四十七章 山越えと魔力の溜まり場
スル=ヴェリの町までオルクスの転移魔法で戻ってきたはいいものの、アカデミアタウン行きの乗り合い馬車はすでに出発した後だった。
(やっぱりね、こうなる気はしてたよ……)
昼間に戻って来ることが出来ただけでも奇跡か。
流衣はがっくりと肩を落とし、深い溜息を吐く。すると空気が白く染まった。
空を仰ぐと、日は真上より西に傾いていた。だいたい午後二時くらいだろうか。
「うーん……また面倒事に巻き込まれるの嫌だし、このまま行こうかなあ」
道の端に突っ立って、アカデミアタウン方面をじっと見つめてぼそぼそと呟く。
『山の手前にあるという山小屋で一泊されてはいかがです?』
オルクスの提案に、流衣はこくんと頷く。
「そうだね、それなら夕方には着けそうだし……。よし、行こう!」
自分自身に気合いを入れ、流衣は頷くままに歩きだす。いや、歩き出そうとしたのだが、突然左手を引っ張られ、凍りついた路面で足を滑らせる。
「いったぁ!」
カチコチに凍っている石畳の道路に、倒れた拍子に腕を強打して、座り込んだまま悶絶する。他の部分は痛くないけれど、肘が猛烈に痛い。
「きゃあっ、ごめんねルー兄!」
すぐ目の前でわたわたおろおろと左右に歩き回っていた小さな女の子も、流衣と同じく足を滑らせて転倒する。
「きゃっ」
「うわ!」
倒れてきた女の子を咄嗟に抱き止めるも、今度はそのまま雪面に背中から倒れる。後頭部まで打つオマケ付きだ。
「………うう」
痛い上に冷たいしで泣きそうになる。ジンジンと鈍い痛みを訴える頭から気を反らし、粉雪が舞い降りてくる灰色の空を睨む。痛い。ものすごく。
「ったく何やってんだよ、ジェシカ。バッカだなあ」
赤い毛糸のニットの帽子を被った少年が、視界に割り込んだ。緑色の目を馬鹿にしたように細め、女の子に手を貸して立たせる。
「わ、わたしバカじゃないもん。ううっ、うわぁぁん! ごめんねルー兄、ちょっと驚かせたかっただけなのぉー!」
少年の言葉が引き金になったのか、女の子はわんわん泣き始める。転んだことに驚いたのもあるのだと思う。
「……ええと、もしかしてジェシカにランス……?」
流衣は後頭部をさすりながら身を起こし、泣いている女の子と眉を寄せつつ宥めている少年を交互に見る。流衣の記憶が正しいならば、一年前に世話になった移動劇団スカイフローラの団員の子ども達のはずだ。
「よっす、久しぶり」
少年――ランスは軽く手を挙げた。記憶にあったランスは流衣とほぼ身長が変わらなかったはずなのに、今では随分背が伸びている。
(成長良すぎだよ……)
前にも思ったことを思う。二~三センチは伸びたはずの流衣より高く見えるということは、一年で五センチかそれ以上は伸びていることになる。
とりあえず立ち上がってみて、やはり背が高いことを再確認し、頬を引きつらせつつ問う。
「背、伸びてない?」
「そりゃ伸びるだろ。俺、成長期だし。ルイは相変わらずちっせえな! 本当に俺らより年上なのか?」
「うぐっ、年上だよ! 今は十六歳だからね、僕」
「十六! 成人してんのに、それかよ。ぎゃははは」
腹を抱えて笑いだしたランスの頭に、背後から近づいてきた少女の鉄拳が振り下ろされる。
「失礼なことを言わないの! しかもジェシーを泣かせてっ!」
前よりも大人びて見える少女・ルディーは、相変わらずすぐに手が出るらしかった。ランスは頭を押さえて唸っている。
流衣はハッとし、ひとまずジェシカの前にしゃがみこむ。
「ジェシカ、僕なら大丈夫だから泣かないで。ほらほら、オウムさんだよ~」
『うげっ、坊ちゃん! ひぇぇぇ』
手っ取り早く動物で釣ろうとオルクスを両手で持って、泣いているジェシカの眼前に見せびらかせる。
ジェシカはぴたりと泣き止み、「オウムさんだぁー!」きゃあきゃあ言いながらオルクスを抱きしめた。
『ひ、ひどいです坊ちゃん。ぐぇぇ、苦しぃーっ! お放しなさい、子どもー!』
動物の一番の天敵は子どもである。
じたばたと暴れるオウムと、遊んでくれていると勘違いしているジェシカを見つつ、この言葉は真理だと流衣は頷いた。少ししてジェシカの機嫌が直ったのを見ると、流衣はオルクスを救いだす。
やや生気の抜けかけたオウム殿は、流衣の肩の上でぐったりとうなだれつつ、パサパサになった羽を嘴でつくろい始める。
「ところで、お前一人? リドさんやディルさんはどこだよ」
立ち直ったランスの問いに、流衣は首を振る。
「今は僕一人で旅してるんだ。ランス達はどうしたの? 公演?」
「ん、まあな。アカデミアタウンで文学祭り? とかいうのがあって、そこで劇をしてくれって招かれてるんだよ」
「ランス、文学祭りじゃないわ。白の文学祭よ。ほら、アカデミアタウンって貴族の子どもがたくさん住んでるでしょ? それで、静謐の季節になると、外に出られないから退屈ってわけで、何かと都合つけて劇団や楽団を呼ぶのよ」
ルディーの説明に、ランスは嫌そうに顔をしかめる。
「そうそう。貴族どもの憂さ晴らしってわけ」
はーあと溜息まで零すランスの頬を、ルディーは容赦なく引っ張る。
「そのお陰でご飯食べられるんでしょ! 嫌な言い方しないの!」
「ひででででっ、ってぇな! 俺は貴族は嫌いなんだよ! いちいち鼻につく話し方しやがるし、面倒だからな!」
ルディーの手を振り払い、ルディーから距離を取りつつ憤慨するランス。逃げ腰なので迫力はないが、貴族が嫌いだという気持ちは伝わってきた。
ランスは文句を言って落ち着いたのか、今度は残念そうに溜息をつく。
「はーあ、そっか、リドさんやディルさんいねえのか。また決闘を見せて貰おうと思ったのに」
「そんなこと言って。本当は剣の稽古つけて貰いたかったんでしょ」
呆れた声で言いながら、道の向こうから黒茶の髪をした少年が歩いてくる。茶色の耳当てをしていて、後ろで長い髪を一つに纏めていた。暖かそうなコートを着ているのに、寒そうに腕を抱えて身を竦めている。
「久しぶり、ルイさん」
「久しぶり~」
にこりと笑う少年――サジエに笑顔を向けつつ、流衣はますますショックを受けた。ランスと同い年のはずなのに、サジエは流衣とほぼ同じ身長になっている。本当に、ここの人達は成長が良すぎると思う。
「聞いてよ、ルイさん。こいつね、前にルイさん達と別れた後から急に体力作りとか始めて、毎朝木剣で素振りしてるんだよ」
にやにやとランスの行動を暴露するサジエ。
「うるせえ、余計なこと言うな! あと、何で知ってんだよ!」
「はあ? 気付かないわけないだろ、同じ部屋で寝起きしてんだよ、俺。あと、前にディルさんが言ってたトレーニングメニューをこっそり試してるのも知ってる」
「だぁぁぁ! やめろそれ以上口を開くな!」
ランスはサジエに飛びかかり、腕で締め上げにかかる。サジエはぎゃあぎゃあ言いながらも、腕をバシバシ叩いて迎え打っている。
「……ほんっと馬鹿よね、男って」
ぎゃいぎゃい騒いでいる少年達に生ぬるい視線を注ぎつつ、ルディーは笑う。意味が分かっているのかいないのか、ジェシカもこくこくと頷いている。
流衣は苦笑する。ランスの気持ちが分からないでもないのだ。リドやディルみたいに戦い慣れしているのは、同性から見ても憧れだから。
「それで、ルイ君はどこを目指して旅してるの?」
ルディーの問いに、流衣はアカデミアタウンの方向を示しながら言う。
「僕もアカデミアタウンを目指してるんです。訪ねたい人がいて……。乗り合い馬車を乗り過ごしてしまったので歩いていこうかと」
「そうなの?」
ルディーは少し驚いた顔をする。
「はい、それで折角会えたところをすみませんけど、そろそろ出ないと夕方までに山小屋に着けないと思うので、僕はこの辺で失礼しますね」
流衣は軽くぺこりと頭を下げると、あっさり身を翻して歩き出す。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと! 待ちなさいってば!」
「へ?」
唖然としたルディーだったが、我に返ると慌てて流衣の腕を掴んで引き止める。流衣は振り返り、首を傾げる。
「へ? じゃないわよ、へ? じゃっ! アカデミアタウン方面の山にはスノウギガスやホワイトグルゥが多いから危険なのよ! あのお友達二人が一緒ならともかく、一人で行くなんて無謀よ!」
「はあ……」
ホワイトグルゥって何だろう。
流衣は首を傾げつつ、頬をかく。
「そう言われても、乗り合い馬車を待ちたくなくて。また面倒事に巻き込まれそうで……」
「何があったか知らないけど、もう、そういう時は知り合いを頼りにするものよ!」
「……知り合い?」
きょとんとする流衣。
何故かルディーは頭を抱える。
「あのね、そもそも旅っていうのは大人数でするものなのよ! 旅人は楽団や劇団、隊商の列なんかに加わる場合も多いし、余程の理由がない限り一緒に来るのは断らないわ」
「へえ、そうなんですか。皆さん優しいんですね」
感心して言うと、ルディーは今度は頭が痛そうに額に手を当て、疲れたように溜息をつく。
「……だからそうじゃなくてっ」
「?」
今にも暴れ出しそうなルディーから身を引きつつ、何が言いたいのか分からなくて首をひねっていると、ランスとの喧嘩に決着をつけたらしいサジエが呆れた声で口を挟んだ。
「つまりルディー姉さんはこう言いたいんだよ。一緒に来ればいいって」
流衣は目を瞬き、慌てて首を振る。
「いや、そんなの悪いよ!」
「なーにが悪いんだよ。意味分かんねえ」
心底不思議そうなランス。さらに付け足す。
「あと一刻の自由時間が終わったら出発するんだ。同じ方向なら一緒に来りゃ良いじゃねえか」
「あんた、珍しく良いこと言うじゃない」
「珍しくは余計だ、ルディー姉!」
キッとルディーを振り返るランスだが、ルディーはどこ吹く風の体である。
「え、え、でも、やっぱ悪い気が……」
「一緒に行こうよ、ルー兄! ね、いいでしょう?」
懸命に背伸びしながら言い募るジェシカを見て、流衣は口ごもる。小さい子に純粋に頼まれて断れるわけがない。
逡巡した後、結局負けた。
「……分かった。同行させて貰うよ」
流衣が頷いた瞬間、わーいとジェシカは喜んで飛び跳ねる。その後ろでルディーがほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
『良かったですね、坊ちゃん。歩かずに済みます』
「うん、そうだね」
流衣は偶然を喜ぶオルクスに小さな声で返した。
*
夕方になって辿りついた山は、雪で真っ白に染まり、ぼんやりと青い光が浮かび上がる不思議な所だった。
夜に山越えする危険を避け、今日はふもとの山小屋で一泊するという。そうして馬車から降りて飛び込んできた光景に、流衣はぼけっと立ち尽くした。息を呑むほど幻想的で綺麗な光景だ。
危険度が高すぎて、移動劇団スカイフローラの団長であるクレメンスが、魔物対策にウィングクロスから護衛を雇ったほどの山とはとても思えない。
『凶暴な魔物が多いわけです。この山、魔力の溜まり場があちこちにあるみたいですね』
肩にちょこんと乗ったオルクスが、くるりと周囲を見回してそう結論を出した。
「魔力の溜まり場と魔物の強さって関係あるの?」
『ええ。例えば竜は産卵場所に魔力の溜まり場を選ぶ傾向が強いですし、魔力を栄養源にしているような魔物は、力の強い場所に惹き付けられやすいですから。他には、そうですね、魔物は負の要素が集まって出来ているようなものですから、戦場跡や怨念の残っている廃墟などにも特に多いですね』
「それは……怖いね」
戦場跡に多い魔物はやはりゾンビやスケルトンなのだろうか。想像すると怖い。完全にホラーだ。
しかし、魔力の溜まり場が多いのなら天然ものの魔昌石も多く落ちているだろう。せっかくだから拾っていこう。
流衣はルディーに一言断ってから、馬車の側を離れる。
避難場所の目的で造られたという山小屋は、それほど大きい造りではない。大人が五人入れたら良い方かという程度だ。雪の重みで小屋が潰れないよう、三角の屋根をしているので、まるで御伽噺に出てくる小人の住む家のようにも見える。外から見たところ窓はないようで、屋根の庇に垂れ下がっている氷柱がキラリと西日を弾いているのが目に映った。
さくさくと雪を踏みしめて山小屋の周りを歩き、目についた魔昌石を拾って、鞄から出した空の布袋に放り込んでいく。クレイヴォーレでの療養生活でだいぶ懐も寂しくなってきたし、小遣い稼ぎにはちょうどいい。
(ほんと生活力上がったよなあ)
自分自身に感心する。
これなら元の世界に帰っても、しっかりしなさいと親に小言を言われることはなくなるかもしれない。
(そしたら兄さんだって毎回帰ってくるたび心配しなくなるし、学校でも男っぽいとか言われたりして)
未来の予想図をむくむくと脳裏にえがき、流衣は浮き浮きしてきた。
男らしい。
一度は言われてみたい単語だ。
今までの人生経験上、一度も言われたことのない言葉に、流衣の憧れはひとしおだった。
『坊ちゃん? 大丈夫ですか?』
うっかり想像に浸ってぼんやりしていたら、オルクスがものすごく心配そうに尋ねてきた。
流衣はハッと我に返る。
「あっ、ごめん。ちょっと将来の理想図を」
『はあ』
オルクスは首を傾げる仕草をする。
そして何か考えた末、こんなことを言う。
『疲れがたまっているのでは? 今日は朝から色々ありましたし』
「……そうだね」
いいや、そういうことにしておこう。
オルクスにもしっかりしているように思われるように頑張ろう。流衣は自分に気合いを入れた。
*
「まさか、あのオウムが亜人だったなんてな」
馬車の背中を手でぐいぐいと押しながら、心底呆れた様子でランスが言う。
「うん、まあ」
流衣は小さな嘘に良心を痛めつつ、頷く。そして自身もまた馬車の背中を両手で必死に押す。ランスの向こう側にはサジエの姿があり、流衣の左隣には劇団員の青年が、馬車に寄りかかるようにして背中で馬車を押している。
流衣達が何をやっているのかというと、馬車の車輪が雪だまりにはまってしまったので、それを劇団員総出で押して脱出をはかっているのだ。馬車の側面にはルディーやジェシカもいる。ちょうど山小屋を出発してから昼前の出来事だった。もうかれこれ三十分は苦戦している。
雪だまりにはまってしまった先頭の馬車は、荷物を下ろせばステージになる造りをしている。だから住居スペースよりは軽いのだが、馬車一台につき牛が一頭で引っ張っていることと、急な上り坂ということでなかなか突破出来ないでいた。
寒さで手がかじかんでくるし、馬車の周りでは、ここぞとばかりに襲ってくる魔物を護衛やオルクスが対処中で、色んな意味で楽しくない。というか、魔物の雄たけびや断末魔が聞こえてきたりして、寒さだけではなく背筋が冷えてくる。
ふと、馬車ががくんと前に進んだ。
「やった」
表情を明るくして顔を上げると、左の視界に黄緑色が見えた。オルクスが人の姿をとる時に着ている黄緑色の長衣だ。
「おや、動きましたね」
オルクスは涼しげな顔でぼそりと呟く。右手は馬車の背に当てている。
「…………」
流衣は悟った。雪だまりを通過したのはオルクスのお陰だと。高位の使い魔であるオルクスは、素手なのにとても強い。拳や蹴り、ときどき魔法で魔物を屠るのだから、腕力だって相当あるのだろう。それ以前に、格闘が得意みたいで、体裁きは素晴らしいものがある。
クレイヴォーレの町に療養で滞在中、盗賊団が攻めてきたのだが、騒がしいので黙らせてくると言って、本当にそうしてしまったのだから恐ろしい。あの時は、流衣を手助けする為に、オルクスは一日のほとんどを人の姿で過ごしていた。オウムに戻りそうになった頃に魔力を補充すれば継続して人の姿でいられるらしいのだ。お陰で流衣も慣れたもので、こうして劇団に随行している時も、ときどき魔力を分けていた。
「魔物はいいの?」
流衣の問いに、オルクスはにっこり笑う。
「あんな低級、相手にもなりません故」
確かに、一撃で地に沈めていたのを見ると、遊んでいるうちにも入らないのかもしれない。本当に、呆れてしまうくらい強い使い魔殿だ。女神様に仕えているというのは伊達ではない。
「ホワイトグルゥを低級呼ばわりか……」
隣の青年も呆れ果てている。
ホワイトグルゥというのは、体長二メートルにもなる巨躯をもった猿の魔物で、雪に紛れる為に白い体毛をしている。とても攻撃的で、縄張りに入ってきた人間を襲う傾向が強い。それが例え街道だろうと同じことだ。ゴリラのようなごつい見かけの割に俊敏で、それでいて木をへし折るほどの腕力の為に危険視されている。
しかしオルクスにかかればただの低級らしい。魔力の溜まり場が多いからと、念の為に人型をとってくれているが、もしかしたら杞憂だったんだろうか。
(いやいや)
流衣は思い直す。
オルクスが人型をとって相手しているから弱く見えるだけだ。比べるのがそもそもの間違いなのかもしれない。
章題に悩んで適当に付けました。後から書き直すかもしれません、と一応書いておきます。
やっとシリアス展開を抜けたので楽になりました。波があります。
12/17 章タイトル変更。更に、後半を加筆しました。
次章予定でしたが、合わなかったので急遽こちらに入れました。