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第四章  恐竜との出会い


第四章  恐竜との出会い



 日本は夏真っ盛りと言った頃だろう。

 こちらは真冬だ。真冬と言ってもこの暖かさはどうだ。久し振りに恐竜の探索を休み、掘り出してきた少しの化石を洗ったり、香山さんから借りてきた本で調べたりして、20平方メートルもあるテラスに釣ったハンモックに揺られながら小野原勉はゆっくりと休日気分を味わっていた。本当に気持ちの良い日だ。


 小野原勉には子供も無く、時間の不規則な仕事の所為で、一度見合いで貰った妻にも1年程で見切りをつけられ、ある日帰宅してみると家具一切総てを持って逃げられていた。以後一切の欲望を断ち切り、捜査一筋に警察官人生を過ごしたのだった。


 刑事魂云々がもてはやされた時代に生き抜いてきた小野原だが、機動力と科学力をフルに活用したチームワークを重視する現代の捜査には異端者扱いを感ぜずにはいられなかった。

 小野原勉には親が残した家があり、妻も子供も無く、仕事一筋で貰う給与の大半が手つかずで預金通帳に単なる数字として残り、恩給や退職金を加えると、余生を働く必要も無かった。 しかし、退職してから家に一人で引きこもっている訳にも行かず、毎日それまでに身に付いた癖で外を出歩くしか時間のつぶし方が無かった。


 小野原勉は定年を迎えてふと人生を振り返ってみた。職業柄女に金を使った事も無く、競輪競馬は元より博打一切やったことがなかった。友人が身体に良いからと薦めるので興味も無かったが暇つぶしにと温泉めぐりをしてみた。湯に浸かって無心になろうとしても一緒に湯に浸かっている人々が容疑者や犯人、犯罪者に見える。食事時に給仕をしてくれる仲居まで女を売り物にしているのではないかと疑いの目で見る。人を見れば犯罪者と思えと言う根性は抜けきらないものだ。

 

 そんなある日、東京駅で列車を降りると幕張メッセで開催されている恐竜展のチケットを販売しているのが目に入った。広告を眺めている内に、終戦後子供時分に親父に連れられて恐竜博覧会へ行った時の事を思い出した。駅員の熱心なセールストークに耳を傾けている内に一枚のチケットを購入してしまった。

「まぁ、暇人だからちょっとみてくるか」


 幕張メッセは家族連れ、恋人同士、グループなどで思ったより盛況だった。小野原は退職してから以後、出来るだけ人混みから遠ざかってきた。それまで散々に人混みをかき分けるようにして生きてきた人生を清算する意味でもあった。久し振りの人混みにまみれ、しかも子供達の多さに多少辟易しながら、出来るだけ人気のあるアトラクションなどを避けて歩いた。昔、親父と行った恐竜博覧会は野外に恐竜の模型を展示した程度のものばかりだった記憶があるが、今日のは随分と趣向も凝らされ大人でも結構楽しめるものだった。展示された恐竜の骨格や写真にはすべて詳細な説明板があり、小野原のうしろで子供達が恐竜に関するうんちくを話す声を聞き、今時の子供達は何でもよく知っているなと感心させられながら、ゆっくりと総てを読んで行った。

 自分も少しは勉強でもしてみるか。

 会場の隅に即売場があり、恐竜の小さな模型からTシャツ、おもちゃ、本などが売られていた。その中から小野原は3種類の本と会場のパンフレット、それにコーヒーのマグカップを一つ買い求めた。

 余韻を残しながら帰宅する家族連れなどの雑踏に紛れて駅まで来た際、目に入ったお好み焼きの看板に釣られて自動ドアをくぐった。店は恐竜展の会場と大差の無いほど混雑していたが一人分の席を見つけ生ビールといか玉焼きを注文した。

「さすが千葉だけあって、このいかはうまいね」

 と、店員に愛想を使ってみると

「いえ、これは輸入物です」

 忙しいのにまったくくだらないことを言うと言った感じで笑顔も見せず店員は応え、すぐ違う客に呼ばれて行った。

 仕方なく小野原は生ビールに舌鼓を打ちながら、買ってきた恐竜の本を開けてみた。ふと気づくと廻りの人々も自分と同じく恐竜展からの帰路に立ち寄った者達らしく、話題が恐竜にあった。本を読むとも無しに眺めながら、周辺の言葉に耳をかした。

「ふむふむ、これはいい。結構耳学問になる。やはりどんな勉強でもその地へ行ってするものだ。暇なのだから一度中国のゴビ砂漠でも行ってみるか。あれっ、ゴビ砂漠はモンゴルだったかな。」

 小野原はつぶやきながら勘定を終え、帰宅の途に着いた。


 長年の癖や習慣は抜けきれるものではない。つい足が古巣であった丸の内署の前に小野原を運んでいた。見上げると懐かしい窓に煌々とした灯りが目に入る。

「ちょっと寄ってみるか。」

 衝動にかられてドアを押した。

「ありゃりゃ、めずらしい人だ。どうした風の吹き回しだい。」

「お久しぶりです」

「お元気そうで、なによりです」

 旧の仲間達や上司が懐かしそうに声をかけてくれた。それにしてもまだ退職してから数ヶ月しか経ていないのに、言葉は長年会っていない人を迎えたようだ。

「いやぁ、千葉まで行った帰りに、つい懐かしくて来てしまったんだ。別に用があって来た訳じゃないから顔を見ただけで失礼するよ。」

「あれ、小野原さん、恐竜展に行ってきたんですか。」

 最後まで小野原とコンビを組んでいた若い山本が、小野原の提げている、表に恐竜の絵を描いたビニール袋を見て聞いた。

「あぁ、これね。退職してからする事がないものだから、駅で買わされたチケットが勿体ないので覗きに行ってきたんだ。」

「どうでした、行った値打ちはありましたか」

「うん、あぁ、まぁ結構楽しめたよ。でも夏休みの子供達が大半で少しうんざりしたことも確かだけどね。どうしたんだ君も興味があるのか。」

「いやいや、僕じゃなくて子供が連れて行けってうるさく言うからなんですが、一人2500円はちょっときついんで、考えているところなんですよ。」

 山本が頭をかきながら言った。

「あぁ、信坊か。山本くん。子供が興味のある事はかなえてやった方がいいよ。今日は廻りの子供達が話している事を聞きながら僕も結構勉強になったからなぁ。世の中に出て知らないことを子供達から教わるなんて事は、今日まで考えた事が無かったから、結構カルチャーショックが強かったよ。だから衝動買いみたいだけれどこうやって本を買い込んで少しは勉強してみようかなって気になったんだ。」

 小野原は買ってきたビニール袋を持ち上げて言った。

「でもねぇ、小野原さんはそう言うけれど最近うちじゃ子供の方が僕の小遣いより多いんですよ。なんたってコンピューターを買わされてインターネットをやりだしてから電話代からその接続料から本代まで大変なんですから。」

 山本が言った横から

「えっ、山さんとこもインターネットを始めたのかい。」

 川上刑事が口をはさんだ。

「そうなんですよ、もう一年ぐらい前からですけど、最近では学校から帰って来るとカバンを放り出してすぐパソコンのスイッチを入れるんです。勉強しているんだか、遊んでいるんだか判りゃしないけど、話を聞くと結構物知りになって、最近じゃ、お父さんそんなことも知らないのって言われて教えられる始末ですよ。」

「ほう、そうなんだ、うちもパソコンを買ってくれって毎日うるさいから、昨日も女房と一緒に見に行ってこいってどなったんだ。」

「川上さんところは何年生になったのかな。」

「うちは中学一年生だよ。」

「あれっ、じゃ、うちのぼうずと同じなんですね。それなら買ってやったら良い年頃ですよ。最近じゃ大学の教授なんかともメールで話をしているようで、この前もその教授から来ていたメールを読ませてくれたんです。何とか言う名前の恐竜の難しい話をいろいろと書いていましたよ。あれじゃ我々が話題について行けなくなる筈ですわ。」

「へぇ、インターネットってそんなことまで出来るのかい。」

 横で聞いていた小野原にも俄然興味が沸いてきた。

「えぇ本当ですよ。聞くとその人のホームページとかやらへアクセスして、色々と質問を書いて送るそうです。そうしたら早ければすぐ返事をくれるそうで、まったく勉強に年齢なんか関係なくなってきたみたいですよ。」

 小野原は山本の言葉の中にカタカナ用語が入りだしたのを聞いて、こいつも結構それにはまり込んでいるなと思った。

 しばらく雑談を交わして署を出た小野原は

「いっそ秋葉原へ寄ってみるか」と、駅に向かって歩き出した。


「最近、どうも衝動買いが多くて駄目だなぁ。」

 小野原勉は、先日何気なく買ってしまったパソコンを前にスイッチを入れようか入れまいかで悩みながらつぶやいた。買ってきたものの全く使い方が判らない。使用説明書を読んでもちんぷんかんぷんで頭が痛くなる。パソコンの御陰で飲みたくもない頭痛薬なんかも買った。やっぱり自分にはこんな物は性分に合わないのだろうかと悩む。でも買ってきた恐竜の本やパソコンの説明書を毎日、喫茶店に行っても食事に行っても片時も離さず読んでいるので随分と時間つぶしにはなっている。

 パソコンのスイッチを入れる前に扇風機のスイッチを入れた。立ち上がったついでにコーヒーでもいれるかと、パーコレーターの用意をした。小野原は退職してからコーヒーもインスタントは止めて、この本格的な香りの高い方のコーヒーに替えた。近所にうまいコーヒーを出す喫茶店が最近オープンして、その店で挽きたてのコーヒーが入手できるようになったからだった。小野原はブルーマウンテンの細引きが好みだ。パーコレーターから何とも言えない良い香りが漂ってきた。小野原にはこのひとときが至福に感じられる。


 「それにしても恐竜の名前はなかなか覚えられないし、パソコンの説明書なんかもカタカナばかりで何がなんだか判りもしない。どうしてもっと判りやすく書いてくれないのだろうか。」

 コーヒーカップに両手を当てて温もりと香りを楽しみながら小野原はつぶやいた。

「誰かに教わればいいんだ。」

 しかし、廻りに思い浮かぶ人物が無い。

「あっ、山本君の子供がいた。そうだ。」

 叫ぶが早いか、すぐさま電話機に飛びついた。閃きと共に行動に移るのは身体に染みついたものである。

「1課の山本君は出掛けましたか、あっ、すみません小野原です。」

「ちょっと待ってください。聞いてみます。・・・今、捜査会議の最中ですからこちらからかけ直すように言っときますね。電話番号は判っていますか。」

 電話を受け付けた人間が言った。

「ええ、山本君は判っていますからお願いします。」

 それから2杯目のコーヒーを飲み終えた頃、山本から電話がかかってきた。

「小野原さん、何か事件ですか。」

「あっ、山さん、忙しいのにすまないねぇ。実は事件なんだよ。買ってきたパソコンの動かし方が判らないんだ。」

「ははは、」

 電話の向こうで山本が笑っている。

「山さん、そんなに笑わないでくれよ。本当に困っているんだ。頼みがあるんだ。」

「ははは、いいですよ。小野原さんの頼みなら何でも聞きましょう。ただし金を貸してと言うのは無しですよ、と言っても小野原さんの方が僕より遙かに金持ちだもんなぁ。」

「いや、山さん冗談はともかく、あんたんとこの信坊を一日貸してもらえんだろうか。夏休みだからいつもいるんだろう。」

「あぁ、それはお安いことですよ。帰ったら聞いておきます。」

「その替わりと言っちゃなんだけれど、彼が行きたがっている恐竜展に僕が連れて行くよ。頼んだよ。」

「それは助かるなぁ。僕は時間は無いし、お金も無いしで悩んでいるところですから絶対に行かせますよ。」

 そう言って山本は電話を切った。

「よしよし、これで一つは片づいた。」

 もう一杯コーヒーを入れようかと考えたが、買ってきた恐竜の本は読み終えたし、本屋へでも行ってみるかと出掛ける用意を始めた。


「小野原さん、うちのかみさんが小野原さんは神様のような人だと言って拝んでいましたよ。」

 翌日、突然山本刑事の訪問を受けた小野原は、山本の挨拶とも思えない言葉にどぎまぎした。

「どうしたんだよ。朝からびっくりするような事を言わないでくれよ。」

「いや、実は夏休みじゅう毎日どこかへ連れて行けとか、暑いとか、何か買ってくれとかうるさくてしょうがないと、かみさんがこぼしているところへ、小野原さんの声がかかった事を言うと飛び上がるようにして喜んだのがかみさんなんですよ。だから何日間でも良いからイヤになるまでこき使ってくれと言ってました。」

「ははは、なぁんだ。そうなのか。じゃぁ渡りに船と言ったところだったんだね。でも神様はおおげさだよ。まだまだこの世にたくさん未練を残しているから死ねないからね。それより信ちゃん本人はどう言ってるんだい。」

「それこそ、恐竜展に連れて行ってくれるって言うだけで舞い上がっていますよ。で、早速連れて来ているんです。」

 と言って山本は車を見た。

「や、山ちゃんあれ覆面パトじゃないか。私用で使うとまずいよ。」

「まぁ、そう固いことは抜きにして、あれは参考人ですよ。ちょっとここまで拉致して来ましたから受け取って貰えますか。」

 と言いながら山本は車に向かって手招きした。

「おじさん、こんにちは。」

 車から降りてきた信太郎がぴょこんとお辞儀をして正確な日本語で挨拶をした。背は中くらいでも結構足が長い。顔は親父ににて丸顔で化粧をしているみたいにほっぺが赤い。眼は細いが、鼻が異常に高い。全体的に賢そうな雰囲気だ。

「信太郎君、無理を言ってすまないね。おじさん馬鹿だから本当に何も判らないんだ。だからコンピューターの事はABCから教えてくれるかい。」

 小野原が信太郎の頭をなでながら言った。

「はい、でも僕もあまり難しい事はわかりませんよ。ホームページぐらいは作れます。」

 横から山本が口をはさんだ。

「それじゃ、小野原さんよろしくお願いします。僕はもう行きますから。」

「あっ、山ちゃん、悪かったねタクシー屋さんまでやらせちゃって。今度なんかで埋め合わせをするから。」

「いやいや、気にしないでください。じゃ、信太郎。ちゃんと教えてあげるんだぞ。」

 言葉を残すやいなや、二人の返事も聞かないで山本は車へと乗り込んだ。

「じゃ、信ちゃん、あがって、あがって。」

「はい、失礼します。」

 ぬいだ靴を後ろ向きに揃えている信太郎を小野原は眺めて、この子は本当に山本の子供だろうかと疑った。山本のロッカーなどゴミ箱かと思うものだし、机の引き出しなど捜し物に一苦労するほどゴミのような物が詰まっている。勿論、机の上など表面が見えない程の乱雑さだ。

「そうだ、信ちゃんコーヒー飲むかい。おじさんところのは美味いんだぞ。」

「はい、いただきます。」

「じゃ、そこに座って。」

 小野原は食卓のイスを指さして言い、早速、パーコレーターの用意に取り掛かった。

「僕もこのまえからコーヒーを飲むようになったんです。でもうちは貧乏だからこんな本格的なコーヒーは飲んだことがありません。」

 信太郎が小野原の後ろ姿に声をかけた。

「ははは、まぁ警察官の給料じゃ、どこかで節約しないと生活が出来ないからねぇ。あっと、コーヒーが出来上がるまでそのパソコンをこっちのテーブルに移してくれるかい。」

「はい、あっ、これですね。」

 信太郎が応接間から小野原のノートパソコンと充電器を外して台所へと運んで来て言った。

「これ、僕の欲しかった機種ですよ。高かったでしょう。」

「そう、少し高いと思ったけれど、店員がホームページを立ち上げたり、動画を再生したり、海外で使うならこれぐらいの物が必要だと言うので思い切って買ったんだよ。でもね、おじさんぐらいの歳になるとスイッチがこんなにたくさん有ると最初からイヤになっちゃって、まだ電気も通していないんだ。こら、笑っちゃいかん。」

 小野原の話を聞いて苦笑している信太郎だ。

「じゃ、おじさん僕が最初にスイッチをいれるの。」

「いや、待て待て、最初のスイッチはおじさんにやらせろ。とりあえずコーヒーを飲んでから。」

 信太郎の前にマグカップに入れたコーヒーを置いた。

「あれぇ、このカップ、おじさんどこで買ったの。」

 恐竜の写真が印刷されたカップを見て信太郎が素っ頓狂な声を出した。

「あぁ、これねこの前恐竜展に行った時に面白そうだから買ってきたんだ。今度一緒に行くときに君の分も買ってあげるよ。」

「ありがとうございます。いいなぁ、これ。」

 カップをぐるぐる廻しながら眺めている信太郎を見つめた小野原は、女房はいらないがこのぐらいの子供は持ちたかったなぁと少し悔やんだ。

「よし、とりあえず電源をいれてみよう。あれ、コンセント、コンセント。」

 電源コードを延ばし、延長コードを繋いで、コンセントに差し込んだ。

「さて、行くぞ。スイッチオン。」

「なんか、おおげさですね。」

 信太郎が苦笑しながら言った。

「ははは、まぁそう言うなって。おじさんぐらいになるとこのぐらい勢いを付けなけりゃ、始めての事には挑戦出来ないんだよ。さて、これからどうするんだい。」

 小野原は大仕事をしたような感じでコーヒーカップに手を伸ばした。

「とりあえずABCからでしたね。じゃ、ここをこうして、ここをマウスでクリック、そうしたら違う画面が出てくるので、ここをこうクリック。こうして、ああして、、、、」

「ちょ、ちょっと、ちょっと、信ちゃん待ってくれ。そのマウスとかクリックって何だよ。」

 早速、小野原は参った。カタカナが多すぎる。

「え〜そんなことも知らないでパソコン買ってきたの、説明書読んだンでしょ。」

 信太郎が呆れて言った。言葉も最初と違ってぞんざいになっている。

「そう言うなって。本当に何も判らないんだから。おじさんのことを幼稚園の子供だと思って教えてくれないかい。判るだろう。」

 小野原も本当に自信を失いつつあるのをグッと堪えた。

「わかりました。じゃこれがマウスでこうする事をクリック。いいですか。」

 信太郎がマウスを持ち上げ、小野原の目の前で人差し指でマウスの左上をカチャカチャと押した。

「はい、先生、判りました。」

「よしよし、わかればよろしい。ぷっ。」

 小野原がふざけて言った言葉に信太郎が吹き出した。


 それから二時間が過ぎた。小野原の頭の中はグチャグチャだ。見ると書いたメモ用紙の集団がテーブルの上を占領している。

「どう、おじさんわかった。」

 ぐったりしている小野原の顔を見ながら信太郎がそっと聞いた。

「うん、まだ生きてる。でも頭の中がパンク寸前だよ。丁度お昼だから気分転換にどこかへ食べに行こう。そうだ行こう、行こう。」

 小野原は早く中断したいので信太郎をせかせた。

 こじんまりしたレストランが歩いて数分のところにある。二人は並んで扉を入った。

「あっ、いらっしゃい。小野原さん、どうしたんです。小野原さんて息子さんいましたっけ。」

 店主が馴染みの小野原を見て営業用の笑顔で迎えた。

「いやいや、この子は僕の前の同僚の子供なんだ。でも今日は僕の先生。」

 小野原が頭をかきながら笑顔を返して言った。

「へっ、小野原さんがこんな子供から何を習うんですか。」

 店主も奇妙に思ったのか普段より言葉数が多い。

「うん、パソコンの動かし方を教わっているんだよ。」

「へぇ、世の中も変わってきましたねぇ。そうですか、こんな子供が先生ねぇ。」

 店主は自慢の顎髭をしごきながら口の中でもごもごと言いながら奥へと引き込んだ。

「さぁ、信ちゃん。何が食べたい。何でも好きな物注文していいから。」

 信太郎に目線を戻し、小野原が言った。

「撲、何でもいいです。」

 信太郎も先生なんて言われたから恥ずかしいのか、下を向いてもごもごと言った。

「何でもいいという返事は、主体性が無い。好きな物をいいなさい。」

 小野原は優しく信太郎をいたわりながら言った。

「じゃ、天丼。」

 子供らしく信太郎が顔を上げて、元気よく言った。

「よし、じゃぁ天丼の上を二つに、あとでアイスクリームも二つね。」

 テーブルに飲み水の入ったコップを置き、横に立っているウエイトレスに小野原が伝えた。

「信ちゃん、ところで君は恐竜の事を本で勉強したのかい。」

 と小野原が話題を振った。

「いえ、本は高いのでインターネットで勉強しました。でもたまに図書館へ行って読んだりはします。学校でも恐竜の好きな友達がいて、結構情報交換なんかもやりますからだいたいの事は覚えてしまいます。図書館もそんなに恐竜の本は多く有りませんからね。」

「へぇ、そうなのかい。図書館にもそんなに本が無いッてことはどういう事なのかなぁ。」

「インターネットで見たのですけれど、僕が生まれるちょっと前までは日本には恐竜が居なかったって偉い先生が言っていたそうなんです。だから本なんかも無いんじゃないですか。」

「ふ〜ん。そうなんだ。恐竜の事ももっと勉強しなくっちゃいけないなぁ。パソコンが終わったら信ちゃんに恐竜の先生になって貰おうかな。」

 小野原が本気になって信太郎に言ったところに注文した天丼が来た。

「うわ〜、こんな天丼。撲、食べたことがない。」

 信太郎が嬉しそうに箸をとった。

「でもね、おじさん。恐竜はインターネットをやり始めたら世界中の人達と話が出きるから、撲なんかから教わらなくてもたくさん先生が出来ますよ。昼からはインターネットに繋いでみましょうよ。」

 信太郎が口の中で大エビをほおばりながらもぐもぐと言った。

「えっ、もうインターネットが出来るのかい。」

 まだまだ先の話と思っていた小野原はびっくりして聞いた。

「だって、もうおじさんはパソコンでワープロ打ちは出来るようになったでしょ。日本語が打てれば手紙も書けるし、インターネットでメールも出来ますよ。まぁチャットは早くキーが打てなければ相手の話についていけないかも知れないけど。」

「そうかい、じゃ、今日からでもインターネットが出来るんだね。でも何だいそのチャットって。」

「チャットってリアルタイムに手紙の交換が出来るシステムなんです。例えば恐竜好きの仲間が集まって短い手紙を送り合いをすることなんです。僕なんかこのチャットで大学の先生や凄く偉い学者さんなんかとも知り合いになったんです。でも顔は見たこともありませんけど。」

「へぇ、そんな事まで出来るのか。便利な世の中になってきたなぁ。」

 小野原が感心したように言ったので、信太郎も気をよくして、

「カメラやマイクなんかも取り付ければテレビ電話見たいに使えますよ。」

 と付け加えた。

「へぇ〜、テレビ電話なんてテレビドラマだけかと思っていたよ。警察でもコンピューターを扱う奴はみんな若い連中ばかりだったから、そんな時代になっていたとは知らなかった。これはちょっと気持ちを引き締め直さなければいけないなぁ。」

 小野原は言葉の最後の方を自分に言い聞かせるようにモゴモゴと言った。

「おじさんところはプリンターを買ってませんでしたよね。」

 急に信太郎が聞いた。

「うん、まだどうなるか判らないから買わなかったんだ。どうして。」

「だって、もうおじさんはワープロ式に打てるようになったから。プリンターが有ったら手紙だって書けるし、書類を書くにもすぐ印刷出来たら便利がいいでしょう。」

「あぁそうか、信ちゃんところは持ってるの。」

「ううん、プリンターって安いのなら5000円ぐらいで売ってるのに、お母さんが高いって買ってくれないんです。でもお父さんは欲しいって言ってるんです。」

「そうそう、お父さんもパソコンやっているのかい。」

「うん、本当はお父さんの方が撲よりか欲しがったんです。でもお母さんには言えないから僕が欲しがっているって事にして買ったんです。だからお父さんは僕より凄いんですよ。作業記録が見えるのでお父さんのいないときにチェックするんです。そうしたらイギリスやアメリカの警察なんかのホームページに入って色々とやっていますよ。」

「へぇ、そりゃ知らなかったなぁ。でもイギリスやアメリカって言えば英語だろう、お父さんって英語ができるのかい。」

 小野原は知らないところで同僚にまで引き離されていた事を知り、愕然とした。

「うん、お父さんは英語ペラペラだよ。だって大学へ入る前にオーストラリア一周の旅を一人で一年間かけてしたんだって、全部英語で生活したから結局はただで英会話を覚えられたっていつも僕に自慢しているもの。」

 そうか、そう言えば高層ホテルでの殺人事件の時、俺に隠れて外人とやりとりしていたのを小野原は今になって思い出した。あの時は片言の英語でも通じるものだと奴は言っていた。よし俺も英語をマスターしよう。山ちゃん方式がいい。

 信太郎はアイスクリームの皿をスプーンでこそげ落とすようにして食べ終わって満足そうに言った、

「あ〜うまかった。おじさんごちそうさまでした。じゃぁ、昼からはインターネットに繋ぎましょう。」

「でも少し早いんじゃぁないかい。」

 小野原はまだ自信が無い。

「だって、もう使い方は全部説明したし、あとはおじさんが練習したらいいだけだから。」

 信太郎も初めて他人に教えるものだから、相手の技量や知識を考慮する余裕が無い。一方的に知識を投げつけるだけである。小野原勉もその様に思った。

「よし、じゃぁ、帰ってやってみるか。」


 二人は又々台所のテーブルに並んで座った。

「ところでおじさんの知っているプロバイダーはありますか。」

 信太郎が電源を入れながら聞いた。

「えっ、なんだいそのプロ何とか言うのは。」

 早速、小野原の頭が混乱した。

「インターネットの基地局みたいなものですよ。世界中に張り巡らされたウエブっていうケーブルに繋ぐ前に、その基地局とこのコンピューターを繋がないといけないんです。」

 信太郎が判りやすく教えてくれた。

「そうか、でもそんなところは全然知らないよ。信ちゃんが繋いでいるところと一緒でもいいんだろう。」

「うん、そりゃぁいいけど。でもプロバイダーによって色々と値段が違うし、サービスも違うから、もし知っているところがあったらそっちがいいかなって思ったんだ。」

「そりゃぁ、信ちゃんみたいに使い慣れてきたら色々と考えられるだろうけれど、おじさんの場合、初めてだからね。どこでもいいんだ。」

「わかりました。じゃぁ、僕と同じプロバイダーに接続しますね。」

「そうだね、任せるよ。」

「電話のソケットはどこですか。」

「えっ、電話がいるのかい。」

「そうですよ、電話線を使ってプロバイダーに繋ぐんですから。」

 信太郎が大げさに肩をすくめるようにして言った。

「電話なら玄関のところだから、届かないな。よしテーブルごと移動しよう。信ちゃんそっちを持って。いいかい。」

 二人は玄関横の廊下までテーブルとイスを運んだ。


 その後、信太郎は1,2回どこかへ電話をかけ、小野原勉には訳の判らない言葉をふんだんに使って話をし、ケーブルをコンピューターへと繋いだ。カチャカチャとキーボードを叩き、独り言をブツブツいいながら画面を凝視している。その姿を小野原は奇異な動物でも見るように眺めていた。

「出来ましたよ。ここをこうクリックして、この画面を出すんです。そうしてここに言葉を打ち込むと色々なホームページの一覧表が出てきます。例えば恐竜って打ち込みますと、、、、、、はい、このように出てきます。この画面の右側のここをクリックすると画面が上の方に上がっていきますから全部のページが見られます。そして、例えばこのホームページをこうやってクリックしたら、はい、この人のホームページが出てきました。簡単でしょ。」

 信太郎が小野原を見て言った。なるほど見ていると簡単そうだ。

「よし、じゃぁおじさんと替わってみよう。」

 そう言って小野原は信太郎とイスを替わろうと立ち上がった。

「ちょっと待ってください。ついでにおじさんのイーメールアドレスも作くちゃいますから。」

 それから信太郎は又々、キーボードを叩き始めた。

「はい、これがおじさんのメールアドレスです。ここをクリックしたら届いたメールが見れますから、じゃぁ、とりあえず接続から練習しますから、一応切っちゃいますね。」

 信太郎が小野原の返事を聞くまでもなく、マウスを握り画面のどこかをクリックして消してしまった。

「え〜最初からやるのかい。」

 小野原が慌てて言った。

「そうですよ。だってこれが出来なかったらインターネットに繋ぐたびに僕が来なくっちゃならないでしょう。」

「そうか、それもそうだ。よし、やってみよう。最初はここだったね。あれっ。」

 小野原は横で見ていて簡単そうに思っていたので、つい、メモを見ないで記憶だけでクリックの位置を決めて押してしまった。とたんに記憶していた画面と全く違う画面が出て戸惑って言葉に漏らした。

「おじさん、違うよ。最初はここをダブルクリックだったでしょう。」

 信太郎が口を尖らせて言った。

「そうか、そうか。最初から間違えるなんて馬鹿だねぇ。じゃ、ここをダブルクリックと。」

 小野原勉は恥も外聞も無く、中学一年生の信太郎に謝りながら、作業を続けた。

「やった。出来たじゃない。おじさん。」

 信太郎が思わず手を叩いて拍手で誉めた。

「やってみたら簡単だねぇ。これなら出来そうだよ。信太郎君の御陰だよ。ありがとう。」

 小野原も何か偉業を成し遂げた気分だ。

「じゃぁ、さっきの恐竜のページに行って見ましょうよ。」

 信太郎が言うので、ちょっと休憩しようかなと考えていた小野原だが、言われたとおり恐竜のホームページ集へ入った。

「そうそう、この人のホームページが面白いんです。なんか素人くさくて。でも本当にオーストラリアで土地を買って自分で掘り続けている人のページなんですよ。こんな人はいませんから日記なんか読んでいるんです。でも最近あんまり更新されてないから、ホームページより掘る方に力を入れているのかなぁ。ちょっとクリックしてみてください。」

 信太郎に言われてそのページの見出しの上をクリックした。とたんに画面から小さな恐竜達が大きな恐竜に追いかけられている画像が眼に飛び込んできた。

「へ〜、こんな事も出来るんだ。これは楽しそうなホームページだねぇ。」

 小野原が興味を膨らませて、信太郎に向かって言った。

「この人はもう何年もオーストラリアに住んでいて、オーストラリアを一周したんだって。たぶん英語もペラペラだと思いますよ。」

「信太郎君はどうしてそんなことを知っているの。」

「だって、この人とは何度もメールで話したもの。」

 信太郎が自慢そうに言った。

「そう、幾つぐらいの人かな。知ってる。」

「知らない。でも自分でお爺さんって言ってるから、お年寄りでしょう。」

「そうなのか。じゃ、後でゆっくりそのホームページを読ませて貰うことにしよう。あっ、もうこんな時間だ。信太郎君今から君の家まで送って行くよ。ついでに秋葉原へ寄ってプリンターを買っていこう。」

 小野原が時計を見て立ち上がりながら信太郎に言った。

「はい、」

 信太郎が返事をして立ち上がりながら言葉を繋いだ。

「おじさん、いつ恐竜展に連れて行ってくれるんですか。」

「そうそう、いつでも君の好きな時でいいよ。」

「恐竜展は来週一杯で終わるそうなんです。」

「えっ、そうなのかい。じゃぁ早い方が良いねぇ。明日、そう明日行こうか。」

「本当に連れて行ってくれますか。じゃぁ撲、お父さんとお母さんに言っときます。」

 信太郎が嬉しそうに言った。

「よし、今日のお礼に信太郎君の分のプリンターもプレゼントしよう。一緒に秋葉原まで行こう。さぁ用意して。」




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