四十八章 魔除けの雪だるま 2
――カタン
夜中。ふいに聞こえた物音が、夢を漂っていた意識に響いた。
「………?」
(なんだろ)
流衣は部屋の扉を見たが、またカタンという音がして、それが外から聞こえると気付く。ひんやりと冷たい石床に裸足で飛び降りて、流衣はそろーっと小さな窓から外を見る。
オレンジ色の光が一つ、ゆらゆらと闇の中に浮かんでいる。
小さな少年が、ランプを片手に黄色い山の方に歩いていく。
(あれってナゼル君……だよね? こんな真夜中にどうしたんだろ)
子どもが一人で出歩く時間帯ではない。
『坊ちゃん、どうしたんです?』
オウムの姿に戻っているオルクスが、寝ぼけた声で問うてくる。
「うん……」
流衣は曖昧に頷きを返しながら、ベッド脇の燭台に魔法で火を灯す。そして着替えに手を伸ばした。
「ナゼル君?」
「ぎゃ!」
黄色い山のふもとでどうにか追いついて声をかけると、ナゼルは悲鳴を上げて飛びあがった。バッと振り返った顔は気の毒な程青ざめていて、流衣は驚かせたことを即座に謝る。
「ごめん、驚かせて」
「……なんでここにいるの?」
「窓から見えたから、何してるのかなって気になって。こんな真夜中に一人で出かけるなんて危ないよ。お母さんが心配するよ?」
ナゼルは一瞬だけたじろいだが、すぐに気を取り直す。
「ばれなきゃ平気だよ。静かにしてよ、ただでさえ雪の夜は静かなんだ、近くの家の人が起きるだろ」
声をひそめて苦情を言ってから、ナゼルは口元に人差指を押し当てた。
確かにナゼルの言う通りだ。しんしんと静かに雪が降っていて、耳が痛い程に静かだ。さぞかし声の通りは良いだろう。
流衣が口をつぐんだのを見ると、ナゼルは再び歩き出した。黄色く染まった山へと向かうので、流衣も後を追いかける。
「どこに行くの?」
「黄色山だよ。夜じゃないと見つからないものを探しに行くんだ」
そして一度立ち止まり、少しだけ迷うように周りを見て、小さな声で言い張る。
「ついてきてもいいけど、母さんには内緒だよ。内緒にするなら帰っても……、……いや、帰ったらダメだ。ばらすでしょ。……別に、一人が怖いからとかじゃないからね!」
大人びた話し方や態度をとる割に、こういうところは子どもっぽいようだ。流衣とて夜に山に一人で入るのは怖いからナゼルのことをとやかく言えないが、夕方にナゼルの冷めた目を見ていただけに微笑ましくなった。
「分かってるよ。僕もこの山には少し興味があったから、ちょうどいいや」
流衣の返事に満足げに頷いて、ナゼルはランプを掲げて歩きだす。黄色山の入口はすぐだった。岩が二つ並んでおり、その間から山に入れるようになっていて、道ともいえないような道が上へと続いている。
一歩、黄色山に入った途端、冬の寒さが消えた。
「!」
驚いて足を止める流衣を、ナゼルは振り返る。
「びっくりした? 僕もここに初めて入った時はすっどく驚いたよ。どうしてか知らないけど、ここはいつでも秋なんだって。長老さんは、常秋の山って呼んでた。ずっと大昔からそうだって話だよ」
涼しく感じる程度の過ごしやすい気温といい、黄色い葉が生い茂る木々といい、確かに秋の様子そのものだ。流衣はランプの明かりを頼りにきょろりと周りを見回す。山が黄色く見えるのは、葉っぱが黄色いからだけではなく、地面の土そのものが黄色いのだと気付く。岩や石に到るまで、どれも黄色い。
地面を踏みしめて山を登り始めたナゼルに慌てて追いつきながら、流衣は疑問を零す。
「ナゼル君は、ここに何を探しに?」
流衣の問いに、ナゼルは「ついてくれば分かるよ」とそっけない。流衣は肩をすくめる。どちらにしろ、ついていけば分かるのだから、あまり追及しないでおくことにする。
『すごいですね、坊ちゃん。結界になっているだろうとは思っていましたが、まさか季節から違う場所とは』
しきりに感心した様子で呟くオルクス。
夜闇の中ではランプの明かりが頼りである流衣と違い、魔物である為にオウムの姿でも夜目がきくオルクスには、昼間のように見えているのかもしれない。
「流石は聖地。魔物が出ないから安心だし、こんな山なら住みたいくらい」
流衣の呟きを拾い、ナゼルが振り返る。
「それはダメだよ。この山、人が住もうとすると、その人に悪いことが起きることで有名なんだ。病気になったり、木が倒れてきて家が壊れたりするんだって」
「……そんな怖い山なの?」
聖地ではなかったのか。いや、聖なる土地だからこその結果なのかもしれない。
「でも、恵みはあるんだ。たまにしか見つからないし、夜にしか分からないんだけど……」
ナゼルは慣れた足取りで斜面を登りながら、やがてパッと表情を明るくして駆けだした。置いていかれてはたまらないので、流衣も走りだす。
斜面を駆け上がり、茂みの間を抜ける。前方の闇が不思議な青色の光に染まっているように見える。ナゼルはそこを目指しているようだ。
「着いた!」
明るい声が響く。
流衣はぜいぜいと肩で息をしながら茂みを通り抜け、その先の光景に呆然とする。
小さな泉があり、そこから下流へと水が流れている。その水が全て青く光っていて、仄かに明るい。
「綺麗だ……」
そうとしか表現できない光景だった。
自然には決して見ることの出来ない景色だろう。まるで御伽の国に出てくる聖なる泉だ。近くに妖精がいないかと、無意識に探してしまった。
「そうだろ。村の人達は、聖なる青の泉って呼んでるんだ。本当か知らないけど、魔法を解く効果があるんだって」
ナゼルはそこでおかしそうに肩を揺する。
「母さんは、美容に良いって瓶に入れて使ってるよ」
「へえ……」
温泉みたいなものか?
流衣は首を傾げたが、温泉ならば魔法を解くなんていう御伽じみた効能があるわけがない。
ぼけっと泉を見つめる流衣にナゼルは言う。
「なんか、お兄さんって母さんと雰囲気が似てるんだよね。地味なのに、人が良さそうに見えるから三割増し良く見える外見とか。お人好しそうな見た目とか」
「…………」
さらりと失礼なことを言う。流衣だけでなく、ナゼルのお母さんにもものすごく失礼だ。
「で、実際、お人好しなんだ。じゃなきゃ、こんな所までついてこないもんね」
流衣は何と返したものかと苦笑を深める。流衣が何も言い返さないのをいいことに、ナゼルは更に声を低める。
「お兄さん、気を付けた方がいいよ。母さんみたいに害虫がやって来るかも」
「……いや、それはないと思うけど」
乾いた笑みを零す。ナゼルの母親みたいに異性に言い寄られるはめになるとは到底思えない。自分の地味さ加減はよく理解しているつもりだ。
「僕の友達のお父さんが言ってたんだ。平凡な顔だけど性格の良い人は、下手に美人よりも性質が悪いって。みんな、平凡な顔の方が親しみを持ちやすいんだって」
「どういう受け売り? 否定しきれないのが、なんかなあ。うーん」
流衣はもごもごと呟く。ナゼルの友達のお父さんは面白いことを言うんだなあと思うと同時に、母親につく悪い虫を害虫と表現しているのは、その人の受け売りなのではないかと勝手に推測する。否定しきれないあたり、信憑性があるように思えた。
それにしても、ナゼルの口はくるくるとよく回る。頭の回転も良いのだろう。
「あ!」
ナゼルは急に声を上げ、泉から流れる小川の方へ駆け寄った。
「見つけた! 今日はついてる! ふふ……、これであの害虫を追い払えるぞ!」
川から何かを拾い上げ、不気味に微笑むナゼル。目を爛爛と輝かせているのを気味悪く思いながら、流衣はそろりとナゼルの手の中を覗きこんだ。
「………魔昌石?」
青く光る四角い石だ。
「違うよ、これは天然石。泉の側でときどき見つかるんだ。夜だと光って見えるけど、昼間だと見つけるのが難しいんだ。魔力がたくさん含まれているせいで高く売れるんだけど、いつも見つかるわけじゃないから、あんまり人には知られてないんだよ」
知ってる人でも、なかなか拾えないからあまり来ないしね。
ナゼルは付け加え、害虫――フォスターという小太りな貴族の男を追い払う算段がついて嬉しそうににやにやする。
どうして魔力の詰まった天然石が害虫退治につながるのか謎だが、これでナゼルの目的は達したようだ。
「天然石が泉にあるの? しかもときどきだけ?」
流衣は首を傾げる。
「そうだよ。ローズクォーツ、シトリン、ペリドット、水晶……っていう風に、色んなのがあるんだ。不思議でしょ? でも、この山自体が不思議だし、僕らは気にしてないよ」
確かに、不思議満載な場所に不思議が埋もれていたとしてもそれは普通なのかもしれない。
「さーて、帰って雪だるまに埋め込まなくちゃ! お兄さんも手伝ってよ」
「………え?」
「僕一人じゃ、あの雪だるまの頭に手が届かないでしょ」
「はあ」
いったいナゼルが何をしたいのか分からないが、ここまできたら最後まで付き合ってみようかと流衣は曖昧に頷く。ほとんど好奇心が勝っていた。
黄色山を下りた頃、ちょうど朝日が滲みだしていた。
夜中に宿を出たつもりだったが、どうやら朝方だったらしい。
流衣はじんわりと滲む白い光に目を細めながら、まだ薄暗い村の中を歩く。流衣達が山にいる間に雪が足跡を覆い隠したようで、地面はまっさらだ。そこへ足跡を刻みつけながら、宿まで戻る。
「お兄さん、この石を雪だるまの右目にはめて」
青く光る四角い石――水晶と思われる石を流衣の手に押しつけ、ナゼルは雪だるまの一番上を見上げる。ナゼルの言う通り、ナゼルでは手が届かない位置だ。流衣ならば背伸びをすればぎりぎり届く。
「いいけど……これって何か意味あるの?」
当惑して問う流衣に、ナゼルは胸を反らす。
「昨日言ったでしょ、これは魔除けの雪人形だって。通りがかる人を監視して、怪しい人を追い返すんだ。大丈夫、念ならたっぷり込めたから!」
にっこりと笑うナゼル。
「……う、うん」
何が大丈夫なのか謎だ。ますます当惑しつつ、雪だるまの右目にはまっている木の実を取り除き、石をはめ込む。
一瞬、右目がキラリと青く光った気がした。
「これでよし! 待ってろ害虫~っ!」
ガッツポーズを決めてから、再びふふふふと不気味に微笑みだすナゼル。
流衣は一歩引きつつ、この少年が将来、呪術めいた危ない世界に足を踏み出さないことを祈った。黒いオーラが見える気がするのだが、うん、きっと気のせいだ。
これが一体どうなるのか、流衣は内心おののきつつも、ナゼルがあの貴族の男を追い返すのに成功すればいいなとも考える。ナゼルのお母さんも嫌がってたみたいだし。
自分にそう言い聞かせ、やはり不気味に微笑んでいるナゼルから目を反らした。
部屋でもう一眠りしてから、流衣は朝ご飯を食べに階下に下りた。人型になったオルクスも連れて、だ。
「あの少年、なかなか魔法の才があるようですね」
オルクスは野菜がごろごろと入った野菜スープを口に運びながら、思い出したように呟いた。
「あの少年って?」
豚肉のように見える燻製肉のソテーをナイフとフォークで切り分ける手を止め、流衣は向かいに座るオルクスを見る。
オルクスは肉にはいっさい手を付けず、野菜だけを選んで食べている。肉自体は食べれないことは無いらしいが元々好きではない上、死んで数日経ったような不味い肉はおぞましくて食べられないらしい。
「あのナゼルという子どもですよ。さっきの魔法、なかなかの仕上がりでした」
「……魔法?」
ぐぐっと眉間に皺を刻む流衣。魔法なんて使っただろうか?
「魔除けの雪人形ですよ。魔力を練り込んだ上に核まで埋め込んだ、立派なゴーレムではありませんか」
「……ゴーレム?」
「なかなかの出来ですよ。混ぜ込んだ魔力分と術者の言う事しか聞きませんが、核がある分、長持ちしますしね。いい番人になりましょう」
「ちょ、ちょっと待ってオルクス。ゴーレムって言った?」
流衣はテーブルに身を乗り出す。今度はオルクスが眉を寄せる。
「坊ちゃん、服にソースがついてしまいますよ」
その忠告には従ってソテーの乗った皿に服がつかないように身を離してから、流衣は言う。
「ねえってば、ゴーレムって言った? さっき」
「ええ、言いました」
「……ゴーレムって、粘土に魔力を混ぜ込んで作るんじゃなかったっけ?」
町の中を、荷物の運搬の為にうろついている黒いゴーレムを思い浮かべながら、流衣は確認する。
「ああ」
オルクスは流衣が何を言わんとしているのか、やっと気が付いたようで、丁寧に教えてくれる。
「よく町中で見かけるゴーレムは、確かに黒い粘土を使っていますよ。あれは魔力を吸収しやすい特性がある粘土なので、手軽に扱えるのです。魔力を練り込めば、普通の粘土や雪でだってゴーレムを作ることは可能です。ただしそちらは技術がいりますが」
そして付け加える。
「ですから、わて、あの少年は歳の割に良い魔法の使い手だと褒めたのです。教えている人間が良いのやもしれませんね」
オルクスはにこやかにそう言うが、流衣の肝は冷えた。頬が引きつる。
「……じゃあ、魔除けの雪人形って、つまり、本当にそういうものなの?」
そういうものというのは、通行人を監視する、ということだ。ナゼルは怪しい人間を追い払うとも言っていたが。
オルクスは不思議そうな顔になる。
「そういうものでなければ、どうして作るんです?」
「いや、遊びとか、色々あるでしょっ」
「なるほど、そういう使い方もあるのですね」
感心するオルクスを前に、流衣は頭を抱える。この世界では、ときどき常識が通じなくて困惑する。というより、そもそも流衣の常識を持ちこむのが間違っているのかもしれない。
やれやれと椅子に座り直した時、「うわあああ!?」宿の表から誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
びくっとそちらを見る。
「朝から騒がしいですねえ」
オルクスはのんびり言って、飾りで皿に置いてある花をフォークで刺して口に運ぶ。一般人なら常識を疑うところだが、流衣はそうも言ってられない心境で、悲鳴の原因を確かめるべく席を立ち、食堂を飛び出した。
※常秋:作者の造語。常夏をもじってみました。