第九章 恐竜展
第九章 恐竜展
小野原は数年前の8月、暑かった日本の夏を回顧していた。二度目の信太郎と一緒に行った恐竜展。自分一人で行った時に比べて別な楽しみが有った。何しろ子供達はよく知っている。恐竜達の展示を見ていく内に、信太郎からは随分と説明をしてもらった。まるでガイド付きの観光気分だった。
その2日後、信太郎からメールが届いていた。それには。
「おじさん、昨日は本当にありがとうございました。楽しかったです。インターネットを楽しんでいますか?もしホームページを作りたいのなら又手伝いに行きますので連絡下さい。」
と書かれていた。
小野原勉は駅員の熱心な勧誘から恐竜展を見に行き、そこで子供達の旺盛な知識に刺激を受け、自分自身も少しは勉強してみようと思い立ち、あれからずっと本で知識を蓄えてきた。インターネットにはまり込んでからまだ2日間だけだが時間が許す限りパソコンの前に陣取り、それぞれのホームページを閲覧してきた。
小野原は多年の経験から事件捜査で、自分の判断やカンを初期の段階で表明しないほうがよいことを知っていた。何気ない一言が、若い刑事に先入観をもたせて、捜査を誤った方向へ導く事がある。しかし、逆に自分の判断やカンが今まで狂った事が無いことも知っている。ホームページを多く見るに連れて恐竜に引き込まれていく。
イギリスで1676年にロバート・プロットによって恐竜の化石が発見された。当時は全知全能の神が創った生物が滅びる事は無いというキリスト教の教義から、絶滅した生物の化石だとは言えず、巨人の骨だとされていた。それでも約100年後の、1763年になってR・ブルックスによって、それはメガロサウルスの大腿骨だと特定された。1802年から1860年にかけて同じ場所からかなりの恐竜足跡化石が掘り起こされた。アメリカでも1820年に恐竜の骨を発掘したがやはり巨人の骨だと言われた。
日本ではどうだろうか、十数年前までの学説では、恐竜は日本には居なかった。何故なら当時日本の国土は海底下にあったからと言う学説が蔓延していたからである。しかし、熊本県で恐竜の足跡が発見されてから100パーセント地質学地図が塗り替えられる事となった。今では日本国内の至る所で数十の恐竜化石が発掘されているという。
何しろ恐竜が最初にヨーロッパで発見されてから330年、それが学問となってからの150年というもの、恐竜の研究はそれぞれ発掘者の科学的推論の演習そのものである。いわゆる自分が述べる推論に証拠を出せと言われても、あくまで状況証拠しか揃えられない。日本の裁判では通用しないと小野原勉は思った。
恐竜骨の化石やその足跡から太古に絶滅した恐竜達の手がかりをもとめ、推理を働かせる。最良の古生物学者と言う者は、自分がうち立てた推理に基づき、最もすぐれた結論=推論を引き出せる者だ。小野原勉は本を読み進め、インターネットで勉強を進める内に、古生物学者は古生物探偵じゃないかと思った。
今まで足を棒にして証拠集めや捜査をしてきた小野原にとって証拠無くして推論が通る世界は、余りにも楽な世界に思えた。これなら自分にも出来る。ひとつ、古生物探偵になってやろう。
それにしても、本でもインターネットでも総てと言って良いほどに、地質年代表の時代年数が微妙に違っているのを見つけた。本などは筆者が書き、編集、印刷、出版、そして販売という時間的な問題があるからだろうとは思うが、インターネットでもそれぞれが違っている。どうしてだろう。どれが一番正解なのだろう。その他にも色々と疑問な点が浮かび上がってきた。よし、ちょっとインターネットでメールを送ってみようと小野原は考えた。
「さて、誰にこの疑問を送ればいいのか。」
パソコンの前に座って小野原は考えた。これらの疑問のレベルはどんなものだろうか、それによって恥ずかしい思いをしなくてはならないかも知れない。小野原は正直なところ迷った。
「そうだ、信太郎君からメールが来ていた。そうだ信太郎君に聞こう。彼が先生だもんな。」
小野原勉は苦労して質問を書き込んで送信ボタンをクリックした。
「まぁ、返事が来るのは明日かな。楽しみに待っていよう。そうだ、山本君がアメリカやイギリスの警察のホームページを見ているって信太郎君が言ってたなぁ。ちょっと見てみるか。」
小野原勉はスコットランドヤードの公式ホームページに入ってみた。勿論、英語で書いてあるので大半は意味不明だ。数ページ読んだと言うより眺めた感じだ。
ふと小野原は、自分が警察に関しての関心を失っているのを感じた。そこで、先日見たオーストラリアの香山さんのホームページでブリスベン博物館へのリンクが有ったのを思い出した。
「同じ英語なら恐竜の方を見てみるか」
小野原はつぶやきながら早速、ブリスベン博物館のページを呼び出した。
「言葉が判らないのは同じだが、こっちのホームページの方が何となく判るような気がする。やっぱり恐竜探偵の方が良さそうだわい。」
小野原はパソコンに話し掛けるように言った。そこへパソコンが変な音を鳴らし、画面の下の手紙マークにランプが点滅しだした。
「なんだろう。別に何も操作していないのに。あっ、これをクリックしたらメールが見られるって信太郎君が言ってたなぁ。」
つぶやきながらカーソルを合わせクリックした。信太郎からの返事だった。
「ありゃ、早いなぁ。信太郎君もパソコンの前に座っていたのかな。」
「今現在、南半球で一番大きな全長26メートルのブラキオサウルスを発掘しているので参加されてはいかがですか。丁度こちらは冬場ですから11月に今年最後の発掘をやります。期間は二週間ですので費用は少し掛かりますが、経験の意味で参加するのも面白いですよ。参加申し込みはブリスベン博物館のホームページから出来ますが、英文ですので面倒でしたら、私の方から担当している古生物学者に直接申し込んでもいいですよ。」
と、オーストラリアの香山さんにメールで紹介された。
信太郎と一緒に恐竜展を見に行ってから3ヶ月の時点で小野原勉はカンタス航空の機内にいた。
初めての海外旅行だ。それも単なる観光旅行ではなく恐竜の化石を掘り出すという崇高な目的を持っての旅である。
治安判事と言う肩書きを持つ香山であるが、会ってみて気さくな人で安心した。中肉中背、浅黒く日焼けした大きめの丸顔で、細い眼にどっしりした鼻を持ち、銀縁のメガネをその鼻の上に引っかけるようにしてかけ、白髪交じりの髭が特徴だった。還暦を迎えると言うわりには若く見える。
「まぁ独身ですから、金銭面以外のフラストレーションが無くて、苦労が無いから若く見えるのでしょうかなぁ。あははは。実際、当地で免許証でも見せない限り年齢は信じて貰えませんわ。」
香山は豪快に笑い飛ばした。
小野原勉は恐竜の発掘予定日に先駆けて数日の余裕を見て渡豪した。
「ブリスベンからウイントンの発掘現場まで、約2000キロの距離が有りますから、途中一泊して車を走らせた方が良いでしょう。まぁ私の場合、貧乏人ですから、宿泊費が勿体ない。だから一日で走ってしまいますがねぇ。そこで早速ですが今日はブリスベン博物館へ行っていただきます。ちょっと用事がありますのでね。お疲れでしょうが、お付き合いください。博物館の入り口にはマタボウラサウルスの骨格がデンと据え付けられていますよ。楽しいですよ。そうそう、これからの予定ですが、今夜はゴールドコーストへ行って泊まります。明日は昼過ぎまで観光をして3時頃からダルビーの私の小屋へ行きましょう。山登りしたときの山小屋を想像してください。汚いところですがそこで一泊していただいて、翌日早朝からウイントンに向かって走り始めましょう。」
空港へ迎えにきてくれた車の中で香山は言った。
「いやぁ、何から何までお世話をおかけします。何も判らない本当にど素人ですから100パーセントお任せするしか能がありません。どうかよろしくお願いします。」
小野原勉も謙遜ではなく心から言った。本当に、初めての海外旅行でもある事だ。英会話なんか全く出来ない。勿論、実際に恐竜に触れてみるのも初めての事だ。年齢の所為で度胸だけは人一倍ある。でもそれが海外のしかも言葉の通じない中で通用するものなのだろうか。恐竜の化石を掘りに行って、もし何かの化石を見つける事が出来たとしても、それがいったい何の化石かも判らない。考えてみれば無謀な事だらけだ。今更ながら小野原は戸惑いを覚えた。
「まぁ英会話なんて慣れですから。ましてゴールドコーストなんかで生活されるならすべて日本語でも不自由しないぐらいですから、全く心配要りませんよ。」
小野原の心の中が見えるのか、香山がハンドルを握ったままで言った。
ブリスベン川に沿って建つクイーンズランド博物館は近代的な5階建て程の高さの大きな建物だった。地下駐車場へと車は滑り込むようにして入った。
「荷物は総て車の中に置き去りにしてください。カバンなんか持ち込むと入り口でいちいち預けなくてはなりませんから。」
と香山が言って後部座席からビニール袋を重そうに取り出した。
「これですか、これは先日掘り出した樹木の化石なんです。これの年代測定をして貰おうと持ってきたんです。ついでじゃなければなかなかここまでは来られませんからねぇ。あっ、しまった。ここじゃ無かった。」
と言いながら香山は元の位置にそれを戻した。
「どうしたんです。」
小野原も説明を聞きながらビックリしたように聞いた。
「いやぁ、ついうっかりしていてアネックスはヘンドラへ移転しているのを忘れていたんです。もう3年も前なのについつい博物館と言えばここへと走ってくるんです。馬鹿ですなぁ。でも折角駐車料金も払ってしまったので見学だけでもしましょう。」
と言って香山が先に立ってエレベーターに向かって歩き出した。
「アネックスってなんですか。」
追いついた小野原勉が聞いた。
「あぁアネックスは、何と言ったらいいかなぁ、作業場、保管庫かなぁ。実際、そこには200万点もの化石が分類されて保管されていますから。まぁ、一般には公開されていませんが。昔はここに有ったのですが狭くなってきたので、そのセクションだけが移転したのですよ。」
エレベーターの前で香山が説明してくれた。
エレベーターを降りると目の前にデンと見上げるように大きなマタボウラサウルスの骨格が立ちはだかっていた。高さが4メートル、長さも10メートル程有りそうだ。
「凄いですねぇ。少し前に恐竜展を見に行きまして感動したのですが、近くに見ると更に凄さが感じられます。こんな化石が全部揃って出たんですか。」
小野原が感心したように見上げながら聞いた。
「いやいや、これ全部が発掘された訳ではありませんよ。一部です。これはその発掘された骨を参考に造った物ですよ。だから恐竜展なんかでは、まぁ一部分は本物かも知れませんが大半はあとから造ってくっつけた物なんです。どこの博物館でも本物は奥深くしまってあるものですよ。じゃぁ本物の化石を見に行きましょう。」
香山はそう言ってエスカレーターへと足を運んだ。3階へ上がり廊下の奥にある事務所スペースへ来た。香山氏はカウンターに座っている男性に手を挙げて奥へと勝手に入っていった。小野原もそのまま従った。大きなたくさんの引き出しの前で香山が腕を組んでその見出しを丁寧に眺めている。
「あっ、これこれ。」
と言って引き出した。
「これが本物の化石ですよ。さっきも言いましたように、ここに有るのはほんの一部で大半はアネックスに有るのです。ちょっと触ってみませんか。」
香山が言うので小野原は恐る恐る手を出して触ってみた。
「へ〜こんな感じなんですか。これを見るとやっぱりさっきの全体骨格は模型と言うのが判りますね。これはいつ頃の物なんですか。」
小野原勉は初めて直接触る恐竜の化石に感激して聞いた。
「ちょっと待って下さい。これは135myaと書いていますから、日本語では白亜紀ですね。それもジュラ紀に近い時期です。このmyaというのはミリオン・イヤーズ・アゴーの意味ですから一億3500万年前の物ですよ。」
香山が年代を計算しながら説明した。更に別の引き出しを開けて、
「こちらのは同じ頃の樹木の化石ですよ。」
「これは現代の木と同じでちゃんと年輪が有りますね。」
小野原が同じように恐る恐る手を触れて言った。
「そうですね。ここにいると日本には無い勉強が出来ますので、楽しいですよ。ましてこんなにして手で触れられるでしょう。ところで時間がないので急ぎましょう。」
と香山は言って歩き出した。それぞれの展示物の前で香山の説明を聞きながら小野原勉は恐竜の前に地質学の勉強までしなくちゃならないなぁと重たい気持ちになった。
「そうですよ、古生物学は現代の生物にも比較しなくちゃなりませんから、一般動物学も必要ですし、勿論、地質学も重要です。更に植物も同じですね。例えば恐竜それぞれの歯も形状も大きさも違いますから、それを比較して食べていた食料などを考えます。でも少しは知識も必要ですけれど、大半は発掘した物自体をここへ持ち込めば、それが何であるか、年代はいつ頃のものであるかなど計測、鑑定してくれます。だから難しく考えないで無心に掘り出せばいいんです。」
香山が小野原の気持ちに応えて解説してくれたので少しは気持ちが落ち着いた。
アネックスまでは車で約10分程で着いた。重そうなビニール袋を提げた香川に続いて小野原も入った。何かの倉庫か工場だった建物を改良したのか、体育館の中に図書館の書庫が無数に建ち並んでいるような感じを受けた。中は薄暗く、湿度も外部に比べて多そうである。香山からクック博士に会うと聞いていたので、ふとお茶の水博士を思い浮かべていた小野原だったが、出てきた人物を見て驚いた。普通のTシャツにジーンズをはいて、角刈りの頭をした体格のがっちりした、どちらかというと丸暴に近い人物だった。香山が持参したビニール袋を預け、英語で何やら話しているのを横で聞いていたが、
「じゃぁ、ちょっと行きましょう。彼が案内してくれるそうです。」
と香山が急に声をかけたので、少しビックリした小野原だった。
迷路のようになった書庫ラックの間を右に左に何度も曲がり、ようやく目的の書庫の前に来た。さすが200万点も保管されている場所だ。1メートル幅程の引き出しが10段程も積み上げられ、それが無数に横並びで有る。その一つを博士が引き出した。
「これが現在ウイントンで掘り出されている例のブラキオサウルスの化石ですよ。この二つの列が総てそこから発掘された化石ばかりです。約500点ぐらいあるそうですよ。」
香山がクック博士の言葉を通訳してくれた。それにしても凄い大きさだ。間近に見て手で触ってみて、小野原は自分が入り込もうとしている恐竜の世界の凄さに今一度ため息をもらした。
別れ際にクック博士が何かを言って握手を求めてきたのでそれに応じたが何を言われたのかは判らない。車に乗って香山に聞いてみた。
「あぁ、近い内に発掘現場で又お会いしましょうと言っただけですよ。」
香山が何気なく教えてくれたが、小野原勉はそんなことも判らなかったのかと気持ちの上でかなり落ち込んだ。
その気配を運転しながら感じ得たのか香山氏が
「前にも話しましたように、英語は慣れですから、余り大げさに考えない方が良いですよ。」
と慰めともつかない言葉で言ってくれた。
「そうそう、私の前の同僚で若い時分にオーストラリアを1年かけて一周して英語を学んだと言う人間がおりましてな、そんな事で身に付くものでしょうかねぇ。」
小野原が山本の息子が自分に言った言葉を思い出して聞いてみた。
「あぁそれは良いことですよ。私も一周した事があります。大きな町では結構日本人なんかがいて、つい日本語で話をする事になりますが、小さな町では英語しか意思を疎通する手段はありませんからねぇ。特にオーストラリアの北半分は熱帯ですから話す言葉もゆっくりですし、田舎の人は人間好きと言いますか、話好きですから意思が疎通するまでゆっくりと話してくれますし、逆に、捕まれば離してくれない事もありますよ。特に老人なんかはね。まぁ総ての人々が無料奉仕で英語の先生をしてくれる訳ですから感謝の気持ちで接すればかなり英語力を伸ばす事は出来ますね。勿論その期間は日本とは絶縁しておかないと、英語で考えるようになった頭の中がすぐに元に返えっちゃいますからねぇ。」
車はいつの間にか8車線のハイウエイに入っていた。小野原は耳に聞いていたドイツのアウトバーンもこんなものかと想像してみた。道路幅が広いのでスピード感は無いが、ふとメーターに目をやると130キロもの速さで走っていた。
「それにしても、凄いスピードで走るのですね。」
小野原が恐る恐る聞いてみた。
「ははは、オーストラリアは広いですからねぇ。でもこれはやっぱりスピード違反ですから。」
と言って少しスピードを落とした香山が言葉を繋いだ。
「この道路のスピード制限は110キロなんです。でもそれをきっちり守って100キロぐらいで走るとしましょうか、どうです廻りの車に迷惑をかけるでしょう。」
実際のところ、現実に廻りの車が我々の車を迷惑そうに避けて追い越して走り去る。
「なるほど、郷にいれば郷に従えですな。」
小野原も納得した。
「さて、ゴールドコーストの町中に入ってきましたよ。どうです想像より大きな町でしょう。今走っている道はゴールドコーストハイウエイです。当地でハイウエイと言えば基幹道路という意味で日本の高速道路とは違いますからな。このあたりはメインビーチ、前方に高いビル群が見えますが、総てホテルかアパートですよ。まっ、日本ではマンションと言いますかな。そうそう、まずは宿を決めなくてはなりませんな。さて、どこにしたらいいものか。安いモーテルでもいいですかな。私は貧乏ですから。」
香山が車を運転しながら小野原を横目で見て言った。
「いいですねぇ、私も退職して貧乏ですから安い方がいいですよ。お任せします。」
小野原勉はモーテルと言われ、すぐさま日本の煌びやかなセックス産業を象徴するモーテルを想像した。
「モーテルって、イヤらしいことを想像したでしょう。」
小野原の心を覗いたかのように香山が聞いた。
「いや、その、昔の職業から結構犯罪の現場になっていますから、ふと」
「ははは、日本は本当に何でもねじ曲げてしまうからねぇ。日本でのモーテルは自動車旅行者の為の宿泊施設という本来の目的から逸脱してセックス産業の主流に転向してしまいましたからねぇ。まぁ物は例しと考えてください。カジノのあるブロードビーチの先で安いところを探しましょう。」
香山が小野原の戸惑いを受け、小野原の話す言葉の途中から割り込んで笑いながら言った。
世界で一番高い80階建てのマンションQ−1が建つという場所や、カジノのビルディングを眺めながら、車は一つのモーテルに入った。
「ここはこの辺りでも一番古いモーテルなんです。だから安い。だいたい僕はゴールドコーストへ来ると友人宅に泊まるか、気を使わないで過ごしたい時などはここに泊まるのです。小さなモーテルですし、オーナーも気さくな夫婦ですから。」
ここで香山が二つの部屋を確保した。小野原勉は自分の部屋へ入って思ったより広いし、ベッドも二つある。どうして別々に部屋をとったのかと夕食時に聞いてみた。
「あぁ、理由は簡単です。私のいびきがうるさいからなんです。」
香山がすらっと応えた。
「でも香山さんは独身でしょう、いびきがうるさいなんて誰が言うのですか。あっ、これは野暮な事を聞いてしまったかな。」
小野原がつい聞いて頭をかいた。
「いやいや、野暮な話は一つもありません。ゴールドコーストに住んでいたときは結構、友人や学生などの若い人達が私の家に泊まり込みで来ていましてね、部屋は3つ有りましたので余った二つの部屋に彼等が泊まるのですが、遠く離れた私の部屋から漏れ聞こえる私のいびきがうるさくて眠られなかったと言うのを数人から聞きましたのでねぇ。まぁ、それは明日、わたしの山小屋で経験出来ますよ。ははは。」
それにしても夕食のステーキは大きい。しかも柔らかくてうまい。小野原は久しくこんな美味いステーキを食べていなかったと思った。レストランの店内は広く、見回すと結構東洋系の客も多く、飲んでいるビールも美味い。まるで日本に居るみたいな錯覚を覚えた。
「おはようございます。昨夜はよく眠られましたかな。」
朝はゆっくりと出掛けましょうと言う香山の言葉で、久し振りに朝寝をした小野原が9時になって外へ出ると、車の準備をしていた香山が声をかけた。
「いやぁ、遅くなってしまいました。気持ちが落ち着いた所為かよく寝られました。」
「それはよかった。今日は今からちょっとカジノの建物に入って朝飯を食べてから、わたしは税理士のところと買い物に出掛けますのでお付き合い下さい。3時過ぎまではゴールドコーストですから途中色々と観光もしましょう。」
「わたしはここの2階にある税理士の事務所に行きます。小野原さんはその角を曲がったところに喫茶店が有りますからコーヒーでも飲んでいてください。1階の不動産屋を眺めているのも良いかも知れませんね。1時間程時間を下さい。」
と言って、香山は階段を上っていった。
小野原はついさっきコーヒーを飲んだところだし、1時間と言う時間を見知らぬ町の中を歩き回る程の度胸は今のところまだ無い、ふと不動産屋のウインドウに掲げられている売り物件の表示を眺めた。町の名前は判らないがたぶんこの近くだろうと想像しながら見て行く内に書かれた内容も何となく判り始めた。しかしどの物件にも土地の面積や建物の面積が書かれていない。これはあとで香山さんに聞いてみよう。数軒先にも別な不動産屋があった。ここから離れるのは不安だがまだ時間も有ることだしと小野原は移動した。そこでは店頭に数冊の本が置かれていた。見るとフリーと書かれている。手に取ると不動産物件のパンフレットのようだ。フリーと言うのは無料と言う意味だろうと、一冊を丸めて手に握りしめ、同じように掲示されている物件を眺めた。ふと目線を感じた。ガラス越に掲示パネルの隙間から、中にいるセールスマンが自分を品定めでもするように見ているのだった。目線が合ったとたんにセールスマンの目が営業用の笑みを含んだ眼に替わり、ドアを開けて外へ出てきた。
「いらっしゃい、どんな物件をお探しでしょうか。」
とでも聞いたのだろうとは思うのだが、小野原は100パーセント聞き取りが出来なかった。そこでつい、
「ソリー、アイ・キャン・ノット・スピーク・イングリッシュ」
と言ってしまった。
かのセールスマンは両方の肩をすぼめ大げさに両手を広げて、何かブツブツとつぶやきながらドアを開けて店内に姿を消した。小野原は、
「これは参ったぞ、やっぱり本格的に英語の勉強をしなければ。」
とつぶやきながら元の不動産屋の店先に戻った。なんとそこに香山の姿を見いだした。
「あっ、小野原さん。どこへ行かれたのかと心配していました。税理士との話が早く済みましたので出てきたのですが、喫茶店にもいらっしゃらなかったし心配していたんですよ。」
小野原に気づいた香山の方から声をかけてきた。
「いやぁ、別の不動産屋に行ってたのですが、急に声をかけられてドギマギして逃げて来たところです。香山さんが神様みたいに思えましたよ。やっぱり英語を勉強しなくっちゃいけませんね。」
小野原がほっとして言った。
「ははは、そうでしたか。これは良さそうな客だと判断されたのでしょうね。よかったじゃないですか。じゃぁこれからちょっと買い物にでも行きましょうか。」
二人は車に戻り、大きなショッピングセンターへと入った。
「ここでは日本食料品を買うだけですから。一緒に行きましょう。」
駐車場に車を入れ、香山が先に立って歩き出した。
「へ〜こんな店もあるのですね。でも結構値段はしますね。」
小野原は頭の中で表示されている値段を日本円に換算しながら店内を香山にくっついて廻った。
「大きな声じゃ言えませんが、郷にいれば郷に従って食生活を考えればずっと安く生活は出来るのですが、やはりこんな店が出来て商品が並んでいるとなるとやはり買いたくなるものなんですよ。わたしが来た最初の頃なんか、こんな店は一軒も有りませんでしたから大根やゴボウ、野菜類は庭で栽培もしましたし、魚を釣りに行くと大抵は大漁で帰ってきますので、白身をつぶして蒲鉾を作ったりもしましたよ。そうそう、豆腐が非常に食べたくなった事がありまして、仕方なく化学実験みたいにして自分で作りましたよ。実際便利にはなりましたが、貧乏に拍車が掛かった事は否めませんなぁ。ははは。」
香山は言いながら店員にも挨拶している。
買い物袋を車に積み込んで香山が言った。
「おっと、忘れるところだった。もう一度引き返しましょう。小野原さんにここの本当の物価をみてもらうつもりだったのです。」
二人はショッピングセンターの中にある大きなスーパーマーケットに入った。スーパーマーケットは小野原には大きな倉庫に入ったかのように思えた。その展示は高い天井まで届くかと思うほど高く品物がラックに積まれている。日本のように総ての店内が見渡せる訳ではない。
「どうです、やっぱり安いでしょう。」
香山が振り返って言った。
「そうですねぇ、たまにわたしもスーパーに買い物に出掛けますので、結構物価には詳しいんです。でもこの肉なんか9ドルって、800円ぐらいでしょう。そんなに安くは無いですよ。日本で買ってもオーストラリア産で350円ぐらいかな。」
小野原が香山に指さして言った。
「あっ、それは値段の表示が違うからですよ。こちらの表示は総てキログラム表示なんです。御覧なさいうしろにkgって書いてあるでしょう。だから日本の価格表示で考えると80円ですよ。」
香山が価格表示のプレートを指さして言った。
「なるほど、そう言われてみると安いんですね。」
小野原もそう聞いてから他の品物にも眼を移して見た。
「でもねぇ、日本から来た当時は何でも安いと感じていましたが、住み着いてみると、あそこが安い、ここが高いと、結局は考えの基準がここになってしまいますから一緒ですけれどね。比べる事は日本が対象じゃなくなりますから。」
最後に、はははと笑いながら香山が締めくくった。
「さて、いよいよ恐竜に向かいましょう。」
と香山が車を走らせ、彼の山小屋の有るというダルビーへと向かった。
「ここから約300キロあります。途中ツウンバと言う大きな内陸の町が有りますが、その手前のガットンと言う町で小休憩をします。野菜類が安いんですよ。丁度中間地点です。」
ブリスベンまで続く8車線のモーターウエイを北上し、途中から4車線のイプスウイッチ・モーターウエイに方向を変えた。
「オーストラリアでのハイウエイは大抵無料ですが、ここを含めて3箇所だけに有料道路があるんですよ。まぁ別に橋の有料なんかも入れるとまだまだ増えますが。でももうすぐ判りますけれど通行料金は日本に比べると本当に安いんですよ。」
話す内に香山は車のスピードを落とし、初めての料金所へと入った。続いて走ってきた数台の車が右側車線をスピードも落とさず料金所を走り抜けていく。香山は平然と料金所のおばさんに挨拶をしながら小銭を手渡した。
「たった80セントですか。70円弱。本当に安いですねぇ。」
小野原がビックリしたように言った。
「そうでしょう。でももう一箇所有りますからね。そこはもっと高いですよ。確か1ドル80セントだったかな。」
香山が笑顔で言った。
「それにしても安い。ゴールドコーストからダルビーまで300キロでしたよね。それの通行料金が2ドル50セントとはねぇ。料金所のおばさんの給料が払えるのかな。」
小野原が計算しながら感心したように言った。
「ははは、それは心配ないですよ。」
「ところで、我々の車よりうしろから来た車が料金を払わなくてそのまま走って行きましたがあれはどうなっているんです?」
どうも気になっていた事だが、聞いても旅の恥はかきすてだと小野原が聞いてみた。
「あっ、あれはねぇ、前もって登録して前金を払っているんです。あのゲートをくぐった時にコンピューターがどの車かを選別して残高から引き落としてくれるんですよ。僕も使おうかなと思ったんですが、そんなに回数を走る訳でも無いから必要ないと思ってやめたんです。」
「へぇ〜そんな事ができるんですか。世の中、進んでいるんですねぇ。」
小野原は説明を受けても実際には理解ができないのだが、コンピューターの勉強を初めてからと言うもの、その便利な使用方法を色々と話に聞く度に感心させられる事ばかりであったので、これもその内の一つと考えた。
途中で耳の中が幕を張ったようなツーンとした感じを受け、車はいつの間にか大きな町の中を走っていた。
「今走っているところがツウンバと言う街ですよ。内陸部の町ではオーストラリアで一番大きな町です。人口も周辺を総て入れると20万人も住んでいますよ。途中で耳がツーンとしませんでしたか。」
香山が町の説明をしながら聞いた。
「えぇ、しましたねぇ。」
小野原勉は香山も同じ事が起こったんだと安心して返事を返した。
「ここはね、海抜700メートルぐらいのところに有る町なんです。途中で気圧が変化して三半規管を圧迫されますからねぇ。地図で御覧になったことが有るかも知れませんが、クイーンズランド州の東部を縦に分断しているようにあるグレート・デバイディング・レィンジと言って大きな山脈の上にある町なんです。今はその町の外側を走っていますが、町中に入ると結構大きな町だと実感出来ますけれどね。そろそろ町はずれになります。そこから見渡したところに箱庭みたいに見える景色があります。わたしの一番好きな景色なんです。出来たら景色の見渡せるところに家を建てたいのですが、なにぶん貧乏ですから希望だけですがね。」
車がちょうどそう言う景色のところを走っている。
「この景色ですか。素晴らしいですね。空が大きくて、空気も綺麗ですね。こんなところに住んだら長生きしそうだなぁ。」
小野原勉も感動して最後の方は自分自身につぶやいた。
「そうそう、小野原さんは独身って言ってましたが結婚はされなかったんですか?あっ、こんな事を聞いてはいけなかったかな。」
香山が前方の景色に目をやりながらふと聞いた。
「そんなことはありませんよ、これから長いお付き合いをして頂かなくてはなりませんので知っていただいた方がいいのです。実は一度結婚はしたのですが、すぐに逃げられてしまいましたよ。まぁ、仕事が忙しすぎたのが大きな原因だったのです。」
小野原勉が応えたのに呼応して、以後の車中はお互いの身の上話に終始した。
「まぁ、女性に優しさがあったと言うのはもはや伝説ですな。夫婦が共に過ごす長い時間に比べて婚前の交際は余りにも短い、巡り合うまでは赤の他人だった二人が、一瞬とも言える短い時間にそのパートナーを決めるのですからな。特に見合いの場合は、最初に結婚という契約を交わし、夫婦として同じ屋根の下で生活を続けるうちに愛が生まれることを期待するわけでしょう。男と女は一つ船に乗って長い航海に出ると言う結婚式での仲人さんの月並みな言葉と同じ事ですな。わたしの場合、妻が宗教ホリックでしたから、失敗したと気づいたとき、心の根底に彷彿と沸き上がったの憎しみだけですかな。それも夫婦が怠惰になると憎しみも希釈されますが、同時に相互の関心もなくなりまして、ただ同じ屋根の下に起居してるだけでした。まぁそれが大きな原因で、オーストラリアなら遠いから大丈夫だろうと、それまでの仕事も総て諦めてこちらへと住まいを移したのですが、宗教という物はどこまでもついてきて結局は総てをむしり取られてしまった訳です。ある日2週間程、留守にする仕事から家に帰ってきたら、家財道具から総て無くなって、家まで寄付されてましたからねぇ。裁判で随分と戦いましたが貧乏人が裁判で勝てる筈もなく。結局、弁護士費用の未払い分として200万円ぐらいの借金が残っただけでした。」
香山が眼の奥をうるませながら淡々と話す事を聞きながら、小野原勉は自分に起こった同じような事よりも彼自体の方が深刻だと思った。自分の場合、家具類が無くなっただけで家も預金も、退職金すら残っている。それでもやはり女は恐いと今更ながらに感じた。
「大変でしたねぇ。でもそれから生活はどうされていたんです。」
小野原勉も人ごとではなく思い、心配して聞いた。
「まぁ、つまらんことを話してしまいましたな。忘れてください。お金の事はね。その当時、友人でボブっていうのが銀行の支店長をやっていまして。勿論彼はわたしの事情を知っていましてな、住宅も生活資金も全く無いのですから、可哀想に思ったのでしょう。ある日こんな家があるから買えと言ってきまして、わたしが金もないのに買えるものかと否定しますと金は何とかしてやると言うんです。家を買うとなれば家具も必要だし云々言いまして見積書を書き増ししたり色々と手を使ってくれて家の購入資金と弁護士の未払い金総てをクリアーしてくれたのです。毎月の支払いなんか数ヶ月間は融資金の残りで支払いされていましたが、収入もない預金もない。最初から不良債権ですよ。でも数ヶ月後に売りに出しますと結構相場が上がってまして500万円程が手元に残りました。その金で又次の家を買って売り、又次の家と言うふうにして何とか今後の生活が出来るような蓄えを作ることが出来ました。御陰でこんな田舎ですが土地も買い小さな小屋も建てる事が出来て恐竜掘りが始められたのです。まぁ国からの補助も月額3万円ほどありますからね。」
香山が立ち上がって
「コーヒーでよろしいかな。」
と聞いて、食卓の隅に置かれたパーコレーターに水を入れ始めた。
ここ香山の小屋と言われて来てみたが、平原の中の小さな森の中だから山荘と言ってもいいだろう。
最初に車2台分のガレージを建てた時に、内山耕太君と言う若い人が手伝いに来てくれた以外は総て、香山さんが一人で建てたそうだ。その建物に台所やトイレなどを順次増築していったそうで、トタン貼りの所や板張り、ログ組みなど材料も工法もバラバラでまとまりはないが、80平方メートル程の室内と60平方メートルのベランダがある。3メートルもの柱の上で梁を通すときなど、ロープで片側を持ち上げ、反対側を担いで梯子を昇り、釘付けをしていくそうだが、梁を柱へと釘打ちする段階で固定できていない柱が傾き、梁が落ち共に香山さんも落ちた事などを含めて3度も最高の高度から道具と共に落ちた。一時期落下してきた幅6メートル高さ2メートルの鉄製屋根枠で臑を打ち、右足が痛みで動かず、しかもその時食料の買い出しに左足だけでマニュアルギア車を運転して町まで40キロを往復したなどを聞き、小野原勉もビックリさせられた。
コーヒーの良い香りが室内にたゆってきた。
「わたしもコーヒーには目がなくなりまして、最近はブルマンの細引きを愛飲しているのですよ。この香りはよく似ておりますね。」
小野原の言葉にうなずきながら香山が言った。
「わたしも昔は結構銘柄やメーカー、粗挽き、細引きと、色々と凝ったことが有りましたが、最近ではインスタントよりましかなと言った感じのものしか買えませんから。さてお口に合いますかな。まぁそれでもこちらは日本に比べたら五分の一程でコーヒーなんかは買えますから、入れ方によればインスタントより安く飲める場合もありますからね。さぁどうぞ。」
テーブルに香山が二つのマグカップを置いた。そのカップから立ち上るほのかな湯気に釣られて立ち上る芳香が何とも言えない雰囲気を醸し出す。
「どうです。これは本当に安物のブレンドですが、案外いけますよ。」
「香りはいいですね。じゃぁ頂きます。」
「ところで、ずっとわたしの事が大半話しにのぼりましたが、小野原さんは警察官退職前から恐竜には興味を持たれていたのですか。」
マグカップを両手ではさみ、その暖かさを楽しむようにして香山が聞いた。
「いえいえ、警察官なんて24時間勤務みたいなもので、ましてわたしらの時代は最初の頃はがむしゃら時代で、あとになると警視庁も方針が変わり、グループ行動や機械化が進みまして、いわゆる科学捜査と言うものですが。捜一、捜査一課の事ですが、昔のように足で稼ぐという事が少なくなりまして、でも基本は足なんですがね。ただ犯人を追及して足を棒にして歩くのです。事件を担当した段階から実質24時間勤務に入りますから趣味何てものには全く縁が無い仕事でした。餌をやる暇も有りませんから動物は飼えないし、でもまぁ、家族持ちは飼っている人もおりますが。わたしの場合は一人ですから何も出来ませんし、そんな事を考える事もしませんでした。だから恐竜なんて全く無縁のものですよ。たまたま、暇つぶしに恐竜展を見に行って興味をかき立てられた訳で、知識のかけらも持ってはおりません。インターネットを始めて約1ヶ月の間、香山さんを始めいろんな人からの聞きかじりですからね。でもね最近の子供達は凄いですねぇ。子供達から学ぶことが大きかったですよ。わたしも今になって子供の一人ぐらい有ってもよかったかなと思います。」
小野原が最後の言葉を濁すように言った。
「又々、我々の話は最後には家庭や妻の愚痴に落ち着きますなぁ。よしましょう。さぁ、明日は早めの出発ですから、それを飲んだら休んでください。」
香山がベッドを片づけて寝られるようにセットをしてくれた。さすが独身者だ、手際が良いと小野原勉はマグカップを片手に、それを眺めていた。
「小野原さん、言い忘れましたがウイントンはここより遙かに寒い所ですから、ベッドの下に敷いていた電気毛布を取り外して持っていきましょう。貴方の分はやっていただけますか。」
朝食が終わり、食器を洗っている香山が肩越しに言った。
「そんなに寒いところなのですか。判りました。」
小野原がそれを外し丸めて車にと積み込む。移動が多いので出来るだけ少ない荷物にしてくれと香山氏に言われていたので、日本を出るときに用意したバッグを整理して、寒さ対策を施し、それも車へと積み込んだ。香山氏は朝食の残りを含めて、2週間を留守にするので食料を整理し、途中の弁当を作っている。
「随分と器用なんですね。」
小野原がうしろに立って言った。
「まぁね。こんな所じゃ、好きなものを好きな時に食べられるようなレストランなんか有りませんからね。しかも貧乏ですから外食は論外ですよ。3食確実に自分が作りますから料理の要領だけはお手の物になりました。これも逆に考えれば愚妻を持った成果ですかな。いかん、いかん、またこの話しになる。」
香山が頭をかきながら言った。
「まぁ良いじゃないですか。ところでわたしの分は全部積み込みました。香山さんの分も言ってくれれば車に積み込みますよ。」
「あぁ、ありがとう。でもこの弁当ぐらいで、恐竜掘削の7つ道具はいつもトランクに入れてますから、そうそう、冷凍庫から凍っているペットボトルをその発泡スチロールに入れて後部シートの床にでも置いてください。冷蔵庫の中の飲み物も総てな。貧乏がうたい文句のわたしですから、不要なものに金は出せません。電気も切って行きますから。」
小野原は香山の言葉を聞いて、徹底した倹約をしているのだと実感した。自分はと考えてみた。こうやって半月も出掛ける為に、冷蔵庫の中は勿論空っぽ。でも電気まで切っては来なかった。そう言う意味ではまだ、香山氏に比べて生活のゆとりはある。でも彼のこの優雅なゆとりを持っての生き方は、大きなゆとりではないだろうか。見渡す限りの土地が彼の物だし、家も一人で生活するにはゆとりがある。時間と共に生きてきた自分には無い何かがここにはある。いっそのこと俺も真似をしてこちらへと移り住んでもいいな。日本で居ると未だに誰を見ても犯罪者に見えるし、考えてみればここへ来てそんな自分の目がうせている事を知った。
「さぁ、出来ましたよ。これを積み込んで終わりです。じゃぁ、ちょっと着替えて行きましょう。」
と香山が言って厚手の衣服に着替え、同じような物を無造作にバッグに放り込んだ。その間小野原は言われたように総てを積み込み山荘の前でタバコを出した。オーストラリアへ来てから吸う本数が極端に減っている。これも身体には良いかもなとつぶやいた。
「さぁ、ここからはずっと片側1車線ですが、かなり飛ばしますよ。」
香山が言ってエンジンをかけた。
「本当はねぇ、こんな乗用車じゃなくて4WDが一番良いのですが、そんなお金は逆立ちしても出ませんからねぇ。」
「舗装道路を走っていると4WDなんか要らないのじゃないのですか。」
「いやいや、今からウイントンまでは完全舗装道路ですが現地へ入る道が約100キロほど未舗装なんです。まぁそれよりか、世界中どこでも舗装道路添いになんか恐竜は寝て居ませんからね。」
「ははは、なるほどそうですね。」
香山の運転は安定したものではあるが、何しろスピードが速い。交通量も少ないのだが150キロぐらいは平気でアクセルを踏む。
「香山さんは日本でも運転していたのですか。」
小野原がスピードの違和感を抱いた時に聞いてみた。
「えぇ、だいたい毎日乗っていましたね。東京に居た最後の1年、車を持ってはいましたが電車の方が便利が良いし、その間だけですかね、乗らなかったのは。」
香山が前を向いたまま答えた。
「そうだ、ちょっと聞いていいですか。もしわたしがこちらに住みたいと考えたらどんな手続きを踏んだらよいのでしょう。」
車は順調に目的地へと向かって近づいている。その日も夕方が近くなってきた。小野原は頭の中で醸成していた考えを言葉に出して見た。
「それはねぇ、色々と難しい問題を含んでいますよ。でもまぁ、小野原さんの場合はリタイアメントビザの申請が出来るかも知れませんね。外国ですからビザ無しでは住めませんからね。この旅行が終わったら一度、ブリスベンかゴールドコーストの弁護士に聞いて見るのが良いですよ。わたしは専門家じゃありませんから。そろそろ、今日のねぐらを決めなくてはなりません。次の町で泊まりましょうか。」
香山が言った。
「えぇ、それはどこでもいいですからお任せします。なるほどビザが必要なのですね。忘れていました。2週間後にもう一度ゴールドコーストへ帰ってしばらく研究してみます。」
車が一軒のモーテルの駐車場へと入った。
「こんな時期ですから、部屋は有ると思いますが、とりあえず聞いて見ますね。」
香山が言うやいなや、ドアを開けて出ていった。
「参ったなぁ、一部屋しかないそうなんです。次のモーテルまでは約100キロですって。どうしましょう、相部屋でもかまいませんか。」
車の外側から香山が小野原に聞いた。
「なんのなんの、良いですよ。ここにしましょう。」
香山がインフォメーションと書かれた事務所へととって返したので、小野原はバッグなどの荷物を取り出した。
恐竜発掘現場と言っても普通の牧場だ。馬小屋か倉庫を改良したように見えるロッジに車は停まった。既に数台の車が先着して停まっている。
「とりあえず着きました。お疲れさまでした。荷物は部屋が決まってからにしましょう。」
と言って香山が先に立ってロッジに向かって歩き始めたので小野原が慌てて続いた。そこには既に10数名の小野原勉から見たら外人の姿が見受けられた。それぞれが相手を見つけてビールを片手に賑やかに話している。香山がロッジのオーナーに手を挙げて近づいた。
「はぃ、エリオット。今回もよろしく。彼がミスター・小野原です」
と紹介された。伸ばされたごつごつした大きなグローブ見たいな手を握り返し、小野原も勉強したてでうろ覚えの英語で挨拶を返した。
「まだ、アレックスは来ていないのかい。」
香山がエリオットに聞いた。
「彼は、たぶん、今夜の夜中に着くと思うよ。まぁ明日から頑張ってね。さぁ、そこにある飲み物もビールも食べ放題飲み放題だからそっちも頑張って。二人ともね。」
エリオットに言われて二人はテーブルに近づき、それぞれと挨拶を交わしてビールを手にした。
「小野原さん、さっき結構綺麗な英語で挨拶されたじゃないですか。ゴールドコーストで不動産屋にウソをつきましたね。」
香山がからかうように言った。
「えっ、あの時は心の準備もない時に、急に声をかけられたのだから仕方が無かったのです。」
「でもね、あの時、わたしは英語を話せませんって、英語で言ったでしょう。うそつきじゃぁないですか。ははは。」
「あっ、そうか。そう言えば英語でしゃべっていましたねぇ。そうなるとやっぱりわたしはうそつきなんですかね。」
「まぁ、この2週間は出来るだけ一人行動をして言葉の勉強もしてくださいよ。今回は全部で20名が掘削の手伝師だから、わたしを除いた18名が無料の英会話教師ですからね。あっ、でもドイツから来ている人なんかがいましたね。残念少し先生の数が減りましたね。」
香山がビールで顔を赤らめながら言った。
「そうですね。言われたように頑張ってみます。じゃぁ手始めに、特攻隊員として食料の調達に行って参ります。」
小野原勉が気持ちを引き締めるように背筋を伸ばしてテーブルに歩み寄った。早速数人の人から声をかけられて、伸ばした背筋がゆるむのを香山が笑みで眺めた。
「香山さん。おはようございます。いやぁ、昨夜は凍え死ぬかと思いましたよ。今朝も寒いですね。」
洗面所で小野原が言った。
「そうでしょう。言ったとおり電気毛布が必要だったでしょう。今朝はクック博士が掘削の注意などを食事時に話しますから、わたしの横に座ってください。説明しますから。」
香山に言われ、小野原は歯ブラシをくわえたままうなずいた。
「今日からこの農場の一部で恐竜掘削を開始するのですが、毎日地べたを眺めているのも飽きてくるので、途中でウイントンの恐竜足跡化石を見に行きます。と言ったのです。」
朝食時のミーティングで香山が小野原に説明した。
「あぁあの香山さんのホームページで紹介している足跡の化石ですね。世界一って書いてましたね。楽しみだなぁ。」
小野原勉が言ったがクック博士の言葉は続いているので、香山はアレックスの方を向いたままだった。
「具体的な掘削に関しての注意事項などの話ですから、当初はやはりわたしのそばでやり方を見てください。化石の一部にでも行き当たったら大小に関わらず博士に連絡して鑑定してもらうようにと言ってます。今回は少し新しい場所を狙っているようです。慣れた人達は現在の掘削場所を継続します。2日間はその手伝いみたいに作業をしますが、我々のように素人は別のグループに分けられて、少し離れた所を掘るらしいですよ。」
香山がその都度横で説明をしてくれる。実際クック博士の言葉は100パーセントの確率で小野原勉の頭には入ってこなかった。食事が終わって香山に言うと
「カタカナで覚えた恐竜の名前なんか使えませんからね。専門用語もふんだんに入っていますからそれは仕方がないですよ」
と、言い切られた。小野原勉は何とかして英語の勉強をしたいと心の奥から思った。
「この二日間はきつかった。こんなに体力が落ちているとは思いもしなかったですよ。それにしても昼間の暑さは夜の寒さからは考えられませんね。」
小野原がウイントンの恐竜足跡化石見学に向かうマイクロバスの中で言った。実際、この二日間は土運びに終始したようなもので、金を払って土方をさせて貰っている感じだった。
「まぁそんなものですよ。でもねもし、何か発見したらその疲れなんか一度に吹き飛んでしまいますから、楽しみに続けましょうよ。今日一日観光みたいなものですから、明日からの宝探しに期待をしましょう。」
香山が慰めるように言った。
「それにしても、本当に骨が出るんですね。自分でも信じられないぐらいですよ。二日間で50ぐらいは掘り出したでしょう。」
「そうですね。結構掘り出していますね。もう、あのブラキオサウルスは1000パーツぐらい出ているのじゃぁないかな。あっ、もう着きますよ。」
車が大きく傾いて方向を変えた所で香山が言った。
小さな小山の上に駐車場が作られていた。そこに入場券売り場とトイレが造られていた。建物はまだ新しい。その入場券売り場から真っ直ぐに少し昇り勾配気味の長い陸橋が付けられてメインの大きな建物へと導かれている。雰囲気は万博などの通路を小さくした感じだった。客は我々の団体だけだった。
クック博士を先頭にして我々はぞろぞろと歩いた。天井の高いパビリオン風の建物の中へ入ると暑い外気が遮断され、ややひんやりと肌に感じる。掲示されている物を見ながら小野原勉がそっと香山に聞いてみた。
「こんなに大きな建物に客も無いのに冷房しているンですね。」
「あっ、ここは冷房じゃないんです。途中で説明を受けますが、日本の土壁方式と同じなんですよ。うまくできてますね。だから一年中だいたい26度ぐらいで安定しているそうですよ。」
全員を二組に分けて、我々は後発組で内部へと入った。500坪程の内部で3300もの足跡が思っていたよりも鮮明に残っていた。説明に依ると、このウイントンでの恐竜足跡化石は1960年代にクイーンズランド博物館と陸軍によって発掘され、この足跡化石は世界最大のもので学術的にも評価を受けておるそうだ。3300もの足跡は4種類200体以上の恐竜達のもので、この足跡化石から9300万年前の恐竜達のドラマが考えられると言うのだ。小さな足跡が3種類と大きな足跡が一種類。3種類の恐竜足跡が一番顕著で、一番小さな足跡はコールロサウルス(coelurosaur)で、お尻までの高さが13〜22cm。一番多くの足跡を残しているのがニソポッドダイナソア(ornithopod dinosaurs)で、これのお尻までの高さは12〜70cmだそうだ。そして3番目の大きなタイプは肉食恐竜ティラノサウルスで、足跡の大きさは60cmもある。だからお尻までの高さも2.6mもあったと推定される。敷地の傾斜角から言って水際に小さな恐竜達が水を飲みに団体で来ている所へ大きな肉食恐竜が襲って来たと聞いた。足跡の間隔と足跡前部のへこみ程度から走るスピードが判るそうなので肉食恐竜に襲われている光景が判るのだそうだ。
小野原勉は考えていたより遙かに感銘を受けている自分を感じた。
その後10日間程は右も左も判らないなりに、小野原は楽しみながらあちらこちらを掘り、みんなが話している内容もかなり判るようになってきた。いよいよ明日は帰らなくてはならないと言う日、今夜は全員がロビーに集まり、お別れパーティをすると朝食時に言われた。この時、小野原勉は香山の通訳無しに聞き取れた。
「香山さんが言われるとおり、言葉って慣れですね。」
「どうしたのです。何か良いことでもありましたか。」
小野原勉が香山の掘っている現場の横へ来て言ったのに香山が答えた。
「えぇ、今朝のミーティングはかなり言ってる意味が判りました。考えてみたらもう2週間英語ばっかりだったからねぇ。そうそう、今日は最後の日だからちょっと新しい所に挑戦してみますね。」
「それはよかったね。」
と言う香山の言葉を背に小野原勉は数歩そこから離れたところで石につまずいた。
「こんな小さな石につまずくなんて、俺も歳かな。」
小野原がつぶやきながらしゃがんでその石を見た。この2週間で何かそれらしき物を見ると必ず観察する習慣が身に付いたようだ。
「あれっ、小さくないな。根っこがはえているな、この石は。」
小野原勉がつぶやきながら、ホッシキングハンマーでその石の周辺を掘り始めた。周辺を掘ると言っても土は乾燥して砂漠化しているから深さ10センチ程は、いとも簡単に砂を取り除くことは出来る。
「これは、みんなが掘っている骨の化石じゃぁないのかな。香山さ〜ん、ちょっと見てくれますか。」
小野原勉がつぶやきながら、最後には近くに居る香山を呼んだ。
「どうしたのですか。何か見つけましたか。」
香山が近づいてきて腰を降ろした。
「これって、骨じゃないですか。」
香山が小野原勉の指さす石に目を移した。小野原が見ている内に香山の顔に赤味がさし、
「やった。やったじゃないですか。小野原さん、これは骨ですよ。しかも、みんなが掘っている場所からかなり離れていますから、確実に別の恐竜ですよ。」
小野原の肩を叩き、手を握って言葉を繋いだ。
「何かを見つけたら必ずクック博士に連絡をする事になっていますが、もう少し探して見ましょう。もっと出てくるかも知れませんよ。僕も手伝いましょう。」
そう言って香山は自分の道具を取りに行った。
「よく見てみたら、あそこにも何か出っ張りがありますよ。」
小野原が帰ってきた香山に1メートル程先を指さして言った。
「そうですね、でもとりあえず最初のこれの表面を見てみましょう。」
と言って香山がブラシで周辺の掃除を始めた。
「小野原さん、これはブラキオサウルスの尻尾の骨ですよ。この角度から言うと結構深い方向に続いていますね。とりあえずこのまま左右の砂を取り除いてください。私はデジカメを取ってきますから。」
香山が現場事務所かわりに設置されているキャラバンカーの方へと走っていったので、小野原は言われたように骨の流れに沿っての砂の取り除きを始めた。
香山が帰ってきて骨の撮影と記念撮影をしてくれた。
「1メーターぐらい離れたあれも掘ってみますか。この方向から言えばあれも尻尾の続きかも知れませんよ。」
「そうだなぁ、でもこの角度から考えると下に向かっているから何か違う物かも知れませんが、やってみて下さい。わたしはもう少しこちらを掘ってみますね。もう少しやってみたらクック博士に連絡しましょう。」
香山が掘り始めたので、小野原も思った所を掘ってみた。
「香山さん。やっぱり同じ物ですよ。続いているんです。」
「じゃぁ、尻尾は土の中でS字を書いているんだな。方向はそっちに向かって胴体があるみたいですよ。よしこれで新しい恐竜がここに眠っている事が確実ですよ。よかったですねついにやりましたよ。小野原さんおめでとうございます。」
香山に言われて小野原にも感激が沸き上がってきた。
「さぁ、博士に言って来てください。私は続きを掘っていますから。」
「えっ、私が行くのですか。」
「そうですよ。小野原さんが発見者ですからね。」
「でも、何て言えば良いんですか。英語でしゃべらなくちゃならないでしょう。」
「何を言っているんです。さっき英語は慣れだって言ったばかりでしょう。大丈夫。新しい骨を見つけたと言えばいいだけですから。」
香山に言われ、それもそうか、とりあえず行ってくるかと小野原は博士を捜して走り出した。
キャラバンカーに行くと誰もいなかったので、近くの仲間に聞いた。言葉はよく判らなかったが指さす方向に数人が作業をしているのが見えた。
小野原は一生懸命、博士に説明する。ミスター香山がブラキオサウルスの尻尾だと言うのを説明するのだが、何故か通じていない。新しい骨だと数回繰り返して、自体の重大さが感じられたのだろう、博士が立ち上がって行こうと言ってくれた。
「おっ、やったな。コングラッチュレーション。おめでとう」
と一目見て博士が小野原勉の手を握ってくれ、抱きついてくれた。そのご博士は出せる限りの声を張りあげて言った。
「お〜い、新人が新しいブラキオサウルスを見つけたぞ〜。みんな集まれ〜。」
その声を聞いて全員がゾロゾロと集まってきた。
「やったね。」
「おめでとう。」
「凄いね。」
「ラッキーボーイだ。」
みんながそれぞれの言葉で賞賛してくれ握手責めにあった。女性からは総て抱きつかれ一人の女性からは頬にキスまで受けた。
「さぁ、みんなも今日が最後だから、この小野原さんの手伝いをしよう。」
博士の提案で全員が一旦それぞれの持ち場に帰り、道具類を持ち寄って手伝いにやってきた。本格的な掘削現場に成り変わった感じだ。香山は至る所から写真を撮っている。
「私は何をしたらいいんでしょう。」
20人も集まったので小野原はする事がなくなってしまった。香山が近づいてきたので聞いてみた。
「そうですねぇ、じゃぁ、写真は撮りましたから、あなたはこの紙に骨が土の中にある状態で写生をしてくれますか。重要書類になりますから。」
香山がキャンバスとグリッドラインが引かれた紙を手渡してくれた。これも初めての経験だ。
夕食時は小野原勉を中心とした祝賀パーティだった。先に掘っているブラキオサウルスは26メートルもあるが、今回小野原が見つけたものは比べると少し小さくて、博士の言葉では21メートルぐらいだろうと言う。
名前を付けろと言われたが、先輩達をさしおいてでは、はばかれるとおもいそれは断ったので、博士の名前を付ける事になった。御陰で博士が小野原を賞賛する声に力が籠もっていた。
「それにしても、よかったですねぇ、初めての参加で新しい恐竜を発見するなんて。羨ましいなぁ。」
かえりの車の中で、香山が余韻を奥に残したように言った。
「本当にラッキーでしたよ。あんな所で、つまずかなければ見落としていましたからねぇ。犬も歩けば棒に当たる、私が歩けば恐竜につまずくですか。でも、やっぱり英語は勉強しなくっちゃいけないですね。今回でよくわかりました。」
小野原も実際、昨夜のパーティから余韻が引き続いている気持ちを持て余しながら言った。
「ははは、小野原さんが歩けば恐竜につまずくですか。こりゃぁいいや。」
香山がハンドルを握りながら苦笑しながら言った。
「今回生まれて初めて外国で半月間を生活し、生まれて初めて恐竜掘りに参加し、更にそこで新しい恐竜に巡り会えるなんて、私にとってここオーストラリアが第二のふるさと見たいに思えてきました。そこでですね。香山さんの山荘で話したようにやっぱりこっちへ住みたいと思うんです。私は独り者ですから、自分で決定が出来ますからね。そこでビザや住宅なんかの世話を香山さんにお願いしたいのです。お願い出来ますかね。」
小野原が言った。
「それは良いことですね。わたしも日本人で恐竜仲間が増えるのは大歓迎ですよ。でもね東京の大都会から一挙に我が山荘のような所に住むというのは、100パーセント無理ですよ。日本のK大学から送り込まれた学生なんか研修で来ても1日しか辛抱できませんでしたからねぇ。だから、家を持つのはゴールドコーストにした方が小野原さんの為には良いのではと思いますよ。ゴールドコーストなら結構日本人がおりますから、中には頼りになる人も居るかもしれませんよ。」
香山が言ったが、その言葉に少し不審が残った。
「なんですか。なかには頼りになる人がおるかも知れないと言うのは。」
「あぁ、わたしも結構長くゴールドコーストに住んでいましたので良いも悪いもだいたい判ってきましてね。日本人と言う人種に辟易する事が多々ありましたからねぇ。だから私の友達は現地人ばかりで、1、2人の日本人しか付き合っていませんから。」
「そんなものですか。誰でも香山さんのように親切な人ばかりかと思っていました。その辟易ってのは少し、参考に聞かせて貰うわけにはいきませんか。?」
小野原が真剣に聞くので香山も一応聞かせて置いた方が良いと判断して話した。
「まぁ、隠す事なんて無いのですが、実際、日本人というのはねたみ、そねみ人種ですし、うわさを作る技術に随分と長けておりますからね。まぁ問題と言えばそんな単純なものですがね。小野原さんみたいに金持ちだと、通訳や弁護士に騙されないようにしてください。言葉が判らないと見られたら奴らは何をするか判りませんからな。」
「へ〜弁護士って言えば、それなりの人がそれなりの頭をもってやっていると思っていましたが、そんな人間もいるのですか。」
「まぁ、中には居ますと言うことです。ある大学が経営難でつぶれかけた事がありまして、その時多額の寄付金を出して、論文だって金で買ったと聞くような息子を卒業させて貰ったという人間がおりまして、こちらの大学で法学部を卒業したら弁護士ですからね。英語も余りうまく話せない弁護士ですから。でもこちらじゃ法廷弁護士と事務弁護士と言うのがありまして、彼はもっぱら事務弁護士ですが、親が金を出して弁護士を数名雇った弁護士事務所を出しましたから。今じゃ堂々たる弁護士ですよ。まぁ一つの例ですけれどね。」
「そんな事が出来るのですか。まぁもっぱら日本では医者の息子にそんな話を聞きますがね。じゃぁそれは参考にさせてもらいます。その香山さんの友人を紹介して貰う訳には参りませんか。」
小野原もそんな話はありそうだと納得した。
「えぇ、それは問題ないと思います。でもその人はごく最近にリタイアメントビザでこちらへ来た人ですから、ビザの事を聞く事が出来る程度ですよ。小野原さんを送ってわたしもゴールドコーストまで行きますからその時に会いましょう。ところで小野原さんは車の運転はできますか。」
「えぇ、パトカーの運転はしていましたから。替わりましょうか。」
「それなら、いっそのこと2000キロを交代で走り続けましょう。宿代の節約ですよ。どこかで夕食を摂って、そこからお願いしますね。」
香山が言った。
「えぇ、良いですよ。ところでその香山さんの友人は何をなさっておられた人ですか。」
「佐々山さんと言って、ある大会社の役員さんだった人ですよ。どちらか言うと経営肌の人じゃ無くて、技術肌の人で堅い人物です。信頼のおけるひとです。わたしは自分の会社を切り回して居ましたから人間が経営肌の方に変わってしまいましたが、元々は大学も電気を出ていますから技術屋なんです。まぁだからと言う訳では無いのですが、柔らかい考え方をするようになりましたねぇ。」
「そうですか、それは楽しみだなぁ。」
「そうそう、昨夜はドンチャン騒ぎで眠られなかったでしょうから、イスを倒してちょっと休んでください。あとで運転を代わって貰わなくちゃなりませんから。」
香山に言われて、かみ殺していたあくびをして小野原はそれじゃと軽い寝息を立てた。
「やっぱり二人で交代の運転だから早かったねぇ。ウイントンを出たのが9時過ぎだったから20時間でここまで走ってきましたよ。もう1時間程でゴールドコーストに着きますよ。」
香山がハンドルを握りながら小野原に言った。
「2000キロを20時間ですか。平均時速で100キロ。日本じゃ考えられませんね。最初、香山さんが一息に走りましょうって言われたとき冗談かなと思った程でしたが。」
「でも、わたしは更に400キロぐらい離れたリッチモンドと言う町まで化石を掘りに行きまして帰りにの2400キロを26時間で一人で走りましたからね。泊まっても泊まらなくても距離は一緒でガソリン代も一緒でしょ。ゴールドコーストの家に帰れば寝られる。途中で泊まると宿代が要る。貧乏は強いですよ。ははは。そうそう今丁度SBSテレビではNHKのニュースをやっていますから、佐々山さんは起きているでしょう。6時に終わりますから電話を入れて、彼等の予定を聞いてみましょう。すみません、後ろのわたしのバッグから携帯電話を出してくれますか。」
香山に言われて小野原は後部座席に身体を乗り出し、言われた携帯電話機を取り出した。
「そうだ、わたしも一つ持った方が良いですね。」
「それは言えてますね。ここは広いですから絶対に必需品ですよ。それに車も絶対に必要です。レンタカーと言う手も有りますが、その都度では経費もかかりますし、ちょっと買い物や出掛けるにしても、ここは電車も無いですしバスはいつ来るかも判りませんからね。あと、住まいですが、外人の場合は中古住宅は買えませんから新築しか手は有りません。新築となるとサーファーズ近辺のハイライズか20分程車で走るあたりの新興住宅地の分譲ぐらいしかありませんから。どちらにしても電話と車は必要です。あっと、6時になりましたからちょっと電話を入れてみますね。」
香山はそう言ってモーターウエイの端に車を寄せた。
「あっ、佐々山さんおはようございます。はい、香山です、今、そちらへと向かっている最中ですが今日の予定はなにかありますか。」
香山が電話に向かって話している。しばらく話し終わって小野原に向かって、
「小野原さん、今日は何も予定がないそうで、今から来れば朝食に間に合うと言われましたので急ぎましょう。」
一般車線に車を戻しながら言った。
「えっ、わたしも御一緒するのですか。」
「何を言ってるんです。貴方に会わせるために走って来たのじゃぁありませんか。さぁ急ぎましょう。メニューは何かな。彼の奥さんの料理は最高ですよ。わたしはいつも言うんです。佐々山レストランってね。」
「へぇそれは楽しみですねぇ」
話しているそばから馴染みになったゴールドコーストのビル群が見えてきた。車はその一つの駐車場へと滑り込んだ。
「あっと、腰が立たない。あ痛たたた。」
香山がつぶやきながら腰をさすりさすりして運転席から降り、ドアに持たれて屈伸運動をし始めた。小野原も真似をして屈伸運動をした。背伸びをすると空に高くそびえるハイライズの偉容が眺められた。中頃の階のベランダから人が顔を覗かせている。数えてみたら15階程だ。と言う事はこのマンションの高さは30階以上ある事になる。
「長時間運転席に座ったままだと今のように腰が立たなくなるんです。やっぱり歳かなぁ。さて、腰も治った事だし行きましょうか。」
香山が先に立って腰を叩きながら玄関へと歩き始めたので小野原も従った。
「朝早くから押しかけてきて申し訳ございません。奥さん、すみませんねぇ、朝ご飯まで無理をお願いしまして。」
佐々山邸で二人が食卓に着いて香山が佐々山氏と台所に立ってみそ汁を温め直している奥さんに等分に声をかけた。
「で、この人は小野原勉さんと言いまして、佐々山さんと同じく東京の方です。今度日本からこちらに住みたいと希望されていますので、先輩の佐々山さんにお引き合わせをしておいたら、色々と話を聞かせて貰えるのじゃないかとお連れしたんです。元警察官で今年退職されて時間を持て余しているらしいんです。まぁそれは佐々山さんと同じですがね。ははは。」
香山が紹介してくれたので小野原が丁寧にお辞儀をして言った。
「何しろつぶしの利かない仕事でしたから、全く趣味とか遊びとか知りません。でも最近恐竜に取り憑かれまして、今回香山さんの薦めで恐竜掘りに参加させていただいたのです。」
「そうそう、小野原さんは初めての参加で、早速新しい恐竜を発見したのですよ。」
横から香山が話した。
「へぇ、それは凄いわね。大きな恐竜?」
奥さんの貴子さんが、みそ汁の碗を配りながら言った。
「そうなんですよ。なんと体長が21メートルですよ。」
香山が答えた。
「そりゃぁすごいや。そんなのを発見したのは日本人じゃ貴方が最初じゃないですか。」
佐々山が箸をとめて、ビックリしたように言った。
「そうなんですかねぇ、まだその実感が涌かないんです。何しろ歩いていてつまずいたのがその恐竜の骨なんですから、笑ってしまいますよ。」
小野原が恐縮して言った。
「いやいや、そんなに謙遜するものじゃありませんよ。快挙ですよ。そうですか。ところで香山さんは何度も出掛けているのにそんな話を聞きませんねぇ。」
佐々山が言った言葉に、みそ汁を喉に詰めたようにせき込んで香山が言った。
「何なんです。急に痛いところをついて来ないでくださいよ。見てくださいって見られないか。みそ汁が鼻に入ったじゃないですか。」
「汚いわぁ。はいティッシュ。」
奥さんがティッシュを箱ごと手渡した。
「参ったなぁ、わたしは昔からくじ運に見放されていますから、なかなか歩いていてもつまずかないんです。そうだ。判った。」
香山がふてくされたように言いながら急に顔を上げて言ったので全員がビックリして
「何です。ビックリするじゃないですか。何をわかったのですか。」
佐々山が聞いた。
「いやね、最近歳の所為だとばかり考えていたんですが、歩くときの視点が足下から2メーターぐらいのところなんです。昔は100メートルも1キロも向こうを見ていましたがね。そうなんです。だからつまずかないんです。」
香山が説明した。
「そんなことで大騒ぎをしないでくださいよ。」
「いやいや、これは非常に大事な事なんです。恐竜が見つからない見つからないって言う気持ちばかりで、どこを歩いていても、車で走っていても、地面や道路工事で切り取られた斜面の壁ばかり見ているんです。最近どこへ行っても景色が記憶に無いのを思い出しましたよ。特に今は乾燥期という訳でも無いのですが、雨が降りませんので川底を毎週歩いているんです。穴掘りよりか手っ取り早いですからね。川底から見上げる壁は高さが10メートル、底は凸凹だから足下ばかり見て、時たま側壁を観察して骨が突出していないかを見るんです。前を見るのは1パーセントぐらいかな。逆にこれだけ自分の周辺を観察しているとつまずいて恐竜を見つける事は出来ない。だからわたしには恐竜を見つける事が出来ない。これが結論です。」
「なんですか。長い話の割には、結論は自分が恐竜を見つけられなかった事に対する言い訳じゃないですか。」
佐々山が箸で香山を指さして言い全員揃って笑った。
食事のあと、日本茶が出た。
「あっ、こりゃいい。ここ半月間はコーヒーばかり飲んでいまして、お茶が飲みたかったんです。嬉しいな。」
小野原がいかにも嬉しそうに茶碗をとった。
「あっ、そりゃぁ一緒に行った人が悪い。香山さんはコーヒー通だから。何しろこの人はご飯を食べなくてもコーヒーで糖分を補給して生きている人だから。」
佐々山が小野原に楽しそうに言った。
「何を言うんです。わたしだって食事はしますよ。まぁコーヒーをがぶ飲みはしますがね。まだ知り合って間が無いんですから、先入観を植え付けないでくださいよ。」
香山がこれもおどけて笑いながら言った。
「香山さんの山荘に泊めて貰ったときに、本当にうまいコーヒーを御馳走になりましたから、それは判っていたんです。」
小野原が言った。
「えっ、貴方は香山さんの山荘にお泊まりになったのですか。知らなかったなぁ。あそこはまだ人間が住める所じゃないと思っていたのに。」
「まぁ、ひどいことをおっしゃる。」
佐々山の言葉に、奥さんが制するように言った。
「本当にひどいことを言いますなぁ。じゃぁ住んでいるわたしは人間じゃ無いみたいじゃないですか。」
香山が口を尖らせて言った。小野原は楽しい会話からこの人達の性質や性格をつかんだ。
「さて、わたしの事を少し話させてください。実はわたしは独身なのです。勿論、一度は結婚しましたが、1年と持ちませんでした。それ以後は浮いた話しも無く、結局、今まで独身を通してきまして、退職してみて趣味も興味を持つ物も何も無い事に気づきました。でも今更結婚を考える歳でもないので、何かをやりたい、まぁ時間つぶしを最初は考えていたのです。でもちょっとしたきっかけで恐竜に興味を見つけ、その御陰でインターネットも始める事になり、今は充分充実しているのです。でもまたこのまま日本へ帰ると同じ事の繰り返しになる気がします。そこでせめてビザのある3ヶ月間をここで住んでみて、将来を見つめる目安を立てたいのです。佐々山さんがリタイアメントビザで来られたと香山さんに聞きましたので、その手続きや方法をまずはお教えいただきたいのです。」
小野原勉が一気に話した。
「そうですか。でも少し先にこちらに来て住んでいるだけで、実際の事は香山さんにお願いしたら良いのじゃないですか。」
佐々山が言った。
「また、そう言う事を言う。只でさえわたしが恐竜を見つけられないと馬鹿にするくせに、更にその時間をつぶせと言うんですな。」
香山が佐々山に向かって笑いながら言葉を繋いだ。
「いや本当にわたしがゴールドコーストに住んでいるならお世話をしたいんですが、その都度ここまで300キロを走っては来られませんからねぇ。だから佐々山さん。あんたの役目です。先輩なんだからよろしくお願いしますよ。」
「まぁそう言うンなら。でもわたしの知ってる範囲は日本人だけですよ。」
佐々山が小野原に向かって言った。
「それは問題ありません。わたしは日本語は得意ですから。」
小野原の言葉に全員が笑った。
「そうそう、まぁそれはお二方で話して貰うとして、3ヶ月の残りをこちらで住むと言ってもホテル住まいじゃ大変でしょう。いっそのこと短期で借家を借りられた方が生活を実感出来ますし、費用の節約にもなると思いますけど。」
香山が小野原に向かって言った。
「そうですね。それが一番いいでしょう。でもそんなに簡単に探せますか。」
小野原勉の言葉に佐々山が先に反応した。
「あぁそれは簡単。大丈夫ですよ。ちょっと待ってください。」
と言って佐々山がパソコンのスイッチを入れた。
「これ、ご覧なさい。お手軽なのが幾らもサーファーズでありますよ。勿論家具付きですよね。これ、これ、それとこれ。」
佐々山がパソコンからプリントアウトした資料を食卓に並べ全員が覗き込んだ。
「これなんかいいんじゃないですか。」
「でもこちらの方が安いよ。」
それぞれが言うのを聞いていた小野原が
「わたしには場所が判りませんから、選んでください。」
と言った。
「いやいや、そういう訳には行きませんよ。じゃぁ、佐々山さんこのプリントを下さい。二人で見に行ってきます。もし帰って来る場合は電話を入れますんでよろしくお願いします。」
香山がテーブル上のプリントを手際よくまとめて立ち上がった。
「今日は本当に突然伺いまして申し訳ございませんでした。懲りませんと今後ともよろしくお願い致します。」
小野原勉も立ち上がって佐々山夫妻に丁寧な挨拶をして、香山に従って辞去した。
ついに滞在がビザ期限ギリギリまでとなった。外国で始めて過ごすクリスマス、迎える新年。何もかも新しい経験だった。
小野原はしばらく住むうちにこの国の人間を分析してみた。勿論歴史が200年しか無い国なので、よその国からの移住者が大半だが、やはり英国人が未だに20パーセントを占めているそうだ。だから基本的に英国風の性格が強い。言葉においてもしかりだが、本物の英語とは少し違う。実際小野原勉が日本の学校で習った英語という物は英語のアメリカ方言だから違うのも当たり前の事だが、例えば友達のことをメイトと言わないでマイトと発音する。日にちを現すデイはダイ。小野原の頭の中がこんがらがってしまった。大きなDIYショップへ入った時に山と積まれている品々を見る内に随分と細分化された項目に別れている事を感じた。肉を買うにも種類が肩肉、腹肉、もも肉、尾肉、更に分類されていて随分と迷った。鳥肉にしても鶏から色々ある。日本じゃ鳥肉と言えば鶏を指す。鶏肉と言う言葉はレストランのメニューぐらいしか見なくなった。チキンと言う英語を輸入しカタカナで表示して使う。日本ではこれが完全に定着している。チキンと言う言葉は死んで肉になった鶏の事だが生きている鶏はヘンだったかな。でもDIYショップで聞いたらチキンネットと言う。色々な人と滅茶苦茶な英語で話しているうちにドイツから来たという人間も、フランスから来たという色の黒い人も総ての人がユダヤ人を嫌う。小野原がキリストはユダヤ人じゃぁ無いのかと言葉を振ってみたら共に言葉を濁してしまって、話題を変えられてしまった。清濁併せのむのがこの国の性質なのだなと解釈し半ば納得した。ある日ショッピングセンターで買い物中に佐々山夫妻とばったり出くわした。
「小野原さんも買い物ですか。」
「えぇ、独身者ですからね。」
「僕はこっちへ来てから女房の忠実な運転手に成り下がりましたから、毎回こうやって荷物運びまでやらされております。丁度よかった。ちょっとそこの喫茶店でお茶でも飲みませんか。少しはさぼらせて貰わないとやっていけませんからね。」
佐々山が誘うので一緒に喫茶店に入った。
「僕達はここでお茶を飲んでいるから、君は好きな物を買ってきなさい。」
佐々山さんの奥さんは、にこにことそれじゃぁと言い残してスーパーマーケットの中に消えた。
「どうです少しはこちらの生活に慣れましたか。」
佐々山が聞いてきた。
「えぇまぁ慣れるのには早い方ですからね。でもやっぱり言葉は難しいですねぇ。毎日どこかで誰かを捕まえて話をするように心がけておりますから、度胸だけは人一倍付きましたがねぇ。覚えた筈の単語が会話になると出てこなくて、別れたあとで思い出したりします。やっぱり歳のせいですかねぇ。」
小野原はかなりの自信を身に付けはじめていたが、やはり日本人同士となると謙遜して言葉を選ぶようになる。
「へぇ、毎日英語で話しているのですか。凄いですね。僕らは夫婦ですし、仲間が日本人会ですから毎日日本語で話しますので全然英語がうまくなりませんよ。ところで香山さんとは連絡をとられておりますか。」
「えぇあれから二度ほど連絡をしました。ビザが取れ次第に香山さんの土地に小さな小屋を建てさせて貰う話しをしようと思っているのです。まぁビザがどうなるかは判りませんのでねぇ。佐々山さんに紹介された熊谷弁護士が力を入れると言うのですがお金の話ばかりでどうも信頼がおけないのです。まだ書類にサインをした訳でもないのですが不安なのです。」
「香山さんもあの弁護士は駄目だと言ってましたが、僕は彼しか知りませんからね。まぁ僕も最初に会った時は彼が弁護士だと言うのを信用しなかったのは事実です。実際、日本での僕が知っている弁護士、と言っても会社が使っている者ですが、にはあのようなタイプはいませんでしたから。まぁ2年間かかりましたがビザを貰えたのでまぁ良しとしましたが。それにしても香山さんのところに家を建てるのは良いことですね。彼は僕と同い年なんですがあんなへんぴなところで一人住まいをしているので心配してましてね、毎週電話で生きてるかって確認しているンですよ。」
佐々山がすまなさそうな声で小野原に弁明した。
「別に佐々山さんに文句を言っている訳じゃないんです。以前の仕事柄、どうもああ言う人間を見ると、どちらか言うと丸暴に見えるんですなぁ。これも職業病ですよ。」
「でも小野原さんの元の職業も彼には判っているのですから、変な事は貴方にはしないでしょう。あっ、家内が帰ってきましたから、これで失礼します。たまには遊びにお越し下さい。では」
佐々山が入り口に立った奥さんに手を挙げて立ち上がり言った。小野原は佐々山夫妻の後ろ姿を見ながら
「いい夫婦だなぁ。あんな奥さんなら結婚するのもいいだろうな。」
と、つぶやきながら席を立ってスーパーマーケットの店へと向かった。
小野原勉が熊谷と会ったのは、初めてゴールドコーストへと香山に連れられて来た時に会った佐々山から電話番号と住所のメモを貰った二日後だった。
小野原がブリスベンの熊谷弁護士事務所を訪れての事だった。電話では随分と忙しそうに話していたが事務所の中は閑散としていた。不動産屋で見せられた受付の爽やかで可愛い笑顔はここには無かった。部屋の空気もどんよりとしているように小野原には思われた。
カウンターの上にプッシュ式のベルが置かれていた。用件の方は押してくださいと日本語と英語で書かれていたので小野原が押した。二度目にベルを鳴らした時に奥の部屋のドアが開き、ずんぐりした体型の丸顔の男が顔を出した。少し釣り上がった寝ぼけ眼の細い目だけが相手の値踏みをしているように上下する。小野原は警備員か用心棒のように感じたが、弁護士事務所に用心棒は必要ないだろうと思い直し、
「電話で連絡させて頂いた小野原です。先生はおいででしょうか。」
と聞いた。
「あぁ、貴方が小野原さん。わたしが熊谷です。お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」
熊谷の顔が営業用の笑顔に変わり、別の部屋のドアを押した。
「随分と静かなオフィスですね。」
小野原がイスに腰を降ろしながら言った。
「えぇ今日は全員が裁判所の方へ出掛けておりますので、今は僕だけです。ところでリタイアメントのビザを申請なさりたいと聞きましたが、既にリタイアはされたのですか。」
「はい、今年4月で退職しました。」
「そうですか。と言う事は退職金などは既にお手元に入っておられますね。ビザは居住許可だけで労働許可は受けられませんから生活資金などには問題はないでしょうね。それから住宅資金はどの様に計画されていますか。」
熊谷の矢継ぎ早なお金に対する質問に、小野原は少し違和感を覚えた。しかしそれもビザを申請するのに必要不可欠な事だろうと考え、
「まぁ独り者ですから。生活するのに必要以上の預金もありますし、恩給も付いていますから。住宅はもし購入するなら東京の家を売っても良いと考えています。」
と答えた。
「そうですかお一人ですか。失礼ですが、以前のお仕事はどの様な職業だったのですか。」
「一応、地方公務員でしたが。」
小野原は最初から警察官だったなどというのはどうかと考え地方公務員と答えた。
「あっそう、公務員さんだったのですか。お住まいは東京とお聞きしておりますが、地方公務員と言えば東京都庁にお勤めだったのですか。」
小野原勉は最初に会ったその時から違和感を持っていたので、ひょっとしたら香山さんが言っていた弁護士に当たってしまったかな、失敗したなと思ったが、折角ここまで来たのだから一応聞くだけ聞いても損は無いだろうと
「いぇ、警視庁ですが、丸の内署に勤めていました。」
と言った。一瞬、熊谷の目が戸惑ったように揺れたのを小野原はみのがさなかった。
「あっそ、そうなんですか。警察の方だったのですか。」
熊谷が少し考えて言葉を繋いだ。
「警察官のリタイアビザは申請したことがありませんので、色々と難しい事を言われるかも知れません。でもとりあえず申請書を提出してみますか?」
「どうして警察官が難しいのです。別に職業の差別はないでしょう。」
「いや、そうですけれど、公安だとか、え〜、スパイだとか色々詮索されるのじゃないかと思っただけです。」
小野原の言葉に、熊谷はうろたえながら答えた。
「そんなことは、共産主義国でもないオーストラリアで考えられるものじゃ無いでしょう。」
「えっえぇ、それはそうですけど。とりあえずこの書類をお持ち帰りになって記入してください。戸籍謄本と無犯罪証明も必要ですから、あっ、無犯罪証明なんてのはお手の物ですね。まっ、とりあえず書いてある通りの書類も揃えて提出してください。担当は山中と言う者が致しますので、今後は彼と連絡を取り合ってください。こちらの費用も彼がお話しますのでよろしくお願いします。僕もこれから裁判所へ出掛けなくてはなりませんから、今日は一応これまでと言うことで、今後ともよろしくお願いします。では」
熊谷が言うだけ言ってそそくさと立ち上がったので、小野原は質問する暇さえ与えられずに、手渡された封筒に入った書類を持って開けられたドアから弁護士事務所を出た。
「何だったんだあれは。」
小野原勉はつぶやきながら腕時計を見た。
「随分と早く終わったな。ゴールドコーストへとんぼ返りと言うのも能がない。ちょっと時間つぶしにブリスベンの町でも観光するかな。」
と、歩き始めた。ブリスベン川の畔で対岸に見たことのある建物を見つけた。
「あっ、あんな所に博物館が有ったんだ。よしもう一度行ってみよう。」
「バブルが裂けて久しいと言うのに毎日銀行が来て、金を使ってくれとうるさい程です。あまりうるさいので今日なんか、こっちが銀行に金を貸してやろうと言ったぐらいです。」
久し振りに会社へと出社した早川浩一に財政を担当している専務の吉田が言った
「結構な話じゃないか。まぁ君の御陰で早川建設の方も今年はかなりの実績を挙げる事が出来たからねぇ。感謝しているよ。」
早川が吉田に少し頭を下げて言った。
「社長にそう言って貰えると、金沢君を社長の会社から引き抜いた甲斐がありました。彼は今、現場へと行っておりますので、昼過ぎまでは帰って来ませんが、それまでどうぞゆっくりしていって下さい。」
吉田の言葉に期を通じて女性秘書がコーヒーを運んできた。
吉田も早川の前に座り、コーヒーに手を伸ばしながら、
「実は、新しい事業も計画を始めました。まだまだ計画段階ですが、具体化したらお知らせします。」
と言った。
「ほう、そうかい、君がやることなら間違いは無いだろう。事業分野はまさか建設なんて事はないだろうね。」
「それは社長に失礼ですから、絶対に踏み込まない分野と心得ております。それは御心配には及びません。一口に言えば通商分野で、輸入販売事業です。まだ何を輸入するかの検討中ですが、幾つかの商品候補はもっております。この分野は一応わたしが担当しますので明日からちょっとオーストラリアへ行く予定なのです。」
早川が冗談のように言った言葉に応えて吉田が言った。
「ほう、オーストラリアね。今、わたしの息子がゴールドコーストの大学へ通っているんだよ。最も姓が違うがね。まぁしかし、わたしにとっては一人息子だからゆくゆくは跡継ぎにするつもりではいるんだ。その母親にそこで日本食のレストランをやらせているから、もしゴールドコーストへ行く機会があれば立ち寄って様子でも見てきてくれるといいがなぁ。」
早川が言った。
「そうですか。それではゴールドコーストへも足を伸ばしてみましょう。まぁブリスベンへも行きますから近くですしね。お届け物でもあれば持参しますよ。」
「そうだな。別に品物は無いが、金を1000万円程渡してやってきてくれないかな。すぐに会社へ電話して持ってこさせるから。」
早川が少し考えて言った。
「そんなことならお安い事ですよ。お金のことは御心配には及びません。既に4億円程向こうの銀行に仕入れ資金として送っていますから、そこから立て替えておきます。ちょっとわたしはその用意もしなくてはなりませんから出掛けますが、どうかごゆっくりしてください。あとは先程の秘書に申し付けておきますので何でも御用は言ってください。では」
吉田が腰を折って出ていったので、早川は少しゆっくりするかと応接イスに横になった。
「社長がお見えになっております。」
金沢が帰社したときに秘書が耳元でささやいた。
「えっ、いつから来られているのだい。」
ビックリして金沢が聞いた。
「はい、朝、金沢常務が出掛けられてからすぐでしたから10時半頃です。専務さんと30分程話していてそれからは、社長室から物音一つ聞こえないのです。」
秘書の言葉を聞き、金沢は慌ててドアをノックした。しかし返事は無い。ドアをそっと開けてみた。気持ちよく小さないびきを立てて早川は眠っていた。
「気持ちよく眠られているから、もう少し寝させておきましょう。その間わたしは用事を済ませてきます。もしわたしが来るまでに起きられたら連絡してください。」
金沢は秘書に言い残して自室へと引き上げた。
その後、1時間程でその秘書から
「早川社長がお目覚めです。常務にお越しになるようにとの事ですのですが、ご都合はいかがですか。」
と電話があった。
「判りました。すぐ伺います。」
金沢は広げていた資料をまとめ小脇に抱きかかえ社長室へと入った。
「おう、すまないね。忙しいのに。」
早川は金沢に自分の前のイスを勧めて言った。
「先程帰社しましたときに社長がぐっすりとお休みでしたので遠慮していたのですが、実はこれを御覧下さい。」
金沢は小脇の資料を広げて言葉を繋いだ。
「会社の仮決算書ですが、わたしは専門ではないのでよく判らないのですが、どうも変な気がするので一度社長に聞こうと思っていたところだったのです。」
「どれどれ、これか。」
早川が手を伸ばしてその部分を取り上げた。
「別におかしいと言うのは見あたらんが。」
しばらく眺め数字を目で追っていた早川が顔を上げて金沢に言った。
「はい、でも実際この数字より多くの出資があるはずなのです。それがどこかへと途中で消えている気配があるのです。じつは数日前一人の出資者から電話を貰いまして、聞きました数字と食い違いがあるのです。勿論出資証券はその方の手元にはあるそうなのです。ですから、出資者からの資金がどこか違う部門へと横に流れたのか、担当者が出資証券を偽造しているのか、問題が問題ですので、今のところは僕の腹の中だけで調べていたのです。」
金沢の言葉に、先程聞いた吉田専務の言葉が早川の脳裏によみがえった。
「そうそう、さっき専務が言っていたが、新規事業で輸入をやるから既に4億円程オーストラリアへ送ったと言っていたがそちらへ廻っているのではないのか。」
「えぇ、それも考えてみました。実際、それ自身も顧客はマンションへと投資しているのですから問題は残るはずで、僕は反対したのです。」
「なるほどね。しかし、会社が順調な時に保険として異分野、異業種に手を伸ばす事は、必要な事でもあるし。専務もそれなりの事を考えているのではないかね。」
金沢の口調を和らげるつもりで早川が言った。
「それはそうかも知れませんが、輸入販売などは誰も経験の無い分野ですから。」
「まぁ、それは一応専務に任せて、どうかねこれからの建設発注はどのくらいわたしの方へ来そうかね。」
「はい、都内はある程度市場的に蔓延した感じがしますし、大臣免許も取得できましたから、いよいよ他県に向かって市場開拓を広げます。さしあたって社長の独壇場の千葉県と神奈川県。それに吉田専務の出身地の岡山県へと広げる予定です。千葉県の物件は既に設計段階で4棟がスタートしております。これは数日内に図面をお届けできます。」
「ほう、そうかね。一つは岡山県か。これはわたしの所では大坂支店管轄になるが、距離からして無理かもしれんな。」
早川がつぶやくように言った言葉を受けて金沢が
「あっ、岡山県の方は専務の親戚で建設屋があるそうで、そこにやらせたいと言っていたので社長に相談しようと考えていたところです。」
と言った。
「そうか、まぁ顔を立てる事も必要だろうが、当初の約束があるから、わたしの所で受けて下請けとして指名する方法にするしか無いだろう。」
早川が言った。
「そうですね。そうして戴ければ専務の顔も立ちますから。どうかよろしくお願いいたします。」
金沢が頭を下げて言った。
「それもそうだが。千葉県で計画するなら、うちが持っている使い道のない土地。君も知っているのが幾つかあるだろう。あれをその計画地として考えてくれないか。実はね息子が大学を卒業する事が出来るようになったから、本格的に弁護士事務所を構えさせてやろうと考えて、不要な土地を整理した金を送ってやりたいと思っているんだよ。」
早川が言った。
「それはおめでとうございます。いよいよ征次君が弁護士になるのですか。凄い事ですね。それなら土地の方はお任せ下さい。全部整理させていただきます。」
「それは助かるなぁ。土地図面なんかはあとで届けさせるからよろしく頼むよ。」
早川が金沢に頭を下げて言った。
「任せてください。さしあたって習志野の土地は良く判っていますから、すぐにでも建築図面にしましょう。千葉市内にある土地は全部、こちらで買い取ります。でも富里と印旛の大きな土地は私どもの計画には合いませんから、でも何か考えてみます。あと市原にもありましたね。富津市の山中峠でしたか、農地は駄目ですね。」
金沢が務めていたときに知った知識で早川に言った。
「富里の600坪は売ってしまったから考えなくても良いけれど。御宿にも海岸線に近い場所で400坪程あるよ。」
「えっ、それは知らなかった。それはすぐ計画に乗せます。実はリゾートマンションもそろそろ計画するべきだとつい先日の役員会議で決まった所なんです。」
金沢が身体を乗り出して言った。
「そうか、ただ少し値段が張るから今まで売れなかった物件なんだ。海を眺められて物件としては良いんだよ。」
早川は少し言葉のトーンを落として言った。
「社長も御存じのように、価格の調整はどうにでもなります。建築費に土地代金を組み込ませる事でもすれば、土地の表面価格を下げることも出来ますし。まぁ任せてください。明日中にでも契約書を揃えます。でも裏契約は無しですよ。税務署はイヤですからね。」
「ははは、裏契約を結ぶ程、利益の出る土地ならこんな事は言わんよ。そうか、それならすぐにでも図面を届けさせるから頼むよ。」
コーヒー茶碗に手を伸ばし冷めているのに気が付いて、
「コーヒーを飲むのも忘れて話し込んでしまった。君の時間をつぶさせてしまって悪かったね。じゃ、わたしは千葉の方へ帰るとするか。」
早川が立ち上がりながら言った。
「判りました。総て御心配の無いようにうまくやりますからお任せ下さい。」
社長室から二人で出て、玄関の専用車まで送り届けた金沢は書類を抱えて自室へと引き上げた。
「社長にも判らない操作をしているなんて、やはり全体から見つめ直すしかないか。10億ともなると小手先の操作では出来るはずはないからなぁ。」
手にした書類の束を見ながら金沢はつぶやいた。あるきっかけからあるべき筈の10億円と言う金額が影のように消え失せているのを発見した金沢が、不得意な経理帳簿を繰り始めたのだった。
「まずいな。恵子から言って来たのだが、金沢が色々と帳簿を探り始めたそうだ。」
「社長が送り込んで来た奴はうまく排除する事が出来た。あれはよかったが、金沢が始めたとなると、更に地下に潜った方法を採らなければすぐに見つけられるぞ。」
山口が中村の言葉に返した。新宿の高層ホテルの人影の少ないバーの一角である。
「上河取締役みたいに追い落とす方法は無いかな。」
「待て待て、中村君、それは非常時の事にして、その恵子ってのは社長の秘書だろう。どんな書類を金沢が引き出しているか詳しくは判らないか?」
「うん、今のところは仮決算書とか契約リストの一部を調べているだけだそうだが、先日社長が来たときにも仮決算書を社長に見せていたそうだ。」
「社長の反応はどうだった。」
「実際、恵子がそこに居た訳ではないそうだが、彼女の感触では社長は何も見つけられなかったそうだと言っていた。」
「そりゃぁそうだろう。あんな仮決算書なんかでは判るはずはないんだ。金沢はどこから何を嗅ぎ出したのか。まずそれを調べろ。それから今のところで、全部で幾らになる。」
山口が聞いた。
「だいたい50億までは届いている筈だ。」
「目標までにあと30億か。」
ブランデーグラスを持ち上げ山口がつぶやいた。
「そうだな。あと2ヶ月で終われそうだ。」
「まぁ、金沢が何を見つけだしたか。それを探るのが先決だ。ある程度判ればもう一度ここで話をしよう。会社の中では今まで通り、君と僕とはそりの合わない取締役どうしだからな。」
「もし、金沢が金額でも知ったらどうする。」
中村が気の弱いところを見せて言った。
「何を言っているんだ。そんなのが判るはずはないだろう。あいつは決算のけの字も知らないんだぜ。今、あいつが居なくなると建築の方でパニックが起こるだろうし、社長から我々が睨まれるのはまずい。特に吉田がオーストラリアから帰ってくるまでは、俺が言ったとおり、調べることだけをしろ。しかし、それにお前が前に出ては駄目だぞ。あくまでお前の可愛い彼女に探らせるのだな。」
山口はそう言って立ち上がり胸ポケットから鰐皮の財布を出し、1万円札を5枚程半折りにして中村の前に放り投げ言った。




