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C2~契約の紋章  作者: 小椋杏
貴族導師と傭兵と
6/7

5.

 俯いた顔が上げられ、少女の顔がはっきりとアルカスの目に映る。

 儚げな真白の雪の肌に、陽光に煌めく、長い銀の髪。

 そして、酷く印象的な、全てを吸い込んでしまうような、黒曜石の瞳。

 まるで精巧に作られた人形のような、その容姿は、どこか人間離れしているようで、美しく、そして恐ろしくもあった。

「き、君は……?」

 アルカスは恐る恐る少女に声をかける。

 少女は黙ったまま、アルカスたちの方を向いた。無機質な黒の目が、二人を真っ直ぐに捉える。

 全体的に薄い色素を有する中に、このやけに黒い双眸は、不似合いでもあり、ある種の不気味さと神秘さを醸し出していた。

 警戒の体勢を保ったままのカイからは、威圧的な空気が滲み出ている。しかし、少女はそれを気に止めることもなく、ただただ二人の方を見つめていた。時折小さく上下するように見える肩は、少女の呼吸が乱れていること、そしてそれだけ、彼女が何かしら急いていたということを伝えている。

 荒い呼吸を整えようと懸命になりつつ、少女はゆっくりと立ち上がった。

 ぱさり、と音を立て、巻かれた布が、少女の体から剥がれ落ちる。現れた、彼女の身を纏う、かつて文献で見た古の民族衣装のような、珍しい衣服。白を基調とした布地に、幾何学的な、不可思議な紋様の、赤、緑、青、黄の四色で刺繍を施したその衣服は、少女の華奢な体をゆったりと包む。胸元に輝く、細い鎖から下がった小さな銀の札――恐らくは、彼女の手形だろう――は、衣服と相まって、さらに彼女を幻想的な存在に見せる。

 そんな彼女の服、そして、透き通るような白い肌には、あちこちに傷や汚れが目立っている。何がそうさせたのかは、アルカスには見当がつかない。

 

 しかし、それよりも、何よりも、アルカスの目を引いたのは。


「その、手……」


 長い袖の先から覗くものに、アルカスは思わず声を漏らす。

 彼女の白い手には、克明に刻まれた、黒い紋章――契約の子の証が、確かに存在していた。


 契約の子。

 光神と闇神に選ばれし、紋章を授かった人間。

 逃れられない、契約の証。

 光の自分(アルカス)と対となる運命を持った――


「君は……『魔導師』な……のッ!?」

『魔導師』という言葉を口にした、その瞬間、少女の無機質な目が少しだけ見開かれた。

「ルカッ――」


 刹那、交錯する、紫と黒。


 同時に、自分にかかる物理的な強い圧力を、アルカスは感じる。

気づいた時には、身体は後方へと飛んでいた。衝撃が、全身を伝う。全ては、一瞬の出来事だった。

 身体を起こす間もないうちに、少女の黒い瞳が、しっかりとアルカスを捉える。少女の足元から、黒い影のようなものが、見る見るうちに広がり、幾つもの枝に分岐し、アルカスを捕らえるかのように迫ってくる。

(この影は……魔導術の……!)

 逃げなければ、ここから。そう本能は告げる。しかし、まるで蛇に睨まれた蛙のごとく、アルカスはその場から動くことも、少女から目をそらすことすらも叶わなかった。

 影の枝は迷いなく、まっすぐに伸びてくる。

(早……っ)

 満足な反応をする間も無く、影はアルカスの眼前まで迫り、そして。


「…………え?」


 時を止められたかのように、分たれた影達は一斉に動きを止めた。

「な……にが……?」

 伸びた影は、アルカスに近いところから順に、煙のように姿を変え、やがては大気に溶けるかのごとく、跡形もなく消え去った。

(これは一体……?)

何が起きたのか、とアルカスが思考を巡らす前に、視線の先の少女の黒が、大きく揺らいだ。

「……ぅ……」

 消え入りそうな呻き声が、アルカスの耳に届く。

 苦しげに、歪む瞳。

 瞬間、少女の身体は、ゆっくりと、地へと向かって崩れ落ちた。

「あ……」

 地に伝う、小さな衝撃。

 倒れ伏した少女の背後に、見えた、黒い影。

「お、前……」

「……まったく、突然攻撃してくるなんて、随分と物騒なことだな……」

 冷たい陰りの覗く淡褐色が、少女を見下ろしながら、言った。その手元には、微かに覗く、鈍く光る針。

「カ、イ……? ……今、何を……?」

 アルカスは呆然と、少女とその後ろに立つカイとを見やりながら、震えそうになる声で疑問の言葉を口にした。

 力なく地に伏す少女は、ぴくりとも動かない。心なしか、色白い彼女の肌は、更にその白さを増しているようにも見えた。その姿はまるで、生命を持たぬ、本物の人形であるかのようで。

 嫌な汗が、アルカスの背を伝う。

「まさか……お前……こ、こ……」

 声は言葉にはならず、アルカスの喉で止まって出てはこない。

「こ……」

「『殺したのか』……って?」

 だとしたら、どうする?

 冷たい声色で、カイが言い放った。

「この子は、お前に敵意を示し、攻撃を仕掛けた。……そして俺は、お前の護衛だ。」

「……つまり、それがお前の仕事だって……そう言いたいのか」

 カイは何も答えなかった。冷たい目のまま、ただ黙ってアルカスの方を見ていた。

 少女に、動く気配はない。

「だからって、何も……」


 全身が震え出しそうになるのを堪え、アルカスは声を絞り出した。

「何も、殺すことなんてないだろ!」

 半ば叫ぶように、アルカスは言った。カイからは、何の返答もない。

「なんでだよ……なんとか言えよ!」

 気づけば、動けないままでいたはずの身体は、カイに掴みかかっていた。カイは無抵抗のまま、アルカスの紫を、冷めた淡褐色で見つめていた。アルカスは更にカイを掴む手に力を込める。

 頭の中が、回る感覚。

 目の前で、人一人。

 目の前で、動かない。

 目の前の、現実。

 目の前の、男によって――

「『……ナイ、オ前ヲ……』」

 カイを掴むアルカスの手元に、光が集まり出した、その時。

「そこまで」

「……え」

 身体が宙を、回る感覚。

「……うわ……痛っ……!」

 背中に衝撃が走る。

「悪い、大丈夫か?」

 アルカスが顔を上げると、先程までの冷たさなどまるで嘘だったかのように、気まずそうに笑うカイの顔があった。

「……な、に……?」

「……いや、ちょっとお前のこと、試させてもらっただけだ」

「……は?」

 カイは一旦息をつくと、アルカスの腕を引き、立ち上がらせる。

「ああ、あんまり気にするな。……あと、それから」

 カイは地に倒れる少女の元まで行くと、紋章の刻まれたその手に、軽く触れた。

「そうだ、お前……っ」

「大丈夫、ちょっと気絶させただけだ」

「え……?」

 ほら、とカイはアルカスを手招いて、恐る恐る近づく彼に、少女の細い手首を握らせる。

 浅い、呼吸音。

 鈍い、心音。

「……な?」

 近づかなければ分からないような、それらの音は、確かに目の前の少女がまだ生きていることを示していた。名も知らぬこの少女が息絶えていないと分かり、アルカスは、ほっと安堵の息をついた。

「……けど、お前……さっき『殺した』って……」

 アルカスはふと先程までのカイとのやりとりを思い出し、問う。

「『だとしたら、どうする』、って答えたはずだけどな?」

「なっ……んだよそれ!」

 思い返せば、確かにカイの口から少女を殺したということを、はっきりと肯定する言葉は、出ていない。

「……騙したな?」

「お前が勝手に早合点しただけだろ?」

「なっ……」

 早合点だと言われればそうだが、いまいち腑に落ちない。アルカスは納得いかないという顔で徐にカイを睨んだ。が、当のカイは、微塵もそれを気にする素振りを見せることなく、話を続けた。

「しかしまあ、魔導術の反動で、大分生命エネルギーを消耗していたみたいだからな……あのまま続けてたら、本当に危なかったかもな」

 お前も、この子も。

 やはり苦笑しながら言って、カイは大きく息を吐いた。心無しか、その表情に疲れの色を浮かべつつ。

(……ん?待てよ?)

 そんなカイを尚も睨みつけていたアルカスだったが、ふと、カイの言葉に引っかかりを感じる。

(そういえば、あの時にも……)

 彼の言葉の端々から垣間見える、導術に対する知識。しかし、彼は最初に――

「どうかしたか?」

 訝しげな表情をするアルカスに、カイが声をかける。

「いや……あのさ……」

「何?」

「……お前さ、前に……」

 最初に、導術はよく知らない、と言っていなかったか。そう問おうとした、その時。

「……ん……」

 目の前の少女が、小さく身じろいだ。先程よりも、ほんの少しだけ人間らしい白さに戻ったように見える少女は、しかし、やはりまだその黒い瞳を開けることはなかった。

「…………どうするんだ? その子」

「え……?」

 カイの問いに、アルカスは少しの間考えを廻らす。このまま放っておくわけには、まさかいくまい。

「……とりあえず、次の宿場町まで連れていって、休ませてあげよう。この子の目が覚めたら、聞きたいこともあるし」

「……そうか」

 わかった、とカイは二つ返事でアルカスの意見を受け入れた。それを意外な気持ちでアルカスは受け取る。

「……何だ?」

「いや……なんか文句や小言の一つくらい言われるかと……」

 そう言ったアルカスに、カイは小さく笑って、答える。

「一応、俺は今、お前に仕えている身だからな。お前の決定には、基本的には従うよ」

 そんな彼の答えに、アルカスはそんなもんだろうか、と少しの疑問も感じたが、そんなもんなのかと自分の中で納得させることにした。

「まあ、そうと決めたんなら、早いところ行くか」

 日も落ちてくるだろうしな、と言って、カイは倒れる少女の体を持ち上げ、自分の背に負った。

「……よし、行くか」

 もう一度、大きく息をつくと、カイはアルカスの方を振り返って言う。

「あ、ああ…………?」

 振り返った彼の表情に、アルカスは、僅かな違和感を感じた。

「どうした?」

 しかし、次の瞬間には、そんな気配は微塵も感じられないものに戻っており。

「あ、いや……その剣、邪魔そうだなと思って」

「こればっかりは、仕方無いな……」

 そう言って苦笑するカイは、それまでの彼と何一つ変わらなかった。

(今のは……)

 きっと、見間違いだろう。これ以上思考を巡らすことを、疲弊した頭が拒否する。きっと、気のせいだ。アルカスはそう思うことにした。

「ルカ、大丈夫か?」

 お前も疲れているだろう。心配そうに、そしてほんの少し不安げに、カイは問う。

「……別に、平気だ。早く行こう」

「……そうか」

 再び二つ返事で、カイはアルカスの言葉を飲んだ。



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