不眠
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眠れない夜は辛い。俺は深夜まで起きていることが多かった。書斎のパソコンの電源を落とすのは午前零時前だ。そしてドラッグストアで買っていた睡眠導入剤を、やや強めのウイスキーの水割りで服用し、ベッドに潜り込む。物書きというのが実に心身ともに疲労を伴うものであるのは分かっていた。夜遅く寝たとしても明け方には自然と目が覚めてしまう。それから浅い眠りを繰り返し、起き出すのは午前七時過ぎだった。朝食を用意するのもよかったのだが、大抵近くのファーストフード店で済ませている。午前十時までモーニングのセットものがあるからだ。自宅マンションから歩いて五分ほどのところにある。メモ帳と充電済みのケータイを持ち、歩いていく。朝食を取り終わったらすぐに自宅へと戻り、パソコンを立ち上げてキーを叩き始める。職業作家で普段ずっと原稿に向かっている俺にとって、言葉はあっても作中で登場人物に喋らせるだけだ。後は何も言わない。別に構わないのだった。継続してある程度、書き続けてきた以上、物書きとしての腕は鳴っている。いつもケータイか自宅の固定に電話が掛かってきていた。仕事の依頼がほとんどである。出版社の人間たちは遅咲きの作家である俺の原稿が欲しいらしい。喉から手が出るぐらい。
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「今野沢先生、今度単行本を一冊書き下ろしていただけませんか?」
その日の昼過ぎ、瑛院出版の担当編集者の倉持亮から電話が掛かってきて、そう言われ迷う。最近雑誌の連載などが忙しくて書き下ろしの長編を書けるかどうか分からなかったからだ。
――申し訳ないけど、その件、いったん保留にしてもらえないかな?私も今忙しいんでね。いろいろと。
と言うと、倉持が、
「では一応現時点で保留とさせていただきます。また先生のご気分が乗れば、いつでもお電話なりメールなりください」
と返す。
――ああ、分かった。君とは長い付き合いだからな。私が直木賞を獲る前からずっと担当として付いてくれてるからね。
「ありがとうございます。今野沢先生のお書きになる原稿はしっかりとした文体なので、私たち編集者もなかなか扱いやすくて」
――そう言ってくれると嬉しいよ。私もずっと売れない時代が続いたからね。
言った後、軽く吐息をつき、手元に置いてあったコーヒーを飲みながらディスプレイを見続ける。そして倉持が「では失礼いたします」と言い、電話をいったん切ると、原稿を書き続けた。淡々とキーを叩く。単調なのだが、これが俺に与えられた仕事だから……。
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今現在書いているのは月刊の文芸雑誌の連載原稿だ。必ず月の終わりまでに挙げないといけない。作家の苦悩というのは一人で文字を操り続けるという行為で深まる。だが慣れてしまうと大したことはなかった。もちろん作家であっても秘書などは雇ってない。全部自分でするしかないのだ。原稿が出来ればメールで送る。そしてネット上でゲラのやり取りが行なわれる。その繰り返しで作品が出来上がっていく。考えてみれば、都内にある文学部の大学院を中退してから作家となり、ずっと作品を書き続けてきた。最初は手書きだったが、ワープロが出始めてから使い始め、その後パソコンに乗り換えている。ずっと頑張ってきた。作家は売れない時代を経験してから初めて本物となる。俺はそう思っていたし、実際周囲にいる同僚作家たちもそう言っていた。「今野沢君は売れなかったからね」と。大きなお世話なのだが、その手の話も今では笑い飛ばしてしまう。そのぐらいの気構えは出来ていた。何せ文芸の世界はシビアだからだ。売れる作家の原稿はどこの社の人間でも欲しがる。それが商業的価値を産むと踏んでいるからだ。下手するとアイディアだけ提示すれば、ゴーストライターが付く作家さえいるのが実態だった。何度も言われたことがある。「先生の作品を代筆するような人間を雇いませんか?」と。そのたびに断ってきた。確かに作品を量産するにはゴーストライターなどがいれば何かと便利がいい。書き上げられた原稿を読み返してチェックするだけで済むからだ。だが抵抗がある。今のゴーストライターは質が悪いらしいし、俺も感心しない。やはり自筆原稿が一番である。そう思って書き続けてきた。
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ハードボイルドを書いていると、どうしても作中の刑事と同じようにタバコを吸いたくなる。リビングに換気扇を付けていたので回し、パソコンの画面から目を上げて、タバコを一本取り出し銜え込んで先端に火を点けた。そして燻らせ始める。刑事の真似をしたがるのがハードボイルド作家の癖だ。半ば奇癖と言ってもおかしくない。吸い続ける。休憩中のわずかな喫煙で一定の充足感が得られた。その間は窓辺に立ち、タバコを吸っている。どうしても疲れるのだ。原稿を打つという行為には。確かに作家に憧れる学生は今多い。ケータイ小説家なども出てきているぐらいだから、相当数の人間が作家になりたいと願っている。だがそういった手合いでも、趣味で書く分はいいとして、そうじゃない場合は「止めておいた方がいい」と言うだろう。本職の職業作家がどれだけ大変か、分からない人間の方が圧倒して多い。売れない頃の悲哀を味わっている人間にとって文芸という世界の複雑さは分かっている。俺自身、売れない時代に先輩作家たちからどれだけ貶されてきたか……。計り知れないぐらいのストレスがあって、疲れきっていたのを未だに覚えている。今から二十年以上前でとてもきつく辛かった。あの頃は何をしていても疲労感が絶えなかったからだ。
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俺自身、今から十年前に書いたヒット作が当たって初めて日の目を見ている。それまではずっと下積み生活だった。もちろんゴーストライターをやった経験もある。推理小説家など昔からごまんといて、そういった人間たちが俺に裏方をやらせていたのは事実だ。だが今、俺は作家として名を成している。もちろん残りの人生は少ない。それに二十代、三十代の頃に効いていた無理も、もう効かない。若くはないのだ。ずっとキーを叩きながらこれからは書きたいものばかりを書いていこうと思っていた。昔、瑛院出版とは別の社の担当編集者から言われて半ば命令・強制されたような感じで書くものじゃなくて、全くオリジナルで書きたいジャンルを。俺の作家としての人生はイコール余命である。ずっと死ぬまで続けられる職業だ。それにここ数年、何かと収入が増えている。出版不況とはいえ作品が売れ続けているからだ。キーを叩いて作った文章が世に出るのは実に嬉しい。ここまで来るのが大変だった。だがもう迷いも戸惑いもない。ずっと執筆し続けるだけである。もちろん俺の推理作家仲間にも悪友がいて、今ではすっかり死語と化してしまった銀座の文壇バーなどで飲む人間もいるにはいたのだが……。そういった連中の集まりに参加することはまずない。俺自身、昼間はずっと書斎でパソコンに向かい、コーヒーの飲みすぎなどで何かと寝付けない夜は一人で飲むのがよかったからだ。邪魔するヤツは誰もいない。そういった人間たちとは最初から付き合いがないからである。それに人生に歩き疲れたときは、ふっとベランダから夜空を見上げるのもいいと思った。精神的な疲れが治まる。そしてまた眠れない夜は睡眠導入剤を水割りで無理やり流し込み、ベッドに横になるのだ。不眠というものが一番嫌な類のことだったので……。
(了)