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05 どんな常識だよ

今日は午後からゼミだけど、学事部に提出するものがあるから早めに出るつもりだった。

リビングでちょこっとニュース見て、あと一分したら消そうと思ってたら。


「美雨、出かけるならその前に薬局でドリンク剤五本くらい買ってこい」


めっちゃラフな格好してても今日も今日とて歪みないお方のご降臨です。


「……今起きたのお兄ちゃん」

「これから寝るんだ。寝る前に飲んで、起きたらもう一本飲む。常識だろう」

「どんな常識だよ」


ンな飲み方してたら死ぬわ。

いやでも一日一本ってのには抵触してないか?仮眠じゃなくてがっつり睡眠で間空けるならオケ?

まぁ飲むの私じゃないし本人が飲みたいなら好きにすりゃいいか。


こんなタイミングよく現れたのは偶然じゃないだろう。絶対パシリにしようと出て来たんだな。

用は休み時間でも足りる事だし、薬局に行って帰ってきても遅刻することはないけどさ。


「何買ってくりゃいいの」

「効きそうなやつなら何でもいい……ああ、一本百円代とか安いものはやめろ。ビタミンB群しか入っていないのはただの水だ。飲みやさを押し出して女受けを狙っているのも駄目だ。せめて気休めになりそうなものを買ってこい」

「何でもいいっつぅ割にやたらと注文が……」

「何か文句でもあるのか」

「アリマセン」


疲労に不機嫌が重なってものすごい凶悪な顔になっておりますよ、オニイサマ。


前々から話があった企画が本格的に動き出して、責任者の兄ちゃんは今まで以上に忙しく不規則な生活を送ってる。

動き出して順調ならいいんだけど、何かクライアント側にごたごたがあって、お兄ちゃん側も巻き添えくってスケジュール変更とか企画の打ち合わせ難航とか色々大変らしい。多分この一週間、家よりオフィスに泊まり込んでる方が多いと思う。

まぁ、私も関わってるっちゃあ関わってるけど。その辺は領分じゃないからさ。


「とりあえず店員さんに聞いてきますよー……あと買うもんない?」

「そうだな……」


ついでだから気の利く妹になってみましょうか。

多分飴かガムって言われるんだろうなぁと思いながら待ってみると。


「クールミントのガム。あとは……ハンドソープがなくなったらしい。それと単四電池のストックが切れてたな。プリンターのインクもそろそろ替え時だ。ああ、そう言えば会社で三つ折りA4窓付き封筒が必要だったな。他には……」

「いやいやいや! それ薬局じゃ無理だから。私完璧遅刻するから」

「じゃあドリンク剤とガムだ。これで買ってこい」


無造作に渡された一万円札を握って、ため息。

“使えるモンはとことん使え”を地でいき過ぎだと思うよ。この人。

家のものはともかく、会社のものまで社外の人間に買わそうとすんなよ。万年人手不足なのは知ってるけどさ。


「お駄賃は出ますか」

「菓子二つとレモンティーでも買え。それ以外は返せよ?」

「はいはーい」


鞄から財布とケータイだけを出しながら何を買おうか考える。

やっぱひとつはガーナの板チョコ。これは譲れないわ。もうひとつは……しょっぱいもので、何か新商品あるかな。


「ああ、美雨」

「んー?」

「スケジュールが急に変更になった。今週の金曜、十時からだ」


は?


「今回はリハに近い、完全リテイク前提だからな。覚悟しておくように」


いきなりの話題転換に、っつぅよりその内容に口がぽかーんと開く。


「…………えーと、真雪さま?」

「何だ。早く行け」


スルーしないで。自分で言ったこと流さないでオニイサマ!


「いやいやいや……わたくし、それは来週の水曜だったと記憶しておりますが」

「変更だと言ってるだろうが。一度で理解しろ」


今回はお兄ちゃんとも関わりが大ありな、大事な大事な臨時収入もとい二つめのバイト。

何かと気ぃ使ったり準備したりしなきゃならないから、指定された日に向けて色々やってた、のに……


「いきなり過ぎでしょ! つーか明々後日じゃんよ!」

「わめくな馬鹿が。だから明人から連絡行くより早く教えたんだろう。こっちとしても誤算なんだ……はぁ…あの低俗な狒々親父が」


数段低くなった声に思わず黙るしかない。

わー……相当苛立ってらっしゃる。こりゃうかつに騒いだらどんな報復されるかわからんわ。

つーかヒヒオヤジって。そんっなにひっどいゴタつきなんすか。


「一応私も被害被ってるわけだし……質問する権利はあると思うんですが」

「何だ」

「クライアントさん、何でゴタついてんの?」


たっぷり十秒沈黙。

我が兄ながら限りなく嘘くさい爽やかな笑顔を作り出したと思ったら。


「担当者の四十五歳妻子持ちが女子中学生に対して痴漢と盗撮を働いて捕まったらしい」


う、わぁ……それは、きつい。


「下劣だな。品性云々以前の問題だ」

「うん、色々アウト」


今回のクライアントさんは私自身何度か縁があるけど、規模はでかいっつぅか大企業に分類されると思う。その担当者さんもそれなりにそれなりな役職だったはずだ。

それが未成年にアレコレって……ゴタつくのも納得。めちゃくちゃ体面悪い。

外部に色々漏れないように頑張ったんだろう。そういう醜聞って簡単にニュースで流れたりするのに聞かないし。

企画の担当者も当然変わったんだろうから、そりゃ企画停まりもするわ。


大変だったんだなぁ……とは思うけど、理由が理由なだけに同情できない。つーか引く。

もし涙ながらにこの話をしたとしても、お兄ちゃんが優しく許してくれるわけない。社会的にも、立場的にも、性格的にも。

後釜になった担当者さん、ご愁傷様……


「まぁ当然解雇だな。退職前に手を打ったらしい。

で、更に言うならその男の妻も同じ部署に勤めていて、夫の逮捕を受けてその日のうちに会社を辞めて行方をくらましたそうだ。この企画の、補佐だったのにな」


お兄ちゃんの顔がびきびき言いそうなくらい引きつっていく。

クライアントさーん、この人怒らすとほんっと怖いんで勘弁してください……!


「正式に依頼が来てから一ヶ月半経ったのにまだプレゼン二段階目だぞ? その前から話はずっとあったのにだぞ? 当然コンテもまだだし、それどころか修正案の提出もままならない。

“前に似た感じでお任せします”だと? 丸投げでいいものができるわけないだろうが。やる気がないならさっさと凍結させろ。

現状を見てOA予定に間に合わせる気があるとは到底思えない。それで商品の売り時を逃しても契約料は変わらないから俺はどうでもいいがとにかく迷惑だ。スケジュール調整するのにこっちがどれだけ苦労していると……

うちが中小企業だからってへこへこ言うこと聞くとでも思っているのか。いっそのこと別口から手を回し「お兄ちゃんもう寝る体勢作っときなって! ホラ熟睡用の枕わざわざオーダーメイドしてたじゃん! 今こそ出番だよ、うん! ユンケル買ってきてあげるから!」


私は人生波乱万丈におもしろおかしく生きたいけど、バイオレンスとサスペンスは受け付けてない。

視線だけで人が殺せそうな兄を持ってても、望んでないもんは望んでない。


「美雨」

「はいっ!」

「ユンケルはユンケルでも格があるからな。店員に“全ての疲労から解放されて死んだように短時間眠れる効果があるものと、脳みそを無理矢理起こして体を馬車馬のように働かせる効果があるものをください”と言え」

「布団入ってろ」


だいぶお疲れのお兄ちゃんをリビングから追い出して、早足で玄関へ。

お気に入りのブーツに買ったばっかのスキニーをねじ込んで、徒歩五分圏内のドラッグストア目指してドアを開け放った。


…………ちなみに、ゼミは遅刻した。

店員さんを何十分か拘束してしまった私は兄想いの妹だと思うのです。

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