二十八章 杖の宝
ヘイゼルにほとんど引きずられるようにして流衣が連れて来られたのは、塔の裏手だった。一階建ての一軒家がぽつんと建っている。塔から離れている為に周りには何も無く、短い丈の雑草が生えていて、小さな紫色の花が草陰から覗いていた。
「着いた。ここじゃぞ」
「……はあ」
流衣は肩を落として返事をした。すっかり反論する気は失せていた。反論したところで、このウサギが耳を貸すとも思えない。きっとあっさりと聞き流されるだろう。
ヘイゼルに意見を聞かせられるほど、流衣は自己主張が激しくないのだ。哀しいことだが。
『何ていう強引なウサギでしょう!』
諦めた流衣に対し、オルクスはカッカと頭から湯気を出さんばかりに憤慨している。足の爪が肩に食い込んで、地味に痛い。気持ちは分かるが、疲労感満載でどうでもよくなっていた。
「アル! ただいま、帰ったぞ。どこにおる? 会わせたい者がおるんじゃ」
どうやらこの家は弟子の家というだけでなく、ヘイゼルの家でもあるらしい。いや、実はヘイゼルの家に弟子が住んでいるのかも? ともかく、ヘイゼルはずかずかと遠慮の欠片もなく家に入っていき、家の奥に向けて大きな声で叫んだ。
「お邪魔しまーす……」
流衣もその後に続く。弟子はアルという名前みたいだ。ということは、男の人なんだろう。
まだ見ぬ弟子を、こんな感じかと、茶色い髪に青い目をしたイギリス人を想像して歩いていたら、ふっと目の前が暗くなった。
――バゴッ!
直後、顔面に何かがぶち当たった。
「うるさいぞ、爺! 大声で言わずとも、聞こえておるわ!」
ずるり……ドサッ。
分厚い本が流衣の顔の表面を滑り、そのまま音を立てて床に落ちる。
思わぬとばっちりに、流衣は顔を押さえてしゃがみこんだ。
――痛い。
鈍器代わりになりそうな分厚い本がぶつかったのだ。ここまで来ると、ただの本でも凶器である。
「こりゃ、アル! 客に何をするか!」
「うるさい、クソ爺! 研究の邪魔をするな!」
ヘイゼルが怒鳴り、弟子も負けじと怒鳴り返す。睨みあう二人を見て、流衣は痛みも忘れて唖然と口を開けた。
「……え。女の子?」
驚いたことに、アルというのは女の子だった。しかも、恐らく流衣より年下。十二~三歳くらいだ。
腰まである長い髪は真っ赤で、緩やかなウェーブをえがいている。目元はきつめで、綺麗な深緑色の瞳だ。顔立ちは可愛らしいのだが、意志の強そうな目や引き結んだ唇をしていて、少しおっかない印象。加え、ソプラノトーンの声で紡がれる言葉は老獪だ。というか、ヘイゼルの口調そのままである。
何となく勿体ないと思う。着ている服は藍色のボレロと白いブラウス、膝丈のワインレッドのスカートに黒いブーツ、そして首から水晶のネックレスをかけていて、発明家というイメージからは程遠くお洒落な感じなだけに。
「む? なんじゃお主」
ヘイゼルの弟子は流衣に気付き、不信感いっぱいの目でこちらをねめつけてきた。
流衣は、弟子のどぎつい目に、思わず回れ右をして逃げそうになった。が、寸でで踏みとどまる。逃げはしなかったものの、蛇に睨まれた蛙みたいに怖気づいていると、ヘイゼルが取り成してくれた。
「こいつは、ルイ・オリベだ。お主みたく魔法道具を作っていたから、面白いと思って連れてきたんじゃ」
「……こいつが?」
弟子はじろじろと流衣を観察する。そして結論を出す。
「ふん。頼りなさそうで、弱虫そうなガキってとこじゃの」
「………ハハハ」
年下には言われたくない台詞だ。
流衣は頬っぺたを引きつらせ、半笑いを浮かべる。
「ワシはヘイゼル爺さんの一番弟子の、アルモニカ・グレッセンじゃ。と言っても、弟子はあと一人しかおらぬがの。全くもって気に食わんが、客というなら仕方がない。そんな所で突っ立っていないで、とっとと上がれ」
態度も口調も偉そうな女の子である。
流衣は促されるまま、部屋に上がる。玄関から一つ目の扉から入った部屋は、ダイニングルームと台所とリビングを兼ねた部屋のようだった。兼、研究所か。床に敷かれた絨毯の上に、本や紙が散乱し、端にある机にも紙や本が積まれ、実験器具が所狭しと並べられていた。
客を通す気があるのだろうか?
あまりの散らかりように呆れた流衣だが、よく見ると部屋自体は掃除がされているらしく、埃一つ落ちていないようだった。
とりあえず、流衣は座るように言われた椅子に腰を下ろした。アルモニカは台所からポットを持ってきて、お茶を淹れる。
「冷めてはいるが、無いよりはマシじゃろ」
そう言って、冷めきったお茶を注いで、コップを置いた。
流衣は礼を言ってコップを取り、一口飲んでみた。
「!」
苦っ!
あまりの渋みに顔をしかめる。これは、茶が濃く出すぎたというレベルではない。苦すぎる。
「……なっ、なんのお茶なの?」
思わず聞いてしまう。
「む? 何って、普通の茶じゃぞ。黄葉の木の茶だ」
「黄葉……?」
初めて聞く名前の木だ。
知らなくて眉を寄せたのだが、ヘイゼルはそれを別の意味に取った。
「誰が淹れてもおいしく淹れられる茶葉で有名な、黄葉じゃ。どういうわけか、アルの手にかかると殺人的に不味くなるがの」
ヘイゼルはやれやれと呟いて、諦めきった様子で渋みたっぷりの茶の器に手を伸ばす。
「どの料理も駄目なのじゃ。魔法道具だとピカ一じゃというのに、食材になると毒物になってしまう。世界の謎じゃのう」
「……へ、へえ……」
流衣は思わず黒ぐろとしている茶を見下ろす。
ディルが一人で料理すると毒物になるとリリエノーラが言っていた。何だろう、自分は料理音痴と縁があるんだろうか?
「ふん。ワシの料理の腕なんかどうでも良かろ。それより魔法道具じゃ。お主、どんな物を作ったんじゃ? 見せろ」
アルモニカの言葉でお茶の時間は終わり、魔法道具の話へと移った。
「ふうん。結界の単純利用化か。発想も単純じゃが、さっぱり気付かなかったな」
時折毒を混ぜつつ、アルモニカは厚紙の表裏をじろじろと見つめる。
顎に手を当てて検分している様は専門家の目つきだ。が、小さい女の子がそれをしているので、ちぐはぐに見える。
「アルモニカさんはどういうのを作るの?」
流衣の問いに、アルモニカは部屋の隅を示す。
「あんな感じじゃ。湯沸かし器じゃとか、明かりとか、そういうのじゃな」
「へえ~」
蝋燭や油を使ったランプしか見た記憶がないが、明かりの魔法道具もあるらしい。湯沸かし器だったら、前にウィングクロスにあったのがそうだろうと思う。
「他にはのう、植物に水を撒く魔法道具や、注文されて制作した金庫とかかのう。最近は金庫作成が多いかの。ああ、あとは郵便転送システムも作ったな」
「ウィングクロスにある銀行と郵便のシステムを作ったのは、この娘じゃて。『宝』と呼ばれる理由が分かるもんじゃろ?」
ヘイゼルの付け足した言葉に、流衣は目を丸くした。
「それを、こんな小さい子が作ったの!?」
「誰が小さいか! お主に言われとうないわ!」
また本が飛んできた。
が、流衣は紙一重でかわす。また痛い思いをするのはごめんだ。
「どう見ても、僕より年下だよ?」
よけられてむっすりと眉を寄せた顔で、アルモニカは答える。
「ワシは十三じゃ。同い年じゃろ?」
「ううん、僕の方が二つ年上」
「!?」
アルモニカは天変地異にでも出くわしたみたいに、唖然とした顔になった。
「十五? 嘘をつくでないわ」
「そんな嘘ついてどうするの?」
「世の神秘じゃな……」
失礼な。そこまで否定しなくってもいいじゃないか。
流衣は年下に見えることを哀しく思う。このノリもいい加減慣れてきたのが尚更切ない。
「それにしても、君があのシステムを作ったなんて。発想力が凄いなあ。いや、作っちゃうのがもっと凄い……」
どっちの方が凄いのだろう。思いついても作ることは難しいから、作成能力の方だろうか? ……まあどっちでもいいや。凄いことには変わりはない。
「ふん。こうしたら楽じゃと思うて作ったら、思いの他好評じゃっただけじゃ。そんなに褒めても何も出んぞ。ワシは天才じゃからな!」
アルモニカはぶつぶつと言いながらも、満更でもなさそうに顎をツンと上げて言った。
「アルは母親から外出を禁止されとってな、それで家にいる間は暇なもんじゃから、道具を作りだしたんじゃ。暇のなせる業じゃの」
アルモニカはキッとヘイゼルを睨みつける。
「暇人扱いするな! 何もすることがないんじゃ、本を読むくらいしかすることが無かったんじゃ、クソ爺!」
「なんじゃと、クソガキ! まったく、レッドといいお主といい、組合長をクソ爺クソ爺とっ。少しは尊敬せいっ!」
「はんっ、どこに尊敬しろって? 尊敬できるのは、知識くらいなもんじゃ」
「こんの~、減らず口を叩きおってからに~っ」
ヘイゼルは憤然として、黒い毛に覆われた長い足をタシタシと踏み鳴らす。
師弟の口喧嘩を目の前にして、流衣は苦笑する。レッドもアルモニカもヘイゼルも、皆短気すぎる気がする。
「でも、外出禁止なんて、アルモニカさんって病弱なの?」
流衣の問いに、アルモニカは煩わしげに片眉を跳ね上げた。
「……アルでいい。さん付けなんてするな。むずがゆうてならん」
「そ、そう?」
本気でかゆそうに腕をさするアルモニカ。流衣は少しびっくりする。ここまで「さん」付けに抵抗感を覚える人には初めて会った。
「ワシは別に身体が弱いわけでも、持病があるわけでもない。ただちょっとばかり、お母様が神経質なだけじゃ」
お母様という単語に、流衣はアルモニカは実はお嬢様なんじゃないかと思った。それなら何となく親が神経質になるのも納得出来る。
「ああ、なるほど。アルは深窓の令嬢ってやつなんだね」
「ふん。まあ学校に行けるだけマシじゃがの」
「学校? え、ここにいていいの?」
アルモニカは部屋の隅にある机をガサゴソと漁りながら、流衣の問いに答える。
「今は夏季休暇中じゃからな。あと二週間はあるから、祭りが終わってから戻るんじゃ」
「ふーん……」
せっかくの夏休みに実家に帰らないで師匠の所に入り浸っているのか。何だか不思議な感じだ。
「おっ、あったあった」
材料置き場らしき箱の中から青銀色をした金属板を取りだすと、ポイッと流衣に向けて放る。
「紙が風で飛ぶのが気になるんじゃろ、それなら、それで板を作ればよい」
「ええっ? 金属板なんて加工出来ないよ」
何とか空中でキャッチした金属板を、流衣は途方に暮れた目で見下ろす。
「む。仕方ないのう、ワシが試作してやるわ。道具を貸してやってもいいが、壊されては敵わんからの」
アルモニカはやれやれと肩を下ろし、放り投げた金属板を流衣の手から取り返した。
「代わりに、家事手伝いしていけ。掃除と片付け以外じゃ。ワシは掃除は好きじゃからの、仕事を取るなよ」
「……うん」
別に加工して欲しいと頼んだわけでもないのに、加工する代わりに手伝いをするのはアルモニカの中では決定事項のようだった。
流石はヘイゼルの弟子だけあって、この子もどこまでも人の話を聞かない性質らしい。
気のせいではない疲労を覚えながら、流衣は室内を見回した。
うーん、家事手伝いか。料理? 洗濯? おつかい? それとも、家の周りの草抜き??
「夕飯じゃ。夕飯を作っとくれ。さっきのオムライスとかでもいい。とにかく、不味くない料理を食べたい」
悩んでいたら、ヘイゼルがここぞとばかりに希望を押しこんできた。赤色の目には切羽詰まった色が浮かんでいる。
「あ、はい。じゃあそれで」
流衣は頷きつつ、既視感を覚えて首を傾げた。
なんだろう、この切羽詰まった感じ。前にもどこかで見たような……。
それで思い出したのは、移動劇団の子供達の顔だった。
……ほんとに料理音痴と縁があるらしい。妙な縁だ。
ジジイ言葉のヒロイン(かな?)登場~(笑