四十九章 交換条件
「つまり、君は、私に『世界を渡る方法』とやらを訊く為に、東部からはるばるここまで来た、と?」
宿屋ホワイトベルの一階にある食堂で、流衣はセトと対面するようにして座っていた。隣にはリドとアルモニカも座り、アルモニカの右斜め後ろにはアルモニカの侍女が静かに立っている。
流衣はヘイゼルにも話したように、勇者が異世界から召還されるなら、逆に異世界に行くことも可能ではないかと思ったという話をする。
セトは少しばかり神経質そうな骨ばった顔立ちで、やはり角ばって見える鼻に乗った、黒縁の四角い眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「そうです」
流衣の断定に、セトは顎に手を当てる。
「……ふむ。面白い考え方だが、なるほど的を射ている。組合長から話を聞いた時は、ただの貴族の道楽かと思ったのだが、思いの他、真剣なようだ」
流衣はぽかんとセトを見る。思わずアルモニカの方を見ると、彼女も目を丸くしていた。流衣は確認するように問う。
「組合長……です、か?」
セトは大仰に頷く。
「そうだ。ラーザイナ魔法使い連盟の組合長、ヘイゼル・スペリエンタ様。君達もよく知っているだろう?」
「何故、ヘイゼル爺さんがここに出てくるのです?」
胡乱気な顔をするアルモニカを、セトは呆れた顔で見る。
「何とは君、あの方に宜しく頼まれたからに決まっているだろう。それから、爺さん呼ばわりはやめたまえ。あの方は全魔法使いの憧れの存在なんだぞ」
セトの言い分に、分かりやすくアルモニカの顔が歪む。笑いそうなのを必死でこらえてしかめ面を作っているような顔だ。
セトはため息をつく。
「あんなにご立派な方はそうそういないというのに、嘆かわしい……。弟子がクソジジイと呼ぶと嘆かれておられたぞ」
「ですが先生。私にとっては、なにかと厄介ごとを持ち込んでくる爺ウサギですので。しかし、憧れ、ですか。くくくく、似合わぬのう」
最後には被っていた猫がはげて、地で呟くアルモニカ。そこで耐え切れなくなったのか、背中を向けて笑い出した。
「そこまで笑うか? はあ、アルモニカ嬢。もう少し淑女らしい笑い方をしたまえ。作法にうるさいジョセフィーヌ先生に、なんと嫌味を言われるか」
セトがため息混じりに言った瞬間、アルモニカはぴたっと笑いやんだ。そして、どこからか扇子を取り出すと口元を隠し、うふふという笑い方に変更する。
流衣とリドはびくりと身を引く。
いつものアルモニカを見ているだけに、気持ちが悪い。
(でも、笑うのはやめないんだ……)
淑女らしい笑い方に変更しようと、笑う時は笑うらしい。それを見たセトは、やれやれというように肩をすくめる。そして、アルモニカから視線をずらして流衣に向き直る。
「それで、君はどうしてそんな方法を探しているのかな? 道楽にしては真剣なようだし、理由を聞きたいものだ」
「う……それは……」
流衣は言いよどむ。ちらりと食堂内にいるシフォーネやナゼル、アルモニカの侍女を一瞥すると、流衣が言いにくそうにしているのに気付いたシフォーネがナゼルを連れて部屋を出て、侍女もまた一礼して去った。
少し驚いたがその行動には助かったので、流衣はほっと息を吐き、とうとうと自分の事情を話す。
話し終えた後、セトは不可解なものを見る目で流衣を凝視した。
「突然、何を言い出すかと思えば異界人? 望郷の念が強すぎておかしな妄想にとりつかれたんだな、可哀想に。……なるほど、ヘイゼル様がよく面倒をみるように頼んでくるわけだ」
すぐに哀れな生き物を見る目に切り替えて、セトは同情たっぷりに言う。
とても不思議なことに、ラーザイナ・フィールドに来てからこんな最もな反応をされたのは初めてで、流衣は少しばかり感動した。なんだ、普通にそういう反応をする人もちゃんといるのではないか。そして、そう思うと同時に、信じてくれた人達に会えた今までの幸運を再確認する。
「あの、そうじゃなくて」
「ああ、ああ。何も言わなくていい。辛かっただろう。突っ込んだことを訊いてすまなかった」
流衣が否定しようと口を開くと、セトは手を前に突き出して止め、何故か涙ぐんで目頭を指で押さえる。
いったい、セトには流衣の事情がどんな風に湾曲して伝わったのだろう。何かを湾曲させた覚えもないので、内心で戦々恐々とする。
「確かに私は神の園を利用した遠距離の転移について研究しているよ。だがね、これはまだ理論の段階で、実験にまでは到っていないんだ。残りのいい神の園を見つけ出すのも厄介で……」
「え、神の園?」
思わず口を挟んだ流衣に対し、特に気分を害した様子もなくセトは思案げに続ける。
「神の園っていうのは、昔、異界から勇者が召喚された場所のことだよ。劇や戯曲、物語にたまに出てくるだろう? ほら、神様が光臨されていたっていう神の庭の中でも特別な土地で、召喚の魔法陣がそのまま残っている所だ。私は、それを遠距離の転移に使えないかと研究しているんだよ」
そしておかしそうに笑う。
「だからね、君が言う通り、もしかしたら勇者の出身である異世界にだって飛べるかもしれない。ルイ・オリベ君だっけ? 君はなんて夢のある子だろう。事情が事情だろうけれど、そういう夢のある魔法使いは嫌いではない。やはり子供は大きな志を持つべきだ」
そう言って、セトはとても満足げに頷く。
どんな事情がセトの中で展開されているのか謎だが、流衣は持論を主張するのに熱中しているセトの言葉で、これまでの謎が一気に解け、唖然と放心した。
――とりあえず。
流衣は自分を落ち着けて、質問する。
「じゃあ、まだ研究中ってこと……ですか?」
「そうだね」
「どういう感じか教えて貰えたりなんて……」
セトの表情が強張る。ものすごく困ったような様子で切り出す。
「研究のことは無闇に教えられないし、教えるつもりもない。何も私だけがそうなのではなく、魔法の開発には利益が伴うから、研究を盗み出されないように厳重に隠しておくのが一般的なのだ。そこのところを勘違いしないでくれたまえ。――だが、そうだな。君の事情を考慮して、特別に教えてあげよう」
セトはふと良いことを思いついたというように締めくくり、にっこりと微笑んだ。
流衣はパッと表情を明るくする。
「本当ですか!」
「ああ。だが、条件がある」
「え」
その一言に、跳ね上がったテンションが一気にしぼむ。セトの笑顔が急に裏のある笑みに見えてきた。不気味に思いつつ、恐る恐る問う。
「条件……?」
「ああ」
セトは大きく頷く。
「しかし、内容が内容なのでな、ここでは話せない。我が家に来てくれ。君達も一緒で構わない」
そして、そう言ってセトは席を立つ。
残った流衣達は顔を見合わせる。
「なんでしょうネ、条件とは」
オルクスの言葉に、流衣は不安混じりに首を傾げる。
「さあ。でも、大事な研究の内容と交換なんだから、そこそこ大変かも」
「確かに、セト先生の研究ならば、魔法使いなら誰でも欲しがる。高くて当然じゃ」
不安を煽るアルモニカの台詞にゾッとする。いったい、どんな条件なんだろう。
「ま、話を聞いておいても損はねえだろ。そこで断っても遅くない」
リドの最もな説得に頷きつつ、流衣はセトを追いかけるべく、食堂の戸口へと向かった。
*
「助手……? え? 僕が、ですか?」
セトの持ち出した条件に、流衣は自分の耳を疑った。
セトは部屋の真ん中にあるストーブに薪をくべ、その上に乗せたヤカンで沸かしたお湯をポットに注いでテーブルに運び、茶を淹れてくれた。ほんのりとした甘い香りが湯気とともに部屋に広がる。
「そうだ。と言っても、ただの助手ではない。ほら、冷めないうちに飲みなさい」
「ありがとうございます。いただきます」
流衣はぺこりと頭を下げてカップを受け取り、一口だけ茶を飲む。蜂蜜のような甘い味が口の中に広がった。冷えた体にすっと溶け込むようでおいしい。
「でもあの、セトさん。僕、普通の助手でも役立つかどうか……。助手出来るほど魔法に詳しくないんです」
「助手としての仕事は単なる雑用だから、心配することはない。問題は、助手の合間にしてもらうことだ」
「はい……?」
きょとんとする流衣。
「どういうことだ?」
食事用の四人掛けのテーブルではなく、本と紙束が山積みにされた小テーブルの横にある長椅子に腰掛けたリドが、首をもたげてセトを見る。流衣の右隣の椅子に座っているアルモニカもまた、無言でセトを見た。
「……ふむ」
三人の視線を一気に浴びて、セトは一つ息を吐く。そして、持っていたカップをソーサーに置いた。
「君達は、魔力増幅剤というものを知っているか?」
「いえ……」
流衣はすかさず首を振り、知っているかとリド達の方を見る。リドもアルモニカも首を傾げていた。
「それって薬か? 初めて聞いたな。サプリメントにしちゃ聞かない名だ」
エアリーゼで薬草学を学んでいたくらいだ。医療に対して結構な関心を持っているらしいリドは、少し考えてから興味深そうに身を乗り出す。セトは頷く。
「そうだな、ある意味ではサプリメントともいえるが、薬だ。それも厄介な」
物憂げに言い、疲れのこもった溜息をつく。
「名の通り、魔力を増幅する作用のある薬でな。最近、学校内で密かに出回っているのだよ。飲用すると半日程で効果が現れる。効果があるからこそ、余計に厄介だ」
流衣は首を傾げる。
「効果があるなら良いと思うんですけど……」
その言葉に対し、いかめしい顔で首を振るセト。
「魔力というのは、生まれた時にすでに量が決まっている。成長とともに魔力が増えたり、病気などのきっかけで増えることもあるが、それは偶然に過ぎない。加え、魔力は生命力に近いものだ。そんなものを薬で無理に増やすのだから、身体に害がないわけがない」
「ってことは、すでに害が出てるってことか」
セトの話を聞き、結論を出すリド。真剣そのものの顔つきになっている。
「その通り。薬を飲んだことで副作用を引き起こし、昏睡状態に陥っている生徒がすでに三人出ている」
「そうなのですか? そんな話、初めて聞きました」
流衣の隣に座っているアルモニカは虚を突かれた表情をし、そのまま難しい顔になる。やはり聞き覚えがないのか、僅かに首を振った。
「生徒の親からの要望でね、急用で実家に帰っていることにしているんだ。魔力を増やそうと薬に頼ったなど、あまり外聞が良い話ではないだろう? 学校側としても、令息令嬢を預かっている手前、ことを大きくしたくない。そういうわけで、秘密裏に調査をしている、というわけだ」
セトは椅子を立ち、落ち着かない様子で室内を歩き回る。
「薬を回しているのが教師側にいるかもしれない為、校長は私や何人かの信用のおける教師に調査をさせているが、結果は芳しくない。恐らく、生徒側に流通源がいるのだろう」
アルモニカは面白そうに口の端を吊り上げる。
「なるほど、それで助手ですか。生徒側を探らせようというわけですね」
セトは頷く。
「ああ。本当は杖連盟の者に力を借りようと思ったのだが、学校に入れる年齢で不審がられず調査出来る者がいなくて困っていたのだ。だから、君の申し出は正直私にとっては渡りに船、というわけだ」
大人しく聞いていた流衣は、そこでようやく話を理解し、ええっと声を上げる。
「じゃあ、助手の合間にすることってまさか……」
「そう。魔力増幅剤の流通ルートの調査が、その仕事だ」
セトはテーブルに右手を突いて、不敵に目を光らせる。
「どうかね、私の研究内容の閲覧と引き換えだ。悪くない仕事だと思うが? 怖気づいたのなら、断っても構わない。君がチャンスを逃すだけで、私に痛手はないからね」
流衣はしゃきっと背筋を伸ばす。危険な薬の流通源の人物を探すのだ、危険度は高い。流衣に見つけ出せるのかも分からない。でも、これをこなせば自分は地球に帰る為の手がかりを得られるのだ。運命と生命の女神レシアンテが神の園を辿れと言っていたし、きっと何かに繋がるはず。
全くといって確証はないのに、不思議と自信があった。
「その仕事、引き受けます! どうしても話を聞きたいので!」
流衣がやる気満々で宣言すると、セトはにやりと笑った。まるで共犯者を見つけたような、そんな笑みだ。
「良い心意気だ。良かろう、いい駒を手に入れたと校長にお知らせしておこう」
「は、はいっ、よろしくお願いします!」
――いい駒、ですか?
セトの言葉には引っかかったものの、流衣は聞かなかったことにして頭を下げる。
「いいねえ、潜入調査。スリルあって楽しそうだ。なあセトさん、俺にも仕事ないですか?」
「え、リドも引き受ける気?」
驚いた流衣がリドを見ると、リドは肩をすくめる。
「言っただろ。俺は二年は暇なんだよ。ルイの旅を見届けるつもりでいたけどさ、潜入調査じゃあな、仕事終わるの待ってんのもつまらねえし。それに、仲間がいた方が情報も集まりやすいだろ?」
俺、耳が良いから壁越しの声でも聞こえるしな。
そう付け足すリドを、そういえばそうだったと流衣は再確認する。
「ふむ、手駒が増えるのは嬉しいことだが、助手は一人で十分だからな。そこは校長に相談しよう。いや、助かるよ。他にも生徒の方で協力者がいればいいのだがなあ」
ふう、とため息をつくセト。
そこで、アルモニカが我慢出来ないという様子で席を立つ。
「セト先生! 私のことをお忘れではありませんかっ?」
「ん~?」
再び椅子に座り、茶の入ったカップを傾けるセトは、アルモニカの主張に首をひねる。アルモニカは勢いこんで言う。
「私だって生徒です! ルイやあに……いえ、リドが調査するというなら、私も参加します!」
強気なアルモニカの言葉を、セトは一蹴する。
「いや、それは無理だ」
「どうしてですか! 私が女だからですか? そんなことだったら……っ」
「違う。だって君、友人がいないだろう?」
「え」
アルモニカは目に見えて固まった。
セトはあっさりと続ける。
「いつも本や研究に熱中していて、一匹狼だ。親しい友人がいないようだし、そういう取っ掛かりのない生徒に協力して貰ってもね……」
流衣は青ざめる。
「ちょ、ちょっとセトさん。教職者がなんてことを言うんですか」
幾らなんでも明け透け過ぎる。
流衣は必死で笑顔を取り繕い、ぎこちなく右側を向いてアルモニカを伺い見る。
「幾らアルが気が強くたって、友達の一人くらいいますって……。ねえ、アル」
「………………」
「……え? アル? ま、まさか」
「……うるさいっ! いなくて悪いかっ! 必要性を感じたことがなくて悪いのかーっ!」
アルモニカは頬を赤らめ、若干涙目で流衣の襟首を掴んで揺さぶりだす。
「ご、ご、ごめっ。で、でもほらっ、僕ら友達だからいないってわけじゃっ」
流衣が取り成した瞬間、アルモニカは手を放した。襟を取り返した流衣はげほげほとむせる。
『坊ちゃん、大丈夫ですかぁっ?』
「う、うん。平気……」
オルクスのおろついた声がするのに、右手を上げて応える。
「相変わらず凶暴な女……」
少し離れた所で、リドが視線を僅かに反らして呟いた。相変わらずって、リドもアルモニカに本を投げられたことがあるのだろうか。
「友達か?」
「ん?」
流衣はちらりとアルモニカを見る。アルモニカは信じられないものを見るような目でこちらを見ている。
「友達なのかと聞いている!」
「え? そうじゃないの?」
流衣は勝手にそう思っていたが、もしかして迷惑だったんだろうか。
「なっ何でじゃっ? ワシはお主に迷惑ばっかりかけておるのに……。理解出来ぬ。そういえば、お父様が一緒に茶を飲めばそれで友達だと言っておったが……」
心の底から理解不能という様子で頭を抱え、ぶつぶつと呟くアルモニカ。流衣も首を傾げる。
「うーん。友達じゃなかったら、ただの知り合いってことになるような」
「友達でいい!」
即座にアルモニカは断言する。
「あ、そう? それなら良いけど」
気圧されつつ、頷く流衣。
(アルって何でも全力投球だよなあ)
返事一つにも全力だ。猪突猛進ってこのことなんだろうな。流衣は感心混じりに一人頷く。
「だが、学校に友達がいない事実は変わってないぞ」
セトの一言に、アルモニカの眉が吊り上がる。
バン!
アルモニカは片手をテーブルの盤面に叩きつけ、眉と眦を吊り上げるという顔で剣幕たっぷりに宣言する。
「でしたら作ればいいのでしょうっ? だから私も参加しますっ! 負けませんからねっ!!」
どこから勝ち負けの話になったのか分からないが、憤然とアルモニカが言い切ると、セトは仕方が無さそうに頷いた。
ここまでで第二部終了です。ご拝読ありがとうございました(^ ^)
次回は第三部になります。
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-簡単次回予告-
スノウリード魔法学校で助手として働きだした流衣だが、魔法学校は表では身分差はないと言いながらも裏では身分差が激しく、平民である為にさっそく目をつけられてしまう。学校内で迷子になったり、女生徒にお菓子を貰ったり、男子生徒に軽く嫌がらせをされたり、ときには使い魔対決を挑まれたりしつつ、生徒と繋がりを得ていくけれど……?
みたいな感じです。予定では、ですので、少し変更あるかもしれません。
ではでは、お粗末様でした。また第三部にてお会いしましょう。