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絡繰玩具

雪色の町の墓標

作者: カラクリカラクリ

あの頃の僕達は、お互いの為に生きていて、その世界がいくつかの嘘で成り立つことを知らなかった。




その墓標は、町外れの小高い丘の上にある。


「全く。狡いよね、博士は。君も、そう思うだろ」


くすみはじめた十字架に、色とりどりのガーベラの花束を供える。

月命日には白い花を、命日には、色とりどりの花束を。

君と交わした約束を、僕は忠実に守りつづけている。


「もう七回目だ。早いものだね」


祈りを捧げるように目を閉じると、あの日の景色が脳裏を過ぎった。



灰色の雲から振る、真っ白な六花。

それが町を染めた日に、博士が云った。


「大事な話があるんだ、絢人」

「何、博士」

「綾巴のことだよ」


綾巴は、博士がこの街に引っ越してきた翌日に連れてきた人形だった。

人口知能をのせた、高性能の女童型機械人形で、博士の大切な人が残したたったひとつの形見だそうだ。


「良いかい、絢人。綾巴は自分が機械人形だってことを知らない。だから、絢人も絶対に云ってはいけない」

「どうして?」

「僕はね、絢人。綾巴の未来を狭めたくない」


綾巴は、博士の大切な人に良く似た容姿をしている。

博士が大切に飾っている写真は、綾巴が大きくなったらこんな風になるんだろうと、思わせる。


「綾巴は成長するし、人間と同じようになんでもできる。でもね。機械人形はね、人間に近づきすぎて、ひとつだけ、重大な欠陥があるんだ」

「欠陥?」

「そう。長くても30年。それ以上は動けない」


短すぎる寿命だよ-博士は淋しそうに微笑んで、僕の頭をくしゃりと撫でた。


「今の僕の技術では、とても生み出せない。彼女がまだ此処にいたら、心配するなと言えたんだけど」


写真の女の人と博士は、同じ研究所で働いていたそうだ。志を同じくして、けれど技術や知識は彼女の方が上で、結局彼女の方が先に世界から消えてしまった。



「昔、僕と彼女で決めたんだ」


彼女の墓標の前で、博士は静かに小さく笑う。


「月命日にはローズマリーを。命日にはシャルロットを。誰かの墓標に捧げるなら、それを僕らの訪れた証にしようって」

「あかし?」

「忘れないこと。生きること。投げ出さないこと。まだ約束を守っているという証で報告」


そう言って静かに頭を垂れた博士から、僕達は静かに離れた。


「ねぇ、綾巴」

「絢人」


お互いに小さく呟いた名前に、びくりと身を竦めて僕達はひっそりと笑う。


「僕達の証は、何にしようか?」

「月命日は六花のような白が良い。きっと静かに眠れるから」

「じゃあ命日はお洒落にしよう。思い出を沢山話せるように」


白い花。

色とりどりの花。

僕達はあの日そう約束した。

一日だって側から離れることのなかった僕達は、けれどもそれが幸せだった。

限界が決まっているならば、それまでは何があっても幸せでいたかった。

隣の僕が幸せであろうとすることが、そのまま綾巴が幸せであることに繋がっているのだと、あの頃は無邪気に考えていたものだった。



「まぁ、解らなかった僕も、僕か」


墓標の埃を払って、僕はつと町を眺めた。

僕達の思い出は、この町で始まってこの町で終わる。

冬の匂いを運んで来る風に、僕は否応なく月日の流れを感じて目を細めた。



「綾巴は、何になりたい?」

「もちろん、博士みたいな科学者。世界一のね。絢人は?」

「僕はお医者さんかな。やっぱり、世界一のね」


僕達は未来を諦めようと思ったことはなかった。

博士も、それを望んではいなくて、僕達が遥か彼方と思えるような将来のことを話していると、忙しそうな中で、酷く嬉しそうに珈琲を飲みながら話を聞いていたものだった。

そう、僕達の世界は、いつだって珈琲の香の中にあった。

博士は僕達には甘いホットミルクを作ってくれたが、その香りは珈琲には敵わなかった。

それでも博士の作るホットミルクは本当に美味しくて、だから僕達はあれだけの匂いの中で、珈琲を飲んでみたいと駄々をこねたこともなかった。

僕達は良く、その味を真似をしようと博士が部屋に篭っている間に代わり番こでホットミルクを作ってみたが、結局一度だって博士のホットミルクと同じくらい美味しく作れたことはなかった。



「今だってまだ、あのホットミルクに敵う味には出会わないよ」


墓標に記された名前をなぞって、僕は僅かに瞬いた。

風は瞳を乾かして、知らずに伝った涙をすぐに冷たく変えてしまう。

あの優しく暖かい味がなかったら、もしかしたら僕は此処に立つのに、もっと時間がかかったのかもしれない。


「あの日々を作っていた嘘は、確かに我が儘で独り善がりなものだったけど、それでも」


幸せだったと今でも思える。

結局僕達が世界を司る嘘に気付いたのは、言うなれば既にその世界が崩れ落ちることが決まってからだった。

うっすらと積もりはじめた雪を踏む音が耳に届く。


「嘘と知っても、戻りたいと思うんだ」


足音に振り返ると、薔薇の香りか微かに届いた。



博士の部屋であのノートを見つけた日の事を、僕は昨日のように思い出せる。

綾巴は人形ではなかったこと。

綾巴が博士から、僕と同じことを告げられていたこと。

僕達は、博士とその愛した人のクローンだったこと。

僕達には、正確には寿命の制限は存在しなかったこと。

僕達は普通の人間と同じように、老いていつかは死ぬとしても、時限爆弾を抱えている訳ではなかった。



「そうね。私もそう思うわ」


色とりどりの薔薇の花束を抱えた綾巴が静かに僕の横に立つ。

その腕にかかる傘を受け取って、僕はそっと開いた。

静かな丘が静かなまま、僅かに華やかさを増したようだった。

しゃがみ込んでガーベラの横にそれを並べると、綾巴はそのまま手を合わせる。

僅かに傘を傾けて、僕は暖かさを求めてあわよくばと綾巴の上へ落ちてくる雪を払いながら、すっかり博士の写真に近づいた綾巴の背中を眺めた。

博士が亡くなって、僕達は真実を知った。

博士は一緒にいられなかった自分達の代わりに、代替でもある僕達が、いつかを自覚する前から『別れ』の概念を植え付けたかったらしい。

気付いて手遅れになる前から、一秒でも長く、僕達に二人で幸せであって欲しかったようだ。

博士がいなくなって、嘘が溶けて、図らずも僕達は博士がついた嘘の理由を知った。

確かに僕も綾巴も、お互いの時限爆弾ばかり覚悟していて、博士がいなくなるなんてことを考えたこともなかったのだ。

そして同時に、自分自身の命のことだって。


「おかしなことよね」


不意に綾巴はそういって立ち上がる。


「あの頃、私は一度だって、貴方より先にこの世界から消えること考えもしなかったわ」

「僕もだよ」


寿命の決まった人形よりも、人間の未来の方があやふやだなんて、思いつかなかった。

だから多分、博士は僕達をお互いに人形だと思わせた。

少なくとも確実に、相手のいる未来までは互いの未来を描けるように。

だから博士は、珈琲を飲みながら微笑んでいたんだ。

将来嘘が溶けても、僕達が二人で幸せになる道を歩き続けて行けそうだと思ったから。


「さて、じゃあ、雪が酷くなる前にさっさと報告しちゃおうか?」

「そうね。じゃあ私から」


傘の下から出て、綾巴は墓標に胸を張る。


「なったわよ、科学者。この街から列車の続く貴方や彼女のいた町で働くの」


傘を閉じて、僕は綾巴の代わりにその場所に立つ。


「国家試験、合格したよ。春から、この町の診療所で働くことになってる」


博士がいなくなって、嘘が溶けて、僕達は僕達の意志で一端お互いの手を離した。

それは、それは全部を受け入れて互いに共に生きることを決めたからだった。

科学者に。

医者に。

二人で幸せである今を未来に繋げていくことを僕達は選んで、そしてやっとこの町に帰ってきた。

博士と暮らした、この町に。


「でも、私は貴方の人形じゃないわ。博士」


そう。

僕達は博士の人形でありたいわけじゃない。


「私達は貴方の家族よ」


僕達は、博士と彼女の家族でありたい。

だから、この場所は僕達の二つ目の帰る場所だ。

いつか来る『別れ』の日を、僕達は知っている。


「また、来月来るわね」

「今度は白い花を持って」


博士とその愛しい人が眠る墓標は、降り積もる雪に身震いもせず、手を繋いで冬の寒さに身を竦めた僕達が帰る丘の下の町を静かに見下ろしていた。



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