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C2~契約の紋章  作者: 小椋杏
貴族導師と傭兵と
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6.

 傾いた陽が顔を出した。

 道沿いの木々はすっかりとその数を減らし、視界は明るく広がる。

「なんとか陽が落ちる前には、抜けられたな」

 その背に少女を負うカイが、隣を歩くアルカスに言う。

「そうだな……」

 疲れきった様子で、アルカスは答えると、そのまま道なりに歩を進める。そうして歩く先に、見覚えのある、木製の強固そうな門を遠巻きに確認すると、アルカスはそこでやっと、息をついた。

「やっとここまで来たか……」

 ソルジョーヌ領との領境関。ここまで来れば、町まではすぐである。あと少しと思うほどに、アルカスは気が抜けそうになり、いけない、と気を持ち直した。少女のことも心配であるし、今は何より、早く町へ着くことだけを考えなくては。

「……それにしても、こんなに遠かったなんてな……」

 ぽつり、とアルカスが呟くと、カイは意外そうな表情を浮かべる。

「その言い方だと、前にも来たことあるみたいだな」

「父上の公務の付き添いで仕方なく、ね」

「成程…… そういう付き添いって結構行ってたりするのか?」

「まあね。一応僕だって、次期当主として、貴族の社交の場には結構連れてかれてるよ」

 不本意ながらも、という言葉は、今は胸に秘めておくことにした。そんなアルカスには気づかないように、カイは言葉を続ける。

「へえ、意外だな。てっきり箱入りで、外にはほとんど出たことない質の人間だと思ってた」

「……お前、今更ながら、僕にどんなイメージ持ってるんだ……?」

 たわいもない疑問を口にしつつも、アルカスの頭は自然と以前にここまで来た際の記憶を辿る。あの時は馬車で森を抜けたのだったか。あの時は何も思わなかったが、いざ自分の足で向かうとなると、こうも長く疲れる道のりであったのか。いろいろな思いが頭の中をめぐり、アルカスは更に疲労感を覚える。

「けどまあ、これでへばってるようじゃ、旅なんてできないな」

 ぽん、と頭に手を置かれ、アルカスは顔を上げた。どこか楽しげな淡褐色が目に入る。

「うるさい。……今はちょっと、慣れてなかっただけだっての」

 笑って言うカイに、アルカスはむすっとした表情で言葉を返して、関所の門の方へと足を進めた。

「……それにしても」

 今度はカイが、ぽつりと呟く。

「何?」

「いや、こんな森を出てすぐの辺鄙な場所に、よくもまあこれだけ立派な壁と門を作れるよな、って思ってさ」

 まだいくらか残る木々の向こうに見える、大きな門と、それ以外の場所からの侵入を防ぐように立ちはだかる塁壁を目の当たりにし、カイは感心したように言う。

「まあ、領境関の設置は、それぞれ接する二つの領家が出資して作るわけだからね……」

 規模も自ずと大きくなるよ、とアルカスは少々呆れ気味に答える。この裏側に、どちらがより多くの出資をしたかで皇国への敬意が試されているなどという、貴族ならではの争いが繰り広げられているのを、アルカスは知っており、同時にあまり快く思ってはいなかった。

「ふうん……流石大貴族はやることが違うな。……通りで報酬もいいわけだ」

 小さな声で、カイが言うのを聞いたアルカスは、少しむっとしたが、ふと気にしていた事を思い出す。

「……あのさ、ちょっと気になってたんだけど」

「何だ?」

「この護衛の仕事の契約金って、どれくらい?」

 問われたカイは、気まずそうな表情を浮かべる。

 暫しの、沈黙。

「……いや、黙られると気味が悪いんだけど……」

「……あー……まあ……」

 答えるのを渋り、黙っていたカイは、やりづらそうに口を開く。

「……まあ……ざっと……五千万ダルク……ってところか」

「ごせ……っ」

 カイの口から出てきた金額に、アルカスは驚きを隠せなかった。何しろ、一般的な中流階級の家庭であれば、向こう十年は暮らしていけそうな金額である。そんな金がすぐに出せるのか、とアルカスは自分の家を恐ろしいと感じた。

「ああ、前金としてはその二割しかまだもらってないから」

「それでも一千万だろ……」

 もっとも、要求する方も要求する方だが。

「そんな金、何に使うんだよ」

「……まあ、秘密だ」

 また妙な間の後に、カイは答える。

(言えないってのは、ろくな事に使ってないってことか……)

 言い渋るカイを見ながら、アルカスはそう思う。

「……ほら。関所、着いたぞ」

 視線を痛く感じているのか、目をそらすカイに、アルカスはますます不信感を募らせた。

「手形、用意しないのか?」

 銀色の鎖を首元から引き出しつつ、カイは尋ねる。

「……言われなくても、分かってるっての」

 上手いこと話題をそらすものだ。そう思いつつ、アルカスもまた、自分の手形を首元から引き出し、先程からこちらの様子を困ったように伺っていた、関所番の男に見せた。

 番人の男は、アルカスの手形を一瞥すると、そこに刻まれた文字と紋とを確認し、ややあ、と声を上げた。

「これはこれは……御子息様でしたか……」

 アルカスの手形と同じ百合の紋章の入った、簡易な白い甲冑を纏った男は、驚いたような顔でアルカスの顔を見直す。

「近々、導師としての修行の旅に出られると、噂には聞いておりましたが……遂にその時が参られたというわけですね。いやはや御子息様も随分と立派になられて……」

「そういうのはいいから、早く通してくれないか?」

 男の話にうんざりとしたのか、アルカスは彼の言葉を遮って言う。

「これは失礼。……ええと、その後ろの方は……?」

 番人の男は、アルカスの後ろに立つカイを見て、問う。

「ブランネイジュ公より仰せ使いまして、アルカス様の護衛を務めているものでございます」

 どうぞ確認を、と言って、カイは手形を男に見せた。

 途端、男の目が変わる。

「……お前が、御子息様の?」

「はい」

 顔面にあの貼り付けたような笑顔を浮かべながら、カイは答えた。

 男は訝しげな表情でアルカスの方に向き直る。

「……御子息様、これは一体どのような事で……?」

「……言う通り、僕の護衛だよ」

 あからさまな態度の変化に戸惑いつつ、アルカスは答える。

 男はいまいち納得のいかないような表情で、左様ですかと答えると、カイの方を睨むように一瞥する。そこで目に入った少女の姿を確認すると、こちらに向かって口を開いた。

「……そちらの方は?」

「ああ……えと……」

 アルカスが答えあぐねている間に、カイは少女をゆっくりと背中から降ろし、力なく倒れゆこうとする身体をさっと腕で支える。そうして、少女の胸元に輝く銀の札を指し示し、「これでいいでしょう」と、アルカスの嫌いな、あの作り笑顔で言った。

 その札にも、文字はたった一行のみ刻まれるばかりであった。

 関所番の男は大げさに顔をしかめた後、大丈夫だという旨を伝えた。そんな男の態度に、アルカスはなにやら、もやもやとした感情が湧くのを感じる。

「あの……」

「ルカ」

 何かは分からないが、それでも何かを言い返そうと、とっさに口を開いたアルカスを、カイが制した。

 男は大きくため息をつくと、中へ合図を送る。その間に、カイは少女を背負い直す。程なくして、ゆっくりと、音を立てて門が開いた。

「……あの、お通りにならないのでしょうか?」

 言葉遣いこそ気を使っているようだが、早くしろ、と言わんばかりに男は言う。

 アルカスはなんともやりきれない気分で、関所を通過した。続くように、カイも関所を通過する。

「お前らのような、放浪者(ラ・ジタン)が、御子息様なんぞと、ね……」

 通りすがりに、男が小さく呟いたのが聞こえた。関所番の男の、訝しむような視線は、しかし、すぐに閉まる門の向こうへと消えていった。

(今の対応……)

 いまいち腑に落ちない、といった様子で、アルカスは閉まった関所の門を振り返る。 

「悪いな、ルカ」

 変なところ見せたな、と、困ったような笑みを浮かべて、カイが言う。

「いや、別に……」

 これまで、関所を通過する際には、父や家の関係者とばかりであったアルカスにとって、このようなあからさまに嫌味な対応は、初めての経験であった。それは、たとえ知識として、カイのように契約情報に欠落のある者に対する目について、聞いていたとしても、アルカスにとってはあまり納得のできるものではなかった。皇国に近しい、貴族である自分が、そのような考えを持つことは、いささか可笑しな事かもしれないが、それでもアルカスは腑に落ちなかった。

「……いつも、あんな感じなのか?」

「いや、今回は全然マシな方だ」

 カイは首を振って答える。お前のおかげだな、と続けて。

「この先も、関所越えはこんな感じになりそうだな」

 苦笑しながら言うカイを、アルカスは直視できなかった。

 自分の領主の直属の者ですら、自分がいてもこの対応なのだ。この先、どのような目を向けられるのだろうか。今まで、どのような目を向けられていたのだろうか。――彼も、その背の子も。

「……ほら、早く町に行くぞ」

 ぽん、とアルカスの頭に軽く手を置き、カイは足を進めた。

「ああ……うん」

 複雑な思いを胸に、アルカスはカイの後から宿場町へと続く道を行った。





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