四十八章 魔除けの雪だるま 4
「だっからてめえは注意力が足りねえっつってんだよ。少しは学習しろ!」
「すっすみませんっ」
流衣はひええと首を竦める。
いつしかのように、リドは本気で怒っていて、荒げ気味な声で説教していた。流衣は冷や汗が背中に浮かぶのを感じる。迫力があって怖すぎる。
同じ宿の食堂内では、ナゼルもまた灰色の髪の隣人と母親から説教を受けている。
「オルクス、てめえもだ。何ムキになって喧嘩してんだ、お前はガキか!?」
「くーっ、リドの分際でっ」
「ああ?」
「くううっ」
リドがオルクスに凄めば、言い返せなかったらしくオルクスは悔しげに嘴をカチカチと打ち鳴らす。
「うわー、兄貴、こわ……」
「説教されないようにお気を付け下さいませね、お嬢様……」
「どういう意味じゃ!?」
そんな流衣達を少し離れた所で見守っているアルモニカとサーシャの遣り取りには、勿論気付く余裕もなく、流衣はひたすら身を縮めていた。
「あ、あのさ。ところで、何でここに?」
説教の隙間を縫い、勇気を出して口を挟む。
途端にリドは黙り込んだ。説教している時よりも不機嫌度が上がったのを見て、流衣は内心で悲鳴を上げる。
(え? あれ? 何か変なこと聞いたのかな、僕)
とても全うな質問だと思ったのだが……。
ちらり、と、食堂の入口の側にいるアルモニカと侍女を見る。リドがいるのに加え、アルモニカも一緒なのはどういうことなんだろう。
「……クリスさんから話聞いた。悪かった。きっちり話つけてきたから安心しろ」
流衣は目を瞬く。クリスにエアリーゼから出て行くように言われたのを思い出し、苦笑いを浮かべる。
「あー……、えっと、僕が怪しい旅人なのはよく分かってるから良いんだよ。そりゃあ、ちょっとは悲しかったけど……」
出て行くように言われたことが、ではない。ここに居場所がないことを再確認したことが悲しかったのだ。
流衣は急に寂しさを覚えてうつむいたが、ハッと顔を上げる。
「そうだよ、リド、何でここにいるんだよ。せっかく家族が見つかったんだから、家にいればいいのに」
珍しく少し眉を吊り上げ、流衣は強い口調で言う。
「家族は大事にしなきゃ駄目だよ。親孝行は出来るうちにしとけっていうでしょ」
「俺はしばらく家名を名乗れない。二年の猶予を貰ったんだ」
「どういうこと……?」
眉を寄せる。リドの話を聞き終えると、流衣は眉尻を下げる。
リドが今、正式に帰ると、アルモニカが人質として王都行きになる。嫌な話だ。グレッセンの心配も分かる。
「そっか。それでアルも一緒なんだ? 兄妹で旅なんていいね」
そういうのって何だか微笑ましくて良い。流衣はにこにこと笑みを浮かべる。
「……で、話を戻すが」
空気が和んだのも束の間、リドは再び氷点下並みの冷たい気配を纏った。
何が地雷を踏んだか分からず、流衣は再度凍りつく。リドはにこりともしない上に食堂内の気温が二、三度は下がった気がし、加えて肌がピリピリするような緊張感を覚える。
「ルイ。お前、ダチに一言もなく、置き手紙一枚でいなくなるとはいい度胸だな。話くらいあっても良かったと思うんだけど? はは、腹が立つ。一発ぶん殴っていいか?」
途中で冷笑を交え、右の拳を固めるのを見て、流衣は慌てて退避する。
「わわっ、ぼっ暴力反対っ!」
流衣からすれば何故そこまで怒るのかの方が謎だ。
「手紙書いておいたし、無断で出て行ったわけじゃないのに、何でそんなに怒るのか分からないよっ。距離があったって友達なのに変わりないじゃないか!」
怒れる親友殿から距離を取るべく、食堂の大テーブルの反対側に回り込む。
リドはハッとしたように目を丸くし、拳を下ろす。
「そう、か。そうだよな……。つるむだけが友達じゃねえよな……」
目から鱗が落ちたみたいに呟くリドに、流衣はこくこくと懸命に頷く。そしてリドが落ち着いたようだと見て安堵しつつ、おどおどと続ける。
「そ、それに。クリスさんのことがなくても、どっちにしろ動けるようになったらすぐに神殿を出るつもりだったんだ。余所の家にずっとお世話になるなんて、そんな迷惑かけられないし……」
流衣がそう言った瞬間、リドは再び拳を握った。
「――そうか。じゃあ別問題として対処する」
「ええ!? 何で!?」
親切に付け加えたはずなのに地雷を踏み、仰天して顔を青ざめさせる流衣。思わず助けを求めてアルモニカの方を見たが、そちらもメラメラと怒りに燃えた目をしているのを見て、ぎょっとする。
「ルイ、お主、ワシが迷惑がってると、そう言うつもりか!」
「や、だってアル。余所の家にずっと上がり込むって、普通に考えて迷惑でしょ? え……と、僕、何か間違ってるの?」
目を白黒させる流衣に、リドとアルモニカは声を揃える。
「「大間違いだ!」」
ひえっと肩を竦める流衣。兄妹に揃って怒鳴りつけられ、耳がキーンとする。
「お主、ワシを庇ったせいで死にかけたんじゃぞ! 面倒くらいみるわ、たわけが! グレッセン家をなめるなよ!」
ビシッと人差指を突きつけて怒鳴るアルモニカ。
ナゼルやシフォーネ、隣人の男は、その剣幕に固唾を飲んで流衣達を見守る。
「だからっ、成り行きでそうなっただけだし、僕が勝手に放っとけなかったんだから、僕の責任だろ。アルが責任を感じることなんてない!」
今後、ずっとこの話を持ち出されるかと思うとうんざりだったので、流衣も負けじと言い返す。
「この際だからはっきり言うけど、アルは気にしすぎ! 僕は死んでないし生きてる。だから、落ち込まないで欲しい。正直、アルが落ち込んでると僕もすっごいへこむんだ。そうやって怒鳴ってる方がアルらしくていい!」
「なんじゃとっ! 怒鳴ってる方がセオリーみたいに言いおって、喧嘩売っとるのか!」
憤慨し、こちらもこちらで拳を固めるアルモニカ。袖まくりまでし始める。
「っつーかお前の場合、それが普通だろうが」
「うるさいわ! 余計な口を挟むな!」
思わず突っ込むリドをキッと睨むアルモニカ。一気に食堂内が騒がしくなる。
「アルモニカの言い分はともかく、俺はダチとして怒ってんの。お前、怪我した仲間を放置していけるのか?」
静かなリドの声に、流衣はうっと言葉に詰まる。じっとりと睨んでくるリドの琥珀色の目が痛い。
「い……いけない」
「だろーよ。俺だってそうだ。しかもそいつは一年間も眠りっぱなしで? 毎日いつ目が覚めるかとさんざん心配かけたと思ったら、ろくに歩けもしねえくせに出て行って? 友達がいがねえっつーか、水臭いっていうか。俺はダチとしてそんなに信用がねえのかと思っちまったよ。ええ」
嫌味を過分に含んだ言葉に、ようやくリドがどうして怒っているか理解し、しおしおとうつむく。
それは確かに自分が悪い。
「……ごめんなさい。いえ、大変申し訳ありませんでした」
こんな簡単なことに気付けないなんて。その辺に穴でも掘って埋まりたい気分だ。
流衣は自分が恥ずかしくてたまらず、じっと床を見つめてうなだれる。
そんな流衣に近づくと、リドは流衣の頭に拳骨を落とした。
「いだっ」
思わず頭を押さえてうめく。
「ふん、今回はこれで勘弁してやる。お前殴ると虐めてるみてえで後味悪いからな!」
せいせいしたという様子でリドは言い、冷気を引っ込めた。
流衣は頭をさすりつつ、リドを見上げる。
本気で心配していたから、本気で怒っていたのだろう。そう思うと、少し心があったかい。
「別に、リドのことを信用してないわけじゃないよ。ただ、リドにはリドの生活があるんだから、それを邪魔しちゃいけないって思ったんだ。友達の幸せや道を邪魔する人にだけはなりたくないから。偽善めいてるとは思うけど、応援出来る友達でいたいんだよ」
流衣は困ったように笑う。
これは我儘だし、嫌な面を見せたくないだけなのかもしれない。でも、友人の行動を疎外するような人にだけはなりたくないのだ。
「だからさ、僕じゃ役に立たないかもしれないけど、困った時は言って。リドやディルだったら、僕は出来るだけ手を貸すから。――勿論、アルも」
にこっと微笑む。
するとリドとアルモニカは言葉を失くしたようだった。
「ああもうっ! お前と話してると自分がちっぽけで嫌になる!」
しばらくの沈黙後、リドは頭を抱えて天井を仰ぐ。
「ええっ」
流衣はガーンとショックを受ける。真面目に言っているのに、そう返されるとは思わなかった。
「え? え? 僕、何か悪いこと言った? ごめん!」
「無自覚なのがまた……」
はあああ。
思い切り溜息をつかれて、ますます焦る。
何だ? 何がいけなかったんだ?
「お主、天然じゃよな……」
さっきまでの怒りはどこへいったのか、ほとほと呆れた顔をするアルモニカ。
「へ? 何が?」
流衣はきょとんとリドとアルモニカを見比べる。当の二人は顔を見合わせ、再度大きな溜息をつく。
「もーいい。それより、行くぞ。魔法学校にセトって先生を探しに行くんだろ」
ひらひらと右手を振るリド。流衣は頷く。
「うん。会ってくれるといいんだけどなあ」
『きっと大丈夫ですよ、坊ちゃん』
話が落ち着いたからか、うなだれていたオルクスは復活を遂げていた。明るく励ましの言葉を口にし、今までいたテーブルの上から羽ばたいて流衣の肩に移る。
「……君達、私に何か用なのかね?」
「へ?」
ふいに聞こえた問いに、流衣は目を丸くする。
ナゼルの隣家に住む男がこちらを見ていた。
「あれ、セト先生。いつからそちらに?」
アルモニカの驚いたような言葉に、男はそれに驚いたように言う。
「いや、初めからいたが……」
確かにその通りです。
昨日は気付かなかったが確かにセトってシフォーネに呼ばれていたし、言われてみれば髪の色も灰色だ。
だから、「灰色のセト」なのか。へえ、なるほど。――って。
「えええええ!?」
探していた人物が思いの外すぐ近くにいると知り、流衣は思わず声を上げた。
お約束というか(笑
仲直り?まで、ちょっと面倒くさい彼らでした。