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08 名前、教えて下さい

未成年の飲酒表現・引き続きお下品ご注意。

「信じられない」

「いーずみ。そこまでキレなくても……」

「別にゴム入れるとか低俗なことしたのに怒ってるわけじゃないよ。美雨と智絵を狙っての犯行だってことが身の程知らずだって言ってるんだよ」

「………何で私と智絵限定? つーか王子が泉狙って入れたやつだったら真面目に笑えねぇんだけど。あ、殺すわ。私の泉チャンのお初をそんなロクデナシに誰が渡すか」

「お初とか言わないで。そもそも、それ一番有り得ない」

「まぁまぁ。少年のかわいい悪戯だったんだから~もぉいいじゃない」


天井が真っ白になるくらい煙だらけの空間で、買ってきてもらったお菓子やらジュースやら冷蔵庫にあった有料の酒やらをやっつける。

宅飲みかってくらい荒れたソファーにもたれてぷかぷか。


「あーオイル切れそう」

「ここにマッチがございますぅ」

「何でマッチ?」

「楽しいからっ」


自堕落超不健康。

旅行に来てまでこれって……マジで心行くまで私らだな。


「もうちょっとしたら大浴場行かない? この時間なら人居なそうだしぃ」

「あー? 今何時」

「23:42」

「十二時になったら行く?」

「おー」


絶っ対全身煙草臭いわ。

もっかい髪洗って臭い落とすかな。


「……換気する?」

「さすがに天井やばいねぇ」

「もう全開でよくね?」


両側一杯に開いた窓からちょっと冷たい新鮮な空気が入ってくる。

……あれ。何か、ほんのり酔い回ってるかも。日本酒追加で何合もらったっけ?あれ、升いった?

空いてるビンと缶をちらっと見て、ほろ酔い気分のふたりを見る。こんだけ空けてほろ酔いって……


「お酒に煙草にだらだらした空間……さいこぉ」

「お風呂にお酒持ってきたいよね」

「お盆に燗乗せてって感じ? いいね。やってくれっかな」

「うーん……貸切だったら大丈夫かもしれないけど大浴場だから無理かも。その前にもうフロント終わってる」

「まぁお風呂は酔い醒ましってことで。行きましょ~」


のたのた準備して、のたのた大浴場へ。

予想通り誰もいない脱衣所でまたのたのた浴衣を脱いで、浴場へのガラス戸を開けたところで一瞬止まる。


物音がする。水音じゃなくて……


「んー? ……あ」

「どしたの美「アズマで」


智絵の言葉を遮って窓がない側の壁の上を指す。

細い格子が嵌まってる向こう側は多分男湯。人がいるなら名前で呼ばれたくない。


「なぁに、イケメン達?」

「いや? よくわかんないけどンな奇跡の確率ないっしょ」

「あれ、美雨ーケータイ鳴ってるよ。多分電話」

「え? わかった」


素っ裸のまんま渡されたケータイに出る。

バイトの後輩からだった着信は明日、正確には今日の午後からのシフトを代わってほしいとのこと。勿論無理だから丁重にお断りして電源ボタンを押す。


「バイトの子だったー……って何してんだお前ら」


なぜ抱き合ってる。

素っ裸だぞ私ら。


「あずま……」

「…………智絵、まさか泉の処女ぶっちぎったんじゃねぇだろうな」

「ケダモノ認定しないで! 破りたくてもモノがないしぃ」

「モノがあったら破んのか!」

「東だってついてたら絶対ヤってたくせに」

「そりゃこんなにかわいけりゃ食うわ! 初めてだから怖がらせないようにまず「心底どうでもいいよその話!!」


顔を真っ赤にして怒る泉はやっぱかわいい。

王子にはやらねぇ。少なくとも泉が嫌がってる内には絶対やらねぇ。


今更何を隠す仲でもなく、タオルすら持たずに洗い場へ。

普通に並んで髪を洗ってると。


「ねぇねぇ、処女膜ってさ、しばらくしないとまた元に戻ってくるとか言うでしょ?」

「引きずるな、お前……つーか破るって表現おかしいよね、いつも思ってたけど」

「そりゃそうだけどぉ。じゃなくて、だいぶエッチしてないと狭くなるでしょ、処女級に。東、絶対元に戻ってるよぉ」

「うわぁ……超やだ。またあの苦痛を味わうわけだ。あ、指突っ込んで拡張しとけばよかった?」

「ッキャハハ! 予防? 予行練習にやっとく?泉」

「マジ灰皿で殴るよ?」


並んで髪を洗う間に超深夜枠のトークが飛び交う。

歩く18禁と名高い智絵に普通についていける私はおかしいのか。


「鼻からスイカ出る痛みとかって誰が考えたんだろうねぇ」

「テメェは鼻からスイカ出したことあんのかって話。つーかそれ子供産む時の例えじゃね?」

「えぇ~、そうだっけ? まぁ思ったよりも痛くないよねぇ、ロストバージン」

「私は相手がへったくそで死にそうになったけど」

「いくつの時だっけ?」

「中二の夏」


今思い出しても苦い。

お互い手探り状態で向こうが焦って慣らしもせずに突っ込んできた……夏休みの彼氏の部屋でのこと。

こんな痛み味わうならマジで一生セックスしなくていいって思ったことは忘れてない。


「泉もマジで気をつけな。世の中の童貞にはどんな女も最初は痛がっても最後にはアンアン言いながら一緒にフィニッシュとか思ってる奴がたっくさんいるから」

「……経験者は語る、ですか」

「夢見る勘違い野郎が多くてね」

「しかもそういう男に限って女はみんなクジラになっちゃうと思ってるんだよねぇ~AV見過ぎでしょ」

「あーいるいる。AV男優のテク真似したりしてんの。高速ピストンとか何言っちゃってんだよって感じ。痛いしマジ白ける」


歴代の彼氏達。お前らのことだよ。揃いも揃って斜め上の知識ばっか蓄えやがって。


「雰囲気あればテクは二の次だよねぇ?」

「つーか好きならキスだけで濡れるって」

「わかる! ディープじゃないのにもうこっち準備万端なの」

「……さすがにそこまでいかねぇわ」

「さすがの東も歩く十八禁には勝てなかったね」

「ちょ、私って泉の中でどんな位置づけ?!」


歩く十五禁くらいにされてんのか?!うわ、微妙にやだ。


「えぇ~東だったらわかってくれると思ったのに!」

「んー……だったら軽いキスより声の方がいける」

「電話エッチ?」

「話飛躍させんな馬鹿」


全員が湯舟に移動しても深夜枠続行。

こうなると経験のない泉は聞き役だ。それも物凄い冷静な。泉がいなきゃ多分もっとひどい内容になる。放送禁止用語の嵐。


「掠れたエロい声で名前呼ばれたらやばい」

「……お気に入りクンみたいな?」

「あー……」


佳也クンの声か。

適度に低くて静かで艶があって。

体の奥に響いてきて、聞いてると問答無用でどきどきする。

喋り出しがいつもちょっと掠れてて息の吸い方とかそんなんまで全部エロくて私好み。


あの声で、名前呼ばれたら……


「あーうん。普通にオチる。遊ばれてもいい。濡れるっつーかきゅんきゅんくる」

「東がそこまで言っちゃうとはねぇ~声フェチのお目がねに適いましたか」

「百点満点にキスまであげちゃいたいくらい。マジいい声」


声もいいし顔もいいし性格だって悪くなさそう。口下手っぽいところもかわいいし。


「まぁ人の物には手ぇ出さねぇよ? お前みたいに」

「私は好きになった人がたまたま妻子ある身だっただけだもぉん」

「「そりゃまずいだろ」」


何で本命は最初から絶望的な相手なんだろうね、こいつ。妻子持ちとか彼女持ちとか婚約者持ちとか売約済ばっか。

そのくせお得物件引っ掛けまくって味見だけして放置だし。こいつの網にかかった男はマジで報われねぇ。


「……お前、今回誰も引っ掛けてないよな?」

「私の範囲、二つ下までだから。今のとこ」

「……不吉な」

「ちょっとツバつけときたいのはいたけどぉ。東とは被らないから心配しないで!」

「私が心配なのはツバつけられる子なんだけど」

「大~丈~夫っ! 問題ないってか東胸おっきくなった?」

「っちょ、揉むんじゃねぇよ! ばか、あッ」


くそ。声上擦った。

つーか素っ裸で乳揉む馬鹿がどこにいんだよっているけどさ。


「や~んかわいいっ東」

「テメェ……かわいいってのは泉の専売特許だろうが!」

「え、キレるところそこ?」


ザバァッ

ビシャビシャビシャ――

ガララッ


「「「…………」」」


そうだよ。いたんじゃん。男湯。なんつー会話してんだ私ら。

ああ、今更蘇る羞恥心。


「……先上がってるわ。出たとこのソファーで一服してるから」

「はいはぁい」

「部屋戻りたかったら鍵、あたしの荷物のとこあるからね」

「了解。んじゃごゆっくり」


その時、何で後ろを振り返らなかったのか。


にんまりと笑った智絵に気づくこともなく、私はガラス戸を開けて浴場から出ていった。




× × ×




「………」


ガキか、俺。


丸聞こえだったオープン過ぎる会話が何度もしつこくリピートされる。

女の怖ぇ本音に俺も健司も京介ですらも黙って湯舟に浸かるしかなかった。健司にいたっては二重の意味で逆上せてぐったりしてたけどフォローしてる余裕はない。昭がさっさと寝ちまってマジ助かった。あいついたら絶対騒ぎ出してた。

つーかキスで…濡れるとか、声がやばいとか、平然と言わないでほしいんすけど。一瞬で妄想できっから。マジきめぇくらい。


「お気に入りクン、か」


会話に出てたのは、多分、自惚れじゃなきゃ……俺らのこと。

“普通にオチる”エロい声って誰のことだ。できれば俺であってほしい……ってンな奇跡有り得ねぇか。じゃあ誰なんだよ。

昭はまず除外。あいつ基本声高ぇし歌う時以外はキャンキャンしてっし。健司…は声低いけどエロさのかけらもねぇ爽やかだし。じゃあ京介か?あれはエロいっつーか下ネタばっかなだけか。


「……っあー」


ガリガリ頭掻いて考えてもうまくまとまらない。潮風が強くて濡れた髪がバサバサする。

風呂から出た廊下の突き当たり、逃げ込むみたいにこのテラスに来たのは考える時間がほしかったわけじゃない。できれば何も考えねぇで外行って一時間くらい走りてぇよ。



『っちょ、揉むんじゃねぇよ! ばか、あッ』



くそ。また思い出しちまったじゃねぇか……何つぅ声上げてんすか、アズマさん。


こっちは色々鎮めんのに必死だったのに一気に持ってかれた。あの一言で覚えたてのガキみてぇに軽くヌけるだろう俺は正真正銘のド変態だ。もう認めるしかねぇ。

あ゛ー童貞でもねぇくせに反応すんじゃねぇよ俺。


「……うし。寝る」


健司がテカテカのオイル塗った体でマッスルポーズとって迫って来るのを想像して早々に萎えた気分とアレ。

もうさっさと寝るに限る。タオルとかケータイとか脱衣所に置いてきたけど。京介が拾ってくんだろ。


深呼吸してからドア開けて廊下に出て。

自分のタイミングのよさっつーか悪さっつーか、それを呪った。


「あれ、何してんの? 佳也クン」


あなたのエロい声思い出しておっ勃ててました。

なんて死んでも言えねぇ。


「……ちょっと、風に当たりに」

「そっか」


自販機に囲まれた休憩スペースにいるアズマさんと俺との距離はわりと近い。横を通らねぇと部屋には戻れない。


どうすりゃいいんだ。あの声思い出すより目の前にいる本物のがずっと厄介だろ。

あーもう浴衣緩く着んなっつったじゃねぇか。つーか脚組んでもいいから裾で隠せよ何盛大に肌蹴けてんだよマジで男ナメてんじゃねぇか?ガード甘過ぎんだろ。誘ってんのか?それとも素か?


「座れば?」

「…………失礼します」


誘ってる。希望的観測に一票。


伏し目で煙草をくわえる細い指に、煙を吐き出す唇に見惚れる。

小さい口の隙間からほんの少しだけ動く舌が見えて、また腰にずくんときた。

抑えろ、このド変態。


「あ、今更だけど煙草大丈夫?」

「え?」

「佳也クン、煙苦手な人?」

「あ、平気っす。親も吸ってるんで」

「そっか」


アズマさんがさっきより少しだけ首ひねって換気扇のある側に煙を吐き出す。

前置きがなかったら気付かないくらいの、小さな配慮すら嬉しくてしょうがない。


いかにも隙がありませんって感じの迫力美人が、ちょっと蓋を開けりゃ気さくで隙だらけの可愛い女。言うこときつくて口が悪ぃのも魅力のひとつで片付けられる。

だから男がふらふら寄ってくんだよな。気ぃ持たせといて本人に全くその気はねぇ、とか多そうだ。

ハマった男、つまり俺からしたらアズマさんは天然の悪女だ。


「ひでぇ……」

「ん?」

「……それ、一口貰っていいっすか」

「キミ未成年でしょ」


口だけの注意で渡された缶ビール。口をつけたのが誰かとか考え出す前に一気にあおった。

大して好きでもねぇ苦い炭酸が喉を通って、カラッカラだったとこが潤う……って。


「っすんません!結構飲んだかも…」

「ん? いいよ。私あんまビール好きじゃないから減らしてくれてありがたいし」

「アズマさんいつも何飲むんすか?」

「私は日本酒愛好家。焼酎も好きだけど」

「……辛党っすね」

「サワーとかカクテルも好きだよ? 飲めないのはウイスキーとカンパリくらい」

「あー…俺もカンパリはちょっと」

「ってオイ未成年」


けらけら笑うアズマさんにつられて俺も少しだけ笑う。

ちゃんと会話できてる。何か調子よくねぇか、俺。


「佳也クン達って高三? 大一?」

「先々週高校卒業したんで……一応まだ高三になるんすかね。アズマさん達は大学生っすよね」

「次から大四。歳食ったなー…おばさんになった」

「まだ全然若いじゃないっすか。本物のおばさんに失礼っすよ」

「それバイト先のパートさんに言われた」

「バイト何してるんすか?」

「ん? 何だと思う?」


ビールを一口飲んでからアズマさんが首を傾げてちらっと俺を見る。何しても誘ってるみたいに感じんのは俺の目がおかしいのか?


「……レコード屋とか服屋の店員、とか?」

「あははっ、よく言われるけどハズレ。接客業なのは間違ってない」

「んー…ファミレスっすか?」


あえて全然イメージじゃねぇとこをついてみる。


「それもハズレ。だいぶ近いけど」

「……わかんねぇっす」


「正解はケーキ屋。この顔でケーキ売ってるとかマジないよね。しかも紺色ワンピに白いエプロンだよ? ヘッドドレスあったらメイドじゃんって感じ。あ、パートさんは製造の人だからさすがに同じの着てないよ?」


……どこまでギャップ作ればいいんすか?

ケーキ屋……アズマさんがケーキ屋の店員…すげぇ見たい。つーか制服とかマジ可愛くね?メイドとかどうでもいいけどアズマさんが着てんなら絶対見に行く買いに行く。


「佳也クンはバイトしてんの?」

「え、あ? はい、中古の楽器屋で」

「外さないねぇ。佳也クンっぽい」


俺ってどんなイメージなんだ。つーか俺のことどう思って……


「あ、ねぇ、部屋で流してたのってジャスパ?」

「え」

「コンビニのアレ受け取りに行った時に聞こえたんだけど」

「……あ、はい。ジャスパの『DOWN MARS』っす」


ジャスパ――Just Lost Panicはオルタナティブ系のアメリカのバンドだ。五十代の渋いおっさん達が創る独特の曲がどマイナーながら密かに人気。『DOWN MARS』はサードアルバムで出されたのは七年くらい前だ。

ロスエン知ってたことにも驚いたけど、まさかジャスパまでとは。


「いいよね、『DOWN MARS』。セカンドもよかったけど何か攻撃性が足りなくってさ。私『Rose Red Scarlet』が一番好き」

「あれいいっすよね。そん次に入ってる『Chelsea』とループして聴くとすっげぇノれる」

「わかる! つーかジャスパ知ってるとかマジ奇跡! カラオケ行こカラオケ!」


……だから何でそんな軽ーくデートに誘うんだ。いや、本人にその気はねぇのか。単にマイナー仲間見つけて嬉しいだけか。

そんな笑顔向けんじゃねぇよ。マジ可愛いから。


俺ばっか意味わかんねぇくらいどきどきして舞い上がって落とされて。


――このクソ長ぇたった一日で、どんだけ俺があんたのこと好きになったか。わかってんのか?


「………アズマさん」

「んー?」


「名前、教えて下さい」


俺の口は最近反抗期らしい。

アズマさんの笑顔が消えて、電車で電話してた時と同じような可愛さのかけらもない冷たい顔になる。

一気に突き放された気がしてスギンってどっかが痛んだ。


「……何か必要あんの?」


これが怒ってるんじゃなくて不審げな声だってわかるくらい、今日一日アズマさんをずっと見てた。何つぅ薄気味悪ぃ俺。


「俺が呼びたいだけです」

「…………じゃあ、駄目」


“じゃあ”って何だ。

他の理由だったらいいのか。

土下座でもすりゃ教えてくれんのか、あんたの名前。


「どうして、ですか」

「……そりゃ私の台詞」


「じゃあ、キスしていいですか」


…………あ?


俺の方こそ“じゃあ”って何なんだ。

何全部すっ飛ばしてんだ。頭おかしいんじゃねぇの。


終わった。

告るとかそんな前にキモがられて逃げられてもう一生会えねぇ。

この人のことだからめんどくせぇからそのまま放置してくれそうな気ぃすっけど俺ら何も接点ねぇし絶対会えない。

今告ればいいのか?順番おかしくね?今更じゃね?告ったことねぇからわかんねぇ。


「……まぁ、いっか」


すげぇ小さい呟きを聞き取って理解する前に。


「しよっか。

おいで、佳也クン」


優しい苦笑とセットで出てきた言葉に、


俺は頭ン中にある細い糸を、ぶち切った。

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