05 夢、じゃねぇよな
感情で死ぬことがあったら。この人に会ってから何度もそんな有り得ねぇことを思った。
嬉し過ぎて死ぬことがもしあるとしたら、俺は多分今までの中で一番派手な死に様を晒してただろう。
ノリでも勢いでも何も考えてなくてもただの感謝の気持ちでも。
『佳也クン愛してる』
都合よく切り取って何度でもリピートされる、弾んだ嬉しそうな声。
CD渡しただけでこんなこと言ってもらえんなら、どんだけでも貸すっつぅかあげる。あんたが喜ぶんだったらロスエンのメンバーに会わせることだって生演奏聴かせることだって、何だってできる。
虚しさよりも嬉しさが先行してる。特別な意味じゃねぇことなんかハナっからわかってんだよ。妄想に浸るくらい自由じゃねぇか。
どうしていいかわかんねぇくらい好きな女に“好き”通り越して“愛してる”とか言われたら、驚くし嬉しいし幸せだしやっぱどうしていいかわかんなくなんだろ。
「ぼうや、手が震えてるわよ」
「っ?!」
耳元でいきなり囁かれた声と意味に肩が大袈裟なほど揺れる。振り返るより先に、反射みたいにテーブルから両手が下りた。
「ほら、美雨ちゃん。リクエストのすっぱくなくてあったかいものよ」
「え、あ、こんばんは瑞江さん」
「こんばんは。じゃなくてさっさとソレしまいなさいよ。料理置けないじゃない」
「はぁい」
ミウさんが普通に返事をして落ち着くと同時に俺の手の震えも治まる。
マジ勢いだけの台詞で手ぇ震えるとか、どんだけミウさんのこと好きなんだよ俺。
「ぼうやはこれ」
「あ、どうも……」
つーかぼうやって何だ。
受け取ろうとした皿を避けられて、思わず見上げた先には店員にしちゃあ若干浮くくらいケバい女。三十いってるか微妙な線だ。このくらいの女は歳の話禁句なんだよな。
「さてぼうやに問題です。私とマスターは一体どんな関係でしょう?」
……店員と店主じゃねぇか。どう考えても。
まぁこの人が聞いてんのはそういうことじゃねぇことくらいわかる。
顔は似てねぇな。歳考えたら親子ってのもアリだけど違うか。兄妹……歳離れ過ぎだろ。親戚、も何か違ぇし。あー何だっつぅんだよ……あ。
「…………ご夫婦、ですか?」
左手のリング。それさっきマスターがつけてたのと一緒だろ。
すげぇ歳離れてるけど有り得ねぇこともない、はず。
「っ最高よぼうや!! あなたお名前は?!」
「さ、斎木佳也です……」
「佳也くん! そうよそうなのよあの人と私は二度と離れない固い固ぁい絆で結ばれた夫婦なの!! 一発でわかったのなんてここ数年であなただけよ! というかご新規さんなんか滅多に来ないけどねこのお店まぁそんなことはいいのよここは私とあの人の愛の巣なんだから誰も来なければいいのよってそれじゃあ経営が立ち行かないからガンガン来てちょうだいあなたみたいな素晴らしい目を持った子なら大歓迎よ! 美雨ちゃんなんかひどいのよ昔私が同じ質問したら何て答えたと思う?! “雇用する側とされる側じゃないんですか”とかぬかしたのよ! そんなの当たり前というか誰がそんなことわざわざ聞きに来るのよ顔に似合わずほんと抜けてんのよねあの「さっさと料理とドリンク置いてマスターといちゃついててください瑞江さん」あら、じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら! あなた~ン」
「「…………」」
何だ。あのすげぇ人。
「えーと、何か、ごめんね?」
「いえ……」
「瑞江さんのことすっかり忘れてた。先に言っとけばよかったね」
……あんな濃いキャラ、どうやったら忘れんだ。
「すっぱくなくてあったかいのって……オムライスっすか」
サラダ付きのとろとろしたオムライス。“すっぱくなくてあったかいの”とかまた可愛いこと言ってんなって思ってたけど、ミウさんにオムライス……アリだな。
「ただのオムライスじゃない気ぃするけどね。料理が瑞江さんでマスターがドリンク担当。リクエスト聞いて適当に作るのがここの基本だから。佳也クンのは……ラーメン、丼? 中華風ロコモコ的な?」
そう言われると納得できる。
盛られてる具がラーメンの具だし。中華どんぶりだし。
「まぁ味に外しはないよ。私ここに通って長いけどまずいもん出されたことないし」
「当たり前でしょ失礼ね!」
「………地獄耳」
瑞江さんが置いていった水の入ったタンブラーを横に置いて、グラデーションがかかったスカイブルーのドリンクで満たされたグラスが差し出される。
「とりあえず、乾杯?」
「何にっすか?」
「んー……初デート?」
………よかった。今飲んでたら確実に噴いてた。
何つぅ心臓に悪ぃ……つーかデートなのか?今語尾上がってたけど。絶対“?”ついてたけど。これマジでデートなのか?
「……じゃ、乾杯」
「はーい」
カツンッ
澄んだ音を立てたグラスを傾けて半分くらいを一気に飲む。さっきから妙に喉が渇いてたから助かる。
喉に引っかからねぇ控え目の甘さと何となくスーッとした感じが飲みやすいし美味い。
ミウさんのグラスにも似たような色のドリンクが入ってるけど、下の方に何でかこんぺいとうが入ってる。二口飲んだくらいでグラスを置いて苦い顔。
「ミウさん?」
「……それ、甘い?」
「え? まぁ若干……」
「一口ちょうだい」
「あ、はい。どうぞ」
渡したグラスがミウさんの唇につくのを目が勝手に追う。
あーやっぱ何かエロい。キスしてぇ。あんま見ると毒なのわかってんのにどうしても目が行く。つーか間接キス……じゃねぇな、俺が口付けたのグラスの反対側だったな。くそ、どっちにしても駄目だ。
「……はぁ…マスター! 何で私のだけきっついの入ってんですかー!」
「美雨さんのイメージですよ。ブルーキュラソーにライム、アマレットとテキーラ。香りは爽やかでほんのり甘いでしょう?」
イメージ、か……納得。
見た目は冷たそうでも、からっとしてて甘くて微妙にきつい。けどそのまま進めば甘い砂糖菓子がごろごろしてる。ミウさんって人間はきっとそんな感じ。マスターはミウさんのことよくわかってる。
俺は今どの位置にいるんだ?まだグラスの縁の方か?半ばの方か?つーかカクテルに例えるなんて文学青年気取りかよ俺。
「私の作ったカクテル、残さないでくださいね?」
「残しませんよ。普通においしいし。予想外に甘くなくてびっくりしただけです」
「ちょっと美雨ちゃん! この人を盗らないでちょうだい! あなたにはそこのエロ声美青年がいるでしょうが!」
…………エロ声、美青年?
「やっぱ瑞江さんも思います?! 絶対わかってくれると思ってました!」
「美雨ちゃんとは好みが似てるから心配なのよ……若さにかこつけてこの人を誘惑しないかっていつも不安で不安で」
「さすがに三回りくらい年上はないですから。友達にそういう子いますけど。瑞江さんこそこの子毒牙にかけたりしないでくださいねーいっくら好みのイケメンだからって一回りは違うんだから」
「失礼ねぇ。私は永遠のハタチなのよ!」
右見て、左見て、後方確認。
俺 の こ と か 。
え、ちょ、待て?どういうこと?
誰かもうちょい詳細くれ。
「ハタチっつったら私より下じゃないですか。いい加減通じませんよそれ。もういいからマスターんとこ戻ってくださいよ」
「あなた! 浮気なんかしないわよ私はあなた一筋で生きてるわ!」
「ははっ、わかってますよ瑞江さん」
目も当てられないほどいちゃつきながら二人が退場して、残されたのは普通にオムライスを突っつき始めたミウさんと手が止まったままの俺。
「どしたの佳也クン?」
「あ、あー、いや、何も……」
ない、とは言えねぇ。
俺の耳が正常に働いてるなら、多分何か普通に褒められた、ような気が。つーか話まとめると、俺の顔がミウさんと瑞江さんのお目がねに適ったってとれるんですが……?
「やっぱ佳也クンかっこいいよ、うん。私の目に狂いはない」
…………夢、じゃねぇよな。
「……い、や…別に、俺……」
「あれ、そういうの言われない? 京介くんのきらきらオーラに消されてんのか……?」
きらきらオーラって。いやすげぇわかるけど。
面と向かってンなこと言われたのは初めてで。興味ねぇ女なら普通にスルーするけど相手はミウさんなわけで。
マジ、何て返せばいいか、わかんねぇ。
無駄に顔面が熱くなって、それをどうやって止めるのかすらわかんねぇ。
「……俺がかっこいいんだったら、ミウさんは綺麗っすよ」
「…………はぁ?」
俺の口。もう許可すっから勝手に喋れよ。正直に生きるって決めたから。
「ミウさんマジかっこいいし美人だし、普通に何してても綺麗だし、笑った時とかすげぇ可愛いしっつーか「ストップストップストップ!!」
あ、顔真っ赤。可愛い。
「……お前は私を殺しにかかってんのか?! 今なら恥で死ぬぞ?!」
どっちかっつーと口説きにかかってますが。
「だってミ「だってじゃねぇよ何の復讐だよこれひどい羞恥プレイじゃねぇか! あーもうわかった言わねぇからかっこいいとかエロ声とか思ってても言わねぇからそういう手でいじめにかかんのマジ勘弁してください」
「いや、ほん「うるせぇ黙れ」……ハイ」
本音なんすけど。
これ以上言ったらまた殴られることを本能で察知した俺は渋々指示に従った。
「…………うん。よし。とりあえず飯食おう。冷めるとまずい」
「まずくないわよ! ほんっと失礼ねぇ!」
「聞き耳立ててんじゃねぇですよ!!」
“よし”じゃねぇし……
こりゃもう根競べか。俺が諦めるか、ミウさんが聞き入れるか。どっちが先だろうな。
俺のこと意識してもらえるのと、自分が綺麗な自覚もってもらうの。これが目下のとこの課題だ。
できれば先に意識してもらいたい。そうすりゃもっと堂々と言える。今でも俺にしちゃあ奇跡みてぇなもんだけど。
“可愛い”“美人”“綺麗”“かっこいい”これは言った。後、今日言うべきなのはひとつだけ。
現在時刻20:06。リミットはわかんねぇけど、タイミングだけは間違えんじゃねぇぞ、俺。
あの時言えなかった言葉、たった一言を何度も頭で繰り返しながら、俺はようやく一番上にのった卵を崩し始めた。




