02 あんたの勇姿は忘れないよ
電話でミウさんに、京介を連れてアナイスに来るように言われたのが昨日。
四限の講義が終わってさっさと教室から出ようとした俺を止めたのは知らない女だった。
前期の終わり頃の経験でそれが何なのかわかったしめんどくさかったけど、シカトするわけにもハナっから突き放すわけにもいかない。前にミウさんにあの対応見られてから学習した。
んで、結局予想通り告白されて、普通にちゃんと断った。“彼女いるから”って。そろそろ言い慣れてきたな、彼女って単語。
そっからミウさん…と智絵さんと京介が待ってるからその足でキャンパスを出ようとした。
なのにまた知らない奴に呼び止められて、若干苛つきながら一応止まったらそいつがサークルの先輩だったことに気付いた。
確か辻本さんだったか。ホストみたいな見た目なのにやたらいい人で、俺らのバンドを真剣に応援してくれてるからあんま話したことないけど覚えてた。
うちのメンバー全員に話があったらしいけど、今日はもう昭も健司も帰っちまった。
そう伝えたら俺と京介だけでもいいからひとまず聞いてほしいって言われたあげく、十分もかからないからって頭を下げられたら無下になんてできない。
短時間で済むならってことで、とりあえず俺は辻本さんと待ち合わせ場所に向かった。
今日は気分がよかった。
新曲の歌詞もできたし、狙ってたシールドも入荷して取り置きしてあるって連絡入ったし、何よりミウさんに会えるし。
いや、気分がいい通り越して浮かれてた――カフェに入って窓際の一番右、いつもあの人が座る席を見るまでは。
「なぁ、美雨っ、何で彼氏なんか作ってんだよ……」
……何だ、この状況。
お決まりの席に物凄い無表情のミウさん、隣には椅子に座り直してる智絵さん。その向かいで何でか鞄に手ぇ突っ込んでる京介。
そこまでは何の問題もない。いつも通りミウさんは綺麗だし。
問題はねぇ――不特定多数がいる場所でミウさんの名前呼んで詰め寄る、知らない男がいる以外は。
「誰だよそいつ!」
お前が誰だ。ミウさんが彼氏作って何が悪ぃんだよ……って。
この状況にこの台詞。考えられるのは……
ドアにつけられたベルの音に反応したのか、京介が違和感なく視線をこっちに向けてきて、人の悪そうな笑いを浮かべる。
それ見れば聞かなくてもわかる。大当たりだ。
だったら俺がどう出るかなんて、あいつはわかりきってんだろ。
……そのいかにも“待ってました”っつぅ顔やめろ。
「――テメェこそ誰だ」
ほんの少し考えてから、ミウさんを隠すように間に無理矢理入る。
さすがに店の中で背後から技かけんのもオトすのもアウトだろう。目撃者が多過ぎるし監視カメラもある。
前に行った海だったら人に紛れてやれたかもしれないけど、ここじゃ無理だ。
本音言えば今すぐ腕折って顔と腹に二、三発ずつ拳…いや蹴り入れてここから追い出してやりてぇ。もっと本音言えば半殺し以上は実行したい
我慢だ我慢。やったら警察沙汰だ。しかもミウさんに迷惑かかる。
「ミ、アズマさん、大丈夫っすか?」
「あーうん、ダイジョウブ……思ったよりバイオレンスじゃなかった」
……それ、俺が殴りかかるの前提でしたか?
聞くのはやめといた。ミウさんの思ってる通り、必死で抑えてるだけで気ぃ抜けばマジでやりそうだから。
もしミウさんに触ってたら確実に一発は殴ってた。
若干ひきつった顔のミウさんから、ガンくれてる目の前の男に視線を戻す。
……十中八九、前に聞いたうちの大学にいる元彼だろう。
どうやって別れたとか全然聞いてないし聞きたくたいけど、少なくともこいつが納得してないことくらいはわかる。
けど、ミウさんは別れたくて別れた。んで今は俺と付き合ってる。俺にとってこの状況把握すんのにはそれだけで十分だ。
こいつがここから失せれば一番めんどくさくねぇのに、さっきから動こうとも喋ろうともしねぇ。マジでうぜぇ。何かやたら周りも見てるし。
くそ、ギャラリーいねぇならオトしてどっかに転がしとけんのに……
「弘樹っ!」
微妙な膠着状態を終わらせたのは、さっきまで並んで話してたのにすっかり忘れてた人だった。
「あ、ツジノブ」
え、ミウさんと辻本さん、知り合いだったのか?
つーかツジノブって。何だそのネーミング。どっからきたんだ。
「お前、何やってんだよ! もう東ヶ原先輩に近づかねーって言ったじゃん!」
「……うるさい。関係ない」
「関係あんだよボケ! 勝手に前言撤回してんじゃねーよ! 俺のセッティング台無しにしやがって……あの子どこ行ったんだよ!」
「知るかよ」
「いや知っとけよ! あああ今回はうまくいくと思ったのにぃぃい!」
反り返って頭抱えるとかいうオーバー過ぎるリアクションで一気に店内の目をかっさらって行く辻本さん。
何か、辻本さんが入ったおかげで雰囲気が柔らかくなったっつーかダレたっつーか……
「……智絵、京介クン、いける?」
「さっき会計しといたんで問題ありませんよ~」
「ケーキもテイクアウトしてもらちゃったぁ。あ、お店の人にはちゃんと謝っといたから大丈夫」
「何その早業、いつ席立ったよお前ら。まぁいいや……佳也クン」
「はい?」
「逃げるよ」
俺を目隠しにして立ち上がったミウさんはそれだけぼそっと宣言して。
京介がひっそり開けた席の横にある外へのドアからミウさん、智絵さん、京介の順で脱出する。
それに続いて俺が動き出せば、さすがに騒いで白熱してたあいつと辻本さんも気づいたけどもう手遅れだ。
呼び止められても完全シカト。
テラスの柵を飛び越えて適当な路地まで走る。
「佳也クーン」
「こっちこっち~」
早足で歩きながら振り返って俺を呼ぶ集団に追いついて、軽く一息。
…………これ、鬼ごっこしてるみたいだ。
つーかあの状況で全員逃げるって。何かの漫画じゃねぇんだから。
「ツジノブ、あんたの勇姿は忘れないよ……」
手ぇ合わせて拝むミウさんは結構キチクだと思った。
まぁ、構わねぇけど。
× × ×
「どうも、ご迷惑をおかけしました」
とりあえず駆け込み寺的な感じで佳也クンのマンションにやってきまして。
まずこれを言わなきゃいけませんよね。
「いやいや~むしろお疲れ様です」
「災難だったねぇ。まっさかあんなとこで再会するとは」
「有り得ねぇ奇跡だわ……つーか何でまだ私なんかにこだわってんのあいつ」
「それだけ美雨が魅力的ってことでしょお?」
「うっわ。嬉しくねぇー」
「とにかく東さんに何かなくてよかったですよ~ね、佳也?」
「ああ」
やけに落ち着き払った佳也クンの方を何となく見れない。
血の雨が降るフラグ回避してくれたのには感謝してもし切れないけどさ、それとは別に気まずいんだよ。
あんな場面見られたら説明しなきゃならないだろうし、巻き込まれたんだからこの場にいる三人、せめて佳也クンには事情を知る権利くらいあるはず……わかってるんだけど、言いたくない。
――向と付き合い始めたのは、正直言えば怒涛の勢いで毎日告白されて根負けしたからだった。
つーか最初の数ヶ月はガチ告白だって気付かなかったくらい勢いがすごかったんだけど……それは置いといて。
折れてスタートした付き合いだけど嫌いじゃなかったし、後輩としては好きだったから付き合ってくうちに好きになれると思った。実際大事だって思った時もあった。
でも、考え方が違った。
あいつは恋人同士は一心同体!って考えるタイプらしくて、こっちの話も聞かずに気持ちを押し付けてくることが多かった。まるでそれが二人で出した結論で、それが当たり前みたいに。
最初はかわいいわがままの域だったから許せた。“色んなタイプの人間がいるよなぁ”って見逃せた……途中までは。
長く付き合っていくにつれてどんどんエスカレートしていくそれに、そこそこ広いと思ってた許容範囲も限界に到達した。
その頃から何度か別れを切り出したんだけど駄目だった。
情はあったから縋られると最後まで突き放せなかったし、向こうも別れさせてくれなかった。
だんだん別れるのも面倒になって惰性で付き合って。もう最後の半年くらいはデート=ヤるって感じだったけど別れる労力を考えると体貸すくらいいいかとか思ってた。
でも、ヤってる時に言う“愛してる”なんて安い言葉がどんどん重くなってきて、最終的には気持ち悪いって感じるようにまでなって。
マジでやばいと思った。どんだけ面倒でもこのままじゃ駄目になるって思った。
本気で喧嘩しまくって二ヶ月くらいかけて、半ば無理矢理でもやっと別れられた時は本当本当にほんっとーに安心した。
……まぁ、別れてから半年以上は何度も何度も電話やらメールやら手紙やら時には家の前で待ち伏せやらされたけど。ほぼストーカーだ。
その度にフッてフッて振りまくった。拳で殴ったこともありましたよ、えぇ。それから大人しくなって、段々沈静化していったけど。
ここ一年は何事もなく落ち着いてたから、私の中ではもう過去の出来事、過去の人になってた。
「……ミウさん」
「んー……?」
どこから聞かれんだろ。
表面上だけの過程なら話せるけど、あんまり深く突っ込まないでほしい。
別にもうつらくもない。
私の中では清算も昇華もできてることだから。
でもさ、そんなにいい思い出じゃないから聞かせたくないんだよね。
「――言いたくねぇなら何も聞きませんから。ンな顔しないでください」
控えめな、優しい笑顔。
……何でこんなできたオトコなんだろうかね、うちのカレシさまは。
智絵と京介クンがいなかったら間違いなく抱き着いてたよ。
「……あー、うー…やべぇ」
「何がぁ?」
「智絵サンや、わたくしマジでこの殿方と添い遂げるやもしれませんよ」
「はっ?!!」
「え、ほんと~?! おめでとぉ! 式は冬以外にしてね、前に買ったアオザイ着るから!」
「俺デジカメ新調しときますね~」
いや、“かも”だし!
もしそうなったとしてもちゃんとお互い自立して安定した生活が送れるようになったらの話で、デジカメとか今新調しても無駄っつーか。
「ミ、ミウさん…? あの、えーと……?」
ちょ、本気にしないで!言葉のアヤだから……っつってもそうなってもいいってくらいにはきゅんきゅんしてるけど!
「……それくらいいい男だって褒める言葉だから。予定は未定主義だから額面通り受け取らないように」
「とか言って美雨も顔赤いしぃ。キャハハ!」
「うわぁ田宮マジうっぜぇ。佳也クン換気扇貸して」
「は、はい……」
もう避難するしかない。
顔赤くなんのはしょうがないだろ、見事にスルーしてもらえなかったんだから。
あれほぼプロポーズの域じゃん。ンなつもりなくっても佳也クンがそう捉えちゃったら恥ずかしいじゃん、死ねるじゃん。
「っはぁ……」
あー……何か、私佳也クンと付き合ってマジでよかった。
もしあいつが今佳也クンの立場だったら、絶対しつこく追求してきただろう。“付き合ってるのに隠し事はなしだよ。全部聞かせて”って。
私には無理だ。精神的に距離が近すぎると監視されてるみたいで息がつまる。
いくら好きでも全部開けっ広げでプライバシー侵害されたら嫌だし、そういう関係がベストだと思わない。
――視界からあいつがいなくなって、代わりに佳也クンの背中が見えた瞬間、正直すごく安心した。
そりゃバイオレンスな展開考えて多少顔ひきつったけどさ。でもそれとは別に心の大部分で“助かった”って思った。
この人は私の味方だって、同じように私に気持ちを向けてくる人でも、この人は私を苦しめないってはっきりわかってるから。
「やっぱなぁ……」
好きってだけじゃどうにもならないことがある。
スタンスが合うって大事。その点で佳也クンといて困ったことはない。むしろ私が若干佳也クン振り回してる感あるけど、向こうだって無理なものは無理で譲らないところがあるから忍耐を強いる付き合いはさせてないはずだ。
気持ちと付き合い方が同じ方向いてる。それだけですごく息がしやすい。
つまり、佳也クンとのお付き合いは最高ってことで。
安定して“好き”を増やしていけるこの人は、本当に私には過ぎたカレシさまだ。
やっぱ好きだなぁ、佳也クンのこと。
最初は声に引っ張られたけど、それ以外にも好きなところがたくさんある。
会うたび同じ様なこと思ってるけど…………色ボケかっつぅの。アホか。
煙と一緒に溜め息を吐き出してから、シガレットケースの上に載ってるケータイが光ってんのに気付いた。
あ、電車乗った時にマナーにしたまんまだったっけ。どうせメルマガとかそんなんだろうけど……って。
From 辻本 義信
Sub お久しぶりです!
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さっきはほんとスンマセンでした!
弘樹にもちゃんと言っといたんで;;
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ツジノブ……ごめん。何か色々押し付けたわりに若干お前のこと忘れかけてた。
あ、でもお前が犠牲になってくれたことは忘れてないよ?うん。
To 辻本 義信
Sub 久しぶり~
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私が油断して大学の近くに来たせいもあるよ;
余計な心労増やしてごめんね。
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向とツジノブは高校からの親友だ。先輩兼親友の彼女だった私とは勿論面識があるし、それなりに仲もよかった。
私とあいつが別れる時もツジノブは近くにいて、お互いの心情を理解してた。
だから向の後押しよりも私を諦めさせるように色々動いてくれたんだけど……まだ頑張ってくれてたんだ。
あのすげぇリアクションの叫びからして、向がアナイスに入ってきた時隣にいた子はツジノブが用意した線が濃厚。
私がいなきゃうまくやれてたのかもしれない。いや、多分結構うまくいけたと思う。
……うん、ごめんツジノブ。何回謝っても足んないわ。
また謝りに行ったらしばらくアナイス通い控えよう。派手に目立っちゃったし。
二本目の煙草に火をつけて、また溜め息。
From 辻本 義信
Sub いやいや
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先輩は悪くないっすよ。
あいつがちゃんと自分の中で決着つけられないのが悪いんで…
あの、さっきは色々あったんで聞けなかったんすけど、
東ヶ原先輩と斎木って、付き合ってたりします?
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あれ、佳也クンとツジノブ知り合い?入ってきたタイミング一緒だったっけ?
でも向と佳也クンは明らかに初対面っぽかったなぁ。
To 辻本 義信
Sub 無題
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そだよ。
付き合って三ヶ月。
ツジノブと佳也クン何繋がり?
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カチカチ打ってる間に口が暇になったからもう一本。
人んちで吸うにはちょっと多い量だけど、許してほしい。
つーかツジノブ、メール返してくんのめっちゃ早いんだけど。智絵と張るわ。
From 辻本 義信
Sub サークル繋がりっす!
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先輩スンマセン、
斎木に明日改めて話させてくれって伝えてもらえませんか?
斎木も谷崎もケータイつながんなくて…(/TДT)/
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「……佳也クーン、京介クーン」
「はい」
「何ですか~?」
「ツジノブに罪はないから、電話に出てやって」
「「あ」」
その、さ。私が言うのも何だけど。
皆して彼を忘れんの、やめよう?




