06 名前については聞くな
……マジで答えるとこだった。
『……一緒に入る?』
軽い冗談だから唇が笑ってたのもわかる。
身長差で自然と上目遣いになるのもわかる。
けど、やべぇ。マジで頷きそうだった。手強過ぎんだろ。何であんなエロくて可愛いんだよ。
「はぁ……」
「何してんだ、佳也?」
「…………何でもねぇよ」
不思議そうな健司の顔で、さっきの会話が聞かれてなかったのを確認する。
聞かれてたら恥で軽く死ねる。
「オレと昭コンビニ行くけど。お前も何かいるか?」
「あー……俺も行く」
「珍しいな」
「そういう気分なんだよ」
ここにいたら思い出し赤面なんて気味悪いことしちまいそうで。
パンツのポケットに入れっぱなしだった財布とケータイを確認して階段に向かう。たった一階分でエレベーター使う方がめんどくせぇし。
「おれペプシとからあげ棒ー京介はカルピスー佳也は?」
「見てから決める」
「どうせいつものコーヒーとガムだろ」
「うっせ」
いつも同じなわけじゃねぇよ。コーヒーだって銘柄変えてんじゃねぇか。
「――では十七時からご案内いたしますので、お時間になりましたらこちらにお越しください」
「わかりました。ありがとうございます」
カウンターに軽く寄り掛かった後ろ姿。
……どっから見てもやっぱ綺麗な脚。スカートが短いから更に目立つ。もし高校にいたら毎日軽く凶器ちらつかされてる感じがすんだけど。
「……あ」
振り返る一瞬、流した前髪で隠れてた片目が見えた。
その下に小さい泣きぼくろがあるのまで確認してる俺はすげぇのかそれとも単にキモいのか。
「……お出かけ?」
「あ…はい、コンビニに」
「そっか」
……もっと話広げらんねぇのか。マジ俺死ねばいい。
さっきの露天の話は忘れろ。今は違う話だ。
「あ、駅ン時はあざっした」
「ん? いや、大したことしてないから」
「助かりましたって。お姉さん、何か欲しいモンないっすか? よかったら買ってきますけど」
そう。それだ。
さすが気遣いの男、坂口健司。
「いや、いいよ。悪いし」
「ついでっすから。あ、オゴリはナシの方向で」
「あははっ、じゃあお願いしよっかな。ちょっとだけ時間貰ってもいい? 部屋にいる子の分とか頼んじゃっても平気?」
「全然問題ないっす」
俺と話す時よりずっと自然に会話が進んでるのがわかる。
何でこういう風にできねぇんだ。男には普通に話せんのに。
「――もしもーし、あんさ、佳也クン達……そうさっきの。その子達がコンビニ行くついでに何か買ってきてくれるって。ん? 馬鹿違ぇよ。そりゃお前だろ……ん、泉は? …あー、オケ、じゃあね」
……よく考えたらこの人も相当口悪そうだよな。
つーか“佳也クン達”って……健司と昭のこと知らねぇせいだけど、何かすげぇ嬉しい。俺マジ単純だ。
「えーとパックの玄米茶といちごみるくとレモンティーとクッキーと貝柱とツナ缶とガーナの板チョコ三枚、お願いしてもいい?」
……何か変じゃねぇ?
貝柱とツナ缶って何だ。つまみか?つーか板チョコ銘柄指定だし。しかも三枚。ひとり一枚か?
「玄米茶といちごみるくと……?」
「……パックの玄米茶といちごみるくとレモンティーとクッキーと貝柱とツナ缶とガーナの板チョコ三枚だ」
「おっ! さすが秀才!」
いや、学力関係ねぇだろ。
「なー何で板チョコそんな買うの?」
今までおとなしくしてた昭が喋ったと思ったら、あえて突っ込まなかった疑問に突進してきやがった。しかもタメ口。何考えてんだこの馬鹿。
「え……そりゃ食べるからだけど」
きょとんとした顔も可愛いけど……天然、なのか?アズマさん。
「みんなで?」
「いや? 私が」
「ひとりで?」
「うん、おすそ分けはするけど大体はひとりで」
女は甘いものが好きだってのは知ってるけど。板チョコ三枚をひとりでって……考えただけで胸やけする。
「すっげー! おれ一枚で限界」
「男の子にしちゃあ結構イケる口だね。えーと?」
「あ、おれ昭! あっちのでけぇのが健司!」
「昭クンに健司クンね。私は東だよ」
小学生相手ってくらい優しく対応してくれるアズマさんに感謝しつつ、後で昭を厳重注意することに決める。
これ以上馬鹿な発言すんじゃねぇぞ、昭。
「東さん……東、あずま、アズマって男みてぇ」
…………昭、ペプシ取り上げ決定。
「だって名字だし。東ヶ原だからアズマ」
「……え?」
「あ、私ら五時から露天予約してるからさ、それまでに帰ってこなかったらしばらくそっちの部屋に置いといてもらっていい? じゃあいってらっしゃい」
“名前については聞くな”
馬鹿で空気読めない昭でもわかるくらいの無言の圧力に、俺らは揃って頷いて玄関を出るしかなかった。
「………佳也」
「…………あ?」
「お前の心恋ゆるお方、確かに美人で気さくだけど……若干恐ぇな」
「……その言い方やめろ」
電車でアズマって呼んでたから絶対名前だと思い込んでた。
東ヶ原……ごつい名字だな。
友達ですら名前で呼ばせねぇとかどんだけ自分の名前嫌いなんだ?名字に合わせたごつい名前とかか?
「東サンって変な人だなーあれが佳也のフォーリンラブの人か」
「……昭。ペプシとからあげ棒没収」
「えぇっ?! やだー!」
「じゃあアズマさんに失礼ぶっこいてんじゃねぇよ……この野猿」
「健司! 佳也が怖ェ!!」
「いや、お前が悪いわアレは」
「………健司、キー貸せ」
名前すらわからないあの人。
全く掴めねぇ人。
ンな短時間で掴もうとしてる俺がおかしいのか、ガードが固かったり緩かったりするあの人が変なのか。多分、両方だ。
「え、佳也運転すんの? マジ珍しー」
「事故んじゃねぇぞ?」
「誰がンな馬鹿やるかよ」
受け取ったキーを放り投げてキャッチ。何度か繰り返して、頭の中を少しずつ整理していく。
そうしねぇと頭があの人のことだけになって、おかしくなりそうだった。
× × ×
「広いねぇ」
「のどかだねぇ」
「安らぐねぇ」
「夕焼けが綺麗だねぇ」
「海がきらきらしてるねぇ」
「……あたしらおばさんっぽいね」
うん、それはいつものことだ。
若さってもんが決定的に足りねぇわ。
「貸切頼んでよかったねぇ~」
「お気に召していただけたら何より」
「宿の手配とかも全部美雨任せだったしね。ごめん」
「いやいや、むしろこんな辺境選んだのに謝りたいわ」
普通女子大生って何かこう、違うだろ。そこがさすが私の友達っつーか。
熱めの温泉と潮風が気持ちいい。やっぱ風呂は日本人の心だな。うわ、おばさん発言。
「あ、そう言えばお金どうするの?」
「何が」
「イケメン達にパシらせたお菓子とジュース」
「あー……風呂上がったら代引? つーか別にパシらせてねぇ」
……多分。
「ていうか私にも紹介してよ~美雨ばっかイケメン侍らせてさぁ」
「その悪女みたいな言い方やめろや」
「美雨の場合大体向こうから寄ってくるんだよね」
「女王蜂フェロモンみたいな~?」
「そうそれ」
ねぇよ。そんなん。
旅の行きずりでちょっと仲良くなっただけだし。向こうはただの親切心だろ。
つーか四人全員イケメンってどんだけ。王子様系にクール系、アニキ系にやんちゃ系ってより取り見取りホストクラブかっての。
「美雨的には誰が一番なの?」
「はぁ?」
「だって全員見たの美雨だけでしょお」
智絵の目がキラキラ通り越してギラギラ光る。
“とりあえずツバつけとこ”的な雰囲気がひしひし伝わってくるんですが。
「……多分あれ高校生だから。やめろ?」
話してて何となく大学生って感じがしなかったから多分高三。車乗ってたし。
「げ、三つも違うのかぁ……」
「マジで? 全然見えないよ。あの大きい人とか特に」
「私も自信薄だったけどさ、四人目に会ったらわかるって」
「……別に会いたくないけど」
「嫌ってるねぇ」
「嫌いとかじゃなくて苦手なだけ。美形は近寄るな」
智絵がけらけら笑ってお湯を叩く。
美形を見てこんだけ反応が違う友達ってのも中々いない。
「で、誰がおすすめ?」
「まだ言うか」
「見るだけっ! 引っ掛けたりしないからぁ」
「………王子は顔と中身にギャップあり。ちょっと強引っぽい感じはお前好みだと思うけど、多分かなり癖強そう」
「えぇ~私に対してのおすすめじゃなくて、美雨は?」
「あ? 私ぃ?」
ちょっと考えてみる。
あんま意識してないんだけどそういうの。えーと……
「外見は佳也クン、髪型は健司クン、声は佳也クンでかわいさは昭クン、気安さは健司クン、ギャップ萌えは佳也クンだな」
「…………今王子がひとつも出てこなかったよね」
「だってああいうモロ正統派好みじゃないし」
「じゃあやっぱ~佳也くんがお気に入りってことかぁ」
お気に入り……うーん。確かにあの中だったら一番好みだけどさ。
「あんだけイケメン揃いなんだからどう考えても全員彼女持ちだね」
「えぇ~? 私は全員彼女ナシだと思う」
「……根拠は」
「田宮の勘っ」
そう自信たっぷりに言われると下手な御託より説得力がある。
脱衣所をちらっと見れば貸切時間が終わる十分ちょい前。上がって浴衣に着替えてフロント行って……まぁちょうどか。
だらだら喋りながらバスタオルで適当に体拭いて髪の水気を取りつつ化粧水を叩く。鏡を覗き込んで、いつもより貧弱になった平凡顔を見た瞬間、風呂上がりなのに血の気が引いた。
「……あの、誰か私の代わりに隣のイケメン達の元に行ってくださいませんか?」
風呂入ったんだから当たり前っちゃあ当たり前。
私、ドすっぴんじゃんかよ……!眉毛もまつげもねぇし顔平坦だし!髪も下ろしちゃってるし!ひっでぇ!
「ん~却下。田宮ほぼ初対面だもん」
「同じく。あそこに行くくらいだったらドアの隙間に金つっこむ」
「マジすっげぇやなんだけどすっぴんであんなイケメン達に会うの。地味だよ貧相だよ死にたい……」
「えぇ~? 美雨すっぴん可愛いのに」
「むしろそれを男に見せることが危ないと思う」
「女王様の素顔は意外に幼いってねぇ。襲われそうになったら大声出してね。しばらく見守ってあげるっ」
「じゃああたしは相手を灰皿で殴ってあげる」
「きゃー! バイオレンス!」
……人事だと思いやがってこいつら…!!
「いーよもー失笑されて恥かいてくるから」
「何で自分のことだけ異様にネガティブかなぁ。大丈夫だって! 美雨はすっぴんでも美人さんだから」
「そんな慰めいらん…っ」
「あ、後三分しかないよ」
浴衣の帯を締め終わった泉の呟きを皮切りに、私と智絵は早着替えに入った。
この旅館の浴衣はいかにも旅館デスヨって感じのじゃなくて、結構かわいい。
部屋に揃えてあったのはでかい蝶々が何匹か描かれてる色違いの浴衣だった。
泉が深緑、智絵がオレンジ、私は強制的に臙脂……確かにイメージとしてはわかるんだけどさ、旅館の浴衣じゃねぇよこの色。爽やかさに欠けるわ。
熱いから衿を緩くして紺色の帯を適当に前で縛る。普通の帯より柔らかくて簡単にリボン結びできるから楽だ。
最後に鏡でチェックしても……やっぱり何のマジックも起こらず平凡な私のまま。
「うわぁえろえろ~」
「…浴衣の色のせいだろ」
「…………あのさ、美雨、ブラは?」
「あーしてないわ」
「一回部屋に戻ってつけてから行って。思春期マジでナメないで」
「………ハイ」
思わず謝りたくなるくらい、泉の顔はマジだった。