第二十二章 逃避
第二十二章 逃避
「おい、ヤス。この金を靖之へ送ってやってくれ。」
大船碇禎治が組の金を担当させているヤスに言った。
「親父さん、これって、このまとまったやつですかい。」
ヤスが帳簿を示して言った。
「そうよ、その10億だ。」
「だっておやっさん。これは組の金ですぜ。」
「バカヤロウ。組の金でも何でもいいんだ。ちょっと土地を動かして金儲けするんじゃねぇか。おいヤス。今どき、日本の銀行に金を黙って預けている奴がいるか。考えてもみろ。そんなことして金が増えるなんて事があるか。今、靖之はマンションまで建てて売ろうとしているぐらい羽振りがいいんだ。その尻馬に乗って金を儲けて何故悪い。手前も有り金全部靖之に送れ。儲けさせてくれるぜ。」
大船碇禎治が唾を飛ばしながらヤスに言った。
「へい、判りました。じゃ今日にでも銀行から人を呼んで、送らせておきます。」
ヤスが部屋を出て行ってから、大船碇禎治は考えた。
「これで組の金も大半は送ってしまった。何か売る物はもうねえか。家を売っちまえばみんなに判るし、よし。」
立ち上がって廊下側の障子をガラッと開けた。側にいた2人の若衆がビックリしたように飛び上がった。
「おい、出掛けるぜ。」
車に乗って若衆の一人が聞いた。
「親分。どちらへ。」
「おうよ。ちょっと中沢ンとこへ着けてくれるか。」
中沢と言えば隣のシマを縄張りとしている組だ。今は抗争など無いが、境界線はいつでも一触即発状態にある。同行する二人の若衆だけでは、何かが有った時には親分を守りきれるものでは無い。若衆同志で目を合わせた。
「何を考えている。戦争をするつもりで行くのではない。ちょっと話をしに行くだけだ、心配しないで行け。」
大船碇禎治も若衆の考えている事は手に取るように判る。安心させるように言って車を走らさせた。案の定、中沢組の事務所前に車を停めた時には、ずらっと取り囲まれた。
「おう、中沢はいるかい。ちょっと大船碇が話しに来たと取り次いでくれないか。」
車の窓を開けて、大船碇禎治が言った。
「へい、ではちょっとお待ちを。」
その中でも少しは格が上そうな骨節の強そうな奴が、大船碇を確認して中へと走り込んだ。
「親父が会うと言ってますんで、どうぞこちらへお入りください。」
その若者が大船碇禎治の扉を開けて言った。
「おつ、そうか。では、そうだ。お前達が入ってくると雰囲気がまずくなるだろうから、迎えは俺が電話をするからそれまではちょっと帰っていな。」
大船碇禎治がついてきた若衆二人に言った。
「それでは俺達が若頭にどやされます。」
「よしよし、それは俺がなんとでも言い繕ってやるから心配するな。早く帰えんな。」
大船碇禎治が車を降りて言った。
「じゃ、おやっさん案内しますから、こちらへどうぞ。」
腰を低くしてドアを開けた中沢の若衆が案内した。
「どうする。兄貴。」
一人の車を運転していた若衆が助手席の若衆に聞いた。
「どうするって言ったって。親分が行っちまったからしょうがねぇだろう。でも外を見てみな。こんな所でじっとしていると余計まずいぜ。」
二人は車の外側をズラッと取り囲んでいる中沢組の戦闘員を見て怖じ気づいた。仕方なく軽くクラクションを鳴らして車を走らせた。
「ほう、どうしたい。珍しい客人じゃぁねぇか。まさか首でも取ってくれって差し出しに来た訳じゃぁあるめぇ。」
座敷で中沢が出てくるのを待っていた大船碇禎治の前に床柱を背にして中沢がドッカと座った。
「まぁ、考えたらそうかも知れませんぜ。と言っても斬り合いに来た訳じゃ有りませんから安心してください。もっぱら丸腰でたった一人で来るんだからそんな心配もいりませんやな。」
横に離れて座っていた若衆連中が、大船碇禎治の斬り合いと言う言葉に反応した動きを押さえるように見回して大船碇は言った。
「それで、今日はいったい何の話がしたいと言うんだ。」
中沢が若衆を睨んで、大船碇に言った。
「まぁ、簡単な話では無いので、一杯やりながら話そうぜ。」
「判った。おいみんなこの部屋から出て行け。そして酒の用意をしろ。」
中沢が手で追い払うようにして若衆達に言った。
「よし、これで誰もいなくなった。話を聞かせて貰おうじゃないか。」
「そうさなぁ。まぁそう急ぎなさんな。酒でも入らなくちゃしらふじゃ言えねえ事なんだ。」
大船碇禎治がせかす中沢を押さえて言った。
「ふん、どんな話しかしらねえが、ご大層なこった。おい、酒はまだか。」
中沢がつぶやいた後、障子の外へ向けて大声を発した。
酒が来て久し振りに酌み交わしたあと、
「実はな、金がいるんだ。まっ、使い道は野暮だから聞かねぇでください。その金も纏まったもので欲しいんだ。」
大船碇禎治が言った。
「なんだと。おめえさん。借金の頼みに俺んところへ来たって話しか。」
中沢が少し腰を挙げて言った。
「まぁまぁ、そう言いなさんな。実はな、そろそろ俺も歳だし引退を考えたんだ。でもよう、後を継ぐ人間に思いあたらねぇんだ。そこでふと考えたのがおめえさんだったのさ。今まで色々とあったよなぁ。昔からおめえさんとは喧嘩ばっかりしてたよなぁ。それが辞めようかと思った時におめえの顔が出てくるなんざ。俺もやっぱり歳かなぁ。しかも同じ時期に山脇会の傘下に入るしよう。いつまで経ってもこうやって酒を酌み交わす事など出来やしねえと思っていたんだ。そう思ったら矢も楯もたまらなくなって来てな。こうやっておめえさんの顔を見に来たって寸法よ。」
大船碇禎治がしんみりとした口調で話した。
「と言うことは、おめえさんは自分のシマを俺に譲りたいと言うのか。」
中沢が外の若衆に聞こえないように声を落として言った。
「そうよ。話が判るじゃなぇか。」
「幾ら欲しいんだ。」
「そうよなぁ。10億も積んでくれれば文句はいわねえぜ。」
「10億。随分と安く見積もったもんじゃねぇか。そんなんじゃ若衆連中に手切れも出来ないんじゃあねえのか。」
中沢が言った。
「なに、構成員も含めて約2000。すべておめえさんにくれてやらあ。」
大船碇禎治は手に持った盃をグイと開けて中沢へと差し出した。
「よし、判った。15億をやろう。おめえさんの退職金だ。」
中沢が大船碇から盃を受け取って言った。
「これで戦争も終結だな。」
大船碇禎治が徳利を持って中沢の盃を満たした。
「そうよな。ところでこれからどうするんだ。」
中沢がグイと飲み干し、その盃を大船碇禎治に返しながら聞いた。
「ふふふ、まぁそれは内緒だ。女でも連れて山脇会の目が届かないところへでも飛ぶさ。」
「なんだ、もう決めているのか。そうか。おめえはいいよな。俺なんざ、ガキがウジャウジャいるからそのシマ分けに苦労しているところだ。そんなことはまぁいい。ところで、金はいつ欲しいンだ。」
中沢が今までの心の中の鎧を外して言った。
「そうだな。今日明日と言う訳にもいかないだろうから。俺の方から振り込み先を連絡するぜ。まぁ外国だな。送金先は。」
大船碇禎治が考えながら言った。
「外国送金なんて俺んとこではやったことないぜ。」
「まぁそれは、俺ンとこのヤスをこっちへ送り込むからそれにやらせればいい。まずはそいつを俺との連絡役としよう。ここへ送り込む前に奴には言い含めておくから、最初にそいつから養ってやってくれ。奴は今、俺ンとこで代貸だ。こっちでもその程度で盃をくれてやってくれ。銀行や金関係では何でもよく判っている奴だ。そうそう奴は大学まででているからな。」