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家を焼かれた商家の娘のわたしは、仇の伯爵家に成り代わり、内側から静かに喰らっていく。証拠はいつも、夏の『打ち水』が洗い流してくれる——見初めてきた征服王だけが、わたしの本性に気づいて、笑った

作者: 蜜月 憂
掲載日:2026/07/20

しゃあ、と。


夏の敷石に、水を打つ音が、涼やかに、響きます。


打ち水です。


暑い盛りの、日暮れどき。


伯爵家の庭先で、わたしは、柄杓を手に、ひとり、静かに、水を、撒いていました。


しゃあ、しゃあ、と。


乾いた石畳が、みるみる、色を、変えていく。


そうして、その水は。


昨夜、この家で、そっと"入れ替わった"――ある人の、最後の痕跡を。


跡形も、なく。


涼やかに、洗い流して、くれるのです。


「まあ、お嬢さま。打ち水なんて、下働きに、させればよろしいのに」


通りかかった侍女が、そう言って、微笑みました。


「いいえ」


わたしは、令嬢らしく、たおやかに、微笑み返しました。


「わたし、この時間が、好きなの。……いろいろなものが、きれいに、流れていくでしょう?」


侍女は、何も知らずに、頷いて、去っていきます。


——ええ。


本当に、いろいろなものが、流れて、いくのですよ。


あなたが、思っている、よりも。


ずっと、たくさん。



わたしの、本当の名は。


ミレーユ・アルセン、と、申します。


大陸有数と、うたわれた、アルセン商会の、ひとり娘。


——でした。


一年前。


わたしの家は、焼かれました。


権勢を、狙った、この、ドラン伯爵家に。


ありもしない、密輸の罪を、着せられて。


商会は、焼かれ。


父も、母も、幼い弟も、奪われて。


生き延びたのは、たまたま、外へ、使いに、出ていた、わたし、ひとり。


——ふつうの娘なら。


きっと、そこで、泣き崩れて、終わったでしょう。


けれど、わたしは、商家の娘です。


奪われたものは。


帳尻ごと、耳を揃えて、取り返す。


それが、商いの、鉄則ですもの。


だから、わたしは、決めたのです。


このドラン伯爵家を。


内側から、まるごと、いただこう、と。



商家の娘には、ひとつ、特別な才が、ありました。


人の、顔も。


声も。


筆跡も、所作も。


——写し取って、成り代わることが、できるのです。


もとは、得意先の好みや、取引相手の癖を、読むための、商売の技。


けれど、これは。


復讐にも、ずいぶんと、役に立ちました。


わたしは、まず、伯爵家の、老いた家令に、成り代わりました。


本物の家令が、ある夜、こっそり、この家から、"いなくなった"あと。


わたしは、その顔で、その声で、何食わぬ顔で、家の帳簿を、握りました。


次に、口さがない、侍女頭。


次に、放蕩者の、次男坊。


そうして、少しずつ、少しずつ。


この家の内側を、わたしと、わたしの、息のかかった者たちで。


静かに、静かに、"入れ替えて"、いったのです。


そのたびに。


しゃあ、と。


打ち水が、痕を、流してくれました。


だあれも、気づきません。


だって、顔も、声も。


何もかも、昨日と、同じ、ですもの。


——中身だけが、そっくり、別の、ものに、なっている。


そんなこと。


誰が、思うでしょう。



そして、ついに。


わたしは。


この家の、令嬢その人――ミレーユ・ドランに、成り代わりました。


奇しくも、本物の令嬢と、わたしは、同じ名。


……いいえ。


正しくは。


わたしが、あの日、この家に潜り込むために、"ミレーユ"という名の令嬢を、あらかじめ、選んで、狙っていた、のですけれど。


ふふ。


これで、わたしは、名実ともに、この伯爵家の、令嬢です。


あとは、当主である、伯爵ひとり。


わたしの家を、焼くように、命じた、張本人。


——あの男を"入れ替えて"、しまえば。


この家は、丸ごと、わたしの、ものに、なる。


そう、思っていた、矢先でした。


この地に。


あの、お方が、やってきたのは。



ライハルト陛下。


一代で、この地を、征服した、敵国の、王。


獅子のような、金褐色の瞳で、なんでも、見透かすように、見る、豪傑の王。


その方が、占領地の、視察と称して。


こともあろうに、この、ドラン伯爵家に、滞在なさることに、なったのです。


そして、その、初めての、晩餐の席で。


「――そなたが、この家の、令嬢か」


陛下は、わたしを、じっと、ご覧になりました。


「はい、陛下。ミレーユ・ドランと、申します」


わたしは、完璧な、令嬢の礼で、微笑みました。


一分の、隙も、ないはず。


声も、所作も、筆跡も。


わたしは、"ミレーユ・ドラン"に、なりきっている。


なのに。


陛下は、金褐色の瞳を、すう、と、細めて。


「――ほう」


なぜか、ひどく、面白そうに、口の端を、上げたのです。


「気に入った。……そなた、しばらく、おれのそばに、いろ」


……あら。


見初められて、しまったのかしら。


それは、それで、都合が、いい。


征服王の、寵さえ、得ておけば。


伯爵を"入れ替える"のも、ずっと、容易になる。


わたしは、しとやかに、頭を、下げました。


「光栄ですわ、陛下」


——このときは、まだ。


その方が、いちばん、厄介な、お客様だとは。


思っても、みなかったのです。



数日を、共に、過ごすうち。


わたしは、じわじわと、気づかされました。


この王は。


——なんでも、見えて、しまう、お方だ、と。


「ミレーユ」


ある夕暮れ。


打ち水をする、わたしの背に、陛下が、声を、かけました。


しゃあ、と。


柄杓の水が、敷石を、濡らします。


「妙な、令嬢だな、そなたは」


「あら。どこが、でしょう」


「令嬢のくせに、下働きの打ち水を、自分でやる」


陛下は、ゆっくりと、近づいて、きました。


「――しかも、ずいぶんと、丁寧に。まるで、何かを、洗い流すみたいに、な」


わたしの、柄杓を持つ手が。


ほんの一瞬、止まりました。


「……暑いのが、苦手なだけですわ」


「ふうん」


陛下は、わたしの、すぐそばに、立って。


金褐色の瞳で、わたしの顔を、覗き込みました。


「なあ、ミレーユ」


低い声で、囁くように。


「そなた、その名も、顔も」


しゃあ、と。


どこかで、また、打ち水の音。


「――本物じゃ、ないな?」



心臓が、ひとつ、大きく、鳴りました。


けれど、わたしは、商家の娘です。


顔色ひとつ、変えは、しません。


「……何を、仰るの、陛下」


「隠すな」


陛下は、にやりと、笑いました。


「おれは、人を、値踏みするのが、商売だ。……戦場でも、宮廷でも、な」


「……」


「本物の、伯爵令嬢の、筆跡を、おれは、以前、書状で、見たことがある。……そなたのそれとは、癖が、違う」


わたしは、しばらく、黙って。


やがて。


——ふ、と、令嬢の仮面を、脱ぎ捨てて。


にっこりと、笑いました。


「まあ。……ばれて、しまいましたのね」


陛下の、瞳が、面白そうに、光りました。


「わたしの、本当の名は、ミレーユ・アルセン」


わたしは、柄杓を、置いて、立ち上がりました。


「この家に、焼かれた、商会の、娘ですわ」


「ほう」


「わたし、この一年、かけて。……この家を、内側から、ひとりずつ、"入れ替えて"、まいりましたの」


しゃあ、と。


夕暮れの庭に、打ち水の音が、涼やかに、響きます。


「家令も、侍女頭も、次男坊も。……みんな、もう、本物では、ありませんのよ」


わたしは、扇のかわりに、濡れた柄杓を、口元に、そっと、あてて、微笑みました。


「あとは、当主の、伯爵ひとり。……あの方を、"入れ替えて"しまえば。この家は、丸ごと、わたしの、ものですの」


普通の、殿方なら。


ここで、青ざめて、わたしを、間諜と、斬り捨てるでしょう。


けれど。


陛下は。



「――はっ」


声を、あげて、笑ったのです。


「はっ、はははっ! 一族ひとつを、内側から、丸ごと、盗む、だと?」


金褐色の瞳が、爛々と、輝いていました。


「戦で、城を、落とすのとは、わけが、違う。……たった、独りで、内から、家を、喰らうか」


陛下は、笑いながら、わたしの、顎を、そっと、持ち上げました。


「気に入った。……いや、惚れた、と、言うべきか」


「……あら」


わたしは、少しだけ、目を、瞠りました。


「こわく、ございませんの? こんな、女狐が」


「こわい?」


陛下は、おかしそうに、喉を、鳴らしました。


「一国を、盗れる才を、こわがる王が、どこにいる。……むしろ、喉から手が出るほど、欲しい」


しゃあ、と。


打ち水の音が、遠くで、鳴りました。


「ミレーユ・アルセン」


陛下は、わたしの名を――本当の名を、はじめて、呼びました。


「おまえの、その復讐。……最後まで、おれが、隣で、見ていてやる」


「……陛下」


「いや。手伝ってやる、と、言った方が、早いか」


陛下は、不敵に、笑いました。


「伯爵ひとり、"入れ替える"くらい。……おれの手を、使えば、造作もない。そのかわり」


金褐色の瞳が、まっすぐに、わたしを、射抜きました。


「その家を、盗ったら。……おまえ自身は、おれが、いただく。おれの、妃として、な」



わたしは、この一年、たった独りで。


顔を、変え、声を、変え、名を、偽り。


だれにも、素顔を、見せずに、生きて、きました。


素顔で、笑ったのなんて。


家を、焼かれた、あの日から。


――一度も、なかった。


なのに。


このお方の前で。


わたしは、生まれて初めて、"ミレーユ・アルセン"の、素の顔で。


くすり、と、笑って、しまったのです。


「……よろしくてよ、陛下」


わたしは、濡れた手を、陛下の、大きな手に、そっと、重ねました。


「では、これは。……いちばん、割のいい、取引ですわね」


「ああ」


「家、ひとつと。……わたし、ひとりで」


「安い、ものだ」


陛下は、わたしの手を、握り返して、囁きました。


「一生かけて、支払ってやる。……おれの、女狐」


しゃあ、と。


夏の打ち水が、敷石を、濡らします。


その夜。


この家の、最後の、"お客様"――伯爵その人が、静かに、姿を、消したことは。


もう、申し上げるまでも、ございませんわね。


翌朝、庭では。


わたしが、いつものように。


しゃあ、しゃあ、と、涼やかに、打ち水を、していました。



それから。


ドラン伯爵家は、丸ごと、わたしの、ものに、なりました。


そして、わたしは。


焼かれた、商家の娘は。


征服王ライハルトの、妃として。


こそこそと、顔を隠す必要も、なく。


堂々と、表舞台に、立つことに、なったのです。


「ミレーユ」


夏の宵。


陛下は、わたしを、後ろから、抱きしめて、囁かれます。


「今日は、いい、打ち水日和だな」


「あら。陛下も、覚えられましたのね。……"流したいもの"が、おありなの?」


「ああ。……おまえの、まわりの、目障りな虫を、な」


わたしは、くすくす、笑いました。


しゃあ、と。


どこかで、下働きの、打ち水の音。


……いいえ。


もう、わたしが、自分で、撒く必要は、ないのです。


この方が。


わたしの"取引"の、すべてを。


隣で、面白がって、見ていて、くださる。


そして、それでも――いいえ、だからこそ。


このお方は、わたしを、世界のだれよりも、深く、愛して、くださいますの。


奪われたものは、帳尻ごと、取り返す。


それが、商家の、鉄則。


——ふふ。


思っていたより、ずいぶんと、割のいい、取引に、なりましたこと。


しゃあ、と。


夏の打ち水が、今日も、涼やかに。


いろいろなものを、きれいに、流して、いくのでした。


蜜月 憂です。今作は黒幕ヒロインもの、「商家の娘×打ち水」。家を焼かれた娘が、仇の伯爵一族に一人ずつ成り代わり、内側から家を丸ごと盗っていく下剋上。証拠は夏の打ち水が涼やかに洗い流す——そんな女狐を、ただ一人その本性を見抜いた征服王が、恐れるどころか惚れ込んで共犯に。ヒロイン自身が黒幕の、ざまぁ×溺愛です(タグに明記しています)。彼女は最後まで傷つかず、堂々と勝って愛されて幸せです。スカッとゾクッと、共犯の甘さを、どうぞ。

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