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生きるための戦い

 王都アダマンガラスは荒れていた。

 割れた窓ガラス、抉れた石畳、倒壊寸前の家々、至るところに散っている血飛沫。

 やはり、人の姿は見当たらない。まるで自分一人だけが取り残されたみたいな気分だ。

 荒れ果てた王都を歩く。毎日のように大道芸人や吟遊詩人が人を集めていた広場も、閑古鳥が鳴いている。

「本当に……誰もいなくなってしまったの?」

 誰にともなくポツリと呟く。人は一人では生きていけないとは良く聞く話だ。大抵その話は、自己中心的な人間や本当に自分一人でなんとかしようとしている人間を諌めるために使われる。

 もちろん、リーナはそういうタイプの人間ではない。むしろ、自分のことを守ってくれたり、支えてくれたりする人間の存在を知っている。

 だから、なぜ自分が今一人になってしまったのか、なぜこんな状況に放り出されてしまったのかわからない。

 異様だ。そして異常だ。本当にこの世界に自分一人だけが取り残されてしまったかのような気分だ。

 そこまで考えた瞬間、リーナは頬を両手でパン、と叩いた。

 ――だめだ! こんなこと考えたら! あたしは絶望なんかしない! 

 強く決意する。嫌な考えや雑念を振り払う。

 誰かに会わなければ。今この瞬間、どこかで生きているはずの誰かに会いに行かなければ。一人でできることなんてたかが知れている。

 問題は誰がどこにいるのか、その情報がまったくないことだ。

 そう考えていた時だった。

 馬のひづめの音がリーナの耳に届いた。どこから聞こえてくるのかと耳を済ませながら辺りを見渡す。

 いくつもある倒壊した建物の一つ。その物陰の方から音は聞こえていた。二頭の馬に乘った人間が姿を表す。

その二人にリーナは見覚えがあった。

「リーナ様!」

「……! フィーネ! ゼイル!」

 二人の馬がそれぞれリーナの目の前で止まる。フィーネはいつものメイド服ではなく町娘風のチュニックを身にまとっていた。

 ゼイルは兵士として戦えるよう、甲冑を身に付けている。背中には弓と矢立てを背負っていた。

「リーナ様!」

 フィーネはリーナの前まで来ると馬を降りて、リーナに抱きついた。

「ご無事で良かった! 一時は、もうお会いできないかと思ってしまいました」

「フィーネ……」

 胸が熱くなってくるのを感じる。

「本当に……無事でよかった」

 フィーネはリーナの存在そのものを噛み締めるかのように強く抱き締めた。

「ありがとう、フィーネ」

 暖かい気持ちが胸に広がっていく。だけど、今は感慨にふけっている場合ではない。リーナはゆっくりとフィーネを離す。

「リーナ様、これを」

 フィーネが自らの腰に巻いてあった帯剣ベルトをリーナに渡す。リーナはそれを受け取り、素早く腰に巻いた。

「フィーネ、ゼイル。あたしはついさっきまで地下牢にいたから状況を正しく把握できていない。だから、何があったのか教えてくれる?」

「畏まりました。移動しながら説明いたしますので、お乗り下さい」

 リーナはフィーネの馬の後ろに跨がった。


「事の起こりは、半日ほど前でした」

 馬を走らせながらフィーネは話し始めた。これまでの経緯を。

「今から七時間ほど前に、アダマンガラスの城壁の外から、あの化け物達が向かってきたのです」

「なんの前触れもなく?」

「はい。見張りをしていた兵士によるとですが、本当に唐突に現れたのだそうです。最初は大砲を使ったり弓を使ったりしながら王都に侵入させないよう牽制していたのですが……」

「そう長くはもたなかった……結果としてあのマモノどもをこの王都に侵入させてしまったと……」

「その通りです」

 フィーネはさらに続ける。

「グレイス様が陣頭指揮を取り、兵士達を動かして避難民の誘導と、マモノの撃退を開始しました。結果はご覧の有り様です」

 ほとんどの人間が見当たらない王都。血と肉体の一部があちこちに飛び散った状況。確かに語らずとも、その結果はわかる。

 それでも腑に落ちないことがある。リーナはそれをフィーネに問うた。

「本当に町の住民は……一人残らず食い殺されたというの?」

「いいえ。一人残らずではありません。コロシアム周辺にいた人達から優先で、コロシアムやいくつかの施設に分散して立てこもっている人達もいます。もちろん、全ての人間が隠れることができたわけではありませんが……」

 つまり、籠城ろうじょうして生き残っている人間もいると言うことだ。逆に言えば、籠城できなかった人間が犠牲になり、籠城できた人間が無事生き長らえているということになる。

「グレイス兄さんとアルト姉さんは無事なの?」

「はい、アルト様は護衛付きで籠城され、グレイス様は兵士の陣頭指揮を取りあのマモノの討伐と避難誘導を行っています」

「そう、良かった……二人とも生きているのね」

 リーナはホッと胸を撫で下ろす。

 ――あたしは……運が良かったのかもしれない。

 ホッとすると同時に、罪悪感が沸いた。多くの人達が犠牲になっているのに、地下牢でのうのうと生き残ったことが、民のために何もできず寝ていることしかできなかった自分が嫌だった。

 そもそも自分は生き残って良かったのだろうかとさえ思う。この事件が起こった原因は、遠からず自分にあるかもしれないからだ。

「リーナ様?」

「ん? なに?」

「くれぐれも、ご自分のせいだなんて思わないで下さいね。リーナ様にはなんの罪もないのですから」

 どうやらリーナの考えていることはフィーネには筒抜けだったらしい。

 ――この娘にはウソつけないなぁ……。 

「ありがとう、フィーネ。あたしは大丈夫」

 ――そうだ。絶望なんかしてる場合じゃない。

「それで、貴方達二人は、どうしてここに?」

「リーナ様……どうしてではございません!」

 フィーネは呆れ気味に溜め息をつき、そして声を大にして言った。

「リーナ様は一国のお姫様なのですよ!? 将来この国を背負って立つお方なのですよ!? お探しするのは当然じゃありませんか!」

「フィーネ……」

「あのマモノがやってきてから、ずっと探していたのですよ? でもマモノの群れが町や王宮を徘徊しているから、迂闊に動けなくて……マモノに見つからないように動きながら、やっとリーナ様を見つけることができたのです」

「ゼイルと一緒に?」

「はい。ゼイル様もリーナ様のことを案じていたので、共にリーナ様を探そうと行動を共にしていたのです」

「そっか……ごめん。また心配させちゃったわね」

「あ、いえ。申し訳ありません。私もつい声が大きくなってしまいました」

「フィーネこそ。謝らないでよ」

 ――……。

『リーナ様は一国のお姫様なのですよ!? 将来この国を背負って立つお方なのですよ!?』

 ――そんな資格……あたしにあるのかしら?

 馬蹄の音が妙にうるさく感じる最中、リーナは心の中でそうポツリと呟いた。


 フィーネとゼイルはコロシアムまでのルートを慎重に選びながら進んできていた。

 やがてフィーネとゼイルの駆る馬は、大きな広場に出た。石畳だけが延々と続く広大な広場で、城塞一つが丸々収まってしまうほどの広さだ。

「マモノはいないようですね……」

 広場に入るなりフィーネが口を開く。フィーネの話だと、マモノは馬よりもはるかに大きいらしい。当然のことながら、鉢合わせは避けたい。

 ゼイルがフィーネとリーナが乗っている馬の横に並ぶ。

「この広大な広場なら、素早く突っ切った方がいいかもしれない。奴等がいない今がチャンスかもしれません」

「そうですね。できるだけ短時間でここを突破しましょう。リーナ様、それでいいですね?」

「ええ」

 フィーネとゼイルは馬に鞭を打ち、走らせ始めた。

 

 蹄の音が小気味良く聞こえてくる。赤みがかった太陽の光と人のいない広場は、非日常感を想起させた。

 ――まさにこの世界の黄昏みたい。

 みたいと思いつつも、実質似たようなものではある。人を食らうマモノが跋扈ばっこするこの国に、本当に未来があるのかどうか。

 漠然とそんなことを思いながら広場を半分くらい走った頃。

 ……それは現れた。

 リーナは気づいた。いつのまにか、馬蹄の音に混じってもう一つ、重い足音が聞こえていることに。

 それは、フィーネやゼイルも気がついているようだ。彼らの顔や筋肉から、乗馬とは別の緊張を感じたからだ。

 三人は一斉に背後を振り向いた。

『!』

 いた。確かにマモノがいた。向こうが全速力で走っているのかはわからない。距離をどんどん詰めてくる。明らかにマモノの方が速い。

 それはリーナの知識で知っているあらゆる肉食獣とも違う姿と大きさだった。 

 熊よりも遥かに大きな巨体は、全身が灰色の毛に包まれている。にもかかわらず手や足は血のように赤く、その目は肉食獣とは思えないほど大きく不気味だ。体躯と比べてやや細目の手足は四足歩行にも二足歩行にも対応しているように見える。なにより特徴的なのはその口だった。鳥のくちばしのように先端が鋭く細長くなっており、その中にノコギリ状の歯が生えている。

 その全体像は既存の生き物で言えばネズミのようだったが、細かな特徴はとてもネズミのそれとは思えなかった。

 小説や伝説で見聞きした、魔界に潜む化け物。その姿はまさに、マモノと呼ぶに相応しい生き物だった。

 リーナは悟った。この国で何が起きていたのかを。 

 全身に戦慄が走る。馬一頭ぐらいなら丸飲みできるのではというくらい大きい。あんなものに襲われたらひと溜まりもないだろう。

「ハッ!」

 フィーネは馬に鞭を入れスピードアップをはかる。ゼイルも同じだ。しかし、人間を二人乗せた馬と、甲冑を着込んだ人間一人では、重さが違う。ゼイルの方が明らかに速い。

 そして彼らを乗せた馬よりも、背後から迫りくるマモノの方が足が速い。

「追い付かれる……!」

 死の覚悟なんてできていない。生きてやらねばならないことならいくらでもある。しかし、状況は絶望的と言わざるを得ない。

 その時、ゼイルの馬のスピードが落ち始めた。

 本来リーナ達を乗せた馬よりも速く動けるはずなのに、あっという間にリーナ達と並ぶ。そしてついにはマモノとギリギリ並走できるくらいのスピードになった。

「ゼイル様? 一体何を……?」

「ここは僕が引き付けます! お二人は速くこの広場を抜けて市街へ!」

「なんですって……?」

 確かにこの広場を抜ければ、コロシアムはすぐだ。しかしそのためにゼイルが犠牲になろうと言うのなら、リーナは賛成しかねる。

「ゼイル! 無茶はやめなさい!」

「僕だって、死ぬために囮になるわけではありません!」

 ゼイルは背中に背負っている弓を左手に、矢立てから矢を取り出して右手で持つ。そして揺れる馬体の上でマモノに向かって矢を構えた。

 矢は即座に放たれ、マモノの右目を射抜いた。

『バジャアアアアアアア!』

 マモノが咆哮をあげる。マモノの生臭い息と、呼吸がリーナ達の背筋を撫でる。怖気おぞけが走るとはこの事だ。

 マモノはゼイルの駆る馬に体当たりを仕掛けてきた。

「ゼイル!!」

「許せ……!」

 ゼイルは右足を持ち上げた。そして、自らの愛馬に、彼のかかとから除く拍車を叩きつけた。

 ゼイルの馬が悲鳴をあげると同時に加速する。そしてリーナ達の横に並んだ。マモノのタックルは外れ、失速する。

「なんと言う無茶を……」

 フィーネは安堵とも呆れとも取れる台詞を口にしながら胸を撫で下ろした。

「これで逃げきれるといいんです、がっ……!?」

 瞬間、ゼイルの表情が凍った。背後のマモノは怒りのためか、今まで以上に速度を上げてゼイルに迫りくる。

「お、追い付かれる……!」

『ジャアアアアアオオオオオオ!!』

 マモノは跳んだ。まるで走り幅跳びのように、一気に跳躍した。その巨大な大口を開けて。

 誰もがやられると思った。馬ごとゼイルが飲み込まれる未来ヴィジョンが見えた。

「させない!」

 だが、リーナはそれを黙って見てはいなかった。マモノの跳躍と同時に、リーナもまた跳躍したのだ。空中でロングソードを抜き放ち、マモノの眉間を狙って刃を突き立てた。

『バアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

「リーナ様ァ!!」

「姫様ァ!!」

 ロングソードはマモノの眉間ではなく、マモノのクチバシに突き刺さった。同時にマモノの進行が止まる。空中でマモノの体勢は乱れ、リーナともども地に落ちる。

 マモノはリーナを振り払おうと扇状に頭を振るい始めた。それが何度か続き、リーナは空中に投げ出された。

「うあ……!」

 リーナは地面を転がった。

 体の至るところをぶつけながら地面を転がる。やがて回転が止まり、リーナはゆっくりと体を起こす。両腕が擦りむけて血が滲んでいる。その右手にはロングソードが握られたままだ。

「ハァ……ハァ……ゼイル?」

 周囲を見渡す。ゼイルとその愛馬は無事だった。彼とフィーネは当然ながらリーナの元へと愛馬を走らせる。

「無事みたいね。良かった……」

 安堵すると、今度はマモノに向き直る。

 マモノはリーナを睨みつけ、そして吠えた。

『ジャアアアアアアアアアアアアアア!』

「ハァ……ハァ……」

 ――なんなのよ……あんた……。

 リーナはマモノと相対し、ロングソードを構え直す。その心には恐怖より興奮が、恐れより怒りがあった。

『ボオオオアアアアアアアアアアアア!』

 短調かつ真っ直ぐな突進。その瞬間を即座に見極め、リーナは走り出す。ゼイルが放った弓矢が突き刺さった右目の方向へ。

 マモノは走りながら方向を変えようとした。

 それと同時に、再びマモノが悲鳴をあげた。

「……!?」

 何事かと思いマモノを見る。マモノの左目には、もう一本の弓矢が突き刺さっていた。ゼイルが二本目の矢をマモノの左目に放ったのだ。

 マモノは動きを止めた。両目共に視力を失ったからだろう。例え、視力が完全に奪えた訳ではないにしろ、その視界は相当狭まっていると見て間違いない。同時にその体をくねらせ痛みに悶えているようだった。

 ――今がチャンス!

 マモノに向かって走り出す。今度こそ眉間に刃を突き立て、行動不能にするために。

 リーナは走る。その横にゼイルの馬が並んだ。

「姫様!」

「ゼイル、あたしを奴に向かって投げ飛ばして!」

 言いながら左手をゼイルに向かって差し出す。

「そ、そんなこと……」

「いいから、早く!」

 ゼイルは逡巡しゅんじゅんする。しかし、すぐにリーナの声に応えた。

 リーナの左手をゼイルの右手が掴む。同時に、ゼイルは再び馬に拍車をかけた。

 痛みからか、ゼイルの愛馬が一気に加速する。その勢いを利用して、ゼイルはリーナをマモノに向かって投げつけた。

 大砲の砲弾の如く、宙を舞う。その状態でロングソードを構える。

 刃がまっすぐに、マモノの眉間に深々と突き刺さった。

『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

「うっ、コイツまだ……!」

 それでもまだマモノは倒れない。半ば馬乗り状態のリーナを振り落とそうともがく。

「リーナ様!」

 ――フィーネ?

 激しくマモノに揺さぶられている状態では、その声を耳にするだけで精一杯だ。

「リーナ様、そこ動かないでください!」

 ――なんですって?

 フィーネの声事態は聞こえた。しかし、何を言っているのかまでは正直いって聞き取れなかった。

 リーナは突き刺さったロングソードを握りしめ、より深く突き刺さるよう柄の部分を強く押し付ける。

 ――倒れろ、倒れろ、倒れろ、倒れろ、倒れろ!

 呪詛のように念じる。しかし、マモノが倒れる気配はない。むしろさらに暴れだしている。

 ――まずい手が……。

 その時だった。何者かがリーナ同様に宙を舞った。マモノの眉間目掛けて飛んでくると同時に、ロングソードが突き刺さっている周辺に何かを叩きつけた。

『バジャアアアアアアアアアァァァァァ……!』

 一瞬、マモノの体がエビ反りになって硬直した。マモノの体から力が抜けていく。そしてその身は大地に横たえた。

 ――た、倒した……。

 リーナは安堵と同時に顔をあげる。目の前には鋼鉄のトンファーバトンを握りしめたフィーネの姿があった。彼女はリーナ同様、馬上で跳躍し、トンファーバトンでマモノの頭蓋を叩き割ったのだ。

「フィーネ?」

「まったく、リーナ様と一緒だとこちらが大変です」

 二人は動かなくなったマモノの体から下りる。

「お二人とも!」

 同時に、ゼイルが走りよってきた。彼は青い顔をしてリーナを見ている。彼女の両腕は先程の戦いで血が流れていた。マモノに振りほどかれるとき両腕をクッションにして、全身への衝撃を和らげたためにできた傷だ。

 正直かなり痛々しい。

「姫様……申し訳ありません」

 ゼイルはリーナの前で膝を折った。

「自分が不甲斐ないばかりに、リーナ様にこのような怪我をさせてしまいました」

「ちょ、ちょっと、そんな顔しないでよ、ゼイル。あたしはこうして生きているんだから」

「そういう問題ではありませんリーナ様!」

 一方フィーネは怒っていた。自らの腰に両手を当て、頭の天辺から噴煙を撒き散らすかのように。

「疾走する馬の上から飛び降りるだなんて、無茶にもほどがあります! 敵は一体だけだったからなんとかなりましたけど、もしあれが群れで襲ってきていたら、どうすることもできなかったかもしれないんですよ?」

「いいじゃない、ドラゴンに戦いを挑むよりは無茶じゃないわよ。それに相手は一匹だったし、勝つことには勝ったんだから問題ないわよ」

 カラカラと笑うリーナ。フィーネは唇を尖らせ、いまいち納得いかないという顔でリーナを見る。

「それはそうかもしれませんが……」

「それに……」

 リーナが真顔になる。

「ああでもしなければ、ゼイルはこいつの腹の中だったわ」

 倒れているマモノに視線を移す。

「全員が生き残るためには、ああするしかなかった。あたしには、あの時取ったあの行動こそが、最善の策だったし、他に手はなかった」

「……」

 フィーネとゼイルは押し黙る。フィーネはリーナの行動を批判しつつも最善の結果が得られたと言う事実のため。ゼイルは命を救われたという恩義のため。

 二人が神妙な顔色でリーナを見ている。

「まあ、終わりよければ全て良しって言うじゃない? まずは、ここにいる全員が生き残れたことを祝福しましょうよ。ね?」

 明るく笑いかけるリーナ。二人はつられた用に笑い出した。

「そう、ですね」

「うん」

 緊張の糸が解けたせいだろう。互いに穏やかな笑みを浮かべた。

「しかし、リーナ様。その腕の状態は痛々しくて見るに耐えません。とりあえず、応急処置だけでもさせてください」

「あ、そうねじゃあ、お願いするわ」

「では……」

 フィーネは一礼すると、自分の履いているスカートをビリビリと破り始めた。

 その行動にリーナは仰天し、ゼイルは瞳孔を開かせた。

「な、何してるのフィーネ……?」

「なにって、包帯の代わりです。汚い布しかありませんが、その血まみれの腕を放っておくよりはいいかと……」

「いや、恥ずかしくないの……?」

 言われて、フィーネは顔を赤くした。目の前には一応男であるゼイルもいる。その前でスカートを破り肌を晒すことに抵抗はないのかと、問うているのだ。

「は、恥ずかしいですが……そのようなことを言っている状況でもないので……」

「ゼイル、あっちを向きなさい」

「か、畏まりました!」

 低い声で命令するリーナに促され、ゼイルはフィーネとリーナの二人に背を向けた。

 それ以降フィーネはゴニョゴニョと何か言っていたが、テキパキと破いたスカートでリーナの腕に応急処置を施す。

「これでよし、と」

「ありがとう、フィーネ」

「いいえ、痛くないですか?」

「ん、大丈夫」

「あの、もうよろしいでしょうか?」

 二人の間にゼイルがおずおずといった感じで声をあげる。

「ええ、いいわよ。それじゃあ、移動再開ね」

 三人は顔を見合わせる。そして、ゼイルが愛馬に乗り、二人もそれに続こうとする。

 その時のそりと、何かが動いた。

『ガガガガ……』

 マモノだ。倒したと思っていたマモノがゆっくりとまた動き出したのだ。

 三人は一斉にマモノに向き直った。

「そ、そんな……奴はまだ……」

 ゼイルが、否。ゼイルのみならず、リーナもフィーネも戦慄する。

「冗談じゃないわよ……」

 リーナが呟いたその時。マモノは今まで見せたことのない動きを見せた。

 クチバシの中から、細長い何かが伸びてくる。それは人間で言えば剥き出しになっている『歯』そのものだった。ノコギリ状に並んだ歯が、くちばしの外側に伸びてきている。

『バアアアアアアアアアア!』

 不規則に並んだ『歯』が急激に伸びてリーナに襲いかかる。

 リーナはロングソードに手をかけた。その一瞬。

「リーナ様!」

「え?」

 ドンと、強い衝撃がリーナを襲った。リーナは突き飛ばされ、倒れ伏す。同時に生々しい嫌な音がリーナの鼓膜を貫いた。

「あ……」

 一瞬何が起こったのかわからなかった。

 リーナの顔が青白くなる。血の気が引いていくのが自分でもわかる。フィーネの下半身が食われている。マモノの歯の中にフィーネの下半身が埋没している。

「フィ、フィーネ……」

 頭の中が混乱している。自分がどうするべきなのか、何が起こっているのか、正しく認識できない。状況に理解が追い付かない。

 さらにこんな状況であるというのに、フィーネは笑っていた。それが無理して作った笑顔であることは誰が見ても明らかだ。

「リ、リーナ様……お逃げください」

 マモノの『歯』が引っ込み始める。同時にフィーネの体がズルズルと引きずられていく。

「ゼイル、様。リーナ様を、ハァ……よろしくお願いします……」

 ――え? 今なんて? 何言ってるのこの子?

「リーナ様……必ず、この国の王位を、継いで……下さい」

 フィーネの言葉は聞こえていた。しかしその意味を、今のリーナには理解できなかった。

 心にあったのはフィーネを助けなければ、という焦りの気持ちだった。

「フィーネ! 手を……」

 倒れた状態のまま、リーナはフィーネに手を差し伸べようとした。その瞬間、フィーネの姿が一気に遠ざかった。マモノのくちばしの内部まで『歯』が引っ込み、グチャリという音が耳を劈く。

「あ……」

 血が飛んできた。それと同時に、フィーネの腕がリーナの目の前にぼとりと姿を現す。

 それはかつてフィーネだったモノ。

 さっきまでフィーネの一部だったモノ。

 現状を受け入れられない。頭が出そうとする結論は、この状況に対する拒絶だった。

「いやあああああああああああああああああああああああああ、フィーネエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」

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