四十八章 魔除けの雪だるま 3
玄関の扉を開けた流衣は、真っ先に玄関脇の雪だるまを確認した。
「あれ?」
しかし朝はあった雪だるまは跡形もなく消えていた。まさか溶けたのかと怪訝に思いつつ、外へと目を向ける。
「うわっ、何で!?」
身長が三メートルはありそうな巨大なスノウギガスが立っていた。流衣は仰天して玄関の木枠に張りつく。
「旦那様! フォスター様! しっかりして下さい!」
必死な声がすぐ前方から聞こえ、流衣はそちらを見た。
フォスターという名の、昨日の小太りな貴族が雪まみれで地面に転がっている。青い顔をしていて、ぶくぶくと泡まで吹いていた。その横で、従者の青年が必死で肩を揺すって名を呼んでいる。
やがて主人が気が付く様子がないと悟ったのか、それとも背後に立ったスノウギガスの気配に気付いたのか、従者は腰に佩いている長剣を抜き放って構える。
――デテイケ、ガイチュウ
スノウギガスはずぅんと響く足音とともに、唸るような声で言う。
(ん?)
どこかで聞いた台詞に、流衣は思わずスノウギガスを凝視する。
――デテケー!
スノウギガスは右腕を振りかぶる。
流衣はとっさに〈盾〉の魔法を使い、従者の前に結界を張った。
「!」
剣を構えていた従者は、雪の拳が目の前で跳ね返されたことに驚いたようだった。
「は、早くっ、今のうちに!」
流衣が玄関の戸口から必死に手ぶりで馬車を示す。従者はすぐに理解したようで、フォスターを背負って馬車を目指して走る。
だが、スノウギガスはそれを追って、ずしんずしんと地を揺らして歩き出す。
「あわわわ、どうしようどうしよう」
事情は分からないけれど、魔物に襲われているなら手助けしなくては。流衣は一人戸口で慌てていたが、やがて意を決して外に飛び出す。杖は宿の部屋に置いてきてしまったので、腹に力を込めて呪文を叫ぶ。
「ドーガ!」
爆発が起きて、スノウギガスの右腕が吹き飛ぶ。冷たい風が巻き起こり、流衣は寒さに身を縮めた。
「これはまた……番人にしても成長しすぎですねえ」
のんきな声が傍らで聞こえてびくっとする。流衣がバッと振り返ると、いつの間にかオルクスが側に立っていた。
「お、オルクス、いつの間に……」
「普通に歩いてついてきましたが?」
僅かに首を傾げるオルクス。
流衣が必死過ぎて気付いていなかっただけで、すぐに流衣を追いかけてきていたみたいだ。
「えと……番人って……?」
オルクスが隣にいることは理解したが、オルクスの言葉の意味をはかりかねて問う。
「魔除けの雪人形ですよ。余程出来が良かったんでしょうね、周りの雪を取り込んで巨大化したみたいです。ほら、右目をご覧下さい」
「あ、ほんとだ!」
オルクスの言う通り、スノウギガスの右目には青い石がはまっていた。
「それ、本当!?」
宿の玄関口に立ったナゼルが、話を聞きつけて顔を青くしている。ためらいなく頷くオルクスに、ショックを受けた様子で座り込んだ。
「そんな……。僕、単にあいつを脅かせればいいって思ってただけで、こんな魔物にするつもりなんかっ」
「念と魔力のこめすぎではないですか? まあ、失敗など、人間にはよくつきものですよ。子どものあなたなら尚更です。気にしなくて宜しいと思いますがね」
オルクスはあっさりとそうなだめる。
「でも……! このままじゃ村が滅茶苦茶になっちゃう!」
どうしよう! そう言って、ますます青ざめるナゼル。こんな時の対処法までは分からないようだ。
「そんなに心配しなくても、あの核を取り除けばいいだけですよ?」
心底不思議そうなオルクス。流衣は小さく息をつく。
「オルクス、それが出来ないからナゼル君は困ってるんだと思うよ」
オルクスは首を傾げ、流衣に問う。
「彼には無理ということですか? では、わてが外してきて差し上げましょう。宜しいですか? 坊ちゃん」
許可を求めるオルクスに、流衣は頷く。
「そうしてあげて欲しいけど……、別に僕に聞かなくても好きにしていいよ?」
流衣がそう言い終えた時には、すでにオルクスは地を蹴っていた。地面に積もった雪を取り込んで腕を再生していたスノウギガスは、接近するオルクスへと攻撃対象を変える。またもや右腕を勢いよく振り仰ぐ。
ドガッ
雪がぶわりと弾き飛ばされて真っ白な靄がかかる。オルクスはスノウギガスの右腕が地面にめりこむ寸前に、スノウギガスの顔の高さまで飛び上がっていた。そのまま核を取り除こうと手を伸ばした瞬間、スノウギガスの左腕にがしっと体を掴まれる。
――ジャマ。ハイジョ!
スノウギガスは低い声で言い、そのまま左腕を振り抜いた。近くの民家の壁際に積もっている雪山へと投げ飛ばされるオルクス。衝撃で、柔らかな白い雪が、ぶわっと辺り一帯に飛び散る。
「わーっ! オルクス!」
投げ飛ばされるオルクスというのを初めて見た。流衣は唖然と見守ってしまい、我に返ると慌ててオルクスの方へ駆け寄る。が、しかし、辿り着くより先に雪山が動いた。
ゆらり、と雪の中から身を起こすオルクス。
「――坊ちゃん、こちらに来ないで下さい。巻き込みます」
おどろおどろしい低い声に、流衣はびたっと足を止める。
頭のてっぺんから爪先まで雪まみれになったオルクスは、見るからに不機嫌そうだ。
「お、オルクス……さん?」
思わず敬語になって問う。
女神付きの使い魔にはふさわしくない、禍々しいオーラを感じる。
「ただの雪のゴーレムごときがわてを投げ飛ばすとは、ふふふふ、いいでしょう。その喧嘩、買った!」
完全に目が据わっている。
両手をバキベキと鳴らしながら、オルクスはスノウギガスの方へゆっくりと歩いていく。
――ウルサイ。コバエ。ハイジョ! ハイジョ!
スノウギガスの方もまた、戦闘態勢に入る。
「誰が小蠅ですって……?」
低ーく呟いたオルクスは、次の瞬間には地面を蹴り、スノウギガスの背中に回し蹴りを叩きこんでいた。
地面に地響きとともに倒れ込むスノウギガス。
「ちょっとオルクスー!?」
さっきとはまた違った方向で顔を青くして、流衣は頭を抱えて叫んだ。
*
山小屋で一泊し、リド達はアカデミアタウンに向けて馬車を走らせていた。ときどき襲ってくる魔物については、リドと侍女のサーシャで片付けた。
(ただの侍女かと思いきや、護衛兼ねてるとはな……)
サーシャが魔法使いであるとは知らなかったので、リドは驚いた。が、アルモニカが魔法学校と風の神殿都市エアリーゼを行き来する時は護衛が必要になるわけだから、侍女を兼ねている方が助かるのは理解出来る。
サーシャは元々は神殿で育った孤児らしく、神官として働く傍ら魔法を勉強し、他の神官達に混じってエアリーゼを魔物の害から守るうちに強くなった。そんな繋がりで、アルモニカが懐いていたのもあって侍女に志願したんだそうだ。
それでも助かった。雪の化身であるスノウギガスの相手は、風の〈精霊の子〉であるリドではほとんどダメージを与えられず厄介だ。斬撃や打撃も意味をなさない。サーシャの火の魔法は助かる。
二人が魔物の対処をしている間は、アルモニカは馬車で留守番だ。それを不満に思っても、例のサーシャの恐ろしい顔を前にはアルモニカも我儘は言えないらしかった。
「もう少し進めば、ボルド村ですわ。お嬢様、ルイ殿とお会い出来れば宜しいですわね」
サーシャは微笑んで言う。怖い顔さえしなければ、上品な女性である。
「そうじゃな。追いつけるといいが……」
「目的地に近づいてるから、余程のことがない限りは行方不明にはならねえはずだけどな」
思案顔をするアルモニカに、リドは軽く言う。
しかし、村に近づくにつれて眉を寄せる。地響きや打撃音が聞こえてくる。その音に混じってある名前を拾い、リドは馬車の扉を開けた。
「わっ、リディクス様。走行中に危ないですわっ」
「平気平気。なんか、オルクスって聞こえた気がしてさ」
走っている馬車の戸口から身を乗り出して、村の方を伺う。
「そんな声、聞こえぬがのう」
「私もです」
首を傾げる二人には何も言わず、リドは無言で目を眇める。そして白い雪の中に翻る黄緑色の衣を見た瞬間、頬を引きつらせた。
「……げ。オルクスの奴がスノウギガス相手に乱闘してる」
「エ」
今度はアルモニカが顔を引きつらせた。
「急いでくれよ、御者のおにーさん」
リドの頼みに、御者の男は頷いて、馬車のスピードを上げてくれた。
*
「わー! オルクスってば、冷静になってよ!」
完全に目的を忘れてスノウギガスと格闘戦を繰り広げているオルクスに、流衣は必死で叫ぶ。
「ご安心を。冷静です!」
返事はこの通りだ。
――どこが冷静なんだ。流衣は頭を抱える。
元魔除けの雪人形であるスノウギガスもまた、オルクスを完全に抹殺対象に決めていて、オルクスに燃やされたり蹴り飛ばされたりして身体の一部が吹き飛ぼうと、近くの雪を集めて再生し、執拗にオルクスに反撃していた。
今のところ民家に被害は出ていないが、村の中の小さな広場での乱闘に村人達は大騒ぎだ。
「いけー! そっちだ、やっちまえ!」
「右だ! 右!」
「雪のお化けも頑張ってー!」
……いや、思ったより平和だった。
村人達だけでなく、移動劇団スカイフローラの面々まで出て来て、巨大スノウギガスと亜人に見えるオルクスを応援したり野次ったりしている。
しかし流衣の方はそうはいかない。
(どうしようどうしよう。オルクス、完全に忘れてるけど、そろそろ魔力切れちゃう頃なのにっ!)
恐らく、この場でおろおろしているのは流衣だけだ。
他の人達にとってはすでにお祭り状態だ。娯楽の少ないこの世界では、喧嘩は刺激的なゲームみたいなものらしい。だから、町中での剣士同士の決闘にも野次馬が群がるのだ。
やがて、流衣の心配は的中した。
よりによって、スノウギガスが腕を振り下ろした瞬間にオルクスがオウムに戻ってしまったのだ。
「わー! やっぱりー!」
スノウギガスの腕に弾き飛ばされたオルクスを、流衣は慌ててキャッチする。
「ちょっ、大丈夫、オルクス!」
『うう~、なんのこれしきぃ。わては平気ですぅー。ううー』
……駄目っぽい。
目を回しているオルクスに、流衣は苦笑する。
――ウウゥ、コバエ、コバエ、ドコ?
急に目標を失い、スノウギガスはうろうろと辺りを見回す。
「うわ、兄ちゃんばてちまったのか!」
「やばいわよ、逃げなきゃ!」
「わーっ!」
祭りの終息を感じとり、村人達や劇団員達は慌てて退避する。
元はオルクスが始めてしまった喧嘩だ。それに核をはめてしまったこともある。流衣は覚悟を決めた。
――チッサイ。チビ。コバエ。……ココバエ?
が、スノウギガスが流衣を見下ろして言った言葉に、一瞬にして覚悟を粉砕される。
「小小蠅って、僕、そんなに小さくないよ! ひどい!」
スノウギガスの心無い一言に精神にダメージを負う。
何もそこまで言うことないじゃないか。
ゴーレム相手に内心で落ち込む。
「って落ち込んでる場合じゃなかった。……ええと」
少し考えて呪文を思い出し、爆発の中級の呪文を唱える。
「火、荒ぶりて敵を滅せ! ドーゴ!」
右手の人差指をスノウギガスに向けて叫ぶ。
ドゴォン!
派手な爆発が起き、スノウギガスの上半身が吹き飛んだ。核である天然石が宙を舞う。
「あっ!」
流衣は慌ててそっちへ走る。あれが雪山に落ちたら、また再生するだろうことは目に見えていた。
「お兄さん、右、右! 頑張って!」
一人だけその場に残っていたナゼルの声援を背中に受けて走るが、どう頑張っても間に合いそうにない。しかもこけた。
「うわっ」
前方に向けて軽く飛び、そのままベチャンと地面にダイブする。
『ぎゃ!』
その拍子にオルクスを潰してしまい、オルクスは改めて撃沈した。
「うう、いたたた……」
そんなオルクスに気付かないで流衣が顔を盛大にしかめて突っ伏していると、ナゼルの歓声が響く。
「すごいすごい! ナイスキャッチ!」
「……へ?」
がばっと顔を上げると、突き出していた両手の中に、偶然にも石が収まっていた。パアアと表情を明るくする。
「やった、やったよナゼル君! これでもう大丈夫だね!」
「ありがとー!」
駆けてきたナゼルが喜びの余りタックル並みの勢いで抱きついてきて軽く呻いたが、流衣とナゼルは二人して手を取り合ってその場を跳ね回る。その前に、オルクスはちゃんと救出した。
「なーにが大丈夫だって?」
「どこが大丈夫なんだ?」
が、地を這うような低い声に、流衣とナゼルは同時に動きを止める。
「「え?」」
それぞれ違う方を見る。
ナゼルは昨日フォスターを追い払っていた灰色の髪の隣人の男を、流衣はどうしてここにいるのか分からない赤い髪の少年を。
それぞれ般若の形相を見た二人は、無言のまま凍りついた。