05 勝手に決めた運命の日
――くそ、どこいんだよ……!
夜中だから冷えてるはずなのに、さっきから汗が伝ってきてうぜぇ。
久々に全力疾走しまくってるせいなのはわかってるけど。
『おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が――』
何十回目かのコールもお決まりの音声に繋がるだけ。
マンションと駅と大学それとあの店員が出てこねぇ店、とその周り。足で捜せるとこは大体捜した。あとはマスターの店くらいか……そこあたったら次はバイク使ってミウさん家くらいか。
『佳也クン、さっきの忘れて。何かごめんね、私ちょっと勘違いしてたみたい』
冗談じゃねぇ。
忘れられるわけねぇだろ。やっと、ここまで来たのに。
――ミウさんが俺と同じだって、思える瞬間があったのに。
あの人のことだから、絶対に勘違いしてる。
何でわかんねぇんだよ。疑う余地もねぇだろ……いや、直球で言わなかった俺が悪ぃ。
あのタイミングの悪さより、何が何でも引き留めらんなかった自分が情けなくてしょうがねぇ。
細ぇ腕思いっきり掴んで、叫べばよかった。“俺が好きなのはあんただけだ”って。
ハッ……有り得ねぇ、ドラマか。けどそれくらいはっきり言わなきゃあの人はわかんねぇ。
うざがられても何でもいい。
絶対に見つけて、今度は掴まえる。ちゃんと伝えるまで離さねぇから。
「はぁ…っ、は……」
やけに息が切れる……バンドに本腰入れてからロクに体動かさなかったツケか。たかが一、二時間ぶっ通しで走っただけで……正十郎が知ったらガチでうさぎ跳びで道場三十周だな、これ。
「ッチ……クソが」
「――おや? 君は……」
軽く息を整えながら路地から出たところで、前から声がかかる。
いたのは初老の優しそうな感じの男。あんま人の顔覚えたりしねぇ俺でも、この歳くらいの知り合いは少ねぇからすぐわかった。
「……こんばんは。マスター、っすよね?」
「ああ、やっぱり。こんばんは、佳也くん」
どっかからの帰りって感じのマスターを見て、ミウさんが店に行った可能性を消す。
悪ぃけど、今は立ち話してる時間すら惜しい。
「すんません、今ちょっと急いでるんで……」
頭を下げて通り過ぎようとした途端、
「……美雨さん、ですか?」
その名前だけで、体が勝手に止まった。
「っ知ってますか?! どこにいるか……!」
その時の詰め寄り方は、後で考えれば相当鬼気迫ったモンだったと思う。
細いフレームの眼鏡の目が見開かれて、そこでほんの少しだけ冷静になった。
「いえ……ご期待に沿えなくてすみません」
「いや、俺の方こそいきなりすみませんでした……」
自分でさっきどっかからの帰りって判断したじゃねぇか。関係ねぇ人に迷惑かけんなよ、俺。
「……喧嘩でもしましたか?」
「…………ある意味そっちの方がよかったっす」
取り合ってすらくれなかった。マジで取り付く島もねぇ。
「喉、渇いてませんか?」
「は?」
「若人がそんな顔をしていてはいけませんよ。少し付き合ってください」
独特の柔らかいテンポに引っ張られる。
ンな時間ねぇのに、何か休まなきゃいけねぇ気がした。
マスターの後に続いて路地を歩いてく。道覚えんのは得意だからわかる。店とは別の方向だ。
問答無用で自販でコーヒーを買ってくれて、寂れた公園のベンチに座らされる。わりと押しの強い人だな……まぁ奥さんがアレだからか。
「――さて、老人が立ち入っていいお話ではなさそうなので、君は何も言わなくて大丈夫ですし、私も特に聞きません」
……“さて”って言ってそうくんの、初めて聞いたんだけど。
いや、俺だって別に話してぇわけじゃねぇから助かるけど。
「なのでそのコーヒーを一口ずつ飲んで休憩していてください。私はその間に勝手な昔話をしましょう」
「はぁ……」
マジで独特のテンポしてんな、この人。つーかマスターって呼ばれてるけど本名何。
「そうですね、では八年ほど前の話をしましょうか。美雨さんがお兄さんに連れられて初めて店に来た日のことです」
ガチで聞く体勢になった自分、マジでわかりやす過ぎんだろ。
「とても印象深かったもので、今でも覚えていますよ。お兄さんが大学生で既に常連さんになっていて、美雨さんはその時まだ中学生でした。セミロングの黒髪にセーラー服を着ていて、その頃から背の高い綺麗なお嬢さんでしたよ」
黒髪セーラーの若いミウさん……超見てぇ。化粧してねぇはずだし、絶対可愛い。
俺の頭ン中で勝手な中学生のミウさんが構築されてく間に、マスターは普通に話を続ける。
「ただ残念だったのは、その頃の美雨さんは全く笑わなかったんですよ。いつもそっぽを向いていて、何をするにも不機嫌そうと言うか……思春期と反抗期が物凄く激しい子なのかな、と思っていたんですよ、最初は。
でもそれが私の思い違いだと言うことに気付いたのはそれから半年後でした」
ふと、思った。この話、俺が聞いていいのか?ただの昔話じゃねぇ雰囲気があからさまにする。
ミウさんが隠したい過去とかなら、俺は聞きたくねぇ――
「ああ、先に言っておきますね。捉え方によっては暗い話になりますが、これは本人が笑い話にする過去ですから」
「……そう、なんすか?」
「はい。だから気負わず聞いてくださいね」
…………暗い話で笑い話って何だ。
「美雨さんの顔立ちって、無表情だと少しきつく見えませんか?」
「あー……そう言われると、そうっすね」
素の顔があっさりしてるから若干冷たく見える。化粧してると更にプラスで迫力。
翠星館に行く電車の中とか、ソファーでやらかした時とかに見た。最近だと…………さっき、一瞬だけ。
……あんな顔させるつもりなかった。あの人には笑っててほしいのに。って、どう考えても俺が悪ぃ。
「佳也くん、コーヒーを一口飲んで、ゆっくり喉に通してください」
「はい?」
「さぁ、どうぞ」
とりあえず言われた通りにしてみる。缶から俺の口が離れてから、マスターがまた話し出した。
「かわいいものが好きなんですよ、彼女。だから自分の顔が大嫌いだったんです、かわいくないから」
「…………は?」
「かわいくない自分を見られたくなくて、そっぽを向いたりわざと顔をしかめて普通の顔を見られないようにしたり……とても素敵なお嬢さんなのに、少し変わっていたんですよね。そのままでもすっきりしていて綺麗でしたし、笑えば花のように可愛らしかったのに」
「何か…それって今でも何となく根底にあるような……」
「そうですね。今では改善したと言うより開き直ったみたいで……まぁ多少は昔より自分を受け入れているようですが。とても前向きに見えて後ろ向きな子なんですよね、彼女は」
それは全力で頷ける。あの人自分自身に関することになると物凄いネガティブになるし。
あの謎過ぎる思考回路の謎が解けた……ようでやっぱよくわかんねぇ。主に修正の仕方が。
「佳也くん。もし彼女の隣にいてくれるなら、ひとつだけ私からお願いをしても構いませんか?」
「……いることができるなら」
まだ間に合うなら。もう一度あの人に近付きたい。
笑って、名前呼んで、甘えてほしい。おごがましいとは思うけど、これは紛れもない本心。
「美雨さんが自分を卑下する言葉を言ったら注意してあげてください。
あれは素敵な女性が使う言葉ではありませんから。瑞江さんのように」
「…………」
今なんか惚気入った……いや、置いとこう。
“私みたいな変なの”“こんな女”“貧弱顔”“派手なおばさん”……まだ出てくんな。よく使ってんのはこの辺りか。
言うごとに、毎回注意して直してく。相手がミウさんじゃなきゃめんどくせぇ頼まれ事だ――喜んでやるけど。
「頼まれて、くれますか?」
「……はい。今日から始めます」
火曜、午前0:11。俺が勝手に決めた運命の日。
家に帰って、風呂入って着替えてちゃんとして、ミウさんに会いに行く。
門前払いされても土下座して入る。無理だったら強行突破もアリ。
最初からもうどうしようもねぇとこまでオチてんだから、後は這い上がるしかねぇ。
空になった缶を遠くのゴミ箱に放り投げて、俺は着信のないケータイを握り締めた。




