06 ストレートに、ただ伝える
「何で出る三十分前起床?! マジねぇから!」
「でも十五分延長してあげたじゃん! あーもう遅刻する!」
「だってあんな顔でどうやって帰ればいいのさ! 私大学から電車乗るんだけど!」
「自分で思ってるより周りは見てません! 確かに結構ひどかったけど」
「うわぁ……寝る前に化粧のこと言ってくれればよかったのに……!」
みなさん、こんな経験ありませんか?
オールとかで化粧したままうっかり寝ちゃって、起きたら何だかとんでもねぇ顔になってる、なんてこと。
ちなみに私はたまーにあります。ファンデが奇妙に剥げてたりマスカラで上下のまつげがくっついてたり眉毛が全部なくなってたり。
それにプラスで昨日は泣いたから朝はマジで目も当てられない状態だった。顔洗って急いで冷やして何とかマシになったけど……結局物凄い手抜き化粧で済ませるしかなかった。
くそ、どうせならアフターケアまでお願いしますよ良平さん。ってさすがに図々しいぞ私よ。
「バイク回してくるからメット持って鍵閉めてきて!」
「オケ! 窓の鍵閉めた?」
「覚えてないー!」
長ぇ足で階段ガンガン降りながら良平が投げた鍵は当然受け取れませんでした。私ノーコンかつ反射神経悪いから。
履いたパンプスを脱ぎ捨てて窓を確認。鍵どころか普通に窓自体開いてんだけど。
戸締まり、電気、ガス、オッケー。メットをふたつ抱えていざ出陣。って、あれ?
「りょーへーさーん! 財布! 忘れてんよ!」
「マジー?! 持ってきてー!」
どんだけ長距離の会話だよこれ。声の遠さからしてまだチャリ置き場だな。
階段を走ると良平が降りた時の倍くらいの音が鳴った。ヒールって結構近所迷惑……まぁ朝からこんだけ大声で話してんのも相当アレだけど。
「東、今何時?」
「…………はちじよんじゅうはっぷん…」
こっから大学まで、交通量がかなり少ない深夜に車で高速ぶっ飛ばして二十分。ちなみに一限開始は九時ジャスト。
うん……いくらバイクですいすいいけるからって間に合うわけがない。まぁ遅刻したからって入れないわけじゃないけど、ここまできて遅刻決定って何か悔しいよね。
「……お前置いてけばよかった」
「やだなー私ら同志だろ、運命共同体」
「恩を仇で返さないでよ。今度から金要求すんよ?」
「…………今年のモーターショーのパス、いります?」
「いる。けどチャラにはしないからね? つーか何でそんなの持ってんの」
「お父さんの付き合い関係。まぁうちにあったら忘れられてゴミになんのがオチだから」
家族は予定合わないし、ひとりで見に行っても楽しくないし、友達も特にそういうのに興味ありそうな子いないし。せめてものお詫びに進呈しようじゃないですか。
「東ってバイク見るとテンション上がるくせに全然詳しくないよね」
ついに悪あがきを止めた良平が溜め息付でしゃがみ込む。まぁエンジンまだあったまってないし動かせないよね、本音としては。
「だってかっこいいー乗りたーいってだけだし。ぱっと見で車種判別できないし、カスタムとか一歩突っ込んだ話は全くわかんねぇっす」
「じゃあこれは?」
……いや、あんたが乗ってるバイクくらいわかるから。馬鹿にしてんのか。
「バリオス。車検なくてお得だよね、250だと」
「じゃあ清峰がたまに乗ってくんのは?」
ゼミの中じゃ良平に次いでマシな神経してる苦労人くん。言われてみりゃ何回かバイクで来てたな。
「あれだ。カマキリみたいなやつ」
「……色で言ったっしょ、今。じゃあ……向こうから来てる黒いのは?」
はぁ?走ってるのなんかわかるわけ……
ドルルゥウ――ギャギャッ!!
視線をやってすぐ、黒い塊が脇を猛スピードで走り抜ける。
そして、なぜか物凄い音を立ててターンしながら少し先で停まった。
「…………う、そ」
見覚えのあり過ぎる、黒いバイク。黒いフルフェイスに黒ずくめの――
「佳也、クン……?」
「……うわ、当たり引いちゃった」
良平が何か言ってんのがわかっても、うまく耳に入ってこなかった。
何で、どうして。
頭ン中はそればっかで。
「東、俺行くからね。あらぬ誤解でとばっちりなんて絶対嫌だし」
「…………」
「メットは貸すから。今度会った時に返して。じゃあ頑張って」
ごちゃごちゃ言ってさっさかバイクを発進させた良平を見送る。視線は戻ってくる黒いバイクに固定したまんまだけど。
ちょっと神様、あんた鬼畜過ぎやしませんか?
心と体の準備すらさせないって、どういう了見っすか。やっと鍵を見つけて、これから完全装備した上で対面しようとしてたラスボスに【装備:ぬののふく・こんぼう】的な状態で会わせるなんて。
「――ミウさん」
「…………お、おはようございます」
うわ、何つぅ細っちい声。もうちょい頑張れよ自分。
「おはようございます。ちょっと話があるんすけど……
今から時間、ありますよね?」
わぉ、すげぇ低音。怖ぇ……早くもくじけそう。
いや、逃げたら負け。これ以上かっこ悪いことはすんじゃねぇ。立ち向かえ東ヶ原美雨!
「……望むとこだ」
「え?」
「私も話あるから。佳也クンん家行っていい?」
BGMはバイクの重低音。色々と吹っ切れた私はやけに挑戦的で。
「………じゃあ、後ろどうぞ」
「失礼します」
話し合って告白するにはかなりおかしな雰囲気のまま、私は黒ずくめのライダーに抱き着いた。
× × ×
「…………え」
通された部屋を見て、間抜けな声が勝手に出てきた。
あれ、何か昨日よりずいぶんと賑やかっつーか荒れてんだけど。え、何、あの女の人と何かあったの。
「すんません。ちょっと探し物してたんで。とりあえずベッドに座っててもらえますか?」
「は、い……」
明らかにシングルサイズじゃないベッドの端に座って、テーブルの紙だか本だかをソファーに投げてく佳也クンをぼんやり見る。
「……こんなもんか」
「は?」
「話する前に、これだけ見てください。じゃないとと何も進まねぇ」
手渡されたのは四枚の写真。何となく理由とか聞ける雰囲気じゃなくてそのまま止まる。
私何しに来てんだ……?ガチで向き合って話し合うんじゃなかったっけ。話し合うためにこれが必要?何で。まぁよくわかんないけどとにかく見るか。
一番手前の写真はどっかの海をバックにしたカップル。写ってんのは背の高い茶髪の男前と――昨日の女の人。
……ワンモア、観察。
ボブにしたふわふわの茶髪。幸せそうに笑う超綺麗な顔。十代後半くらいに見えるけど、確実にあの人だ。つーか一緒に写ってる人にも何となく見覚えが…………あ。
この男の人、佳也クンに似てる。佳也クンをもっと柔らかくして若干目ぇ垂れさせたり微調整して五年くらい早送りしたら、多分こんな感じ。ってことは……?
「…………兄嫁、え、不倫?!」
「……他の全部見てからコメントしてください」
「スミマセン」
先走しんのやめようって昨日決めたのに。やっちまったぜ……
許されぬ恋のロマンスが勝手に脳内で始まる前に急いで二枚目に移る。
次はふたり以外にもうひとり、三歳くらいの子どもがいた。おー幸せそうな家庭を築いてるわけだ。つーか子どもマジ父親似だな。顔のきつさは女の人似だけど。
続いて三枚目。父親がログアウトして女の人と子どものツーショ。
……あれ、子ども小学一年くらいだよね?これ。この人何かあんま歳食ってないんだけど。最初の写真から何年後だ?
「……吸血鬼って歳取らないらしいね」
「…………ンなホラーなオチじゃねぇっすから」
わかりましたよ黙って見ますよ。
重ねた写真のラストを眺める。学ランと筒とコサージュ…卒業式?中学くらいか。また女の人と…………うん?
「ちょっとマジで質問していいですか」
「……どうぞ」
「これ、君ですか?」
「そっすよ」
不機嫌そうにカメラを睨む、既にイケメン臭漂う男の子。ここまで年代が近くなりゃわかるよ。
ってことは、だ。本命さんとかそんなんじゃなくて、この人は……
「お姉さん!」
「何でっすか! 母親に決まってんじゃないっすか!」
「え、だって年齢合わないもん」
佳也クンの母親にしちゃあ若過ぎだろ。
昨日見た時は二十代後半っぽかったし、この卒業式のやつだと二十代半ばに見えるし、最初のやつは十代後半……ってそれじゃ佳也クンの実年齢がおかしいわ。どんな成長の仕方だ。
「いいっすか? 写真の下に日付入ってますよね、それ見てください」
今の西暦と照らし合わせながら、また一枚ずつめくってく。
一枚目、二十年前。
二枚目、十六年前。
三枚目、十二年前。
四枚目、四年前……うん?
「ねぇ、これ合成?」
「……だと思いますか」
「イイエ」
「最初のが俺が生まれる前の十代の時で、次がハタチくらいン時。そん次は二十半ばくらいで、最後が三十過ぎてます。ちなみに今確か三十七……」
「うそぉッ?!」
ねぇだろさすがに!つくならもっとマシな嘘つけよお前!
「あれが酔っ払って寝てる間に免許証のコピー取りました」
「………」
何て周到な。
でも、確かに。暗算して指でおさらいしてもやっぱ今年で三十七歳になられますね。
実年齢もお若いお母様で。
「あの人、年々成長っつーか老化が遅くなってんすよ。今じゃ親父と並んで歩いてもほぼ夫婦に見えねぇし」
「そ、そっすか……」
…………すみません。今すっっっげぇ恥ずかしいんでこの高そうなタイルの床ぶち抜いて埋まってもいっすか。
ドラマっつーか少女漫画レベルのベタな勘違いに嵌まって見事逃げ出した超間抜けでアホアホな私を誰か今すぐ消失マジックにかけて消してくれ。マジで。
つーか全然彼女とかじゃない、よりによって母親。お母様!どういうことなのこれ。
それに、佳也クンに何て言えばいい?
正直に“勘違いした”“キープ扱いされたと思った”“つらくて逃げた”って言う?
『ちゃんと口に出さなきゃいけないことってある』
ねぇ、それってこれも含め?こんなどろどろした感情見せていいかわかんない。
人に好きって言うのがこんなに難しいなんて、今まで全然感じなかった。
どうしよ、何言えば――
「――美雨さん、ちゃんと聞いて、そのまま受け取ってください」
ベッドに座った私の顔を、膝をついた佳也クンが覗き込む。
……駄目だ。
もう逸らせない。
引き込まれる。
「俺、美雨さんが好きです。
馬鹿みてぇだけど、初めて見て、声聞いた瞬間から美雨さんしか見えなくなった」
知ってる。でもわかんなくて、疑った。
ごめん、ごめんね。
こんな顔で、こんな声で言う気持ち、疑う理由も余地もないのに。
「気持ち悪ぃくらい美雨さんのことばっか考えてて、笑ってくれるだけで嬉しくて、名前呼んでくれるだけで浮かれる。
言いましたよね? 俺、優しくなんかないって。美雨さん相手だと自分がマジで柄じゃねぇくらい優しくなれるんすよ。美雨さんに嫌われねぇように毎日必死で、自分でも笑えますよ」
声が言葉が視線が、どうしようもなく優しい。
こんなに好きになってもらって、態度だけじゃなくて言葉まで要求して……私、どんだけ欲張れば気が済むんだ。
「さっき……」
「ストップ。ちょっとタイム」
私は何のためにここに来た?
ただ受け入れるんじゃなくて、ぶつかるためだろ。
一度強く目を瞑ってから、ぐるぐる考え続ける頭ン中を全部リセットして。
ストレートに、ただ伝える。
「まず昨日は勘違いしてごめんね。んで、捜してくれて、ありがと。
あー……今考えるとマジで恥なんだけど、昨日何年振りかに本気で泣いたよ。
だってさ、一番がよかったんだよ。つーか私だけがよかった。第二夫人なんて絶対嫌で、でも諦めるには手遅れで、悲しくて悔しくて苦しくて大泣きした。好きだって気持ちが捨てらんなくてつらかった。
ねぇ、私、佳也クンのこと好きだよ。
やっぱどう考えても佳也クンが言ってくれるほど価値ある人間じゃないし、勘違いばっかだし、全然つり合わないってわかってるけど好きでいていい? 佳也クンの気持ちに甘えてもいい?」
言い終わって息を吐いた瞬間、息苦しさが襲ってきた。
「ッ……」
「俺があんたにつり合うように気張ってんのに、そういうこと言うんじゃねぇよ」
「佳也く…くるし……」
苦しくて、何だか泣きたくて。
背中に回る腕がほんの少しだけ震えてるのに気付いた。
「俺――美雨さんがいねぇと息できなくなりそう」
押し殺した声が、熱を孕んだ。
そんな小説みたいな言い回しができるような、やけに気障ったらしくて少しだけ怖くて、無性に愛しい呟きだった。
こんなところで言うのもなんですが、果てしなくベタですみません。




