二十六章 〈塔〉 2
「で、出来ました……」
内心ビクビクしつつ、台所で分けてもらったご飯で作ったオムライスを置くと、黒ウサギは髭をヒクヒクさせ、目を丸くした。
「ほほう、これは初めて見る料理じゃな。旨そうじゃ」
そう呟くなり、黒ウサギはスプーンを取ってがっつきだした。よほどお腹が空いていたらしい。
どうやら口にあったようだ。不味いと言われて怒鳴られたらどうしようと怖気づいていたので、流衣はようやく胸を撫で下ろす。
「あら、良い匂いね」
「おいしそう」
「初めて見る料理だな。坊主、何ていう料理なんだ?」
ロビー中に匂いが漂ったせいで、甘い蜜に引き寄せられる蜂のように、周りから魔法使い達が集まってきた。口ぐちに何の料理かと問うので、オムライスだと答える。
「炒飯を、卵で包むのか?」
「へえ、簡単でおいしそうね!」
「卵まるごとなんて、贅沢だけどな」
この世界だと、日本みたいにいつでも卵が買える環境ではないので、卵は結構貴重な食べ物として扱われている。家で鶏などの鳥を飼っている者は別として、そう毎日食べられる食材ではないらしい。
「ふん、新入りにしてはマシじゃの」
何がマシだというのか。黒ウサギはやけに偉そうに言い切った。
流衣は微妙な顔で黙り込む。
「おい爺さん、ここで飲食は禁止と言っただろうがよ」
赤茶色の髪をした青年が現れ、黒ウサギをねめつけながら渋い声で言った。
(うわ、大きい人だな~)
他の魔法使いに比べ、頭一つ分くらいは大きい。二メートルはいかないまでも、百九十センチ近くの身長はあるだろう。青年は体格も良く、魔法使いというよりは剣士に見えた。灰色の目には落ち着いた光が宿っているし、右目に三本線の傷があり、幾つもの修羅場をくぐり抜けてきたかのような印象がある。あくまで流衣の第一印象ではあるが。
他にも魔法使いらしくないところといえば、袖まくりをしたシャツの上にチュニック型の革製の鎧を着ていて、灰色のズボンとしっかりした造りの茶色いブーツを履いているところだ。さりげなくお洒落をしていて、両耳にフープやクロスの形のピアスをつけていたり、アメジストのネックレスを下げていたり、他にも木製の腕輪をつけている。
「ん?」
そんながたいの良い青年にじろりと見られ、流衣は反射的に身を竦めた。飲食禁止と知らずに食べ物を出してしまったのは流衣なのだ。
「す、すみませんっ。ご飯を出してしまってっ」
青くなってガバッと頭を下げる。
「ああ、お前さんは謝らなくていい。どうせこの爺に難癖つけられたんだろ?」
「………」
横から黒ウサギがプレッシャーをかけてくるのが分かり、流衣は冷や汗をだらだらと流す。ひとまず顔を上げ、あははとごまかし笑いを浮かべた。
「ん?」
そんな流衣の顔を、青年は怪訝そうに見た。まじまじと見つめられ、流衣は居心地の悪さに身を引く。
「何か?」
「お前、初めて見る顔だな。新入りって聞こえたが、本当に新入りか?」
流衣はぶんぶんと首を振った。
「新入りじゃないなら、何だ?」
「え、えと、ちょっとお尋ねしたいことがありまして、それで訪ねてきたんです、が」
黒ウサギに絡まれました。そう言い終わる前に、青年は眉を吊り上げ、黒ウサギのフードの後ろ襟をつかんだ。
「こんのクソ爺! 新入りならともかく、客をこき使うたあどういう了見だっ!」
「ええい、放さんかレッド! 食事中じゃぞ!」
青年に右手一本で軽々と宙づりにされ、黒ウサギはじたばたと短い手足を振り回してわめく。
「この後に及んで飯が先かよ。いい度胸してんじゃねえか、例え爺が組合長だろうと、黙ってらんねえな」
「は? ワシをどうする気じゃい、ヒヨっこが」
黒ウサギの姿がパッとかき消えた。一瞬後、青年から距離のある場所に現れる。
「うわあ、また始まった」
「レッドさんも真面目だからなあ。まあマスターのふざけ具合には俺もたまにイラッとくるけどな」
「たまにか~? 常にだろ」
「あはは、違いないわね!」
周りにいた魔法使い達は、そう言い合いながら、手慣れたように近くにあるソファーやテーブルを端っこに移動させ始める。杖連盟の者と思われる魔法使いが、客を誘導させ始めた。
流衣がひたすら目を白黒させて突っ立っていると、そのうちの魔法使いに声をかけられる。
「あなたもあっちに行った方がいいわよ。巻き込まれて怪我なんてしたくないでしょ?」
「は、はあ……」
魔法使いの忠告に従い、流衣は端っこに退いた。
その目の前では、室内を炎の玉が飛び交ったり、光が弾けたりしている。数人の魔法使いは結界を張り、その魔法で部屋が壊れないように防いだ。
『日常茶飯事なんでしょうかねえ』
「さあ」
オルクスは呆れた声で呟く。それに流衣は首を傾げて返し、オルクスと顔を見合わせた。
喧嘩すること三十分。ようやく決着がついた。
というのは、黒ウサギも青年もどちらも暴れ疲れ、自然鎮火したのだった。
「――はあはあ、爺さん、やるじゃねえか」
「……ひいはあひい。ふん、ヒヨっこに負けるか」
ぜいぜい言いながらも、「良い試合したぜ俺達」というようなスポーツマンシップ的空気が流れている。
「あれ、いつものことだから気にしなくていいぜ」
「そうそう。レッドがまだランガスタンの使い魔だった時から、あの調子なんだからよ」
ぽかーんと見守っている流衣に、年配の魔法使いが二人、気軽な口調で言った。どちらも五十代くらいの初老の男だ。
「使い魔? えーと、誰が?」
聞き間違いだろうか。流衣が確認をこめて問うと、男は青年を指さす。
「だから、レッドだよ。あの背の高い、赤茶の髪の男。人の姿を取っちゃあいるが、赤竜なんだ」
「ええっ!?」
どう見たって、普通の人間そのものだ。それなのに、竜なのか。
「驚くのも無理はねえ。竜ってのは、そうなかなか人間の使い魔になるもんじゃねえしな」
一人が頷き、もう一人が同意する。
「そうそう。レッドの場合、親に捨てられた卵をランガスタンが拾ってきてな、孵して育てたっていう例外中の例外だ。ランガスタンが死んじまった今、レッドは自由になって、ここで働きだしたってわけさ」
「人の間で育った竜だ。自然に戻るのも無理がある。不憫な野郎さ」
男達はそう言い合って、泣ける話だと大袈裟に目元を拭う仕草をする。
当然、レッドが切れた。
「親父ども、好き勝手に事情を暴露するんじゃねえよ。丸焼きにするぞ!?」
「おっと、レッドが怒った!」
「ひい、怖い怖い。行こうぜ」
男達はカラカラと笑いあい、すたこらとその場を後にした。
「ちっ、逃げ足だけは早い親父どもだ」
レッドは男達の背中を睨みつけつつ、柄悪く舌打ちする。それから流衣を向き直り、苦笑いをした。
「おう、悪かったな。すぐにケリがついたら良かったんだが。おい、爺。ちゃんと謝れよ」
「……ふん、悪かったの、小僧」
レッドに背中を軽く押され、渋々ながらも黒ウサギは謝った。
「あ、はい。どうも」
あれだけ喧嘩をしておいて、こんなにあっさり謝ったことに流衣は拍子抜けした。レッドとの喧嘩はただのスキンシップなのだろうか?
「ワシはラーザイナ魔法使い連盟の組合長をしている、ヘイゼル・スペリエンタという」
「僕はルイ・オリベです。こっちは友達のオルクスです」
使い魔と紹介していちいち説明するのが面倒だったので、流衣はそう言ってオルクスを紹介した。
「それでお前さん、何を知りたくてここに来た?」
どうやらさっきの話を覚えていたらしい。ヘイゼルは暴れすぎてよれよれになったマントを直しながら、ちらりとこちらを見た。
これでようやく帰る糸口が見つかるかもしれない。流衣は逸る気持ちを抑えながら、勢いこんで訊いた。
「はい、世界を渡る方法があったら教えて欲しいんです!」
流衣の問いかけに、ギルド内は静まり返った。
静かになった室内に違和感を覚えた瞬間、どっと笑いが沸き起こった。
「世界を渡る方法~?」
「無理無理! そんなのあるわけないって」
「神様にお願いするしかないよ。ここじゃお門違いだ」
完全に馬鹿にしきった笑いだった。
ギルド内にいる魔法使い達は、皆、おかしくてたまらないというように腹を抱えて笑い、否定の言葉を口にする。
ただ一人、ヘイゼルを除いて。
隣のレッドは笑いこそしなかったものの、苦い顔をしている。方法を知らないのだろう。
しかし、ヘイゼルは笑うことも否定することもなく、静かに凪いだ赤い目で流衣を見つめていた。真剣な目だ。
「何をもってそういう術があると思った?」
ヘイゼルの静かな問いかけに、笑っていた人達は自然と口を閉じた。おのおの、気まずげに視線を交わしあう。
笑われて居たたまれない思いの流衣は顔を赤くしてうつむいたまま、呟くように答える。
「勇者が異世界から召喚されるんなら、違う世界に行く方法があるはずだって思ったんです」
「――ふむ」
ヘイゼルは顎をしゃくり、面白そうに赤色の目を細めた。
「考え方としては、なかなか的を射ておるの。じゃが、残念なことに、現時点ではそんな方法は存在せぬ」
頭の中が真っ白になった。
急に目の前のことが現実味がなくなり、音が掻き消えた。
――方法が、ない?
そんなことはないと信じていた。
自分でどうにかしろと放り出したのは、神様自身だ。
「だが、もしかしたらあるかもしれぬ」
「―――え?」
世界が急速に色を取り戻す。
流衣は食い入るようにヘイゼルの顔を見つめた。
「ここより北にある魔法学校に、転移魔法を開発した魔法使いが住んでいる。あ奴なら、何か方法を知っておるかもしれぬし、知らぬかもしれぬ。そういう意味で、可能性はあると言っておこうかの」
流衣の表情がたちまち明るくなる。
「それって、風の神殿の側にある魔法学校のことですか?」
ヘイゼルはこくりと頷く。
「そうじゃ」
流衣は右手を軽く握りしめた。
ここに来れば、何か方法が見つかるかもしれないと思っていたが、無いのならば最初の予定通りに魔法学校を目指せばいい。
帰る方法はきっとあるはずだ。諦めさえしなければ、きっと。
「ありがとうございます、ヘイゼルさん! 僕、魔法学校に行ってみます!」
「うむ、そうか。気を付けての」
「はい!」
流衣はぺこっと頭を下げると、一気に上昇した気分のまま身を翻す。
こうなったら、善は急げだ。ひとまず転移魔法についての本でも探そう。
そう思って〈塔〉を出ようとしたのまでは良かったが、扉から出る前に、ちょうど入ってきた人とぶつかった。
「わっ」
勢い余って尻もちをつく。
その拍子に、腰に提げていた小型の鞄の蓋が開き、中身がバラバラと床に散らばる。
「おっと、申し訳ない。大丈夫か、少年」
「……うう、大丈夫です」
流衣は痛みに顔をしかめつつ、驚いたように問うてくる相手にそう返し、差し出された手を取って立ち上がる。ぶつかった相手は一言謝ってから、カウンターの方に行ってしまう。
「おい、落し物だぞ」
レッドはすっとしゃがみこみ、流衣のぶちまけた荷物を拾いあげる。財布とメモ帳と、どこかで試そうと持ってきた結界の陣を描いた厚紙だ。その厚紙に目をとめ、レッドの動きが止まる。
「なんだこりゃあ」
その問いに、流衣は口ごもった。ただの試作品だし、不格好だったのかもしれない。
「それっ、まだ試作途中でっ。すみませんっ」
呆れられたのだと思い、慌てて取り返そうと手を伸ばす。だが、厚紙を掴もうとした指先は虚しく空をかいた。
「ほう、こいつは面白い」
ヘイゼルが横から抜き取ったのだった。
(そんなに面白いって言われるくらい、変な出来なの!?)
流衣はますます慌てた。恥ずかしすぎる。
「結界の呪文が書かれてあるな。オリベ、お主はこれをどうする?」
「へっ?」
いきなり真面目な顔で訊かれ、流衣は素っ頓狂な声を漏らす。
ヘイゼルの目は生徒の答えを待つ教師の目で、流衣は見当違いで突っ込まれたら嫌だなあと少し迷ったものの答える。
「ええと、結界を張る時にいちいち呪文を書くのが面倒なので、紙に書いてみたんです。それに魔昌石を乗せて、五角形になるように置いて使えば使えるはずです。でも、風が吹いたら飛ぶだろうから、どう調整しようかなって考えていて……」
こういう答え方で良いのだろうか?
内心ではドギマギしている。頭の中がぐるぐると混乱してきた。もうどうでもいいから返して欲しいと思うのに、何故かヘイゼルは厚紙をしっかと握って放さない。
「ふんふん、面白いのう。ワシの弟子以外に、こういう物を作る者に会ったのは初めてじゃ」
「え……でも、魔法道具屋の職人さんとか、普通に作ってると思いますけど……」
「魔法使いは術を行使する者であり、道具を作りだす者にはあらず。職人達には魔法使いだった者もおるが、大体は大工などのように師匠に弟子入りし、腕を磨いていくのじゃて。魔法を使うというよりは、道具に組み込んで扱うといった方がいいかのう。方向性が全く違うのじゃ」
違いが分からない流衣がきょとんとすると、ヘイゼルは簡潔に纏めて説明する。そして、そんなものなのかと感心する流衣の前で、顎に手を当てて面白そうに頷く。
「魔法道具開発者とでもいうのかのう。自称・発明家なんじゃが。お主、会ってみるか?」
「はい??」
――何の話だ。
話が全く見えない。目を点にする流衣にお構いなく、ヘイゼルは話を進めていく。
「そうかそうか、それなら会わせてやろう。ついてこい」
「え? へ? ちょっと、ヘイゼルさん?? 僕、会いたいなんて一言も……」
「いやあ、ワシの弟子はすごいぞ~。何せ、魔法道具の開発にかけては右に出る者はおらぬ魔法使いでのう。お陰で随分稼がせて貰っておる。金の成る木というやつじゃな」
ヘイゼルはすっぱり無視してペラペラと弟子自慢を始める。それでいて、流衣の手を掴み、〈塔〉の奥へと引っ張っていく。
人の話を聞いて下さい。
ほとほと困り果て、助けを求めてレッドを振り返る。が、レッドは頑張れという意志を込めて右手の親指を立てただけだった。他の魔法使いも似たりよったりの反応だ。
(え、ええ―――っ!?)
内心で絶叫する流衣。
ずるずると引きずられていく流衣の耳に、相変わらずペラペラと喋るヘイゼルの声が届く。
「……というわけでな、弟子は仲間内じゃ『杖の宝』と呼ばれておるのじゃ」
なんだか、どこかで聞いたような言葉な気がする。
どこで聞いたのだろう。
思い返そうと努力しているうちに、〈塔〉の一階を通り抜け、裏口から外に出た。