01.英雄、ビンタされる
振り返ると、美少女がいた。
その白魚のような手が振りかぶられ、振り抜かれる。スッッパァァァン! と小気味いい音が響く。
手加減一切なしの所謂平手打ち。
誰が食らったのかって? 俺。俺ですよ。言っとくけど、オレオレ言ってたって詐欺なんかしないからな。全くもって善良で清廉潔白な商人だコノヤロウ。
「……へ? え? ?」
残念ながら、頭は回るが口は回らない。酔ってるからしょうがない。
はずみで椅子から落ち、一拍遅れて痛み出した頬を押さえて美少女を見上げる。
灰色を混ぜた青緑のローブ。肩口までの豊かな黒髪。きりりとつりあがった眦。見覚えはない。
周りのテーブルの何人かが、こっちに注目する。
「あ」
ポトリと自分の口から音が零れた直後。
「なァンてこと言うのさこの馬鹿たれがァァ!!」
彼女は吼えた。
* * *
数時間前。酒場兼宿屋「翡翠色の子豚亭」裏口にて。
「いやぁ助かった! なんだか今日は夕方から客が多くてね」
金色のヒゲをワイルドに蓄えたコックが、これまたワイルドににかりと笑う。
つられるように俺も笑い、
「いやいや、ちょうど来ようかと思ってたんで。それに、」
隣に置いた酒樽をぽんと軽く叩く。
「追加注文はいつでも、大・歓・迎! っすから」
お客様第一を掲げる、俺のモットーである。
「そうだったな。じゃあまたよろしくな」
「ッス!」
破顔するコックに別れを告げ、踵を返す。荷車を引きつつ表に回ると、テキトウな場所に立てかける。カラッポの荷車なんぞ誰も盗りゃしない。
そのままフロアに入ると、コックの言うとおり、そりゃーまぁ賑やかだった。
「お、イーヴァじゃないか!」
愛称を呼ばれてテーブルを見やると、知ったような顔の……なんだっけ、名前は忘れたが多分旧友の男が手を振っていた。
「おう、……………………元気だったか!」
「おっま、さては名前忘れたな!」
「はっはっは、そんなわけなかろうが」
「じゃあ言ってみなよオレの名前」
「ごめんなさい忘れました」
素直に頭を下げると、ぺしりとそれをはたかれた。
「O・GO・RE☆」
太眉のくせに無駄にイケメン面の友人Aが、キランと白い歯を光らせる。
「誰が奢るかこのチートスマイル野郎! 名前は思い出せねーがアダ名は思い出してやったぞチートスマイル!」
「はっはっは、よせやい照れるじゃないか」
「褒めてねえ!」
チースマ野郎、もとい友人Aは、アカデミー時代の友人である。
アカデミーというのは、この国の全ての人に向けて門戸が開かれた学び舎であり、学習施設だ。もう少し具体的に言うと、ドでかい学園とドでかい図書館となる。元々は、前の国王が自国民の識字率に嘆き、国民でさえあれば誰でも勉強できるようにと作らせた施設だったが、あれよあれよという間に大きくなり、今や学園関係者が九割を占める学園都市となっている。
国民なら誰でも入れるとはいえ、ある程度の入学金やら支度金やらが必要になってくるので、そんな巨大な学園でも自然と入学する階層のものは決まってくる。その筆頭が、この友人だ。
確か名のある商会の跡取り息子で御曹司。名前まだ思い出せないけど。
ちなみに、俺の実家は小さな村の商店だ。金持ちでもなんでもない。
「まぁ細かいことはいいや。飲もう!」
「おうよ!」
木製の丸テーブルの上にはエールの入ったゴブレットひとつきり。近くに来たウェイトレスにエールと料理を頼んで、そう待たずに飲み物だけが運ばれてきた。
「それじゃ、オレらの再会を祝して!」
「「かんッッぱーーーいィ!!」」
がつんとゴブレットがぶつかると、ちょいとばかし勢いに乗りすぎた褐色の液体が泡と共に飛び散った。そのあとで喉に流し込むエールの美味いこと美味いこと! ぷっはーァと盛大に息をついて、同じようにゴブレットを傾けた友人Aへ視線を向ける。やっすい酒場でやっすい酒飲んでても様になるたぁ、やっぱこいつチートだわ。
「ところで、おまえ今なにしてんの?」
「今? 今はイーヴァと酒飲んでる」
「そういう意味じゃねーよ。卒業後だ卒業後」
「あー、今は首都で貴族相手の商売やってるよ」
「マジで!? 首都でしかも貴族相手かよ!」
アルトビニア王国の首都、ノルドン。白く立派な王城を中心に栄えている、この国最大の都市である。貴族の屋敷も多く、いいモノや人の大半は首都に行けばあると言っていい。特に市場として開放されている大通り周辺はすさまじく、通り沿いの建物は全て店か宿。路上にも露店がみっしりと並び、馬車も通れないほどに人で溢れかえっているのだという。
全部聞いた話だけどな! そしてさすが御曹司サマ。
「そそ。いーだろぅ」
エラそうなドヤ顔がむかつく。
「まー、知らんあいだにリッパになっちゃって。チースマのくせにッ」
「褒めても何も出ないって」
「だから褒めてねえし」
愛想のいいウェイトレスが並べてった料理をパクつきつつ、懐かしいやり取りを楽しむ。
「そういえば、イーヴァは何やってんの?」
「俺? 商店街の御用聞き」
「ええ?」
友人が目を丸くする。
「この街の?」
「この街の」
「商店相手の卸?」
「そう」
「一人で?」
「一人で」
矢継ぎ早の質問に答えると、友人はゆるく首をふって一言。
「信じられん」
「信じられんとはなんだ信じられんとは。本当のことなんだからしかたないだろ」
「いや、だってさぁ! “アカデミーの英雄”が個人卸って……えぇー」
友人は納得行かないようで口を膨らませていたが、俺はといえば何年かぶりに耳にしたイヤぁな呼び名に、思いっきり顔をしかめていた。
「その呼び方やめろよ」
「えー、名誉じゃないか。“アカデミーの英雄”」
「俺にとっちゃ名誉でもなんでもねえよ」
口にするのも嫌なあの呼び名は、俺が学園時代につけられた呼び名だ。二つ名のような、カッコよくて名実伴ったものではない。断じてない。自分で言ってて凹むくらい、ない。
元はといえば、俺の名前が“イーヴァイン”であることが問題なのだ。
――“イーヴァイン”。この国の人ならば誰だって知っている、とある物語の登場人物のひとり。主役ではないが、主役が憧れる英雄だ。
俺の両親は、なにをトチ狂ったかこの英雄の名前を自分たちのこどもである俺につけた。おかげで、人には覚えてもらいやすいがネタにもされやすい。幼少期なんか、“ガウスさんちの英雄くん”で通っていた。近所限定だが嫌すぎる。
小さい頃からそんな状態だったため、俺、イーヴァイン・ガウスは今じゃ立派な 英 雄 嫌 い である。
「そうかなぁ? オレはカッコいいと思うけど」
「過剰に買いかぶられんのが普通になってみろ。しかも、そのうち失笑がプラスされんだぞ」
「あー……まぁ、それはイーヴァの気の持ちようかな?」
「俺はもう、気の持ちようで済むレベルじゃないな。第一、俺は、英雄が、大っ嫌いだ!」
初対面の相手に自己紹介した時、え? って顔のあと、「ごめんなさい、でもイーヴァインってプププ」みたいな反応されてみろ。表向きは「よく言われるんですよー」って笑ってても、地味に凹んだりムカついたりするんだよ。
あー、思い出したらムカついてきたぞ。ゴブレットの中身を一気にあおって、通りすがりのウェイトレスにおかわりを要求する。そんなに強くないこともあって普段はあまり飲まないんだが、今日は飲んでやる!
「英雄嫌いねえ。普通は、オレもいつか英雄みたいになってやるー! とかいうもんでないの?」
真正面で頬杖をつきながら面白そうにのたまう友人に、運ばれてきた酒をぐびぐびと飲み干してから、鼻で笑う。
「ハン、英雄なんて飾りですぅー。偉い人にはそれがわからんのですよッ!」
茶化しながらも万感を込めて言い切った直後、背後から肩に手を置かれて振り返りそして、
冒頭に戻る。
一言だけ言わせてくれ。どうしてこうなった。