第十七章 崩壊
第十七章 崩壊
そんなある日、江沢会の江沢卓也から大船碇禎治は電話を受けた。
「久し振りやのう。景気はどうだ。ちょっとお前さんに相談事が出来ちまってなぁ。久し振りに会わねぇか。」
江沢卓也は関西から進出してきた全国組織の山脇会から送り込まれた、いわば後発傘下の大船碇組などの目付役だ。いつも真っ白なスーツに身を固め、廻りに10人程のボディガードを引き連れている。サングラスを外したのを見たことが無いので本当の顔を見た千葉県内の組長はいない。それぞれの組内部で不穏な動きなどを見つけたらいち早く本部へと注進するスパイのような奴だ。
その上、本部から千葉と言うシマを自分が貰ったかのように、常に大船碇禎治などの上に君臨したかのような振る舞いをする。虫の好かない奴だが、本部の人間である以上無碍に断る訳にもいかない。
「そうだな。久し振りだから銀座へでも足を伸ばすか。」
大船碇禎治が答えた。
「いやいや、そんな時間は勿体ない。ちょっと話したい事があるので、おやっさん一人でリンカーンを運転して俺を迎えに来てくれないか。パークホテルの玄関で3時。この時間なら無理はねえだろう。ほんの10分程で済む話だ。待ってるぜ。」
大船碇禎治が次の言葉を出す前に電話は一方的に切られていた。
「なんだあの野郎、勝手なことばかりほざきやがって。俺一人で来いだと。何様だと思ってやがる。それにしても、今時奴から電話をしてくるなんて薄気味悪い事だ。別に組の中でトラブルがある訳でもなし。廻りとも仲良しクラブごっこをしているし。」
受話器を見つめながら大船碇禎治はつぶやいた。
それでもその薄気味悪さが勝り、大船碇禎治は1時間程時間つぶしをしたのちにリンカーンを運転してパークホテルの玄関へとつけた。同時にドアボーイではなく、いつもの白いスーツに身を包んだ江沢卓也が運転席のドアを開け、
「おやっさん、俺が運転するから、そっちへ移ってくれませんか。」
と言って、身体を運転席へと入れた。仕方なく大船碇禎治は助手席へと移動した。
「へへっ、こんな話は車の中が一番なんでね。まぁ行き先は任せてください。」
江沢は慣れた手つきでリンカーンをホテルの玄関から滑り出させた。
「聞くところによると、おやっさんの息子。何て名前でしたっけ。あのオーストラリアへ行っている。そうそう頼之さんでしたな。随分と稼いでいるそうじゃないですか。まぁ結構なことですけど、ちょっと相手を見て商売はしてもらわな困りますぜ。」
助手席の大船碇禎治に目を配りながら運転を続け江沢が言った。
「何の事だ。」
事実息子がやっている商売に関しては全く知らない大船碇禎治が聞いた。
「おやっさんも御存じの関西の親分が姐さんに買ってやったゴールドコーストの別荘なんですが、おやっさんの孝行息子が売りつけたらしいんです。まぁそれまでは商売だから何も問題はありません。ま、しかし、その売りつけた値段があとで問題になりましたンや。何でも、聞いた話ですが8000万円程度の家に1億6000万円も払わせられたそうです。ちょっと玉取れなんて話しになったそうですが、騙された方も悪いと本部の方で留めたそうです。」
聞いて、大船碇禎治は靖之ならばやりそうな事だと思ったが、
「靖之が売ったと言うのは不動産の仲介だけじゃぁないのか。」
と聞いた。
「へへへ、そう言うと思ってましたよ。ちゃんと俺が行って調べてきました。それがなんと売り主はおやっさんなんですよ。厳密に言えばおやっさんの作ったオーストラリアの会社なんですがね。」
車は静かな住宅街をゆっくりとした速度で走っている。
「待て、俺はオーストラリアなんかで会社なんか持っていないぞ。」
大船碇禎治が言った。
「そうですなぁ。会社の登記関係は登記所のコンピューターで閲覧できますけど、書類関係は税理士の所に保管されているンです。まぁその税理士まで行ってきましたよ。その書類には素晴らしい筆跡で大船碇禎治と書かれていましたぜ。でも俺にはピンと来ました。これはおやっさんじゃぁ無いとね。だっておやっさんは英語なんて書けやしませんよねぇ。と言う事は、おやっさんの名前を使って作った会社を利用して中抜き取引をしているのは息子さんじゃありませんかねぇ。」
江沢が車を停めて、大船碇禎治に身体の向きを変え言った。
「江沢さん良く判った。近々俺がオーストラリアへ行って靖之から一切を聞き出してくるぜ。」
大船碇もこれ以上とぼけられないと考え言った。実際、近々にオーストラリアへとは行くつもりだった。
「じゃ、この話は終わりにして、もう一つの話ですわ。」
「何だまだあるのか。」
「へい、俺もあっちこっち走らされて結構ふところが寂しくなってきたので、おやっさんに助けてもらおうと思っているんです。」
江沢が言葉は丁寧だが、強い押しつけを感じた大船碇禎治が言った。
「待てよ、上納金は間違いなく納めているぜ。その上に何がいるんだ。」
「いやいや、上納金なんかの事じゃ無くて、俺自身のふところ具合の話しなんです。」
江沢が背広の襟を持って内ポケットが見える様に広げて見せた。
「ふざけんじゃねぇ。何で俺がてめえのふところを満たしてやらなくちゃならねぇんだ。」
大船碇禎治が怒気を含んで言った。
「まぁまぁ、おやっさんそう怒りなさんな。ところで、1ヶ月前でしたかなぁ、お宅の坂本君でしたか、中沢ンとこの姐さんを殺して刑務所へ行ったのは。そうそうそのモーテルって確かここでしたよね。」
大船碇禎治は言われて、外の景色を始めて見た。なんとそこは桜山モーテルの前だった。しかもリンカーンが停まっている所は、大船碇が乗り換えた場所である。大船碇禎治の顔が硬直した。
「あの坂本君は可哀想な事をしましたねぇ。いや、そんな話は別にして、おやっさん、ちょっと1000万程都合をつけてはくれませんか。俺は使い走りばかりやらされているのでシマを持っていないみたいなもんで、若い衆養うにも苦しいンですわ。何とか助けてやってください。」
大船碇禎治の硬直した頭には江沢の言葉も入ってこない。
「ね、親分。1000万。いつ頼めますかい。」
江沢の再度の催促でふと我に返った大船碇禎治が言った。
「よし、1000万だな。明日昼過ぎに取りに来い。」
「判りました。さすが大船碇組の組長さんだ景気がいいや。」
江沢がそう言って窓から合図をすると一台のベンツが横付けされた。
「じゃぁ、おやっさん明日またお目にかかります。お気をつけて運転してください。」
と江沢が言ってベンツの後部座席に身体を移した。
しばらく唖然としていた大船碇禎治だが、
「奴は知っている。奴は知っている。」
とつぶやいた。