1.
――最悪だ。
「……なんでついて来るんだよ」
森へと至る街道に並ぶ、二つの影。小さい方の影は不満そうに隣の影に問う。
「何故って、私は貴方の護衛を任されましたから」
小さい方より頭一つ分程大きな影は答える。当然、と言うように返された答えを聞き、小さい影の主である少年は、眉間の皺を更に深くした。
「護衛なんて必要ない。だからさっさとどっか行け」
嫌悪感の塊をぶつけるように、少年は刺々しく言い放つ。
「そうも参りません。依頼の前金は既に貴方の父上である、ブランネイジュ公から頂いておりますから。契約は既に成立しています」
途中で勝手に破棄するなど、できるわけないでしょう、と大きい影の主である男はまた返す。
(馬鹿言うな、知ってるんだぞ)
少年は紫色の瞳で、横目に男を睨みながら思う。
(お前達傭兵は、金さえ積まれればどんな仕事も請ける、大きな金をちらつかせれば、契約なんざお構い無し、そんな連中じゃないか)
少年の刺すような視線にも、男は淡い褐色の目を細め、笑ったままだった。
(ああもう、気に食わない!)
男の、顔にこびりついたような笑顔を見て、少年の顔はますます不機嫌になっていくばかりである。
「そんな顔をなさらないでください、アルカス様。母上譲りの整ったお顔が台無しですよ」
アルカス、と呼ばれた少年は勢い良く男の方を振り返った。上品に切り整えられた、さらりとした白に近い金の髪が揺れる。
「気安く僕の名前と母上の話を口にするな! つーか女に吐くような台詞を男の僕に使うな。気持ち悪いだろ」
少年――アルカスは噛み付くような勢いで言葉を返す。
「母親似、という点は否定なさらないのですね」
男はやはり笑いながら、そう返した。
(なんなんだこの男は!)
不快指数に比例するかのように、アルカスの眉根はどんどん接近していく。頭に血も昇ってきているのか、色白の肌は少し赤みを帯びてきていた。
全く得体の知れない男である。父も何故このような男を雇ったのだろうか。傭兵ならもっと落ち着いた年配の者も山ほどいるだろうに。隣の鬱陶しいのは、見たところまだ二十代も前半程度である。もともと護衛などいらないと主張していたアルカスにとって、この若い護衛はうざったい以外の何物でもない。視界の端に入る、男の纏う長く黒いコートの翻りも、無造作にはねるくすんだ金髪も、目障りで仕方がなかった。
「どこか具合でも悪いのですか?」
アルカスの苛立ちに更に拍車をかけるように男は問い掛ける。わざとらしくも聞こえる敬語は、耳障りで仕方がない。アルカスは苛立ちを紛らすように、少しずつ早足になりながら言葉を返す。
「ああ、今とても気分が悪い。寧ろ機嫌が悪い」
「おや、そいつは大変ですね」
「お前が消えれば治る気がする。いや、絶対治る。だから僕の視界からさっさと消えて無くなれ」
「ならばご自分の力でそうなさればどうです? ――魔導師見習いのアルカス様」
男は笑顔で――しかしどこか挑戦的な声色で、言葉を返した。アルカスは小さく舌打ちをする。
「……できるなら、とっくにやってる。……それに間違えるな。僕は魔導師じゃない。『聖導師』、だ」
そう言って睨んでやると、男は肩を竦めて「これは失礼」と言った。
「導術を使えない私には、いまひとつ違いがわからないもので」
背に負った、どちらかといえば細身に分類されるだろう体格には似合わない、大剣を指しつつ、「ご覧の通り、腕っ節だけが取り柄ですので」と言う男に、アルカスはこめかみが引き攣るのを感じた。
「……『魔導術』は破滅の導術、『聖導術』は創造の導術だ。名前が似てるからって一緒にするな。」
そもそも、術の『導力源』だって全然違うだろ、とアルカスは続ける。
「と、申しますと?」
「魔導術は、術者の生命エネルギーをその力の源にするのに対して、聖導術は術者の精神エネルギーを源にする。……ていうかお前、本当に何も知らないわけ?」
「ええ。いや、勉強になりましたよ」
悪びれる風もなく、男はそう答えた。
「……それで導師の護衛だなんて、聞いて呆れるな」
人選ミス、なんてレベルじゃないぞとアルカスは心の中で父親に悪態をつく。
「とりあえず、導術の乱用は魔導、聖導、にかかわらず、術者の身を危険に晒す、ということでしょう?」
「え……」
男の言葉に、アルカスは思わず言葉を詰まらせた。触れられたくない部分を突かれたような、嫌な、それでいて、奇妙な感覚。本当に何も知らない人間から、こんな台詞が吐かれるだろうか、と。
「黙っていらっしゃるところを見ると、図星のようですね」
「…………」
当の男は、父上殿が護衛を何としてでもつけようとした理由がわかりました、と一人で納得しているようだ。
たしかに。
たしかに、導術は使いすぎれば術者の身を滅ぼす危険性を孕んでいる。
生命エネルギーを媒介とする魔導術であれば、術者の生気を刈り尽くす。
精神エネルギーを媒介とする聖導術であれば、術者の正気を刈り尽くす。
そんなリスクを併せ持つ術の修業に向かう息子を、不安に思わない親がいないはずがない。そんなことは分かっている。――ましてや、一貴族の一人息子ともなれば、尚更である。そんなことは、分かって、いる。
「……人を馬鹿にするのも、大概にしろ」
アルカスは立ち止まり、ぼそりと言い放つ。そして振り返り、やや後ろを歩いていた男の顔を、正面から睨みつけた。
「馬鹿にしているつもりはありませんが」
男は尚も笑顔を崩さない。それが更にアルカスの神経を逆撫でる。
「僕は、正気を無くすほど術を乱用するような、そんなヘマはしない」
男を睨む紫色の奥に、明らかな怒りの色が滲む。父はやはり、自分を信じてはくれていなかったのか、という失望にも似たような感情が、アルカスの中では大きくなりすぎていた。そこにこの男の、この態度である。
「今すぐ消え失せろ。でないと――」
刹那、終始笑顔でいた男の目の色が変わった。こちらの怒りが一瞬にして畏れに変わってしまうような、殺気。淡い褐色の瞳には、先ほどのへらへらとした笑顔は面影すらない。
「な……」
何、と聞く前に、アルカスは現状を把握した。辺りには、鬱蒼と生い茂る樹木が立ち並んでいた。いつの間にか、完全に森へ入っていたのだ。
がさり、と背後で何かが動く音がする。そして聞こえる、低い呻きのような声。
「アルカス様、お下がりくだ――」
「手を出すな。これくらい、一人で片付く」
白い手袋を嵌めた片手で、アルカスは男を制す。そして、丁度いい、と言わんばかりに腰に帯びた剣に、同じく白い手袋の、もう片方の手をかける。抜くと同時に、潜んでいた獣が飛び出した。
「――グレームかっ!」
昔、文献で得た知識を元に、対峙する相手を判断する。この気の早い獣は、たしかに肉食だったな、などと思い出しながら、アルカスは剣を握る手に力を込めた。
(こいつは体躯は大きいけれど、動きは鈍かったはず……)
相手の振るう太い腕を剣で受け止め、弾き返す。小柄な身体に受ける衝撃は、思っていたよりも大きい。しかし、グレームが再び腕を振り上げ、近づこうとするより先に、アルカスは剣を構え直した。
「――光神よ、汝の力を貸し給え」
厳かな口調で、アルカスは言葉を唱える。アルカスの声に呼応するように、剣は白い光を帯びた。元々白に近い金の髪や、色白い肌は、この光を受け、一層白さを増し、どこか神々しささえ感じさせるようであった。
(集中しろ、集中するんだ……)
アルカスは目を伏せ、集中力を高める。強がった言葉を吐き続けていたとはいえ、アルカスにとって、実戦というものは初めてである。逸る鼓動を落ち着かせながら、アルカスは精神の安定に努めた。精神エネルギーを媒介とする聖導術にとって、精神を安定させることが重要であるのは言うまでもない。
弾かれたグレームが腕を振り下ろす。同時に、アルカスは剣を地に突き立てる。瞬間、剣の帯びた光は拡散し――次には、アルカスを覆うように集合した。
文字通り、光の盾となったのだ。
光に腕を弾かれ、目を眩ませたグレームに、アルカスの剣が突き立てられる。グレームは低い呻きを上げ、地に伏し、そして、すぐに動かなくなった。
「お見事なものです」
小さく手を叩きながら、男は言った。
「急所を一撃、とは、伊達に道場剣法を学んでいたわけではないようですね」
「黙れ。これでわかっただろ」
アルカスは剣を鞘に納めながら、男の方を向いた。先ほどの真剣な表情は幻だったのか、男はやはり、 あの苛立たしい笑顔に戻っていた。
「……護身の為の剣術だって、ちゃんと習得してる。だからお前は必要ない」
少し疲れたように、アルカスは言い放った。
「あの光が、聖導術ですか?」
「……聖導師は生まれた時から光神との契約を交わしている。その神から借りた力が具現化したのがあの光だ。……まあ、あれが聖導術の根源そのものとでも思ってればいい」
溜息混じりに、しかししっかりと、アルカスは質問に答えた。
「……とにかく、導術と剣術で、十分に身は守れる。今ので理解できたろ」
心底だるそうに、アルカスは男に言う。
「確かにわかりました。……ただ、随分効率が悪いようにも思えましたがね」
男の言葉に、アルカスはまた舌打ちをする。
「……基本的に聖導術は、直接的な殺傷能力を持たないんだよ」
「すると、護身に特化した術、という事でしょうか」
「そう。あとはケガの治癒とかな」
そう言いながら、アルカスは剣の柄に目を向ける。簡易な装飾の施された柄には、色を失ったかのような、無色透明のガラス球が、幾つか埋め込まれていた。
「……各聖地を巡って、四大神との契約を交わせば、少しは攻撃にも応用できるんだろうけどな」
「その為の修行の旅なのでしょう?」
独り言のつもりが、男に言葉を返され、アルカスの苛立ちはまた増した。
「お前には話してない!」
が、睨んで言おうが、男は全く動じない。
「いやあ、大貴族の子息様の、このユトレシア中を巡る旅に同行させていただけるなど、誠に光栄なことと心得ております」
それどころか、もはや嫌味のようにしか聞こえない、低姿勢な台詞が返ってくる。
「僕はお前の同行なんて、認めてないからな……!」
そう言うとアルカスは、大股でずんずんと前へ歩き進んでいった。
「……まったく、気の強い導師な事だ」
男は困ったように肩を竦め、黒いコートを翻しながら、アルカスの後を追った。