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02 軽く息を吐いて

ファンデ、マスカラ、アイライン、シャドウ、アイブロウ、チーク、リップ。問題なし、出撃ランプはオールグリーン。

あんなイケメンの隣歩くんだからそれなりに気合い入れないと失礼っつーか私が恥ずかしい。

四月なのにやたら寒い気温のせいで何着たらいいかも謎。異常気象いい加減にしろよマジで。


「――美雨、何してる。お前今日は堂々と遅刻する気か?」


お。おう……我が兄ながら何と高圧的。


「あー、お兄ちゃん」


振り返らなくてもわかる。やたらと不機嫌そうな顔をしたその人は七つ上の兄、真雪(まゆき)

メディア関係の仕事をしているせいなのか、やたらと物凄く不規則な生活をしていて朝は物凄い早いか昼まで寝てるかのどっちかが多い。

こんな変な時間に起きてくんの、珍しいな。つーかその面やめてくれませんか怖いってか私に似てるから。笑顔でいろとは言わないからさ。


「ねぇ、この季節にこのジャケットって有り?」

「……今日の気温で季節に合わせた服着るやつはただの馬鹿だ。それより化粧に髪を合わせろ。色が派手だからってそんな化粧が濃いと負ける」

「え、マジ? そんな濃い?! やばい?」

「いつもの二割増しは固い。いいから髪いじれ。下は緑のパンプス」

「はいよー」


あのパンプスか。全然考えてなかったなー際どい外し方だし。

何だかんだ言っていつもしっかりアドバイスしてくれるから重宝する。オニイサマ様々です。


ごついジャケットにワンピみたいなトップスにほとんど見えないショートパンツ、派手なレギンスの下に緑のパンプスを装備した私はお兄ちゃんの最終チェックをパスして、早足で目指すはバス停。

今日は講義取ってなくて聴講してるだけだから別に行かなくても何も問題ない。元々自習室で卒論の概要書詰めようと思ってただけだし。あ、あと合宿のタイムテーブル組まなきゃ。


本数の少ないバスを捕まえて十五分、駅で上り電車を待ってる間にホームの自販でレモンティーを買う。


「だぁから~マジ一日だけでいーから、な?」

「は? 無理だし。絶対却下」


階段の奥から響いてくる声を聞いた瞬間、私は野生の獣並の早さで階段裏までダッシュした。

何で、何でいるんだよ。いや最寄り駅同じなんだからいてもおかしくないんだけどマジでタイミング悪いな。


見なくても声だけですぐわかる。あれは一年半前に別れた――元カレだ。

声で判断できるのは高校の部活の後輩で仲が良かったからで、未練なんかこれっっっぽっちもない。ただ別れる時にちょっとこじれたから会いたくないんだよ。

あいつと別れてから男運下がる一方だし変なのばっかに好かれるし……何か色々面倒臭ぇ。


「はぁ……」


電車さん、早くいらしてください。

そう思わずにはいられなかった。




× × ×




「こんにちはぁ東せんぱーい! 今お時間ありますかぁ?」


ぷりっぷりできらっきらの笑顔。

ひとつ歳が違うだけで、何でこんな若々しくてかわいいのか。


「うん、別に暇だけど。どしたの?」


自習室前のテラスで一服してた私は当然ながら特に忙しくない。

合宿のタイムテーブルはもうお嬢に確認してもらって先生に送信済だし、卒論の概要書は一応何となくまとまったし。

かわいい後輩とお話する時間は充分ありますよ。


「あの、ゼミで今度合宿があるじゃないですか。それって何やるのかイマイチよくわかんなくて……先生も曖昧だし」

「あー私らン時もそうだった」


三年で初めて入ったゼミで初めての合宿。何するんだかわかんないまま電車と高速バスを使って着いた先ではずっと会議室に張り付けの二泊三日。

つらいったらなかった。タイムテーブルの詰め方が甘くてろくに休憩もないし。

だから今回は研究発表と演習をできるだけ詰めて休憩を長めにとって、フリーの時間も作った。こんな時ゼミ長になっといて得したと思う。


「合宿内容は毎年大体同じだから……多分認知療法と芸術療法、あとSSTとかのワークやったり私らの卒論経過報告したり。眠気と頭痛との戦いって感じ? 二日目の夜はコンパにしといたからそれで頑張って」

「ふわぁ……何か本格的なんですね」

「うちのゼミは実践がモットーだからね」


心理学部一、合宿がきついゼミ。結構有名なんだけどさ。他のゼミは日程の半分以上遊びなのに、うちのゼミは無理矢理時間を捩込まないと遊べないくらいスケジュールが詰まってるって。


三年生とは同じ時間にゼミやってるわけじゃないし、正直あんま接点がない。私まだ後輩ゼミの半分も顔覚えてないし。だから正直この子の名前もフルネームで言えない。

なのに何でかゼミの全員が私のこと前から知ってたっつぅじゃないですか。何でよとか思ってたら“目立つんで”って言われましたよあはは。嬉しくねぇ。


「あれ、美雨~! 今日来てたんだぁ」


…………だから名前呼ぶなっつってんだろうが!


「田宮センパイ! こんにちはぁ」

「こんちわ~私も混ぜてぇ。あ、美雨、レモンティーさんを一口くださいな」

「…………智絵」


ここどこだかわかってんだろ?公共の場じゃ名前呼ぶなっつったよな?何回言ってもわかんねぇんだったら拳で語り合うしかねぇよなオイ。


「東センパイの名前ってかわいーですよね。いいなぁ」

「……交換できるものなら今すぐさせて。つーか名前の話はしないでマジ恥ずかしいから」

「えぇー近寄りがたい美人さんがかわいー名前ってギャップがたまんないんですよ!」


この子が私の名前を知ってるのは別に智絵が呼んだせいじゃない。ゼミ選考後の親睦会でフルネームを言ったからだ。きちんとした場での自己紹介で名字しか名乗らないなんてことできるわけないし。

でも、名前のことは、放っておいて、ほしいんですが。つーか美人とかみんなヨイショし過ぎだっつぅの!


「センパイ、マジで彼氏いないんですかぁ? 勿体ない~」

「いないよ。今は特に作る気もないし。つーか私みたいなの彼女にしたい奴いないって」

「……マジなとこ、緒川センパイとどうなんですか?」


緒川って……良平?

…………はぁ?


「ッキャハハハ! 東と良平?! ないないない! 大体良平彼女いるしねぇ」

「つーか何でそんな話になってんの」

「だってふたりでいっつもここで煙草吸ってるし! 東センパイ男子の中で緒川センパイには普通に話しかけてるし! 何か雰囲気が違うってうちらの中ではもっぱらの噂なんです!」

「うわ、曲解……」

「まぁ東は良平贔屓だからねぇ」

「贔屓っつーか他がひど過ぎて一番普通に見えっから」


良平のことは好きだけど恋愛的には何とも思ってない。それは多分向こうも同じ。

何で深読みするかな。当人同士何とも思ってないから。


「大体、東にはお気に入りクンがいるもん。ねぇ?」


ややこしくなるようなこと言うんじゃねぇよ田宮。

佳也クンは関係ねぇだろ。


「ちょっと、田宮センパイ、そこ詳しくお願いします!」

「んん~私の口から言えるのは旅先で出会った年下イケメンを東お姉様がたぶらか「誤解を招く発言は控えていただけますか田宮サン」


たぶらかしてねぇし。あんなレベル高いのたぶらかせるわけねぇだろうが。


あれから会ってない佳也クンを改めて思い出してみる。

あっさり目の鋭い顔の造りは私の好み以前に一般的に見ても充分かっこいいわけで。しかもあのエロ声に高身長、ついでに言えばキスも上手い。あれでモテないわけがない。多少口下手っぽいとこもハマる女は結構いるはず。


腕時計をちらっと見て、現在時刻15:54。こっから学バス乗って駅まで行って、向こうの最寄り駅まで。今出ればいい頃合いかな。


「……私、帰るわ」

「え、ご飯食べ行こうよぉ。バイト?」

「いや、」


佳也クンと約束してる、なんつったらまた面倒臭ぇことになるな、これ。


「CD巡りの旅に出るわ」

「はぁ?」

「じゃあね、また明日だか明後日」

「……はぁい。お疲れ様でーす」

「お疲れ~」


若干不満そうな後輩と、文句を言いつつ普段通りの智絵を残してベンチから立ち上がる。


……よく言われるし私も言うけど何でバイトでもないのにお疲れ様なんだ。

未だに誰にも聞けない疑問を浮かべながら、私はパンプスのヒールを鳴らした。




× × ×




佳也クンの通ってるとこは、何の奇跡か元カレの行ってるとこと同じ大学だ。ついでにお兄ちゃんが通ってた大学も同じ。

だから結構色んな店も知ってるし遊び慣れてる。じゃなきゃこの場所指定してないし。


若干ながら視線が集まってるのがわかる。まぁいつものことだけど……都会に出りゃ私みたいの多分たくさんいるからね?その受け入れがたいものを見たような目ぇしないでくださいよ見知らぬおじさんおばさんたち。

車掌のアナウンスと速度を落とした電車に毎度のお馴染みの脳内ツッコミを終了させる。待ち合わせ十三分前。化粧直しするにはちょうどいい。



《――、――でございます。降り口は左側でございます》



ドアが開いて一瞬だけホームを確認。変なものがいないのに安心して私はさっさと電車を降りて階段を上がる。

エスカレーターのある側じゃなかったのは失敗だった。このパンプス、あんま長い距離歩かない時用に買ったから微妙に擦れる……まぁ半日くらい大丈夫だろ。


化粧室で空いてた鏡の前を陣取ってポーチを用意。両隣もそのまた隣も大体似たような状況が何か笑える。

ファンデ直してからビューラーでまつげを復活。少しヨレた下のアイラインを引き直して、リップとグロスを乗せたら大体オッケー。編み込み混じりでアップにした前髪を慎重に直したら完璧。素材が微妙でも飾ればどうにかなるから女は得だと思う。


「…七分前」


ちょっと構内の本屋チラ見したかったけど……自分から誘ったんだし早めに行って待つか。

出口の全身鏡でセルフチェックをパスして、改札を通ってとりあえず待ち合わせしてますって感じで壁に立ってる人たちに混じる。ケータイで暇つぶししようか、そう思った数秒後だった。


「うわ……」


ライダースにアートプリントみたいなインナー、スキニーをインしたビンテージっぽいショートブーツ。ベルトもゴツめで黒いハット。

たまたま目に入っただけだったのに、やたらと目を引く人だ。多分上背があってスタイルもいいからだろう。


ちなみに“うわ”ってのは引いたからじゃないから。むしろ私好みにかっこよくてびっくりしただけだから。

いいなぁ、ああいう格好した人だと一緒に歩く気になる。歴代彼氏は私と系統も全然違うし正直センス悪いのが多かったから憧れる。

ヒール履くのにも気ぃ使わなくてよさそう。これで顔が残念だったら何かときめき返せってなるけど。


遠目で見た感じ、顔はあんまわかんない…………って、あれ?

髪、何かどす黒っぽい赤なんだけど。あれ?

よく考えたらあれくらいの背格好って。あれ?


えーと、二度目なりますが、私微妙に目ぇ悪いんですよ。


「うわぁ……」


近付いてくる、“私好みにかっこいい人”もとい――佳也クン。

今彼とすれ違った女子高生さんたち。残念ながらそんな目で見ても彼は先約ありですよ。それが私ってのが申し訳ないけど役得。つーかやっぱモテそうだね君。最初地味とか思ってごめん。前髪のせいだよ。

あー改札見てたって来ないよ。私すでに到着済だから。だったら話しかけろよって話だけど何だか恐れ多いってか。私なんかがあんなイケメンに話しかけていいもんなのか。


「いや、話しかけろよ」


ついセルフツッコミ。ひとりでいると何だか頭が楽しい状態になる。


軽く息を吐いて。

女、東ヶ原美雨、いかせていただきます。

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