二十六章 〈塔〉 1
「ピギャーア」
朝食を終えたところで、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたクッションの上にいたノエルが、不満気な声を出した。
食器を片づけ始めた侍女数名はノエルに視線を釘付けにしている。可愛らしいですわ、と、ぽそぽそと言葉を交わす声が聞こえてきた。
「なんだ、ノエル」
ディルは僅かに首を傾げる。そんなディルに、ノエルは再び鳴き始める。
「ピギャッ、ピギャーアア!」
「今日は自分も連れて行ってくれと言っていますよ」
オルクスの通訳を聞き、ディルは困った顔になった。
城に滞在を始めてからというもの雑用に走り回っている為、ノエルを連れて歩くわけにも行かず、部屋で留守番させていたのだ。竜の子供というだけでも十分騒ぎになるとの懸念もあった。
「駄目だ、お前は留守番だ。そう言っただろう?」
ディルは内心弱りはてつつも、きっぱりと言った。外ならともかく、王城内だ。軽率な真似は出来ない。
「ギュピィー」
ノエルは膨れ面で、怒って口から小さな炎を吐く。が、竜にとって親の命令は絶対だ。ふてくされながらも、クッションの上で丸くなった。
「『もし怪我したって知らないから』だそうですよ。このガキ、すっかり護衛気取りなんですね」
呆れた目でノエルを見るオルクス。
「お前だって、ルイの護衛気取りじゃんか」
「気取りではなく、実際に護衛なんです! わては使い魔なのです。主人のボディーガードをするのも仕事なんです!」
リドの突っ込みに、オルクスは険を込めて返す。
――確かに、オルクスは何かと流衣のことを助けてくれている。立派なボディーガードだ。
流衣は肯定の意味を込めて頷く。
「うん、僕はすごく助かってるよ」
『坊ちゃん! 勿体ないお言葉をありがとうございます!』
頭の中に響く声に切り替え、オルクスは感極まった声で叫ぶ。黒い目が感涙で潤んでいるのに気付き、本当にこの使い魔は感情表現が豊かだよなあと流衣は感心する。
「やっぱり、使い魔にとって主人の傍を離れることは辛いことなの?」
流衣はノエルの様子を見て覚えた疑問を零す。オルクスは大きく頷いた。
「ええ、勿論です。使い魔は主人に仕えることで存在意義を保つのですから」
「そうなんだ。それだと、ノエルは何だか可哀想だね」
流衣がすっかり同情してしまうと、ディルが気まずげに身じろぎした。
「そう言われては、私が悪役ではないか。もう少し成長したら、留守番をさせることはせぬよ。子供だから問題があるのだ」
「ああ、ディルは悪くねえよ。この国じゃ、商業法で町の中に子竜を入れることを禁じられてるんだからさ。前の騒動のこと、覚えてるだろ?」
リドの取り成しに、流衣は頷いた。ブラッエの町での竜の子騒動は記憶に真新しい出来事だ。
「覚えてるよ。覚えてるけど、可哀想になっちゃうんだよなあ」
「しゃあねえなあ、じゃあ、ディルがいない間、俺が面倒みといてやるよ。ルイだと魔力を喰われちまうしな」
流衣がしょんぼりしていたら、見かねたリドが名乗り出た。
「いいのか?」
ディルの確認を求める声に、リドはさっぱりと頷く。
「おう。俺はチビのことは気に入ってるし、ルイの言うことにも一理ある。こんなだだっ広い部屋でずっと待ってるのも退屈だろ」
「広いか? 普通の広さではないか」
ディルの思わぬ発言にリドはしばし絶句し、それから溜息をつく。
「庶民にゃ広すぎる部屋なんだよ。小さいチビになら、もっと広いと思うぞ」
「ああ、確かにな。それなら広い」
「………」
納得するディルを疲れたような目で見て、リドは突っ込むのを諦めた。やけに庶民的な貴族であるが、時折、ディルの育ちの良さが垣間見える。世間知らずとも置き換えられる。
「ノエル、聞いていたな? 私がいない間はリドの護衛をするように。城の中は安全だから、私のことは心配するな」
「ピギャ……」
ノエルは少し心配そうに主人を見やり、それから羽ばたいてリドの肩に飛び乗った。
ディルは満足気に口端を釣り上げる。
「ではリド、すまぬがノエルをよろしく頼む。私はこれからまた、師匠の手伝いをせねばならぬから」
「おう、気にせず仕事してこいよ」
リドの気軽な声に押され、ディルは颯爽とした足取りで部屋を出て行った。
なんとなく流衣はリリエを思い出し、流石は師弟だけあって雰囲気が似てくるのだなと思った。
その日の昼、流衣は背の高い塔の前にいた。いつも通り、オルクスを肩に乗せ、杖や鞄も携えている。
「ここが〈塔〉かあ。広い!」
ラーザイナ魔法使い連盟の本部である、〈塔〉と呼ばれている施設だ。背の高い壁に囲まれ、同じく背の高い門があり、その向こうには空高くそびえる塔があった。白い石造りの円柱形の塔だ。敷地内には、他にも幾つかの建物が乱立しているようだが、敷地が広すぎて全ては把握出来なかった。
〈塔〉には一般人も出入りしているらしい。門を行き交う人々は、雑踏と同じくらいの数だ。
流衣もまた、そんな人々に混ざって歩き、〈塔〉の本部内へと足を踏み入れた。
「う、わー! すごっ」
本部に一歩入ると、そこはサロンのようだった。ホテルのお洒落なロビーといった雰囲気で、受付カウンターの他、ソファーや小テーブルが並び、あちこちに観葉植物が置かれていた。
魔法使いの集まるギルドだというから、黒縁眼鏡のガリ勉が集う場所を想像してしまっていた。何て失礼な想像だ。暗い色合いのマントや上着を着ている者が多いのは確かだが、服装はお洒落だし、活気に満ちている。
根暗というイメージを放り投げ、流衣はぽかんと突っ立って周囲を見回した。
――ドン!
「わっ」
背中を押され、流衣はよろめいた。転ぶことはなかったものの、たたらを踏んで立ち止まる。
「なんじゃ小僧、出入り口で突っ立っているんじゃない」
「…………」
そこにいたのはウサギだった。
赤い目をした黒ウサギが、青色のマントを羽織り、黒茶の樫製の杖を手にしていた。それから、左耳と尻尾に金の輪っかを付けている。
一瞬、不思議の国のアリスの世界にでも叩き落とされたような錯覚を覚え、流衣は夢の中にいるような気分になった。ウサギが喋っている。それだけで物凄いファンタジーに思えた。
「聞いておるのか? ったく、最近の若い者ときたら……」
黒ウサギはぶつぶつと悪態をつく。声のしゃがれ具合といい口調といい、ウサギは老齢のようだ。
「あ、え、すみませんっ」
そこでようやく道をふさいでいることに気付き、流衣は慌てて真横に飛びのいた。今までにもファンタジーなものに出くわしてきたのに、ウサギが喋ったくらいが何だっていうんだろう。
黒ウサギはじろりとこちらを一瞥し、おもむろに問う。
「お主、新入りか? そうかそれなら話は早い。ワシは腹が空いた。新入り、何か作ってこい」
返事をする隙も、新入りの意味について考える暇もなく、黒ウサギは命令した。
「えっ? ええっ?」
なんと言って回避したものかとまごつく流衣に、空腹でイライラしている黒ウサギは声を荒げた。
「ええい、口答えするな! 腹が減ってると言っとるじゃろう!」
「ひええっ、すみませんっ!」
黒ウサギの剣幕に、流衣は悪くもないのに謝って、反射的に身を翻す。が、数歩もいかないうちに立ち止まった。
「……台所ってどこですか?」
「あっちじゃ、たわけ!」
場所を聞いただけなのに、思い切り怒鳴られた。なんて理不尽。
それ以上怒られるのも嫌だったので、流衣は大急ぎで台所に向かった。その背中に、黒ウサギが怒鳴る。
「三十分以内に作れ!」
「はいぃっ」
しわがれた大声に身を竦ませつつ、泣きたくなる。
若者がどうこう以前に、このウサギも相当ヒドイと思う。
今回更新分はちょっと短めです。
ノエルの出番が見たいとの希望を頂いたので、入れてみました。特に物語的にも問題なかったので(^ ^)