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探偵部へようこそ

色々乗せるだけ。

タイトル未定。

色々未定。

 ピピピピピピピピピピピピピピピピピ。

 殺風景な部屋の中に目覚まし時計の電子音が、けたたましく響き渡る。

「うぅうん……」

 工藤孝一は、布団の中から手を伸ばし目覚まし時計を止めた。

「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁああ……」

 孝一は、大きな欠伸をしながら、起き上った。寝癖のついた頭を無造作に掻きむしりつつ、ふと横を見ると、新品の制服がハンガーに掛かっている。

(あぁ……そういや今日から俺、高校生だったな……)

 孝一はそんな事を考えながら、のそのそと起き上った。

 カーテンを開くと、春の心地よい日差しが孝一の全身を包み込む。

(さて、これからどんな事があるのやら……)

 新しい生活の始まりに、心が躍るのを感じていた。

 孝一は朝食を取り終えると、新しい高校の制服に着替えてみる。鏡に映る、ブレザーにネクタイ姿の自分は、あまりにも滑稽に映っていた。

「これじゃあ、兄さんの事を言えねぇな……」

 孝一は思わずそう呟いてしまった。

 工藤孝一の兄、工藤裕也は、警察官になり現在は一人暮らしをしている。

その兄が、警察官になって初めて制服を着た時孝一は、「似合わねぇ」等と言って、けらけらと笑った事があったのだ。

 のんびりと家を出て、駅に着くと幼馴染みの野崎弥生が、やはり新品の制服を身にまとい、待っていた。

「よお、何やってんだ? こんな所で」

「あら、折角初登校の日に一緒に行ってあげよう、っていう私の優しさを無にするつもりなの? コウ」

 弥生は口を尖らせて、そう言った。

 弥生と孝一は、家が近所であるため、小さい頃から一緒に遊んでいる。幼稚園、小学校、中学校と同じ所に通っており、そしてまた高校も同じ所に通う事になっている、腐れ縁とでも言うべき仲なのだ。

 彼女は、成績優秀、容姿端麗と何処かの漫画に出てきそうな少女だが、孝一はと言うと、勉強は嫌いでスポーツも全く出来ない。唯一得意としているのが、情報収集というあまりにも地味な少年である。

「そんな事、頼んだ覚えはねぇよ」

 孝一はわざと憎まれ口を言って、駅の改札口に向かって歩き出した。そうしないと、顔が火照っている事が分かってしまいそうだからだ。

 弥生は、不機嫌そうに顔を歪めて孝一の後を、スカートの裾を跳ね上げながら追いかけた。

 流石に通学、通勤時間帯だけあって、電車の中はサラリーマンや学生で一杯だった。

「なぁ、弥生。お前は何で水巻高校にしたんだ?」

ふと孝一は、以前から気になっていた事を尋ねてみる。

「それはこっちの台詞よ。なんであんたみたいな、偏差値の低い奴が、水巻高校なんていうレベルの高い高校を選んだのよ」

 弥生と孝一がこれから通う、水巻高校は人気が高く、倍率が常に三倍を超えているため、そう簡単には入れない超難関高校なのだ。しかも、三年ほど前まで女子校だったので、男子生徒の人数が女子生徒の四分の一程度しかいないという、一般的な男子高校生にとって、とても羨ましい限りの高校である。もっとも、女子目当てに受験する生徒は、大抵そのレベルの高さに絶望して、諦めてしまうのだが。

 何故そんなレベルの高い高校を、偏差値の低い孝一がわざわざ選んで受験したのかと言うと、弥生の影響が少なからずあったのだが、もともと落ちる気は無かったのだ。

 いや、落ちるはずが無いと思っていたのだ。純粋な馬鹿だから。

「気分だよ。何となく入ってみたくなったんだ。俺は、もう少し自分の将来の事を考えていたいだけだよ。どんな事をしたいのかまだ、兄貴みたいに決まっていないだけだ。そんな事よりも、お前はなんであの高校にしたんだよ」

「わっ、私は、その、お姉ちゃんがいるからよ。お姉ちゃんと一緒の高校に通ってみたかっただけよ」

 弥生は少し、しどろもどろになりながらも答えた。心なしか、顔が赤くなっているように見える。

孝一はあえてそれ以上何も聞かなかった。その答えが、もしかしたら自分の淡い恋心を、砕いてしまうかもしれないと気付いてしまったからだ。

二人は、目的の駅まで着くと、電車を降りて、暖かな春の日差しが降り注ぐ中、新しい通学路を歩いて行った。

新しい高校の校門に着くと、弥生は思わず立ち止まり、「きれい……」と溜め息まじりに呟いた。校門の中は一面、桜の木でうまっていて、桜吹雪が常に待っている状態だったのだ。その美しさと言ったら、言葉では表現出来ないほどである。

これから始まる、新しい高校生活が美しいものになるように思わせる、桜の舞う校門を通り抜け、体育館へと向かった。

入学式は、型どうりで退屈なものだった。校長式辞では下らない、どうでもいいお話が長々と続く。孝一は、欠伸を堪えながらそんな話を聞いていた。ま、彼にとってはあながち他人事で済ませるわけにはいかないのだが。

始業式が終わると、クラスでの活動となった。一年三組、それが高校生で初めてのクラスだ。そして同じクラスには、弥生がいる。

孝一は密かに心の中で(やった)と喜んでいた。

教室を見つけ出して、部屋の中に入るとそこには担任となる中年の男性教師が教壇の上に立っていた。

そしてお決まりのように、何故か自己紹介をする流れになる。全く、何でこう入学式の後は、必ずといっていい程、自己紹介をするのだろうか。

 こう言った事にはあまり興味が無い、と言うよりむしろ面倒臭いだけの孝一は、適当に自己紹介をしたのだが、彼よりも適当な自己紹介をしている人物が居たのだ。

孝一は自分の名前と趣味、好きな食べ物など、少なくとも五項目について自己紹介をしたのに対し、その人はわずか二項目についてしか、話さなかった。彼は「日向光、趣味は読書です」それだけだった。自己紹介とは言えないものだ。

日向と名乗ったその少年は、ボサボサの髪に牛乳瓶の底よりも分厚そうなレンズの眼鏡をかけた、何となく、オタクの様な感じがする少年だ。

(なんか変な奴……)それが、工藤の日向に対する初めての感想だった。

 クラスでの活動を終えると、今日はその場で、解散となった。孝一と弥生は、このまま学校に残り、部活動の見学をすることにした。

 この学校が、人気がある理由は部活動にもある。

 この学校にはかなり大きな部室棟があるため、各部活動には必ず一つの部室が分け与えられている。人数の多い野球部や、サッカー部などは部室を二つ三つ持っているが、それでもまだかなり余っている程だ。更に、正当な理由と使用時間などを書いた紙を提出すれば、エアコンやパソコン等の電化製品まで、揃えてくれるのだ。しかも一つの部屋が、とても広く、様々な道具が置けるという、最高の環境なのだ。

「弥生、お前は一体どの部活に入るつもりなんだ?」

 ほとんどの部活を見学し終えた後、孝一は聞いてみた。

「私はやっぱり、お姉ちゃんのいる新聞部にでもしようかな。特にこれと言って面白そうな部活もなかったしね」

「へえ、じゃあ俺もそこにしようかな。その他に俺の得意な事はないしさ」

「ちょっと、付きまとわないでよ。あんまり一緒にいると、周りから変な目で見られるんだから」

「何言ってんだ? 自分がそんなに可愛いとでも思っているのか?」

「悪かったわね、自意識過剰で」

 弥生はそう言うと、孝一を置いてさっさと行ってしまった。

(そうは言ってないだろう……。まったく、昔からよく分からない奴だったけど、ここ最近、更に分からなくなってきたな……)

 孝一は、そんな事を考えながら大股で歩く弥生を追いかけて行った。

 二人は、いつの間にか新聞部の部室前まで来ていた。

「ここが、新聞部かぁ……」

 孝一が、感慨深そうにそう呟くと、弥生が横から、

「何言ってるのよ。ここには何度も来た事があるでしょうに」

 何をいまさら、といった感じで弥生は、孝一に言った。

 孝一と弥生は以前、新聞部の手伝いを何度かやらされたことがある。手伝いと言っても所詮、体のいい雑用程度の仕事しかしなかったのだが。

 弥生はドアを元気よく開けて、「ヤッホー、お姉ちゃん」と言いながら入って行った。隣にいた孝一は、顔が赤くなるほどに恥ずかしくなった。

(まったく……。本当に変なところで子供っぽいんだよなぁ……)

 溜息をひとつついて、そう思った。

「お、弥生にコウじゃないの。珍しいわね。二人が揃って私の所に来るなんて、何かあったの?」

 そう言って出迎えてくれたのは弥生の姉、野崎早苗だ。

「入部希望者よ、お姉ちゃん。いや、『早苗先輩』と呼んだ方がいいですか?」

 弥生が、ふざけてそう言うと、早苗は「からかわないの」と言って少し笑った。

「どうも、早苗さん。俺も、入部希望者です」

 と、孝一も挨拶をすると、早苗は物珍しそうな顔をして二人を見比べた。

「へぇ……まさかあんたたちが、そんな関係になっていたとわねぇ……。いやぁ、お姉ちゃん全然、気が付かなかったよ」

「ちょっと、お姉ちゃん! それ、一体どういう意味よ!」と顔を真っ赤にして弥生は、姉に非難の声をあげる。

 弥生の反応に満足した様に、早苗は大口を開けて笑っていた。妹をからかうのは実に面白い、と言った表情だ。

 しかし、孝一だけは取り残されたように疑問の表情で二人を見つめているだけだった。まったく、こういう時にだけ何故かやたらと鈍いのだろう。

「まぁそんな事よりも、取り敢えずありがとね。二人とも。実はまだ新入部員がいなくってね、ちょっと不安だったのよ」

 まだ少し笑いながら、早苗は二人に感謝した。

孝一は早苗の言ったことに矛盾を感じた。中では、孝一たちと同じ学年の少年が、黙々と荷物整理をしていたのだ。

「でも、俺達以外にも新入部員がいるじゃないですか」孝一は、その少年を人差し指で示した。

「ああ、彼は違うのよ。彼は新聞部では無くて、〈探偵部〉という部の部長よ」

 早苗は、その少年の方を見てそう答えた。何とも珍しい部活だ。全国どこを探してもそんな部活はある筈が無いだろう。

(へぇ……。そんなのを部活で作るなんて、よっぽど好きなんだろうな。小学校からの夢とかだったりして)

 工藤は内心、日向に対して少し嘲笑した。しかし、このあと訪れる事件に巻き込まれると、二度と探偵部の事を馬鹿に出来るはずが無い。

そんな会話を三人でしていると、探偵部の部長がこちらに気付いたらしく、作業を中断してゆっくりとこちらへ近づいてきた。

「紹介するわね。この子が新しく探偵部を作った子よ」早苗は、その少年に気が付いて、そう言った。

「普通科、一年三組の日向光です。と言っても同じクラスの貴方方に、自己紹介をしても同じだとは思いますが、工藤孝一さん、野崎弥生さん、よろしくお願いします」

 探偵部の部長の姿を見て孝一は驚いた。そこにいたのは、同じ一年三組にいたボサボサの髪をして、分厚いレンズの眼鏡をかけた、日向光だった。

「まさか、君が探偵部の部長だったとはね……」孝一は驚きを隠せずにそう尋ねた。

 日向は爽やか、と言える程でもないが笑みを浮かべて、その質問に答えた。

「自分も驚いています。まさか、僕の名前を覚えている人が同じクラスにいたなんてね。

ま、名目は未だ同好会ですけどね。何せ部員が俺一人だけですからね」

「あれ? でも、確か同好会を作るのにも二人以上の人数が必要だったはずなんだけど」

 弥生はふいに思い出して、そう尋ねた。この学校の決まりは、同好会を作るのには、最低でも、二人の人が必要なのだ。ちなみに部へと昇格するには、五人以上の人数が必要になる。そのあたりは、一般的な学校と同じだ。

 日向は笑ったまま、「そこは、ちょっとした手品を使っただけです」と言った。

 孝一は、その手品の内容を聞いてみた。この学校の生徒会は、頭が固いため規則に反する行動は全くと言って良いほど行わない。そんな連中から許可をとった方法がとても気になったためだ。

「ちょっとした話術ですよ。どれだけ僕が、探偵部を作りたいのかをご理解頂くためのね」

日向は、はぐらかす様にそう言った。

この日向の反応で、孝一はどんな手を使ったのかは大体、想像する事が出来た。

頭が固い政治家のようなここの生徒会を黙らせる方法など、一つしかない。脅迫したのだ。人間には誰にだって、人に知られたくない秘密がいくつかあるものだ。その秘密を掴み、脅迫する。最も効率的で簡単な事だが、秘密というのはそう簡単には分からないから、秘密なのだ。そんな事を調べ上げるなんて、とても趣味で出来るレベルじゃない。情報収集が得意な孝一だって個人の情報なんて滅多に手に入る事はない。

(こいつは……一体どうやって調べ上げたんだ?この俺でも手に入らない情報を……入学して直ぐに使えるなんて……)

 工藤は本能的に、日向に対して恐怖心を抱いた。こんな、オタクみたいな奴に一体どうしたら恐怖心を抱く事が出来るのだろうか。今の日向に恐怖を抱く人は恐らく、どこを探しても工藤一人だろう。

「実はちょっと二人にお願いしたことがあるのですが……」

「何ですか?そのお願いと言うのは」

 弥生は日向の言葉に反応して聞いた。日向は申し訳無さそうに、

「出来る事なら、掛け持ちで自分の探偵部に入ってほしいのですが……。勿論、名前だけ貸して頂いて、後は暇な時に気分が向いた時だけ手伝って頂けたらよろしいので」

と言った。弥生は、(面白そうね……。名前貸すだけだし……良いでしょ)と思いあっさりと了承してしまった。孝一も、弥生が入るとあって、こちらもあっさり了承した。実は何となく気になっていたのだ。

もしこの時、探偵部と関わらなければ、二人はもっと普通の高校生活を送る事が出来たのかもしれない。この日向との出逢いが、孝一の運命を大きく変えてしまった事など、今の孝一には、想像も出来ない事だった。

「部長さん。早速ですがお願いがあります」

「何かしら、日向君?」

「明日の学校新聞に、探偵部の広告を載せたいのですが、何処か余っているスペースはありますか?」

「丁度余っていたところよ。一面トップがね」

 早苗が悪戯っぽくそう言うと、日向は苦笑して、

「この程度の事で、一面トップに載せてもらうのは、流石に無理がありますよ。まぁ見ていてください。何かしらの事件を解いたのなら、必ず一面トップに躍り出るようなスクープに仕上げて見せますよ。あの、生徒会ですら僕たちに敬意を表さなければ、ならくなる位にね」

 と言った。その笑みを浮かべた日向の瞳は、まったく笑ってはいなかった。

 工藤は、多少の不安を抱きながらも、今朝のようにバラ色の高校生活が始まる事に、心が躍っていた。ある意味では、確かにバラ色なのだが。


 日向と出会ってから、一週間が過ぎた。

 当然のことながら、探偵部には一つの依頼も入っては来なかった。その為、日向は専ら新聞部の手伝いばかりをやっている毎日だった。

 しかし、依頼は突然舞い込んだ。孝一もやっと高校生活に慣れて来た頃だった。

 いつものように放課後、工藤は新聞部の部室に向かっていた。いつもより早めにホームルームも終わり、弥生も友達と何か用事があるとかで、一人で部室に向かっていた。

 のんびりと、部室を開けると日向がひとりで、パソコンに向かい何かを打ち込んでいた。

「よ、日向。ご苦労様な事だね。早苗さんに頼んで、広告を載せてもらったのに、まだ依頼が一つも入って来ないなんてな。それなのに、そんなに頑張っているなんて、俺には到底真似できないよ」

 孝一は、皮肉では無く本心を言った。実際に日向はすごいと思っているのだ。

「仕方ありませんよ。探偵部なんて言う、いかがわしい所になんて、誰も相談したくはありませんからね。まぁ、これだけ暇だという事は、この学校が平和だという事です」

 日向は、少し自嘲気味の笑みを浮かべてそう言った。その顔は何処と無く悲しげに見えた。

 工藤は頑張って、と言うと自分に与えられたデスクに荷物を置いた。

 その時だった。早苗が少し思いつめたような表情で、部室に来たのは。早苗は日向の顔を見るなり、手招きをして、「日向君、少し良いかしら」と言った。

 日向は、そんな早苗の姿を見て直ぐに、

「良いですよ。ここでは何ですから、場所を変えて話をしましょうか」

 と言った。どうやら、工藤がいる事を気にしているのだろう。早苗もその事に関して、異論は無いらしく、うなずくと部室の外に出て行った。

 工藤は、ほんのちょっとした好奇心から、盗み聞きしようとこっそり後を付けて行った。

校舎裏まで着いた二人は深刻な面持ちで、話し始めた。

「実は……がとても……少し……相談に……欲しいの」

「分り……た。では……聞きたいので……明日……昼や……みぶ……つに……来て……うかが……思い……」

「分っ……思う……な……しょ……あの子……にも」

「と……ぜん……それ……じょう……かれ……は……ぶい……から」

 距離が遠いせいで、何の事を話しているのか、良くは聞こえなかったが、 日向に何かを相談するのは、恐らくは探偵部に何かを依頼していると言う事だろう。そうで無ければ、わざわざ人目の少ない校舎裏まで場所を移して何を話すのだろうか。

 工藤は面白い事を聞いたと、言わんばかりに、ほくそ笑んだ。

 この時、愚かにも孝一は泥沼に片足を突っ込んでしまったのだ。


 翌日、昼休みに孝一は弥生を誘って、日向のあとを付けてみる事にした。

 弥生は、最初は反対していたが、何となくやる気になったらしく、自ら進んで参加する事にした。本当は、孝一が「早苗さんがもしかしたら、日向に告白したのかもしれない」という仮定論を話したため、気になって付いて行く事にしたのだ。

 しかし、日向は午前中の授業が終わると、すううぅとまるで幽霊のように居なくなってしまった。これでは、日向を尾行など出来るわけも無く、取り敢えず二人は、部室の近くの物陰から、日向が来るのを待ち伏せする事にした。幸い、丁度よい場所に段ボール箱が積まれていて、ちょっとした死角になっている。

 五分ほど待っていると、早苗が友達と思われる人物と一緒にやって来た。何故か良く分からないが、随分と警戒しているようだ。

「あっ、私、あの人知ってる。確か、お姉ちゃんの友達で安田香織っていう人よ。もしかして、あの人が日向君に告白するのかな」

 弥生は早苗と一緒にいた人物の顔を見てそう言った。

 早苗と香織は、周囲を何度か見まわして、ゆっくりと部室の中に入って行った。どうやら日向は、すでに部室の中で待っているようだ。

 孝一と弥生は、二人して小さく笑い、足音をたてないようにゆっくりと部室のドアに近づき、耳を付けた。

 はたから見れば危ない人たちだ。

「それでは、貴女達の依頼内容だけを聞かせてください」

 日向は柔らかい微笑みを浮かべてそう言った。

「この子がこの前話した……」

「ちょっと待ってください」 

口を開いた早苗を、日向は止めた。

「別に名前なんて言わなくてもいいですよ。依頼する内容だけでね」

「でもそれじゃあ、どんなふうに困っているのかわからないじゃない」

「その事なら大丈夫ですよ。……ここだけの話にしてほしいのですが、実はこの探偵部を開くにあたって、この学校の生徒や教職員全員の顔と名前、それから住所や家族構成などの事を前もって調べているのです」

 そんな言葉を聞いても、早苗は本当にそんな事を知っているのかと半信半疑だった。

「あ、信じていませんね。じゃあ、今からそこに居る貴女のお友達の事をお話しいたします」

 日向そう言うと、香織の個人情報を話し始めた。

「貴女の名前は安田香織さん。年齢は現在十六歳、高校二年生ですね。十月二十日生まれで、血液型はA型。家族は両親と弟が一人いますね。弟は現在、中学二年生でしたね。母親は専業主婦で、父親は大手企業の社員。どうですか?」

 日向は自信を滲ませた表情で、そう聞いた。もはや聞く必要が無い、とでもいうような顔だ。

「合ってる……。でも……なんで……?」

 香織は思わずそう呟いてしまった。早苗も両手を、口に当てており、驚きを隠せないようだ。

「なに、ちょっと調べただけですよ。そんな事よりも、今回の依頼は何ですか?」

 日向に促されて、早苗は話し始めた。

「実は、香織がね……ストーカーの被害に遭っているの。だからこの子を……香苗を助けてあげて欲しいの!」

 その話を聞いた弥生と、孝一は驚いた。かろうじて、声を出さずにいられたが、衝撃を受けたのは間違い無い。

「ストーカー行為に遭っているのは一体、何ヶ月くらい、前から何ですか?」

「二ヶ月くらい前から、そうだったわよね。香織?」

 早苗は香苗に、同意を求めた。

「確か……そうだったと……思う……」

 はっきりとしない答え方だ。もともと、人見知りをする性格なのか、それとも、自分の個人情報を知っている日向に恐れているのか。それとも、対人恐怖症になっているのではなのだろうか。

「警察には?」

「行ったわ。何度も、何度も……。でも、まったく相手にしてくれなかった……。それどころか、被害妄想じゃないのかなんて言われたりもしたのよ!」

 忌々しそうに早苗はそう言った。

 日向にもその気持ちは痛いほど良く分かる。

「なるほど、取り敢えず、被害届は出してあるのですね。ま、もっとも警察が相手にしてくれなかったから、俺のところに調査の依頼に来たのですからね」

 日向は、真っ直ぐに早苗に瞳を見て、言った。

 早苗も日向の瞳を真っ直ぐに見つめ返して、こくりと頷いた。

 その瞳は本気であるという事を物語っている。

 日向はその瞳を見ると、満足そうに小さく微笑んだ。

「分りました。その依頼をお受けします」

 と、そう言った。

「まぁ、その前に、曲者には釘を刺して、おかないといけませんね。排除するか、保留しておくかは、貴女方の自由ですがね」

 そう言うと日向は、おもむろにそう言うと立ち上がり、ドアを開けた。

 間一髪、工藤と弥生は近くの物陰に隠れる事が出来た。完璧にばれていない、と二人は思った。まだ、ドキドキしている。

「あれ? おかしいですね? 誰も居ないなんて……。確かに、誰か居た様な気がしたのですがねぇ……」

 口調はあくまでも困っているかのようだったが、日向は可笑しそうに笑っていた。含みのある不気味な笑い方だ。

「どうしたの、日向君?」

 日向はそう聞いてくる早苗に、日向は唇に人差し指を当てて、ポケットから何故か都合よく、ビー玉が二つ出て来た。

 日向はそれを、手の中で少しもてあそぶと、「何でもありませんよ、部長さん」と言ってから、軽く投げた。

 ビー玉は、綺麗に放物線を描いて孝一と弥生の頭に落ちた。かろうじて声を上げる事は無かったが、次の一言で声を上げてしまった。

「さぁ、出てきなさい。子鼠さん。隠れても無駄ですよ」

 日向がそう言うと、

「なっ、なんで!」

 と声を上げてしまった。弥生が急いで口を塞いでも時すでに遅く、すでにばれているようだった。

「無駄ですよ、二人とも早く出てきなさい。孝一さん、弥生さん」

 日向に名指しで呼ばれて、ばつが悪そうな顔をして、孝一と弥生はゆっくりと姿を現した。

「やれやれ……盗み聞きなんて、趣味が悪いですねぇ……」

 嘆かわしい、と言わんばかりに首を横に振って言った。

 早苗は、二人の姿を見ると頭に手を置いて、「あんた達は……」と、呻くようにそう言った。この二人にだけは、ばれない様にしていた為、衝撃が大きくなった。

「やれやれ、聞かれてしまったからには、貴方達にも手伝ってもらいますよ。構いませんよね?早苗さん」

 日向は苦笑しながら早苗に聞いた。彼等も一応、探偵部の部員だからこの「事件」に関わる権利を有している。

 早苗は深刻そうな顔つきで、静かに頷くしかなかった。二人に、勝手に動かれては邪魔になる可能性があると思ったのだ。どうせなら、自分の目の届く範囲内にいてくれた方が助かる。

「まぁ、取り敢えず中に入って話をしましょう。こんな所で立ち話なんかして、これ以上誰かに、聞かれたり、見られたりしたら大変ですから」

 日向がそう言うと、みんなは中に入って行った。最後に日向は、あたりを注意深く見まわして、音を立てない様にドアを閉めた。

「ちょっと、お姉ちゃん!何で私達に、相談してくれなかったの!」

 弥生が声を荒らげて、姉にそう言った。

「この問題は、たとえ貴方達に相談したとしても、解決出来るものではありませんよ。それに、二ヶ月ほど前だったのなら、貴方達は丁度、高校受験で最も重要な時期だったはず。そんな大事な時期に貴方達に負担をかけさせたくは無かったのでしょうし」

 日向は弥生をなだめるようにそう言った。実際、孝一や弥生は高校受験で、毎日忙しい日々が続いていた。

「それでも……」弥生は、眼の中に涙をためて呟くように言い始めた。

「それでも、私に……私達にだけは……話してほしかったよ……」

「そうですよ、早苗さん。そう言う事は、俺に相談してくれればよかったのに。兄貴が警察官なんですから」

 孝一も口を尖らせてそう言った。

「この問題は貴方のお兄さんでは無理な問題です。たとえ、貴方のお兄さんに相談したところで、何も変わらなかったと思いますよ。工藤裕也巡査程度の階級では、ね」

 日向は、的確に事実を告げた。

「まぁ、今はそんな事はどうでもいいです。こんな事ばかり話していたら、短い休み時間がすぐに終わってしまいますからね。では、本題に入りますよ」

 日向は、溜息をつきながらそう言うと、一同が緊張した面持ちに変わった。

「幸か不幸か、ここには結構人が集まってくれましたから、上手くいけば、最短一週間、上手くいかなかった場合には、最悪一か月以上はかかる事になります。その事は覚悟しておいてくださいね」

 香織は、小さく頷いた。

「で、俺たちは一体何をすればいいんだ?」と、孝一は興奮気味に聞いた。

「まあ、そんなに慌てないでください。まだ情報が足りないのですから。時に香織さん」

 いきなり呼ばれて、思わずびくっ、と反応してしまう香織。

「な、なんですか?ひ、日向さん?」

「失礼とは思いますが、あなたの携帯電話を、貸していただけませんか?」

「べ、別に、構いませんけど……」

 香織は、日向に言われた通りに、携帯電話を差し出した。

 携帯を受け取ると、直ぐに着信履歴を調べ始めた。

「少し質問をしますが、香織さん。貴女は自分がストーキングされている事を、ここに居る僕達以外に、誰が知っていますか?」

 日向は、携帯から目を離さずに、そう聞いた。

「か、家族全員が知ってる……。そ、その他には、け、警察の人しか知らない……」

 気弱そうに答えた。

「なるほどね。それだけなら、多少問題が起きても、口裏合わせをすれば、隠しきれることができますね」

 適当に見ていると、日向は携帯に明らかに不自然な着信履歴が残っている事に気が付いた。それは、今までの着信履歴と比較すると、明らかにおかしなものだった。

「すいませんが、ここの時間、一体何があったんですか?この時間帯は確か、授業中だったはずです」

「そ、その時間は、た、確か、じ、自習時間だった、とおも……う……」

「なるほどね……。だとするなら……」

日向は、香織の言葉を聞くと、そう呟き、やがて何かを決めたように、「よしっ」と言うと、それまで聞いているだけだった孝一たちに、それぞれ指示を出した。

「では、調べる事を一つだけ言います。香織さんのクラスで、休み時間になると、携帯を常にいじって、イヤホンを付けていたり、通話をしているような人を一人ずつ、ピックアップしていってください。俺は少し別の方向から調べてみたいと思いますから」

 日向は、とんでもない事をさらりと言ってのけた。

 香織と同じクラスに、ストーカーがいる、と言っているのと同じことを言っているのだ。

 これは、香織と同じクラスである早苗にとって、この言葉は、疑心暗鬼になるような言葉だ。自分の周りはすべて敵、とでもいえるような発言だ。

「分ったわ。それで、特定出来たら何時、教えればいいのかしら?」

「その時点で、孝一さんを経由して、僕に教えてください。もしその時に、僕がいなかったのなら、携帯電話にかけてきて下さい。では、あまり長居をしてもいけませんし、僕はここで帰らせてもらいます」

 のんびりと立ち上がり、日向は部室のドアを開けて外に出ようとした。

「ああ、そうだ。微細な事でも、疑問に思った点があったのなら、それも報告してください。よろしくお願いしますね」

 日向はそう言うと部室から出ていった。

 部室に残された四人には、重苦しい空気が残った。

「ねえ、お姉ちゃん。なんで、日向君なんかに相談したの?あの人がいくら、探偵部の部長だからって言っても、所詮はただの素人なんだから。彼が、言ったように一週間でストーカーのしっぽを捕まえる事なんて、出来っこないわ」

 弥生は、明確な言葉で表したりはしないが、日向の様な胡散臭い輩に、実の妹である自分では無く、相談したのをかなり気にしているらしい。

 実際、孝一も無理だと思っているが、先程盗み聞きした内容から、もしかしたら、と思ってしまう。ただ、犯人が誰か分からないこの状態で、一番怪しいのは、何故か判らないが、香織の個人情報が手元にある日向だ。この学校全員の名前を知っているなんて言うのは嘘なのかもしれない。本当は、香織をストーキングして、手に入れた情報なのかもしれない。日向という少年は、どうもオタクみたいなところがあるから、現実世界と、仮想空間のはざまが分からなくなったのかもしれない。

 しかし、仮に日向が、この学校すべての生徒や教師の個人情報を知っていたとして、その情報源は一体どこなのだろうか?という疑問が生まれる。

「早苗さん。とりあえずは、こいつの気持ちも組んでやって下さい。早苗さんの事が好きなんですから。……それに、あの日向という少年には気をつけた方がいいようですし」

 とりあえず今は、弥生の意見に賛成する事にした。確かに日向には警戒しておく必要があると感じたからだ。

「……わかったわ、二人とも。今度からは、気をつけるわ」

 早苗は、大人しくそう言った。流石に追い込まれている事だけは二人にも分かっていたので、それ以上何も言わなかった。追い込まれていなければ、日向のような少年にすがったりはすることは無かっただろう。

 孝一たちはとりあえず、部室を出て、自分たちの教室へと帰った。

 昼食をとっていない事を思い出したのだ。

(さて、ま……どうしたものかねぇ……)

 唐突に降りかかって来た大きな問題に頭を悩ませた。

 おかしな少年。友人の姉に関する問題。この二つだけなら、一見大したことは無い、と思うかもしれない。実際、前者の方は後回しにしても良い問題だ。だが、ストーカーに関しての問題が、通常起こりうる問題の数十倍に感じるのだ。

 警察はあてにならない。使える手はすべて出しつくした。それでも、問題は解決しなかった。残された手段はもはや、民間の企業に頼るしかない。しかしそれには、かなりの時間とお金が必要となる。

 即刻、解決するには自分たちの力で犯人を取り押さえるしかない。しかしそれには時間がかかる。

(やれやれ……これは一体どうしたものか……。手段を選んでいる暇が無い、といっても、その手段が今はほとんど手元には無い。結局……今俺たちにできる事は……日向に与えられた指示をこなす事だけ……か……)

 孝一は、深く溜息をついた。憂鬱な瞳を外に向けて、平凡な日常から、非凡な日常に変わって行くのを感じていた。

 午後の授業が終わると、孝一は部室に行った。一応、顔を出しておかないと怪しまれる可能性があると思ったためだ。実際、早苗も部長という立場もあるので、出ていた。

 部員が全員そろうと、今度の学校新聞の特集を話し合うためのミーティングが、行われた。

実はこのミーティング、毎回やる事が特にこれと言ってないので、長い時間行われる。

 しかし、今日は違った。部長である早苗がアイデアを持ち込んできたのだ。

「今回の、特集は携帯電話の所持率の調査です。各学級での携帯の所持率と、学校での使用時間帯などを調べてもらいたいと思います。なお、このことは教師陣に調査の事実が漏れない様に気を付けてください」

 孝一にとって、この調査は意外だった。この方法ならば、自然に日向の指示以上の事を調べる事が出来る。部活動全体で、しかも学校全体を調査範囲としたこの手段ならば、もし同じクラスにストーカーがいたとしても、怪しまれずに調べる事が出来る。

(これは……本気だな。早苗さん。こんな手段を使うなんてな)

 驚いているのは、弥生も同じだった。ここまで大胆な方法をとるなんて思っていなかったのだ。

 驚いている二人をよそに弥生は続ける。

「尚、この調査は匿名である事を忘れてはいけません。無論、嘘をつく可能性も大いにありうるので、休み時間などでも気をつけてみるように。以上」

 妙に貫禄のある言い方で話し終えると、次は作業分担の決定に移った。

 まず自分のクラスは自分たちで調査する事になり、部員がいないクラスは、協力して行う事になった。

 この間、誰も文句を言う者はいなかった。早く帰りたいのだ、部員達は。

「ちなみに、締切は一週間です。それまでによろしくお願いします。貴方たちなら、この位は一週間で出来ると思いますので。では、今日はこれまでです。お疲れ様でした」

 早苗が解散の指示を出すと、部員たちは自分たちの荷物を持って帰って行った。

 最後の部員が部室を出たのを見ると、日向は早苗に近づいた。

「面白い策ですね。これをすることによって、自然にボクが頼んだ事を実行する事が出来る。何か聞かれたとしても、部活の調査と言えばそれだけで、疑われる必要が無くなる。最も安全で、最も効率の良いやり方です」

 早苗にそう言うと、日向は自分のカバンを持って、「では、僕はこれで帰ります。少し調べる事が出来たのでね」と言うと、さっさと帰ってしまった。

 孝一は、何か引っかかることを感じながら、その背中を見送った。その歩き方は、まるで何かに脅えるようでありながら、何処か堂々としたものだった。

「しかし、お姉ちゃんも大胆な事をしたね。流石にあんな事はだれも思いつかないよ」

 弥生は腕を組み、首を小刻みに縦に振ってそう言った。

「そんな事は無いわよ。今あたしが出来る事を、最大限に利用しているだけ。誰でも少し考えればすぐに思いつくわ」

 照れ隠しに早苗は、そう言った。昔からほめられるとすぐに顔尾を赤くする癖があるのだ。

「でも、確かにすごいですよ。自分の力量を把握し、なおかつその力を最大限に利用できるなんて、俺には絶対無理ですから」

 孝一はお世辞では無く、本心を言った。日向も似た様な事を言っていたが、取り敢えず孝一も同じことを思ったのだ。

「さて後の問題は……日向君ね……」

 弥生は小さく呟いた。不安なのだ。彼が、得体のしれない人物であることはさておき、ただの素人が警察のものまねじみた事が出来るのかが。

「大丈夫だよ、きっと。あの日向なら出来る。彼ならきっとね」

 孝一は、幾分か願いを込めてそう呟いた。

「そんな簡単に決めつけないでよ。あの人が犯人かもしれないんだよ?あの人は、何故か香苗さんの個人情報を知っていたんだよ?おかしいよ。絶対に。ただの個人があそこまで調べる事が出来るはず無いもの」

「それでも、今は彼を信じるほかに手段が無いんだよ。弥生、今の俺達には力が無いんだ。彼に頼らなければ、この問題は解決しない。無論の事ながら、俺も出来るだけの事はしたい。お前が一人で突っ走って、ストーカーにでも捕まったりしてみろ。そっちの方が、大変だ。間違いなくお前は死ぬ。殺されるぞ。お前はもう少し、他人を頼ることを覚えた方がいい。昔からそうだからな、お前は。思い込んだら目の前だけ見つめて突っ走って行く、その性格だけは昔のままだ」

 孝一は落ち着いた口調でそう言い、最後に「俺も、調べてみたい事があるから」と言って、帰って行った。

「調べるって何をよ!」と言う弥生の声が聞こえて来たのだが、無視してさっさと帰って行った。日向光について調べるために。

「まったくもう」

 弥生は、不満そうに鼻を鳴らした。

「しかし、入学早々こんな事に巻き込まれるとはね。ついてないわね、ほんとに」

 溜息まじりにそう呟くと、弥生は少し表情を暗くした。彼女だって一人の女子生徒なのだ。恋愛くらいはしてみたいと思っている。それじゃあ、この高校に入って来た意味がないではないか。

「どうしたの、弥生。もしかして、孝一と一緒にいられないのが悔しいの?」

 妹の表情の変化に気づき、そう聞いた。妹の心境の変化に、姉である気付かないわけがない。ましてや、思春期の少女の心なんて、早苗にとっては手に取るように解る。

「少しは、自分に正直になったらどうよ。なんなら、お姉ちゃんが手伝ってあげるけど?どうする?」

「何言ってるの、お姉ちゃん!何で私があんな根暗な奴の事が、好きな事になっているのよ」

 顔を少し赤らめて、そう否定する弥生。口調こそ冷静だが、目線だけをそらしていた。どうやら、内心では結構動揺しているらしい。以外と子どもっぽいところが昔からあるから

(やれやれ、この子ももう少し自分に正直になれないのかな。時々わがままな事も言うし、何処までも頑固なんだからな。この子は)

「はいはい、そう言う事にしておきましょうね」

 早苗はウンザリした様にそう言った。

 弥生は顔を赤くしたまま、「先に帰るからね」と言って、一人で帰って行った。全くもってわかりやすい反応だ。

 早苗も、あまり長居をするのは良い物ではないと思い、弥生の後を追いかけた。

 辺りは既に、暗くなっていた。

 翌日、孝一は少し眠たそうに欠伸をしながら学校へと歩いていた。

「よう、孝一。睡眠不足かぁ? 夜遅くまで起きているのは余り、感心せんな。どうせ、夜遅くまでパソコンでエロいもんでも見ていたんだろう」

 同じクラスの明石清慈が肩を叩きながら声をかけて来た。ただでさえ寝不足で、頭ががんがんしていると言うのに、鬱陶しい奴だ。

「何の用だよ、明石。今日はお前にかまっている余裕なんて一つもないぞ。疲れているんだから、少し静かにしていてくれ」

 孝一は少しぶっきらぼうな言い方をした。多少、寝不足で気が荒くなっているのは確かだが、日向光に関して調べた結果に納得していないのだ。

 孝一は昨晩ずっと、自分の部屋にこもって日向光に関する情報を調べていた。孝一にとって、一晩もあれば人一人の個人情報なんて簡単に手に入れる事が出来る。これは、誰に関してでも例外は無かった。今までは、だ。

 しかし、日向光に対しては何の情報も手に入れる事が出来なかった。分かった事と言えば、彼は現在父親と二人きりで暮らしていると言う事。彼の出身中学校。生年月日など、本人に聞けばすぐにわかるような内容だけだ。孝一にとっては、普段なら一時間もあれば直ぐに調べられる項目ばかりだ。

 そして気になる事がもうひとつ。彼の父親の職業が公務員と言うだけで、どんな役職かと言う事すらも分からなかったのだ。

(一体、何なんだ? 日向はいったい何者なんだ。おかしい。変だ。この俺が、一晩かかってこの程度の情報しか引き出せないなんて……)

 等と、多少自惚れた事を考えながら、学校の校門をくぐった。もう既に、桜は散って、葉桜に変わろうとしている。

 教室に入ると、問題の日向光は机にうつ伏せて気持ち良さそうに寝ていた。

 急に強い不安に駆られる。こんなに呑気なままでもいいのだろうか?

「こんな状態で、大丈夫なのかな……。このままで、ストーカーなんて捕まるのかな……」

 弥生は、不安そうに話しかけて来た。怖いのだろう。無駄にちょっかいを出して、危険な事になる可能性を恐れているのだ。

「大丈夫だと、思うけど。あの人なら、滞りなくこの問題を解決する事が出来ると思うよ。ただ、昨日も言ったかもしれないけど、あまり信用しすぎるのもどうかと思うけどな」

孝一はそう言って、自分の席について本を読み始めた。わずかな不安を少しでも追い払うように。

 

 そして、運命の一週間はあっという間に過ぎ去っていった。

 孝一たちは、日向に頼まれていたことを、初日にこなしてしまった。この事には、さしもの日向も驚いていたのだが、直ぐに調査結果に目を通したのだ。

 そして、感謝の言葉を告げるとそのまま、消えるように何処かへと消えてしまった。

 孝一たちは、日向からの結果を待つだけとなったのだが、自分達も何か出来るのではないのかと、行動を起こしたのだが結局成果は出なかった。

「そう言えば、今日だったよね。日向君が示した解決の最短日って」

 弥生が思い出したように、呟いた。

「そうだったな。最短で今日が犯人を特定できる日だったな」

 孝一も静かに呟く。少し不安だったのだ。

「孝一さん、弥生さん。特定する事が出来ましたので、今日の放課後、付いてきて下さいね」

 ふいに日向が、背後から声をかけて来た。

「ひゅ、日向。特定できたってホントなのか!」

 孝一はどこからわいて出た、と言いたいのをかろうじて抑え込み、聞いた。

「はい、出来ました。後は忠告するだけです。その為の餌も撒いておきましたから、安心して下さい。とにかく、この話しの詳しい事は放課後しましょう」

 それだけ言うと、日向は自分の机に行って、荷物を置いた。そして、鞄の中から紙を取り出して、何かを書き始めた。

「本当なのかしら。ストーカーを特定出来たって」

 弥生は疑わしげに日向を見つめて、そう言った。

「さあな。とにかく、あいつの言ったとおり、放課後を待ってみる事にしようぜ。それで分かるだろ。本当か嘘なのかが」

 孝一はそう言い残して、自分の席について読書を始めた。

 しかし、本当は犯人が特定されたのか、気になって仕方なかったのだ。日向と言う少年が、どのようにして、犯人を特定したのかも、孝一の興味の対象であるのだが。


 ついに、放課後になった。殆どの生徒が、今日一日の学校生活を終え、下校していくか、部活動に出る時間だ。

 その部活動にも出ずに――厳密にいえば部活動をしているのだが――孝一と弥生は、日向について学校の屋上まで来ていた。

「何で、こんな所にまで来たのか説明してもらいたいのだけど」

 孝一は、日向に向かって不思議そうに聞いた。此処にいる理由は何となくは想像できるのだが、何故此処でなければならないのかが、分からないのだ。どんなトラップを仕掛けたのかは知らないのだが、本当にこの場所にいる意味が

「何、じきに分かりますよ。そう、この僕が仕掛けたトラップの意味が、ね」

 日向は悪戯な笑みを浮かべると、そう言った。

 しばらく待っていると、屋上のドアドアが開いた。

 慌てて、孝一たちは物陰に隠れた。

「あれ、誰か探しているのかな? きょろきょろと周りを見回しているけど」

「さて、どうなのでしょうかね?」

 日向は思わせぶりに呟く。そして、ゆっくりと物陰から姿を現す。そう、静かに幽霊のように気配を消して。

「誰かをお探しですか? 小野裕司先生?」

 静かに問いかける日向。驚いたように振り返る裕司。当然だろう。

「き、君は一体いつからそこにいたんだ?」

「さぁ? それは先生の想像にお任せします。そんな事よりも、僕の質問に答えて頂けませんか? 貴方は一体ここで誰を探しているのですか?」

 日向は冷静に尋ねる。あくまでも一生徒として。

「そんな事は俺の自由だろう」

「そう、確かに自由ですね。生徒と教師との恋愛であっても、この僕に口出しをする権利は何処にも存在しません」

 不敵な笑みをたたえてそう言う日向。

「何が言いたい?」

「貴方が受け取ったラブレター、本人からのものと確認しましたか?」

 この一言に裕司の顔が一気に引き締まった。

「何でお前がそんな事を知っているのだ?」

「探偵部ですからね」

「まあいい。差出人は、二年四組の香織と書いているのだが、まだ見ていないかね?」

「ええ、まだ見ていませんよ。ところで、もし、仮に来たとして、返事はどうするつもりなのですか? 小野先生?」

 一瞬、顔色が変わったがすぐに元に戻り、冷静に回答した。

「もちろん丁重に断るつもりだ。生徒と教師の関係を崩すわけにはいかないからな」

「もし、そのラブレターが誰かの悪戯だったとしたら、先生はどうするつもりですか? みんなの笑い物にされてしまいますよ?」

「悪戯かどうか分からんだろう。それに本当に来たりしたら、彼女に迷惑をかけてしまうだろう。その方が良い笑い物だ」

 裕司はそう答える。あくまでも、教師として、模範的な回答ともとれる。

「なるほど、確かに貴方の言う通りですね。でも、おかしいですね……」

 日向は含みのある笑みを浮かべてそう言った。

「何処がおかしいのだ?」

裕司は眉間にしわを寄せてそう尋ねる。

「確か昨日も、ラブレターを受け取っている筈なのですがね。そちらの方には出向いてはいませんでしたよね? そうすると、先生は昨日のラブレターは偽物だと思って、今日のは本物だと思ったのですか?」

「何で、知っているのだ?」

 裕司の表情が次第に変化していく。教師の表情から一人の人間としての表情へと。ゆっくり、ゆっくりと分からない位の速度で。

「探偵部ですよ? 知っているに決まっているじゃ無いですか。今日のを知っているのに、昨日送られたラブレターに気付いていない方がおかしいじゃないですか」

 日向の言い分に返答できない裕司。表情は次第に焦りの色が浮かび上がって来ている。

「おかしいですね。先生、もしかして香織さんに個人的な好意があるのですか? そうでなくては昨日の行動の説明が出来ませんよね?」

 挑戦的な笑みを浮かべて、そう言う日向。

 未だ、物陰で隠れている孝一と弥生は日向の圧倒的な論理に驚いていた。

「それは、たまたま昨日が忙しかっただけで……」

「行けなかった……と。ふぅむ、それもおかしいですね。確か先生は昨日、デスクワークも殆どなかった筈なのですがねぇ」

「何を証拠に……」

「証拠? 証拠も何も、ほかの同僚の先生方に聞いたのですよ。一人ではありません。複数の先生方が、これを証言して下さっているのですよ。嘘では無いでしょう?」

「だからそれがどうしたと言うのだ!」

 ものすごい剣幕でそう怒鳴る裕司。先程までの余裕は何処にも無くなっている。

「貴方……香織さんのストーカーをしているでしょう?」

 日向はさらりと、とんでもない事を言った。真っ直ぐ、相手の目を見て。

 その言葉には、澄み渡る空のように、曇りの一つも無い自信が込められていた。

「な、何を言い出すんだ、急に!」

 裕司は思わず怒鳴り声をあげた。当然の反応だ。

「まて! 日向、これは一体どういう事だ!」

 孝一は、思わず物陰から姿を現してしまった。驚くのも無理は無い。日向がストーカーだと言った犯人は、この学校でも人気が高い教師だったのだ。面白い、分かりやすい生徒の立場にたった、授業をする教師だと、孝一の情報ではあったのだ。

 孝一につられて、弥生も姿を現した。流石に、状況が飲み込めていない様子だ。

「どういう事も何も、今言った言葉の通りですよ。……少し、静かにしていてくださいね」

 ほんの少しだけ、孝一を見ると、直ぐに裕司へと目を移した。

「まず携帯の着信履歴から分かった事は、ストーカーは基本的に休み時間にしか、電話をかけてきていません。つまりこれは、ストーカーがこの学校の時間割を知っていると言う事。まぁ、少し調べれば、時間割くらいは、簡単に探し出す事は可能です。ここまででは、学校関係者を疑う気にはなりません。ですが、急に日程変更になったときや、自習時間中に着信があるなんて、少しおかしいですからね。そこで、学校関係者の中にストーカーがいる事を疑い始めたんですよ」

 日向は淡々と、今まで調べてきて分かった事を、告げる。まるで、機械人形のように。

「しかし、自習時間などが分かるなんて、教師か同じクラスの人しかいません。ここで、グループは大きな学校全体から、小さなグループ二つに絞り込められました。後は、簡単に絞り込める事ができます。携帯電話を休み時間になる度に使っている人物を探せばいいのですから」

 そこまで言うと少し息をついた。

 孝一と弥生は、声を上げる事も出来ずに日向をじっと見つめたままだ。

「貴方は、なかなか頭が良いようですね。警察に通報があってからは、一週間は身を隠してストーカー行為を行ってはいなかったようですからね。もしここで、僕が教師だけに目を付けておけば、貴方はまた同じようにストーカー行為を止めてしまいますからね。ですが、今回は、教師たちやそのほかの人物も含め、幅広く調査していましたからね。うまい隠れ蓑になりました。全く、運が良いと言うべきなのでしょうか。これが、もし最初から教師だけに絞り込んで調査をしていたら、もう一週間はかかるところでした」

 皮肉も、少し混ぜながら反し続ける日向。挑発をしているようにも見える。

「だから、俺が彼女をストーキングしているとでも言うつもりか? お前が言っているのは所詮、机上の空論だ。証拠がなければその言葉に、実証性は無いに等しい。不愉快極まりない」

「そう、確かに証拠は何もない。香織さんの名前で出したラブレターに誘き寄せられて、わざわざ貴方が来たのだとしても、です」

「なんだと! このラブレターはお前が書いたものだったのか!」

 裕司は、ラブレターを取り出して、地面に叩きつけた。

「そうか、日向の言っていたトラップってこの事だったのか!」

「でも、それだけじゃ証拠にはならないわ。どうするつもりなの」

 驚きで、思わず声に出してそう言った孝一と弥生。

「もちろん、昨日出したラブレターも、他人の名義で僕が書いたものです。昨日と今日の名前は違っていた筈です。これをどう説明するつもりですか?」

「う、煩いぞ! 教師を散々誑かしおってから……! 根も葉も無いこじ付けばかり言いおってから……。覚悟しておけ、貴様たちの事は職員会議に出しておく! 停学処分は覚悟しておけよ!」

 脂汗を額に浮かべて、唾を飛ばしながらそう怒鳴る裕司。最初の余裕も消え去り、表情は日向への怒りに満ちている。

「流石に停学は嫌ですからね。きっちりと、しておきましょうか」

 日向は平然と、微笑を浮かべてそう言った。あれほど、怒鳴られても物怖じ一つしていない。まるで、自分の勝利を悟りきっているかのような余裕感。それが、日向からあふれ出していた。

 孝一はと言うと、流石に少し裕司の剣幕に飲み込まれている。停学処分なんてまっぴら御免こうむるのだ。弱みを掴まれたらどうしようも無い。

 弥生も同様に、顔に恐怖が少し浮かんでいた。

「そうですね、証拠が必要でしたね。証拠なんて意外と……すぐ近くにあるものですよ。そう、呆れるくらいに、ね……」

 日向は先程までとは違う笑みを浮かべて、一歩前へ出た。

 それと同時に、裕司が後ろに下がった。

「では、貴方がストーカーで無いと言うのであれば、貴方の……携帯の発信履歴を見せて下さい。それが、証拠になりますからね」

 右手を差し出して、そう言った。その手には、指輪がはめられている。

孝一からの位置ではどんな指輪をはめているのかは、見えないのだが、その指輪が太陽の光を浴びて輝いている。偽りを暴く真実の輝きを放っているようだ。

「何故、俺の携帯をお前に見せる必要性があるんだ!」

「今のところ貴方が、ストーカーで無いと言う確固たる証拠が無いものでね。ストーカーで無いと言うのなら……見せられる筈ですよ? 貴方の発信履歴の中に彼女の電話番号が入っていなければ、貴方はストーカーで無いと確固たる証拠が出来るのですから。安いものでしょう? もし違えば、貴方の望む処分を僕たちに下す事が出来るのですから。僕たちの身柄と引き換えに、貴方は無実を勝ち取る事が出来る。後ろめたい事があれば見せる事は出来ない。犯人は、貴方であると言う事を、自然と証明している事になります」

 日向はそう言うと、また一歩裕司へと近づいた。同じように、後ずさりする裕司。

 明らかに恐怖を抱いている。一見した限りでは、まるでオタクの様な格好で地味な日向に、恐怖している。

 ゆっくりと、近づいて行く日向。それと比例するように、日向をみつめたまま、ゆっくりと下がって行く裕司。

 蛇に睨まれた蛙とは、まさしくこの様な事を言うのだろう。

 日向の瞳に見つめられ、背を向けて走り出して逃げたい、という気持ちになっているのだろうが、体が言う事を聞かないのだろう。

 やがて、裕司の身体が、フェンスにぶつかる。

「さぁ……もう逃げ場は何処にも在りませんよ。大人しくしていて下さいね」

 日向は微笑みを浮かべてそう言った。それは、感情の籠っていない冷えた笑みだった。

 裕司は、まるで人形のようにただその場に、硬直していた。

「見つかりました」日向は、裕司の携帯を見つけると、直ぐに発信履歴を調べた。

 そして、勝利の笑みをこぼした。

「在りましたね。発信履歴が。香織さんの電話番号ばかりです。これで、最早言い逃れはできませんね。貴方がストーカーです」

 日向は、発信履歴を孝一達にも見せた。

「ほんとに……」

「嘘……」

 日向から渡された携帯の発信履歴を見て、絶句した。確かに、上から下までぎっしりと香織の電話番号だった。

 二人が見たのを確認すると日向は、携帯をデジタルカメラで撮り始めた。そして、最後に裕司の顔写真を撮ると、

「貴方は、余りにも愚かです。救いようの無いほどの。僕が何度も送った警告を無視し続けたのですから。覚悟はいいですね?」

 日向は見下すように告げる。

「何をする気だ……」

 怯えきった表情で尋ねる裕司。小動物のようだ。

「貴方は、賢い。どんな事をされるかくらいは想像が出来るでしょう?」

「お前は、俺を狂わせるつもりなのか! そんな事出来る筈がない!」

 その言葉を聞くと日向は、少し自嘲気味の笑みを浮かべた。

「簡単ですよ……人一人の人生を狂わせる事なんて。……造作も無い事です。この国に生きていればね。そして、人を理解していれば……」

 背筋に寒気がするほど、冷たい言葉だった。

「さ、二人ともこれでおしまいです。そろそろ、五時限目の授業が始まりますよ」

 日向はそう言うと、直ぐに屋上から去っていった。

 孝一と弥生は、ストーカーであった裕司に一度、目を向けた。

 裕司の表情は、何処か感情が消えていて、まるで魂が抜けたようにうなだれている。この状態では哀れみさえ、わきあがってくる。

 しかし、この男は自業自得なのだ、と自分に言い聞かせる事で、かろうじて声をかける事を止めて、教室へと帰る事が出来た。

「日向は、あんな姿を見ても、何とも思わないのだろうか……」

「ほんとに、幾らなんでも少しかわいそうに見えてくるわね……」

 教室へと向かう廊下の途中で、二人は何処かやるせない、胸に引っかかる事を抱えながら静かに呟いた。

 

 ストーカーが捕まって次の日。

 孝一たちは、昨日なにも無かったかのように、学校に来ていた。

学校の掲示板には、突然退職した小野裕司教諭の事に関して、新聞部から発行された新聞が出されていた。

そして、その内容は一般生徒を驚かせるのには、十分な内容だった。

 

 小野裕司先生、突然の退職の真相!

 昨日、突然教職から身をひかれた小野裕司教諭は、どうやらストーカー行為をしていたようだ。その事が被害者に露見してしまい、警察の介入がある前に、被害者との示談を済ませていたそうだ。そして昨日未明に教職から身を引かれたのだ。教諭はどうやら、半年ほど前からストーカー行為を行っていたらしく、何度か相手の女性から警察へと被害届を出されていて、警察も犯人を見つけ出そうとはしたものの、犯人はまるきり見つからなかったと言う。最後は、女性の被害妄想だと思いこみ、手を引いたと聞いている。この際、警察に対して再三の訴えを行っていたようだが、全く相手にしてもらえなかったそうだ。

 しかし、何故そのような状態であったにも拘らず、ストーカーの犯人が先生であると、分かったのかと言うと、どうやら今年の春、新しく出来た『探偵部』が大きく関わっているようだ。被害者は、我が校の探偵部を訪れ、調査の依頼をしたらしい。その結果、ストーカーの正体が小野裕司教諭だと言う事が判明した様だ。尚、この調査にかかった時間は僅か一週間だったと言う事が分かっている。

 この事から我が新聞部も、探偵部にどのような調査をしたのかを尋ねてみたところ、企業秘密と言う事で教えてはもらえなかった。


 このように、書かれていた新聞は掲示板に張られているだけでは無く、校門の傍などで配られていた。流石に、教師もこの事に驚いて止めに来たものの、背後に探偵部がいる事を知って、大人しく退散するしかなかった。

 しかも、教師たちですら、小野教諭が突然退職したのか理由が分からなかったのもある。

「有難う、日向君。あの子を助けてくれて……」

 目に涙を浮かべて、そう言う早苗。日向は幸せそうにお弁当をたべながら、早苗に向かい静かに、「今回は運が良かっただけですよ」と言った。

「確かに、運が良かったのもあるけど、流石に、犯人が先生の中にいるとは思いもしなかったよ。そのあたりは、やっぱり凄いよ」

 お世辞では無く、本当に心の底からの思いを口に出した。

「確かに、後半部分だけを見ればそうですが、実際は、ある程度封鎖された条件と、貴方達の協力があったおかげです。もし、仮に僕一人で今回の調査をしていたとなると、もっと長くなっていましたね、間違いなく」

 自慢するまでも無く、冷静にそう言う日向。

「それでも凄いわよ。仮に、ストーカーとはいえ、教師を一人退職にまで追い詰めるなんて、出来る事では無いわよ」

 弥生は、そう言った後に少し、トーンを落として「でも少しやり過ぎかも……」と小さく呟いた。

「確かに、貴方達はやり過ぎだと思うかもしれませんが、この程度の事ではまだ生温い方です。本当に、やり過ぎだと思う方法は、あまりしたくはありませんし」

 日向は口の中に卵焼きを放り込みながら、そう言った。

 幸せそうな笑顔だ。

「日向、お前が本気でやり過ぎだと思う方法って何だ?」

 孝一は勇気を出してそう聞いてみた。

 聞いておきたかったのだ。そうでなければ、引っかかって気になってしまうのだ。怖いもの見たさも、少しある。

「ふむ、そうですね。もし、この事を教育委員会が隠蔽しようなんて考えた時には、彼に生き地獄を見てもらいましょうか。そして、教育委員会には自分たちは何の為に存在して、自らの過ちを悔いてもらいましょうか。ま、総辞職は当然と言ったところですかね」

 日向は相変わらず、弁当を口に運びながら、微笑みを浮かべつつ、そう言った。

「そこまでしなければ、分かりませんよ〈ヒト〉は。どんな正論でもそれを理解しない者もいますが、結局は大勢の人に流されてしまうもの。大衆がそれを正しいと言うのなら、それは間違いなく正しい事になるのです。たとえそれが、間違っていたとしても、です」

 日向は、孝一に向かい笑みを浮かべつつ、そう言う。孝一にはその笑みがまるで幽霊、いやまるで死神の微笑みの様に、不気味に見えた。

 その日向をその場にいた全員は、無言で見つめた。空気が少し重くなる。

 孝一は日向の幸せそうな笑みを浮かべて、食事をしている姿を見て少し背筋に寒気を感じつつ、

(面白そうな奴だな……この高校三年間退屈をしなくてもすみそうだな……このままの生活よりも……か……)

 そう思い、外を眺めた。

 外はもう、初夏のような鋭い日差しが降り注いでいた。


 探偵部、初めての依頼を解決してから既に、二週間近く経過していた。

 探偵部には、不必要と思われるほどの広くて豪華な部室を、割り当てられていた。水道、とガスが通っているのだ。

 日向はその部室にソファやテーブル、更には小型の液晶テレビやカメラなど、様々な物を持ち込んでいた。中には、どうやって持ってきたのか、食器棚や冷蔵庫など大型な物までもが運び込まれていた。

 孝一は、この部屋で暮らせそうな気がしていた。

「しっかし、暇だねぇ……」

 日向の淹れた紅茶を飲みながら、外を眺めてそう呟く孝一。あの事件以来、一件も依頼が来ないままなのだ。そして、孝一もその時から、探偵部に入り浸っているのだ。

 本音を言えば、探偵部なんてどうでも良く、元々が幽霊部員として入ったのだから、本来所属している部である、新聞部の手伝いに行きたいのだが、その新聞部の部長である早苗に「探偵部を張っておきなさい」と命令されているのだ。

 まあ実際は、そこまで待遇は悪くは無い。退屈な事を除けば、とてつもなく美味しいお菓子と紅茶が出てくるのだ。

 日向は常にパソコンと向き合って、キーボードを叩いているし、話し相手も居ないので、ここ最近は漫画や小説なども、持ってくる様にしている。

 孝一は、五月の日差しの差し込む窓から外を眺め、あの先生は今頃、何処で何をしているのだろうか、等と下らない事を考えていると、唐突にスピーカーから教師のものと思われる声が流れて来た。

「探偵部の部員全員、今すぐ職員室に来なさい。繰り返す、探偵部の部員は今すぐ職員室に来なさい」

 何故職員室に呼ばれるのか不自然に思い、孝一は少し眉をしかめた。

 この間の事なら、教師たちは探偵部に文句の一つも言えない筈なのだ。それ以外に呼ばれる節が、今の彼には無かった。

 しかし、日向は「やはり来たか……」と小さく呟き、パソコンの電源を落として、ゆっくりと立ち上がる。

「なぁ、どうしたんだ? 日向。何かあったのかよ」

 孝一もティーカップをソーサーの上に置いて、立ち上がる。

「ええ、少々問題が。大した事は……ありますね。詳しい話は向こうからあると思いますけど、あまり余計な事は喋らないで下さいね。頼みますよ?」

 日向は孝一にそう言って、歩き始めた。

 その表情は、不可解な微笑を浮かべていた。

 小さく溜息をついて日向の後を、黙ってついて行く事にした。

 ゆっくりとした足取りで職員室に向かっていると、途中で弥生と出くわした。

「あ、孝一。何かしたの? 呼び出しくらったけど」

 やはり、弥生にも心当たりは無いようだ。

「さてね、俺にも心当たりがないのでな。何とも言えない。だけど、日向ななんか知っているかもな」

 思わせぶりにそう言い、日向に話を振ってみる。

「さて、僕にも確かな事は言えませんが、来ている人の職業くらいは大体想像出来ます。これが、僕の杞憂であってくれれば、良いのですけどね。ですが、探偵部として呼び出されたのですからね。僕から言える事は一つだけ。あまり余計な事は話さないで下さい。それだけです」

 難しい表情をしてそう答える日向。何か情報を掴んでいるようだが、その事に関して聞く事は止めておいた方が良さそうだ。

 三人は職員室までたどり着くと、ノックをして入って行った。

 孝一達の姿を見つけると、教師たちは不愉快そうな顔をして、ただ「ついて来い」とだけ言われ、応接室まで連れて行かれた。

「連れてきました。では、私はこれで……」

 教師はそう言うと、そそくさと出て行った。

 応接室にいた二人組の男は、鋭い目をした、何処か危ない気配すら漂わせている。

 孝一と弥生はその二人組の男に恐怖し、その場に立ち竦むしか出来なかった。

「何をやっているのですか?二人とも、早く座った方が良いですよ?」

日向の声に気がついて我に返り、慌てて日向の後に続き、椅子に座る。

「ねぇ……何なのこの人たち……」

 弥生は不安げな表情で尋ねる。その顔はストーカーの時よりも何倍も恐れている表情だ。まさに蛇に睨まれた蛙、と言った心境のようだ。

「俺に聞くなよ……俺だって全く分からないんだよ。なんで、こんな目つきの悪い人達に睨まれるような事をした覚えはねぇぞ」

 鋭い眼光に、足をすくませながら答える。

 だが、日向は小さく微笑を浮かべたまま、静かに話し始める。

「一体、警察がただの部活動である探偵部に何の用ですか? ここで、こんな事をしている時間なんて、僕にはあまり無いのですがね?」

 彼は悠々と、完全に相手を舐めきっているかの様な口調で話し始めた。まるで刑事の取り調べを受けている、完全なアリバイを持った犯人の様に。

その言葉に男たちの表情が驚きに染まる。孝一達も同様だ。

 だがそれ以上に驚いたのは、刑事と知っていて余裕の表情で、話している日向の方だ。

「何故、私達が刑事だと言う事が……いや、今はそんな事はどうでも良い。探偵部部長、日向光君だね?」

「ええ、間違いなく僕は日向光ですよ。すでに調査を終えて分かっている事を、わざわざ本人の前で言う必要性は何処にも在りませんよ? ましてや、同業の人を前にね?」

 まるで、舐めきっているかの様な、日向の態度に刑事は少しばかり苛立ったようだったが、直ぐに次の質問をした。

「小野裕司さんを、君は知っているね?」

「ええ、もちろん。何せ、初めての依頼の捜査対象でしたから。でもね、彼に関しての調査内容や、依頼者の個人情報は貴方達警察に教えるわけにはいかないんですよ。対象が死んでしまっている場合などは特に、ね?」

「おい日向! どういう事だよ、あの男が死んだって!」

 小野裕司が死んだ。その事に驚き、日向を怒鳴りつける。そうしなければ、自分が罪の意識で潰されそうになったからだ。

 一瞬あの時の、裕司の姿が脳裏をかすめる。酷く無気力で、生きているかどうかも分からない様な、表情が。

「どうもこうも、彼は死んでいる、と言っただけですよ。現場の状況から見て、小野裕司は自殺。遺書はあったが、ワープロで書かれている。その他もろもろの状況から考えて、多少他殺の疑いもある、との事だ。第一発見者は新聞配達員の男。部屋から慌てて出てくる女を見て不審に思い、部屋を覗いてみた所、部屋の中で首を吊って死んでいる彼を発見。その後、警察へ連絡。駆けつけた警察官が、状況を見て自殺と判断。しかし、新聞配達員の証言により殺人の可能性も出て来た。その為、捜査一課が目下の所、その女性を調査している。ここに来たのは、小野雄二が自殺した理由でも聞きに来たのでしょう」

 何ともないかのような表情でそう話す。まるでテレビのニュースであった情報を、友達同士が笑い合うような話だ。

「何故……まだマスコミにすら流していない情報を、お前みたいな高校生が――」

 捜査情報を知っている日向を、怪しむ刑事達。当然の反応だ。捜査状況を知っている人物など、いない筈なのだ。捜査に携わっている刑事以外は、絶対に知り得る筈の無い情報なのだ。

「――知っているのか、ですか? さて、ねぇ? 僕がそんな飯のタネとなるものをそう簡単に明かすはずはありませんよ。どんな事をされても、ね? それに、そろそろあいつの方も準備が出来ますし、そろそろ僕達はおいとまさせて頂きますよ。……二人とも帰りますよ、部室に」

 ゆっくりと立ち上がり、刑事達に一礼して応接室を出ようとした。

「待て! こっちの用事は未だ終わってないぞ!」

 怒気を含んだ声で立ち上がり近づいて来る。その恐ろしさと言ったら、間近で肉食獣に吠えられる位の怖さだ。

「どんな事をされても、と言いましたよね? この場において、刑事さん達が僕を拘束できる理由は、何一つありません。ああ、そうだ……ハッキング容疑でもでっち上げて、引っ張りますか? でも、証拠がないですね。紙が無いと僕を引っ張る事なんて出来っこないな」

 振り向きながら、皮肉な笑みを浮かべる。

 刑事達はその笑みに、射竦められたように動けなくなっていた。

孝一はその笑みを見て、背筋に寒気が走るのを感じた。怖すぎる。刑事達の怒鳴り声が肉食獣の遠吠えだとするのなら、彼の微笑みはそう、まるで悪魔が微笑んでいるかの様な……そんな感じがする。

「日向……お前、あれで良かったのかよ……」

 部室に戻り、ソファに座った孝一は、不安げにそう聞いてみる。警察官相手に喧嘩を売るような真似は、流石の孝一でも出来ない。

 一般企業を相手にする程度ならば、恐れはしない。情報を仕入れ、それをネタに「手を出すな」とそれだけ言えばいい。しかし警察官相手だけは、流石に歩が悪い。情報を掴んだ所で、その情報を握り潰されてしまうのだ。

 以前、孝一も喧嘩を売った事があるのだが、結局握り潰されてしまい、逆に追い詰められそうになったのだ。

「ええ、構いませんよ。あの程度に一々ビクついていたら、この部は成り立ってはいませんよ。それに、こちらの情報をあの連中に出す必要性は何処にも在りません。逆に出してしまえば、こちらが追い詰められてしまう。馬鹿は相手にしない方が良いのですよ」

 顎に手を添え、考えるような仕草をしたまま、そう答える。

「ねぇ……コウ……あの先生が死んだんだよね……? それって、もしかして……私達の所為、なのかな……?」

 怯えたようにそう尋ねる弥生。袖を掴んだまま離そうとしない。とてつもなく可愛らしい仕草で、思わず抱きしめたくなってしまった。

 しかし、今はそんな状況では無いので、真面目に答える。

「大丈夫だ。俺たちは関係無い。あの男が勝手に死んだだけなんだから」

「でも――」

「孝一さんの言うと通りですよ」

まだ、何かを言おうとする弥生を、日向の言葉が遮った。

「関係があるのは、実際に調査をした僕と、この件を依頼してきた早苗さん。そして、被害者である香織さんだけです」

 日向は、ただ冷静に事実を告げる。

「でもあの時、私とコウだってあの場所にいたのよ? 関係ないなんて……ただの言い訳にしか……聞こえないじゃ無い!」

 目に涙を浮かべ、そう訴える弥生。

 孝一は、この幼馴染をなだめる為に何が出来るかを、必死で考えた。

「確かに。貴方達も知らない、関係ないと言った言葉では通用しないでしょうね。これは仮定ですが、恐らくこの情報を知った馬鹿な連中は、僕たちの事を誹謗中傷するでしょうね。――真実も知らずに、ただその時の気分に応じて。感情のままで行動するだけ。理性など一片も入っていないでしょうね。ただ……」

 日向は、二人を見て、何処か悲しげな表情になった。

「貴方達は見ていた。知っていた。でも止める事は出来なかった。止める事が出来たのはこの僕だけです。すべて悪いのは、僕なのですから、お二人は、気にせずに今まで通りに生活していて下さい。この部活動には、参加をしない事。そうすれば、時間が解決してくれますよ。間違いなく」

 日向は、元気づけるような笑顔でそう言い、そのまま外を見て「それに……自分自身が決める事だしな――」と小さく呟いた。

「何の事だ?」

 言葉の意味を尋ねてみる。しかし日向は、孝一の方を向いて、

「何でもありませんよ」

 と一言だけ言った。その時の日向の表情は、努めて明るく見せようとしている気がした。

「そうか――なら良い。今日は疲れたからもう帰るわ。ほら、行くぞ、弥生」

 孝一はまだ少し涙目になっている弥生を、立ち上がらせ、そのまま部室を出た。

 それが、正しい事なのかどうかは、今の孝一には分かる筈も無かった。

 部室を出て、家へ帰る電車の中でも、二人は会話をすることは無く、ただ今日あった事をそれぞれの頭で考えていた。

 電車を降りて、駅のホームを出た時不意に弥生が声をかけて来た。

「ねぇ、この事お姉ちゃんに教えた方が良いと思う?」

「それは……」回答に困る孝一。教えた方が良い、のかもしれない。しかし、孝一にその決定権は無い。幼馴染の程度の孝一に、答えを出せる筈がない。

「俺は、教えておいた方が良いと思う。でも、あの人がどういう反応をするかは分からないぞ? ただ……」

 そこまで話して、孝一は急に話すのを止める。

「ただ?」

「言うのはお前だ。俺は……あまり興味が無い。日向が何とかしてくれるな。これは、間違いがないな」

 孝一がそう言うと、弥生は「そう……ね」と小さく呟きそのまま黙りこんで、歩いていった。

 陽が落ちるの――随分と遅くなったな――。

孝一はそんな事を思いながら、家に帰って行った。


翌日、噂は既に広まっていた。

探偵部が、小野裕司を自殺まで追い詰めた。ストーカーだとか言ってデマを広めて、彼を追い詰めて、殺した。

探偵部だけでなく、新聞部さえ叩かれている。

 孝一は授業中も昨日知らされた事件を、ただ考えていた。昨日から変わらずに、ずっと考えていた。

 孝一は昨日、家に帰ってからずっと、小野裕司の事を調べていた。しかし集まるのは、通り一遍の事ばかり。孝一が望むような、情報は何も手に入らなかった。

 欠伸を堪えながら、授業を受けていると、日向が突然立ち上がった。

「すいません、急用ができました。今日はこれで早退させてもらいます」

 そう言って荷物を持ち上げ、走って教室を出た。まるで、何かに慌てているように。

「すいません! 俺も急用が出来たので帰ります!」

 孝一も日向を追いかけて教室を出て行った。

 気になったのだ。日向のあの慌てようが、気に止まっていたのだ。

 日向の行動理由。それは、恐らく昨日の警察の動きに絡んでのこと。そうでなければ、日向が動く理由が説明できない。彼の行動する理由そのものが、いまだ不明だ。探偵部に依頼が来たような雰囲気は無かった。それに、彼はどうも意外と自分の『仕事』に関してのプライドが高いようだ。

 日向に追いつき、呼び止めようとしてみる。

 しかし、余程慌てているのか、立ち止まろうとしない。

「何故来たのですか? 僕の用事は貴方と関係ありませんよ?」

「そんな事言うなって。どうせ探偵部の用事なんだろう? それなら俺も混ぜてくれよ。退屈な授業を聞いているよりかは、ましだからな」

「貴方は、これからの探偵部に来ない方が良い。それが貴方の、いえ『貴方達』の為です。これはもう、下らないお遊びじゃあ無くなって来ているんです。あまり、中途半端な気持ちで僕の仕事に顔を出していると、貴方だけで無い、貴方の家族、そして弥生さん達にも迷惑をかける事になりますよ?」

「なんだよ、それ? どういう事だよ」

 思わず、陰険な声にして聞いてしまう。これから日向のやる事に関しても、日向の正体に関しても謎だ。完全に信じるつもりは、未だ無い。

「気を付けて下さい。貴方は既に小野裕司殺しの重要参考人、もしかしたら容疑者になっているのかもしれません。同様に、弥生さん早苗さんもされています」

 日向の口から告げられる衝撃の事実。いや、本当は昨日学校に刑事が来た時点で、疑っているべきだった。楽観的思考を取っていたのだ。そんな事は無い、在り得ないと。

 しかし、そんな楽観的思考も日向に崩されてしまった。このまま、首を突っ込んでしまえば、今までと同じように、生活できなくなるのかもしれない。

 だが……。

「俺も行く。何があっても、自分の考えだけは、誰にも曲げさせないから。それに、家族なんて、あんま関係ないし」

 そう答えると、彼は分厚いレンズの下から覗く瞳を、少し見開いて驚いたようにこちらを見た。

「良いのですか?」

「ああ。どんな結果になってもな」

「分りました。では、これから僕が向かう場所とその理由を教えます。これから向かう場所、それは――」

 その場所を聞いた時に俺は、本当にもう後には引けない事を悟った。

「それは……本当なのか? 間違いないのか?」

「ええ、間違いありません。確かな筋からの情報です。これを聞いても、貴方はまだ一緒に来ようと思いますか?」

 日向は試す様にこちらを覗いて来ている。ひどく濁った瞳で、孝一の瞳を、ゆっくりと見据えている。

 孝一は歯を食いしばり、日向に回答をした。酷く苦しい回答だった。一秒の間に、あらゆるマイナス思考が頭の中を駆け巡った。

「行く。たとえ、誰であっても俺の考え方だけは邪魔をさせない。そう言った筈だろ?」

 その回答に満足したかのように、少しだけ瞳を閉じ、小さく息を吐く。

「どうやら僕は、君の事を少し甘く見過ぎていたようだな……」

 聞き取れない程度の声でそう呟く。日向は満足げに笑っていた。


 秋川署の質素な取り調べ室では、むさい中年親父達が一人の少女を相手に取り調べを行っていた。醜い光景だ。

「何で、本当の事を話してくれないのかな? 本当の事を言ってくれれば、早く帰れるのですがねぇ」

「本当です! 私は何も知りません! 何もしてません! 本当です、信じて下さいっ!」

「でもね、確かに見ているんですよ。裕司さんの部屋から女性が出ているのをね」

「知りません! 私は行ってません! それは、誰か別人です!」

「ではお聞きしますが、昨日の午前六時ごろ貴方は何処に居たのですか?」

「それは! もちろん私の家にいました!」

「しかしね、君が家を抜け出す事は十分に可能なんですよ」

「そんな事……」

 こんな会話が既に朝から四時間も続いている。

 香織の精神状態もそろそろ限界が近い。

「どぅぉおもぉぉぉぉお!」

 そんな声と同時に取り調べ室のドアが蹴破られた。それはもう凄まじい勢いで。

「水巻高校探偵部部長日向光、安田香織先輩を愚鈍で間抜けな警察より保護に参りました」

 現れた日向はさらりと、とんでもない事を言いながら、満面の笑みで取り調べ室の中へと入って行った。先程、ドアを蹴破ったとは思えない表情だ。

「貴様何のつもりだ。ドアを蹴破って入るという、無礼極まりない入り方をしおってからに。器物破損の現行犯で捕まえてやってもいいのだぞ! まったく近頃の若いもんは」

「無礼極まりない相手に、何故わざわざ礼儀を尽くす必要性があるのですか?」

 日向はあの時と同じ様に、刑事の高圧的な態度をものともせず、涼しげな顔でそう言う。

「確かにな。証拠も無いのに警察署に連れて行くなんて、無礼極まりない! それにな、オッサン。『近頃の若いやつは』なんて軽々しく口にするけどな、そんな若い奴を育てたのはお前達大人と言う事をよぉぉぉぉく覚えておくことだ!」

 孝一は、日向がいるのをいいことに、調子に乗って普段溜まっていた鬱憤を晴らす。

 当然のことながら刑事が彼を一睨みする。その途端に背筋に寒気が走った。

「さて、こんな所で油を売っている暇は何処にも無いのでね。さっさと帰らせていただく事にしましょう。……おおそうだ。貴方達は理由が無いといけませんでしたね。ではその理由をたった一つだけ、今から提示します」

 日向はいささか、慇懃無礼とも思える態度で話し続ける。

「彼女を此処に留めて置く事の出来ない理由。それは、この取り調べがただの〈任意同行〉である、と言う事です。刑事訴訟法第百九十八条、警察官は犯罪捜査において、必要がある場合には被疑者の出頭を求め、これを取り調べる事が出来る。但し、逮捕又は勾留されていない場合には、何時でも退去できる」

 不敵な笑みを浮かべてそう言いよる。

「なら、俺達が公務執行妨害でお前達を……」

「そうなれば、不当逮捕で貴方達を訴えます。そうなれば、僕たちの正当性が証明され、世間からは貴方がたに非難の眼を向ける事でしょう」

 完全な論理で詰める日向。これには流石の刑事といえども言い返す事は出来ない。

「では、僕たちはこれで失礼させていただきます。……帰りますよ、香織さん」

 そう言うと、香織の手を引いて取り調べ室を出て行った。

「しかし、ね……。驚いたよ」

「何が、ですか?」

 警察署を出た後、孝一は一人呟いた。その言葉に、日向は反応する。

「まさかお前があんな大胆な行動を起こせるなんてな……正直、ここまでするとは思っていなかった」

 見たままの感想を言った。確かに予想していた事であったが、流石に国家権力までに噛み付くとは思ってもいなかった。

「さて、何のことでしょうか?」

「とぼけるなよ。お前は末端にいる一教師なんて言う、低レベルな奴に喧嘩を売ったんじゃ無い。一部とは言え、〈警察〉と言う国家権力に喧嘩を売ったんだ。普通ならそんな事、ビビッて誰も出来やしない。お前はそれを、怯えもせずにあれほど喧嘩を売ったんだ。……お前は一体何者なんだ?」

「僕は僕。日向光ですよ。貴方と同じ、人間です」

眼鏡をかけたオタクの様な少年は、孝一に微笑みを向けて言う。明らかに明確な回答を避けようとしてる事が分かる。

「……まあそんな事はどうでもいいか。それよりも、香織先輩。あいつらに何かおかしな事をされませんでしたか?」

 今は日向に関して詮索している場合では無い。彼は自らの先輩に話を聞いてみる。

 しかし彼女は、俯いたままで何も話そうとはしない。

 尚も話しかけようとした彼を日向が遮った。

「今はそっとしておいてあげなさい。先輩はかなり混乱しているのですから。これ以上混乱をさせるような事はしてはいけません。先輩の気持ちの整理がつくまで、一人で考えさせてあげた方が良いですよ。ただし、彼女を一人にする様な事はしては絶対にしてはいけません」

 日向はそう言うと彼女を一瞬だけ見て、視線を前に向ける。

 その顔は今まで孝一が見た事がある表情だった。何ら変わりない何時もの表情。しかし、この時孝一は、この顔が不気味に思えた。


「ただいま戻りました」

 日向がそう言って教室のドアを開けたのは、五時間目の授業をしている時だった。

「今日は、厄介事が起きたので、授業には出ません。欠席扱いにしていいて結構です」

 戻って来るなり、そう言って、荷物を取り出して教室を出て行った。

一応は孝一も部員なので、日向と同じように出て行こうとする。

「ねぇ、何があったの?」 

心配そうに聞いて来る弥生。本当に不安そうだ。

孝一は日向が居ない事を確かめると、静かに耳打ちをした。

「弥生、授業が終わったら、探偵部の部室に来てくれ。大事な話がある」

 彼はそれだけ言うと、教室から出て行った。

「弥生さんに何を話したのですか?」

 部室に入ると、日向は開口一番に聞いてきた。この男は一体どこで見ていたのだろう。全く油断も隙もあったものでは無い。

「そんな事を聞くなよ。どうせお前の事だ。予想はしているんだろ?」

「ええ、放課後にわざわざ呼びに行く手間が省けて、助かりましたよ。まぁもっとも、彼女は貴方の事が心配で、何も言わなくても自分から、放課後に来たと思いますけどね。早苗さんも同様だと思いますよ」

(やっぱり分かってたんじゃねぇか……)

 内心舌打ちをしながらそう思う孝一。

 とりあえず、そんなやり取りなどどうでも良く、問題の香織の方を見る。

「貴女はここ最近、色々とあり過ぎました。ストーカーに付きまとわれ、やっとその恐怖から解放されたかと思いきや、今度はその男を殺した犯人扱い。今日は何とか助けだす事が出来ましたが、今度からは上手く行くかどうか分かりません」

 柔らかな微笑みを浮かべる彼が、まるで天使のように見えた。

「ですから、せめて今はゆっくりと休んで下さい。ここには貴女に付きまとうゆがんだ感情の持ち主も、貴女を不当に拘束する者も、貴女の命を脅かす人は誰もいません。ですから、ゆっくりとその磨り減った心と体を休めて下さい」

 彼が言い終わるのと同時に、香織はふかふかのソファに弱々しく横たわり、瞳を閉じて、休息を取り始めた。その寝顔はとても安心していて、幸せそうなものだ。

 この顔を見ると、孝一は自然と怒りが込み上げてくる。

「そう自分を追い詰めないで下さい。貴方も、僕も、所詮は一人の人間。非力なんです。何も出来ずに此処に居るだけ。それだけしか……今は出来ないのです」

 すー、すー、と寝息を立てる彼女を愛おしげに見つめて、孝一に話す日向。

 しかし、孝一の表情は未だに晴れないままだ。自分には何か出来たのではないのか、自分には何か出来る事があるのではないか、と考え続けている。

 日向は彼のそんな顔を見て小さくほんの一瞬だけ、満足げに微笑む。

「貴方に出来る事は、今はここでこの人の休息を護る事だけです。僕は、今から少しだけ用事があるので消えます。その間、貴方がここを護るのですよ。頼みましたよ?」

 奇妙な力を持った少年は、孝一にそう言うと部室から出て、何処かへ行ってしまった。

 日向が出て行ってからしばらくの間、香織の規則正しい呼吸音と風の音だけが部室内を支配していた。静かで、とてつもなく退屈な事だが、平和と言う事の幸せさを、身を持って体感した瞬間であった。

 穏やかなまどろみの中、孝一も睡魔に襲われてきた。弥生達が来るのにはまだ、数時間の猶予がある。それを考えると、あまりも退屈で仕方のない事だった。

 これから授業に出ようか、と考えてもみたもののその考えは即刻却下する。日向にここを護れと言われているのだ。彼女の事を、安心を。

「やれやれ、俺ってどうしてこう覚悟が長続きしないのだろうな」

 誰も聞いては居ない事を確認しつつ、孝一は呟く。先程まであれほど腸が煮えくりかえる感情を持っていたのに、直ぐに元の自分に戻ってしまったのだ。

 日向の存在もあるのだろうが、彼の感情が元に戻った大きな原因は、今正面のソファですやすやと幸せそうな寝息を立てている、お姫様の影響が大きいだろう。

 えてして人は、他人の幸せそうな姿を見ると、自分もそう言った感覚になる事がある。その為、孝一もゆっくりとした感情になってしまったのだ。

 その場の空気に流されてしまった、と言った方が正しいのだろうか? だがしかし、流されない人間はかなり少ない。例え居たとしても、それはかなりの変人である事だろう。

 何とか目を開けたままにしようと、努力をしてみるものの、彼はゆっくりと夢の世界へと降りて行った。

 願わくば彼の見る夢が幸福なものでありますように。

 そのころ、学校の外では二人の刑事が近くの雑木林の中から、学校の校門を見張っていた。彼等は警察署から尾行をして来たのだ。

「本当に、あの子が犯人なんですか? どうも自分には犯人には思えないのですが」

 若い刑事が年配の刑事にそう話しかける。

「知ったことか。俺にはどうでもいい事だよ。犯人が誰であったとしても、俺たちには何の関係も無い。ただ俺たちは、目の前の犯人を捕まえるだけだよ」

 年配の刑事は何の節操も無いようにそう言い放つ。

 若い刑事は、彼のその言葉が気に入らなかったようで、何処となくむくれていたのだが、年配の刑事の言い分は正しい事だと、分かっている為か何も言い返そうとはしない。

「そこで一体何をやっているのだ?」

 突然二人の背後から、尋常では無い殺気に包まれた言葉がかかった。

 振り向くと、そこには現在見張っている高校生と、同じ位の年頃の少年が立っていた。

どこまでも黒い、艶やかな長い黒髪を後ろで一つに縛り付けている。整った顔立ちは、何処までも引き締まり、油断を一つもしてはいない。そして、驚くべきは彼のその格好である。

黒髪よりも真っ黒な服装だ。上から下まで、全てが黒一色に染まりきっている。その姿はまるで、死神の様に見えた。ただ、一般に認識している死神と違う所は、得物が大鎌では無く、右の腰に下げている一振りの刀である。

「そこで何を……と言われてもなぁ」

 年配の刑事は無気力にそう答える。

 気配も無く背後に忍び寄った人物を警戒しているのだろう。

「消えろ。この場所から。お前達の様な輩がうろつかなくとも、ここはこの俺が居る。今すぐに消えろ」

 黒髪の少年はそう話す。言葉にはたっぷりの威圧感と、殺気をこめて。

「あんたは一体何者だ!銃刀法違反で、引っ張るぞ!」

 若い方の刑事が彼にそう怒鳴りつける。

 しかし、全く動じていない。

「出来るものならな……」

 不敵な微笑みを浮かべてそう呟く。

 年配の刑事は言いようのない恐怖感に襲われた。

 動きたくても動けない。まさしく蛇に睨まれた蛙の様な心境だ。彼からの殺気はそれほどまでに、恐ろしい。

「貴様……警察を舐めるなよ?」

 たっぷりの怒気をはらんだ言葉を黒髪の少年に投げかける。同じ年頃の少年ならば、間違いなく委縮してしまうようなものだ。

「愚かだな、貴様は。そっちの男の方がまだ賢い。力の差を十分に理解できているようだしな」

 額に脂汗が浮かび、呼吸も僅かながら乱れ、更には油断の無い眼つきで自分の事を見る、年配の刑事を少年は評する。

「な、何だと!」

 とうとう若い刑事の堪忍袋の緒が切れたようだ。

 拳を振り上げて、少年に殴りかかろうとする。

 年配の刑事は反応できず、何とか制止しようとする前に拳が少年へと向かっていた。

 全くもって愚かな話だ。先程の話がしっかりと理解できていれば、今ここで少年を殴る事がどれだけの危険をはらんでいることか、分かる筈なのだ。それ以前に「捜査中の違法行為」等と言う名目で、また自分たち警察が叩かれる事を心配しなかったのだろうか。

 年配の刑事はそれを理解していた上に、少年の実力を理解していたから、行動に移さなかったのだ。

「本当に、愚かだ」

 少年は溜め息まじりにそう呟くと、体を少し逸らして拳をよける。まるで拳が止まっているかの様にゆっくりとした動作で、だ。

 そして、そのまま見事に空を切った拳を掴み、そのまま捩じり上げる。そのあまりの痛さに、若い刑事は声にならない悲鳴を上げる。

「これで、分かっただろう? この俺に立ち向かってくる事は、お前達の死を意味する。俺は殺してはいないが、既に何人もの人を斬って来ている。高々、取り押さえの時に鍛え上げた腕っ節如きで、殺し合いを経験したこの俺に敵う筈が無い」

 ねじる力を徐々に強くしながら、少年は冷たく事実を、現実を告げる。

 それを告げる時の瞳は、酷く暗い底の無い純粋な闇を映し出していた。

「ではお前に質問する。今時分、この場所で一体何をやっていた」

 刑事の腕を捩り上げながら、少年は質問する。この状況では、拒否権など刑事に存在はしていないだろう。

「なぜ……お前に教える必要がある……」

 痛みに顔を歪めながら、彼は少年に向かって拒否の言葉を発する。

 無論、少年は腕に入れる力をさらに強める。こうなる事は目に見えて分かっていた事だと言うのに。

「いい加減、自分の立場を理解したらどうなのだ? お前に今、拒否権は無い。所詮飼い犬でしかない貴様等の事だ。この様な扱いを、行った事はあったとしても受けた事はあるまい。この際だ。俺の拷問に付き合え」

 言い終わると同時に、力をさらに加えた。肩から腕にかけての関節が、悲鳴を上げているのが聞こえてきそうだ。

 年配の刑事は、危険な状態である為、携帯電話で応援を呼ぼうとするも、携帯電話に何かが物凄い勢いで衝突し、近くにあった木に刺さった。

 その携帯電話には、日光を反射して輝くナイフが、深々と突き刺さっていた。

「あまり、感心しないな。此方としては、これ以上お前達に被害を出すつもりは無いのだから」

 片腕で刑事の腕を捩り上げたまま、ナイフを投げるといった動作をしたのだ。

 まるで、お前たちなど直ぐに殺せる、とでも言わんばかりの圧倒的なコントロールを見せつけて。

 深く突き刺さったナイフを見て、年配の刑事は再度確認させられた。自分達がどんな奴を相手にしているのかと言う事を。

「分かった、話そう。その代わり、まず最初に私のそいつを離してくれないか?」

 この状態で、この少年に逆らう事はまったくもって得策ではない事を、冷静に判断して刑事はそう言う。

 それを聞くと、少年は若い刑事の腕を離す。

 その刑事は痛みのあまりに離された瞬間から、地面に倒れ込み右腕を抑え、悶えている。

「ここで、何をしているか……だったね。それは、向こうに見える学校の生徒を尾行してきたからだ。その中に最重要参考人いるんだ。それを尾行してやって来た」

 年配の刑事は少年の瞳を、まっすぐ見据えて説明する。これは嘘が無い事を訴えるのに丁度いい手段なのだ。

「面白い事になったな……」と少年は不気味な笑みを浮かべてそう呟く。全くもって底知れない恐ろしさと言う物をこの少年は教えてくれる。

「俺から一つ忠告しておく。あの学校に居る探偵部部長、日向光は敵に回さない方が良い。あいつを敵に回すと死ぬことになるぞ」

 少年はそれだけ言うと、そのまま影のように何処かへと消え去って行った。二人の刑事に疑心と恐怖を残したまま。

授業の終了と、今日一日の学校生活を終えた事を告げるチャイムの音で、孝一は眼を覚ました。

ふわあ、と大きな欠伸を一つすると、手近にあった時計を眠気眼で見つめた。

 時刻は丁度、四時に差し掛かろうかと言った所だ。

「もうそろそろ、弥生達は来るかな……」

 また一つ欠伸をして、眼をこすりながら呟く。そして、そのままソファから立ち上がり、伸びを一つする。口からは何とも言えない息が漏れ出た。

 すると、扉が開く音がして弥生が部室の中へと入って来た。

「香織先輩! 何で香織先輩もここに居るの」

 弥生は香織の姿を確認すると、眼を見開いて驚いていた。

「先輩がここに居る理由については、後から日向にでも聞いてくれ。俺が話すのは面倒だ」

 孝一は、小さく一つ溜め息を吐くと吃驚したままの表情を張り付けている、弥生にそう話す。事実、孝一が説明するには流石にややこしい話なのだ。

 弥生はまだ納得してはいない表情であったが、この場で問い詰めるのは、香織先輩に寝安眠を妨害してしまう事になりそうであった為、剥れ顔でソファに腰掛ける。

「孝一、あんた一体どこに行っていたのよ? あの後、先生が私に色々と尋ねて来て大変だったんだからね」

 声をひそめつつも、圧倒的な威圧感を孝一に向けて放ちながら、弥生は話しかけた。自分一人だけ仲間外れにされて、かなりご立腹の様だ。

「すまん、すまん。一寸ばかり厄介な事があってね。丁度お前達にが来たら説明しようと思ったんだ。早苗さんが来るまで少し待っていろよ。そんなに待つ訳では無いだろうしな」

 刑事達を超える恐怖を前に、汗を滲ませながらそう言った。

 それを聞いた弥生は、何かうまく逃げられたような感覚があったものの、彼の説明に問題点は見当たらないので、不本意ながらソファに腰をどっしりと落とす。だが、やはり聞きたい事が多すぎるのだ。

 凄まじい眼光を孝一に浴びせ続ける。

 視線が実体化して、自分の体に突き刺さるかのような感覚に耐える事数分、ようやく早苗達が部室までやってきた。

「ちょっと、何でここにあんた達が居て、更には香織が寝ているのよ」

 部室のドアを開けた瞬間に、放った言葉がこれだ。

「やっと来たのね、お姉ちゃん。私もう待ち草臥れたんだからね」

 弥生は眉根にしわを寄せて、姉に抗議をする。

 彼女の威圧感に姉である早苗も流石に恐怖心を抱いたのだろう。末恐ろしい女だ。彼女のあだ名には女王さまが似合うのかもしれない。

「な、何でそんなに怒っているのよ……」

 妹に対して冷や汗をかきながら尋ねる。

「だってコウが私にお姉ちゃんが来るまで、教えてくれないって言うんだもん」

今度は子供っぽく頬をふくらませてそう言う弥生。この姿は可愛いと言える。先程の表情をしたとは到底思えないような可愛らしさだ。

「仕方ないだろ。結構面倒な事になっているみたいだし、二人にまとめて話した方が効率いいし。お前だって、知ってる事二度も聞きたくは無いだろ」

 冷や汗を浮かべて、苦笑いしながら言い訳をする孝一。今現在、彼が正論であると言う事に変わりは無い。

「……分かったわ。早く話して」

 むくれたままの弥生は、孝一に説明を要求する。

もとよりその心算であった彼は、少し息を吸ってから教室を出てからの話をした。

要した時間は約五分程度であり、そこまで長い話にはならなかったものの、野崎姉妹はかなり深刻そうに眼を伏せた。

「私の知らない所でそんな事になっていたなんて……」

 香織に容疑がかかっていると言う事を話した時に、早苗が呟いた一言だ。香織に殺人の容疑がかかっている、という事が信じられないのだろう。

「これから……どうするの?」

 弥生は不意にそう呟く。その表情はひどく沈んでいて、先程までの覇気は無い。

 何かに脅える小動物の様に、瞳を右へ左へと彷徨わせている。

「これから、どうする、か……」

 下を向いたまま、孝一は喉の奥から声を絞り出すように、そう呟く。

「とりあえず今は、日向からの連絡を待つ事にしよう。あいつはこんな時に何をするのか分かっている筈だからな」

 彼は今自分達に出来る事を判断して、そう言った。

 たかだか一介の学生の身分でしかない、自分たちには警察を相手にどうにか出来るわけが無い。この中でも孝一だけは出来る事はあるが、その手段をいま使うわけにはいかない。それを使えば自分の立場を晒す事になってしまう。どうにかしてでも、それだけは回避せねばならない事態だ。

 それに、探偵部部長としての日向光を信用しているのだ。小野裕司を犯人として、追い詰めた時の、彼の表情には今までどんな人にも見た事の無い、光を見たのだ。

 自分の仕事はきっちりとする。そして何者であってもの自分の邪魔をさせない。

 そう言った雰囲気を彼は、醸し出していたのだ。

「そうね……」と弥生は仕方なく肯定する。まだ、日向の事を信用したわけでは無いのだ。

 いい加減、信用してもいいと思うのだが、それをしないのは彼女が昔、人に裏切られた事があるからだ。それから、彼女はそう易々と人を信用する事は無くなった。むしろ、前よりも人見知りをするようになっている。表面上からは分からない事だが、孝一は普段の彼女が誰にも心を開いていないのを知っているのだ。

 気まずい沈黙が部室の中に漂う。

 その状態がほんの少し続いた後、突然部室のドアが開いた。

 孝一達の視線が一気にその方向へと向く。孝一は日向だと思い、立ち上がりかけたがそこに立っていたのは探偵部部長、日向光では無かった。

 黒く長い髪を後ろ手にまとめており、切れ長の鋭い瞳、整った顔だが油断の無い表情をした、少年だ。服装は上から下まで全て黒に統一されており、まるで喪服を身に付けているようだ。

「あの、どちら様でしょうか……」

 自分と同じ年頃であるにもかかわらず、孝一は思わず敬語を使ってしまった。彼から出されている威圧感と言うか、何とも言えない感覚が孝一をそうさせているのだ。

「日向は、いるか?」


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