

 それならば、何が原因でこのような事態に陥っているのか。それはわからない。

 今グレイスが思っているのは、義理の妹をないがしろにして生きてきたことへの後悔の念だった。

 ――無事でいてくれ……リーナ、父上。


 ――…………………………………………。

 馬蹄の音が聞こえる。体全身がゆらゆら揺れている。

 リーナの目に映っているのは、甲冑を身に付けたゼイルの後ろ姿だった。彼女とゼイルは二人で馬に股がり、目的地に向かっていた。

 彼らの後ろにはついさっきまでフィーネが乗っていた馬が続く。

 リーナの目は虚ろで、目こそ開いているものの、その瞳が何をとらえているのかはわからない。

 どうやってあの地獄から逃げてきたのかリーナ自身よく覚えていなかった。

 泣き叫ぶ自分の後ろからゼイルが必死に腕を引いていたような気がする。しかし、それ以上のことはなにも思い出せない。

 気がつけば馬に股がり、そして走っていた。それだけはわかった。

 ――フィーネ……。

 つい先程起こった出来事が頭の中で甦る。

 フィーネを死なせてしまった。リーナの頭はそのことで埋め尽くされていた。

 出会ってから六年。ずっと自分に仕えてくれていたメイドであり、唯一リーナにとって親友と呼べる存在。それがフィーネだった。

 ――あたしまだ……あなたに何も恩返しできていないのに……。

 悔しかった。ただひたすら悔しかった。ずっと剣術の修行をして、聖剣武大会でもずっと優勝を勝ち取ってきた実力を持っているにも関わらず、自分にとって一番大切な命を救うことができなかった。

 それがひたすらに悔しかった。

 ――あたし……これからどうすればいいんだっけ? なんで生きなきゃいけないんだったっけ? 生きるって……どういうこと?

 自分が本当に親友の命と引き換えに助かるべきだったのか。リーナにはわからない。だけど、あの時自分が死んでいたら、きっとフィーネも同じような考えをして苦しむことになっていたような気がする。

 そう思うと、自分がフィーネの代わりに死ぬのも間違っているような気がする。

「……様……? リーナ姫様?」

「え?」

 不意に誰かの声が聞こえたような気がした。

「リーナ姫様。僕の声、聞こえていますか?」

「え、ええ……」

 聞こえている。しかし、その意識はゼイルに向けられていない。上の空とはこういうときに使うのだろう。

「えっと……なに? どうしたの?」

 その声にはやはりいつものような覇気は感じられない。

「僕がこのようなことを言っても、仕方がないかもしれませんが……」

「……?」

「今はなんとかご自分を保ってください。絶望に飲み込まれないでください。これから、この国を再建していくためには、あなたの力が必要なのですから」

「あたしが必死にならなくたって、きっとグレイス兄さん辺りがなんとかするわよ……」

「リ、リーナ姫様……?」

「だってそうでしょ? あたしが今まで鍛えてきた剣術は、親友の命を救うことすらできなかった。いや、あたしだけじゃない。この国にいる何人の剣士が、あのマモノ達に立ち向かっていったのか、そして返り討ちにあったのか……想像さえできない。

 剣術なんて何の役にも立たない。圧倒的な力に抗う力にさえならないなら、今まで人生捧げて来た剣術がなんになるって言うの? あたしみたいな筋肉女が……この国を統べるなんて無理よ……」

「そんなことは……」

 ゼイルがそれ以上なにかを言おうとしたが、リーナはゼイルのそれ以上の発言を許さなかった。

「あたしが今でも生きていられるのはね、あたしが王族に生まれたからよ! 守られる立場にあるからよ! そうでなかったらとっくに死んでる! あたしの命は、あの子を踏み台にして存在しているのよ!」

「……」

 ゼイルはそれ以上なにも言えなかった。今の彼女に何をいっても、完全に逆効果にしかならないと悟ったからだろう。

 リーナの心は完全に乱れきっていた。自分の命の価値を考えれば考えるほど、心がざわついて仕方がなかった。そのざわつきは、誰かが言葉で直そうとして直せるものではないのだ。

「ごめん……」

「いえ……」

 それっきり二人とも無言になった。

 リーナ自身、下手に慰めてもらいたくなかった。激昂して何を言い出すのか自分でもわからなかったから。

 心の波は、ほんの少しの衝撃で荒波になるほど荒みきっていた。

 お互いなにも言えない沈黙が続く。

 そんな時だった。

 一瞬時間が止まったような気がした。もちろん実際に時間が止まったわけではない。時間が止まったように錯覚するほどの衝撃を受けたのだ。

 二人が乗っている馬の胴体。その横っ腹になにかが突き刺さった。襲撃者はマモノだった。建物と建物の間で待ち伏せしていたのだろう。そのマモノのクチバシが馬の胴を刺し貫き、リーナとゼイルは空中に投げ出された。

「キャアアアアアアアアアアアア!?」

「うおおお!?」

 二人は地面を転がった。

「うっ……」

 衝撃で体が痛む。リーナは顔をあげた。見上げた視線の先では、マモノのクチバシに串刺しにされた馬の姿があった。

 悲痛な馬の叫びがこだまする。あまりにも残虐な光景だった。

 馬は串刺し状態で悶える。しかし、逃れることなどできず、逃れたところでどうしようもない。馬の悲鳴が大きくなっていく。その瞳孔は開ききり、口からは泡を吐き始めている。

 マモノのクチバシが開こうとしているのだ。馬の体を左右に無理矢理引き裂きながら。

 リーナにもゼイルにも、その光景を黙ってみていることしかできない。

 やがて馬の悲鳴が最高潮に達した頃、馬の血と臓物と骨がぶちまけられた。

 ボトボトと馬の一部だった赤いものが地面を濡らしていく。

 彼らと行動を共にしていたもう一頭の馬は恐れをなしたのか、リーナ達を置いてその場から逃げ出した。 

「いやあああああああああああああああああああああ、もういやああああああああああああああああああああああああ!!」

「クッ……くそ……!」

 堰を切ったかのように絶叫するリーナ。ゼイルは言葉を失っていた。

 逃げる術がない。マモノは容赦してはくれないだろう。

「ハァ……ハァ……」

 ゼイルの息が荒くなっていく。

 数瞬して、ゼイルの喉が鳴った。生唾を飲み込んだのだろう。

 ゼイルは怯えるリーナの肩に手をのせた。

「リーナ様」

「ヒッ……な、なな、なナニ?」

 ガチガチと歯がぶつかり合う。もちろん寒いからではない。恐怖からだ。

「ボクが奴を引き付けます。姫様は、全速力で逃げてください」

「なっ……!?」

「いいですね?」

 ――よくない、全然よくない!

 そう思いつつも、リーナは何も言えなかった。言葉が出なかった。言いたいことがあるはずなのに、喉がカラカラに乾いていかなる言葉もでてこない。

 恐怖でマヒした頭は、言葉を紡ぐ方法さえ忘れてしまったかのように動いてくれない。

「リーナ様、どうかご無事で!」

 ゼイルはリーナに背を向けて立ち上がる。そして矢を取りだし弓を構えてマモノと対峙する。

「こい、ボクが相手だ……!」

『ボオォォォォォォ……?』

 ゼイルが動き始める。マモノとにらみ合いながら、徐々にマモノの視線からリーナの存在を外していく。

 そして、完全にマモノの視界からリーナが存在しないだろう位置まで移動してから、矢を放った。

 矢は一直線にマモノの目を射った。

『ボアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 ビリビリと大気が震える。

 マモノの怒りが爆発したようだった。

 ゼイルは二本目の矢をすぐさま構える。しかし、マモノはそれさえ許さなかった。

 マモノのクチバシの中から、フィーネを食い殺したときと同じ巨大な口が生え出る。

「ゼイルウウウウウウウウウウウウウウウウウ……!!」

 グチャリと、生生しい音が耳に突き刺さる。ゼイルの肉体は下半身を残して食いちぎられ、一瞬にして絶命してしまった。

 耳をふさぎたくなるような咀嚼そしゃくの音がリーナの恐怖を増長する。

「ハッ……うう……ア、ア……」

 手の甲に歯を立てる。血がにじみ、痛みが走る。しかし、心臓の鼓動が消えることはない。

『ボォォォォ……?』

 うなり声が聞こえる。震える体を必死に抱きしめる。見開かれた目は、もう何を見ているのか自分でもよくわからない。

 マモノがリーナに標的を定めたらしく、足音が徐々に近づいてくる。

 しかし、その足音は一つではなかった。

 マモノのものとは違うもう一つの足音が聞こえる。丸太を倒したような、ドスンとした思い足音が。

「……?」

 マモノもその音に気づいたようで、音のした方向に視線を向ける。

 ――増援? いや……。

 仮に増援であるならば、この音は一体なんだろうか? ありえない。恐らく増援とも違う。

 ――この音……まさか……。

 ドスンドスンという低い足音は確実にこの場に近づきつつある。

 リーナは音の正体に思考を巡らせる。聞いたことがある気がする。

 否。リーナは知っていた。つい最近、対峙した巨大な敵の足音……。

 足音の正体は建物の影からその姿を現した。

「お……お前は……!」

『ゴオオオウ……!』

 鉛のように黒光りする皮膚。赤い瞳。

 ――覚えてる……知ってる……。そうだ、あたしはお前と戦った……。お前と殺し合いをした。殺し合いをして……。

 その先の記憶が出てこない。リーナはあのときの戦いの結末を覚えていない。

 ――どう、なったんだっけ……?

 リーナの目の前に現れた足音の正体。それはリーナに殺されたはずの鎧竜アーマード・ドラゴンだった。

『ゴオオオオオオオオオオオウ!!』

『ジャアアアアアアアアアアア!!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンの視線がどこを見ているのかは分からない。だが、鎧竜アーマード・ドラゴンとマモノが咆哮をあげたのはほぼ同時だった。

「ハァ……ハァ……は、ハハハハ……そう、あたしは……あんたを倒したわけじゃなかったのね……」

 リーナの心をどす黒い感情が埋め尽くしていく。それは怒りであり悲しみであり憎しみであり、そして失望だった。目の前のマモノとドラゴン、そして不甲斐ない自分自身への。

「あたしは、あんたに踊らされていたってわけ?」

 リーナは鎧竜アーマード・ドラゴンを睨み付けた。

「こいつらはあんたの仲間ってわけだ! あたしがあんたに歯向かったから、あたしがあんたを殺しきれなかったから、仲間大勢引き連れて国ごと殺しに来たってわけだ! あ、アッハハハハハハハハハハハ!」

 狂ったように笑い出す。もうなにもかもどうでもよかった。

「楽しかった? ねぇ、今どんな気持ち? あたしが苦しむ姿見て嬉しい? 楽しい? ねぇ、教えてくれない? ハハ、アハハハハハ……」

 力なくうなだれる。立っている気力すら沸かず、両膝を地面についた。

『ゴオオオオオオオオオオオウ!!』

『バジャアアアアアアアアアアア!!』

 その間も、鎧竜アーマード・ドラゴンとマモノを咆哮をあげていた。

「もう……好きにしてよ……」

 ――もう、何もかも……疲れた。剣術修行なんてなんの意味もなかった。あたしの人生なんて無駄でしかなかった。

『ボウウウウウ……!』

 マモノは生気の失われた瞳のリーナを見る。すると、フィーネの命を奪った『歯』がリーナに襲いかかった。

 リーナは反射的に目を閉じた。

 覚悟はできていても、死が怖くないわけではない。それに伴う痛みを一瞬でも感じたくないがために、その瞳を閉じたのだ。

しかし――――――――――――――――――――――――。

「……?」

 死はいつまでもリーナに襲いかかってくることはなかった。

 恐る恐る、リーナは瞳を開く。

 その瞬間、リーナは自分の目を疑った。

「え?」 

 マモノの口から延びていた『歯』は、鎧竜アーマード・ドラゴンの槍のような尻尾が突き刺さり、地面に封じられていた。

「い、一体何が……?」

『ゴオオオオオオオオオオウ!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンが吼える。同時にマモノの『歯』ごと地面に突き刺さった尻尾を引き抜き、マモノの胴体に突き刺した。そのままマモノの体が宙に浮く。

 鎧竜アーマード・ドラゴンは尻尾に突き刺さったマモノを家屋に叩きつけた。そして再びマモノを持ち上げ、その首を両手で締め上げ始める。

 人間で言えば親指に当たる部分の爪をマモノの首に突き立てる。

『ボ、ボ、ボボボボボ……』

 頸動脈が切れたのか、マモノは全身から力が抜け、力尽きた。

『ゴオオオオオオオオオオウ!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンは咆哮し、マモノを地面に落とすと同時にその死骸を踏みつけ止めを刺した。そして、その視線を、リーナに向けた。

 ――訳が分からない……。

 心の中で呟く。目の前のドラゴンは敵なのか味方なのか……。

 そう思っていると、鎧竜アーマード・ドラゴンは信じられない行動に出た。

「え?」

 己の左手を胸に当て、リーナの前にひざまづいたのだ。まるでおとぎ話にでてくる何でも願いを叶えてくれる魔精のように。

「ハァ……ハァ……!」

 リーナは恐る恐る、鎧竜アーマード・ドラゴンに話しかけた。

「あたしを、助けてくれるの?」

『ゴォォ……』

 鎧竜アーマード・ドラゴンは小さく頷いた。

「あたしに、力を貸してくれるの?」

 鎧竜アーマード・ドラゴンは再び頷いた。

 ――……。

 ついさっきまで、マモノに蹂躙されてきた記憶が甦る。涙がにじむ。

 為す術がなかった。どうしようもなかった。ついさっきまで死を待つだけだった。

 なぜこんなことになったのかはわからない。理由も意味も知らない。あの時、鎧竜アーマード・ドラゴンとの戦いで何が起こったのかも分からない。

 しかしこの状況が、鎧竜アーマード・ドラゴンとの戦いの結果だとしたら?

「やってやる……」

 リーナが呟く。

「やってやる……やってやる。やってやる!」

 涙を拭う。そして立ち上がり、鎧竜アーマード・ドラゴンを見上げた。

鎧竜アーマード・ドラゴン!」

 声に力がこもる。

「あんたが、あたしに従ってくれるなら、この状況を……」

 さっきまでのどす黒い感情が、新たな感情で上書きされていく。それは決意と、懇願だった。

「この状況を覆すだけの力を……あたしに貸して!!」

 最後の言葉はもはや叫び声に近かった。

『グォオオオオオオオオオオオオオオオオウ!!』

 鎧竜アーマード・ドラゴンはリーナの声に応えるように、一際大きく咆哮した。

 胸が熱くなる。間違いなく鎧竜アーマード・ドラゴンは自分の味方だ。そう認識して、リーナは再び戦う決意を固めた。

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