二十五章 肖像廊の幽霊
流衣が菓子作りに没頭していた頃、リドは一人、廊下を彷徨っていた。
「……どこだ、ここ」
客室でじっとしているのも退屈だったので王城の庭を散歩していたが、自室に戻る際に登る階段を間違えたらしく、さっぱり見知らぬ廊下に辿り着いてしまったのだった。
廊下のはずなのに、他と違い、床に赤いビロードの布が敷かれているその場所で、リドはぽつんと立ち尽くす。周りをぐるりと見回すと、左右の壁一面にずらりと肖像画がかけられていた。
(これって……、歴代の王の絵か?)
かかっている絵の一枚一枚が、全て赤い髪をした人間だった。頭には宝冠を乗せ、手には杓を持ち、赤のマントをつけた正装姿のものばかり。椅子に座っている者や立っている者、胸から上しか描かれていないものなど様々だ。
宝冠をつけているのもあるが、ルマルディー王国では王族の中でも赤い髪をした人間しか王位につけない決まりがあるので、数枚を見比べれば何を意味した絵なのかすぐに分かった。始祖クリエステルが赤い髪の持ち主だった為、そういう慣習があるのだ。
突っ立っていてもどうしようもないので、リドは廊下を奥へと歩いていく。侍女か侍従に会えれば一番良いのだが……。
そうして、やがて、絵の中でも一際大きな絵に行き着いた。
この絵だけは、人物が二人描かれている。
赤い髪と青色の目をした精悍な顔をした青年王が椅子に座り、その傍らには白で統一された衣装を着た青年が佇んでいる。青年は王より若干年下のように見えるが、王によく似た面立ちをしていた。赤い髪と琥珀色の目をした、柔和な笑みが印象的な青年だ。
兄弟だろうか?
そう首を傾げながら、青年に目が惹きつけられた。初めて見る絵なのに、どこかで見たことがあるような気がする。“見た”? “会った”、だろうか?
無意識に絵に指を伸ばし、あと少しで触れる、というところで、ふいに誰かが息を呑む音が聞こえた。
ハッとし、慌てて絵から距離をとる。振り返ると、侍女と思われる少女が口を手で覆ってこちらを凝視している。なにやら顔色が悪い。
「悪い、怪しい者じゃ……」
きっと怪しい人間だと思ったのだろう。急いで弁明しようとするが、侍女はヒッと引きつった声を漏らして一歩後ろへ飛びのいた。そして、見る見るうちに血の気の引いた顔色になっていく。
リドが嫌な予感を覚えた瞬間、侍女は息を吸い込んだ。
「きゃああああ、出たーーっ! 初代様のユーレイぃぃっ!!」
細い身体のどこからそんな声を絞り出したのか、侍女はめいっぱい金切り声を出す。そして、糸の切れたマリオネットのように、そのままパッタリと後ろへ倒れた。
「……!? え? おい? 大丈夫かっ?」
その様を思わず見送ってしまってから、リドは慌てて侍女に駆け寄る。軽く肩を揺すってみるものの反応がなく、完全に気を失っているようだった。
(……これ、まずくないか?)
悲鳴、気絶した侍女、どう見ても怪しい自分。
リドは背中に冷や汗が滲むのを感じた。
まずい。まずすぎだろう、この状況。
リドは侍女に心の中で謝り、侍女はそのままにして脱兎の勢いで逃げ出した。きっと来た道を戻ればどうにかなるはずだ。
どこをどう走ったのか覚えていないものの、リドは奇跡的に辿り着いた自室に駆け込み、大急ぎで扉を閉め、背中からずるずると戸口に座り込む。ぜいぜいと肩で息をしながら、一人、愕然とする。
「……幽霊と間違われたの、初めてだ……」
すっげえショックだ。あの侍女、余程目が悪いのだろうか。
ふと何気なく顔を上げると、部屋の隅にある姿見に映る自身が見えた。
「……いや、似てるかもしれねえな」
誰かに似ている気がしたのは、他でもない自分だ。他人の空似というのは恐ろしい。
しかしそれにしては不快感にも似た靄つきを胸に覚え、眉を寄せる。
あの時、誰かに似ていると思ったが、自分ではない誰かのことだったような気がする。考えてみても答えは出ず、もやもやについては見ないフリをすることにした。
翌朝、朝食の席でディルがのほほんと口を開いた。
「昨日の晩、面白い話を小耳に挟んだ」
「どんな話?」
面白いという単語に反応し、流衣は目を輝かせる。
食事はディルの客室に纏めて用意されるので、そこで席について、リドは黙々とパンを噛む。朝は得意ではないので、自然とロウテンションになっている。
「昨日の夕方、歴代の王の肖像画が飾られている廊下に、初代様の幽霊が現れたらしいのだ」
グッ。
リドはパンを喉に詰まらせ、盛大に咳き込んだ。
びっくりした顔で、流衣が水の入ったグラスを差し出してくる。
「大丈夫? はい、水」
「……さ、さんきゅ」
息を切らしながら礼を言い、ひとまず落ち着く為にも水を飲む。流衣の椅子の肩に止まったオルクスが、馬鹿にするように冷ややかな視線を向けているのに気付いて少しムッとしたので、きっちり睨み返しながら問う。
「初代様って何だ?」
「何と言われてもな、初代様は初代様だ」
どうやらディルにとっては常識らしい。尋ねられたことが不思議だという顔をしている。
「分からねえから訊いてんだろ」
「……そうか、知らない者もいるのだな。初代様と言った場合、一般的に、風の神殿の初代様のことを指すのだ。この方は、我が国の始祖クリエステル・ルマルディー様の弟君で、風の神殿の神殿長に就かれた方だ。その為、六大神殿中、この神殿だけは長を世襲制で決めている。簡単に言えば、王族の分家だな。家柄の良い、名家扱いだ」
貴族の話である為か、ディルはすらすらと説明した。口調は固いが、中身は分かりやすい。
「王族の分家ってことは、貴族ってこと? ええと、公爵とか?」
流衣が素朴な疑問を口にする。ディルは首を振る。
「いや、あの一族は爵位は持たない。地位的には平民と変わらないが、神殿長とその家族となれば話は変わる。爵位は持たないが、公爵の地位と同等だな」
「ややこしいなあ」
流衣が思い切り顔をしかめた。リドも同意見だ。
ディルは説明が済んで満足し、話を進める。
「でな、その初代様の幽霊が出たらしいのだ。不吉の前触れではないかと騒がれているぞ」
「…………」
リドは黙りこんだ。
そんなに大事になっているとは。余計に名乗り出られなくなった。
「む? どうした、リド。顔色が悪いぞ?」
「……いや、何でもねえ」
リドは急いで話を反らすことにする。
「あっ、そうだ。ディル、お前、夜会はどうするんだ? 警備なのか?」
「まさか。正装で参加するに決まっている」
「でも、その割には忙しそうじゃないか」
もぐもぐと野菜を頬張りながら、流衣が問う。その様子が栗鼠のようにも見え、リドは吹き出しそうになるのを耐えた。背が低くて小柄で痩せている割に、流衣はもりもりとよく食べる。冬を越す為に備えてでもいるみたいだ。
「それは勿論、リリエノーラ様に修行をつけて頂いているのだから当然だ。書類を持って時間内に配ったり、重い道具を運んだり。日常的なところからこそ、身体は鍛えられるのだとリリエノーラ様はおっしゃっている」
とても誇らしげに胸を反らしているが、それははっきり言えばパシリである。
リドはふいに不安を覚えた。流衣がお人好しなのは、きっと元いた場所が平和だからで、そのせいで平和呆け気味なのだと思えば納得がいく。しかしディルはどうだ。狐狸の巣窟である貴族社会に生きている人間のはずだ。それなのに、ここまであっさり騙されていて良いのだろうか?
「ディルってさあ、何でそこまであのお師匠さんを信じてるんだ?」
リドはフォークの先で野菜を転がしながら、さりげなく訊いてみた。
「あの方は口では文句を言いながらも、結局は人助けをされるような方だ。旅の間、何度かそういう場面を目にした。だから信じられる。それに、弟子が師匠を信じず誰を信じるというのだ?」
ひどく真面目な顔で言い切るディル。
こんなことをあっさり言ってのけるディルは、実は相当の大物なのかもしれない。
堅物を絵に描いたような男だが、リドは素直に感心した。しかし、思うに真っ直ぐすぎるきらいがある。
「お前、出世出来ないタイプだよなー」
「……君は今の話のどこを聞いて、そんな結論を出したんだ?」
真面目に答えたかいが無い。ディルはじと目でそう返す。
リドは口の端で笑いながら、転がしていた芋をフォークで刺し、口に放り込む。
そうして笑っていたら、昨日から燻っている胸の靄つきが、若干薄らいだようなそんな気がした。
お約束といいますか(笑
ちなみに、タイトルの「肖像廊」は「しょうぞうろう」と読みます。造語です。
どうもこの辺の話のバランスがとれず、首をひねりつつ書いています。スムーズに進めばよいのですが。