二十四章 白い花の木の下で
「魔法には基本属性として、火・水・地・風・光・闇の六つがあります。これらの魔法は、魔力と呪文を用い、精霊に働きかけることで誰にでも使用可能ですが、人には属性の相性がある為、中には使えない属性もあります」
教壇に立つ黄土色の神官服を着た中年の男が、訥々と話しながら、黒板にチョークで属性を書いた。
流衣は話を聞きながら、必死で欠伸を噛み潰す。さっきから、何個の欠伸を噛み潰しただろう。この教師、話は面白いのだが、話し方が眠気を誘う。気付けば、教室内の約六割は夢の中へと旅立っていた。
そんなことにはお構いなしに、教師の説明は淡々と続く。
「例えば、私は水の魔法が得意ですが、火の魔法はからっきし苦手です。初級魔法程度ならば、余程才能がない者を除けば全属性の使用が可能でしょうが、中級からは異なります。勿論、努力をすれば全ての魔法を使うことは出来ますし、努力をせずとも全属性を使える者もいます。それでも得意分野と不得意分野はあるものです。料理は好きだけれど、掃除が嫌いというのと似ています」
その例えは何だか微妙だ。
そう思ったところで、とうとう眠気に負けて、机へと突っ伏した。
「ふあーあ」
流衣が大欠伸をした隣で、リドが思い切り伸びをした。
「「…………」」
二人は何となく決まりが悪くなり、互いにあらぬ方に視線を向けた。
神殿で魔法を教える講習会が開かれていて、一定の寄付金さえ払えば誰でも参加出来ると聞いたので、魔法の勉強の為に訪れたはいいが爆睡してしまったのだから、どれだけ気まずいか分かると思う。
二人そろって溜め息をつく。
「……出るか」
「そうだね」
リドが仕方なさそうに言い、流衣も何となく教室を出たい気分になっていたので頷いた。二人は緩慢な動作で立ち上がり、それぞれの荷物を手に取り、教室を出る。教室には、二コマ目にも参加するのか、まばらながらまだ人が残っていた。
流衣は自分の為に勉強に来たが、リドは魔法についてはさっぱりである為に興味を覚えてついてきた。結果、あっけなく眠気に敗北。
「ルイ、どこまで聞いてた?」
「人には魔法の属性の相性があるってところまで」
「すげえな。俺は魔法についての説明と基本属性のところで負けた」
「……それはすごい。十分でアウトか」
流衣は苦笑気味に唸った。リドは若干疲れ気味に、ちらりとこちらを見た。
「お前はどうなんだよ?」
「三十分で敗北したよ。あとの残りの三十分、何話してたんだろう」
「黒板の図だと、属性の相性が書いてあったな。火は水と相性が悪いとか、そういうのだ」
「ふーん」
気のない返事をする流衣。時間割のプリントを貰ってきたので、それを眺める。二コマ目は、初級魔法編だったようだ。そっちは習得済みだから、まあいっか。
魔法を教えるのは神殿の役割で、ラーザイナ魔法使い連盟――通称、杖連盟が教えることはないらしい。杖連盟はあくまで仕事場であり、研究機関や研究発表は存在しても教育まではしないのだそうだ。それで、神殿が格安の授業料で、一般人向けに講習会を開いているらしい。
流衣達が目指している魔法学校はというと、あれはどちらかといえば貴族の令嬢や令息の行儀見習いとしての寄宿学校に近く、貴族やお金のある庶民くらいしか通えないのだそうだ。ヴィンスからの情報なので間違いない。
「あっ、明日の授業は面白そうだよ。結界の張り方だって。実技だったらきっと眠くならないよね!」
「だと良いけどなあ」
今日の授業の印象が強いせいか、気乗りしなさそうに頷くリド。流衣は励ますことにした。
「眠いのはあの先生の授業くらいだよ、きっと大丈夫」
「分かった。そう思うことにする」
王都の通りは広く、人や馬車などが多く行き交っている。そんな騒がしい雑踏を歩きながら、二人は王城を目指して歩いていく。
ヴィンスの好意で、夜会まで、王城の客室を使うようにすすめられたのだ。城なんて恐れ多いと城下町に宿を取ろうとしたのだが、ディルが受けてしまったので、なし崩し的に客室を使うことになった。
その当のディルはどうしたのかというと、城下町に下りようとしたところで、魔法騎士としての師匠リリエノーラに遭遇し、修行という名の雑用の為に連れて行かれてしまった。
リリエノーラさんって本当に近衛騎士団団長だったんだ……。流衣はぽつりと呟き、ディルが引きずられていく様を唖然と見送った。そうだなあ、と、リドも呆然と返していた。あれを止める勇気など、どちらにもない。
「何だか賑やかだね。飾りも付けられているし」
城下町では、町の住人と思われる人々があちこちに花やリボンなどで飾りつけたりしていて、何かの準備をしているように見えた。
それを見て、リドが何かを思い出したように声を漏らす。
「あ、そういや、もう建国祭の時期だったな」
「建国祭?」
流衣は目を瞬いて、首を僅かに傾げる。
「建国記念日みたいなもののこと?」
「そ。豊穣の第三の月一日が、ルマルディー王国の建国日なんだ。あとは、収穫祭も込みで、纏めて盛大に祝うんだよ。祭りは三日あるから、そうか、夜会はその最終日なんだな」
始めは説明してくれていたものの、最後には自己完結してしまうリド。流衣は怪訝な顔になる。
「祭りの最終日って何か意味があるの?」
「カザエ村だったら、恋人の祭典みたいな意味があって、広場で異性をラストダンスに誘うと告白した意味になるっていうのがあったけどな。ここだとどうなんだろうな? 俺も詳しくは知らねえ。ディルに聞いてみるか」
「そうだね。つかまるといいけど……」
リリエノーラに連行されていった姿を思い出し、何となく、つかまらない気がした。もしかしたら、雑用を手伝えっていうのは祭りの準備なのかもしれない。
そこでふと、ある可能性に思い至る。
「夜会って、騎士団の人は、みんな警備してるってこと……だよね? 団長の弟子だし、ディルも駆り出されたりするのかな?」
流衣の問いに、初めてその可能性に気付いたリドは目をしばたたかせた。
「うーん、女王様の誘いがあるし、それは無いんじゃないか? せいぜい、夜会の準備止まりな気がするが」
そっちも確認取っておこうぜ。
リドがさらりと提案し、流衣はこくりと頷いた。
* * *
翌日の講習会での結界の張り方についての講義は、エドガーに教わってノートにメモしていたものと同じだった。
眠気を誘う声で説明をする教師の説明を一通り聞くと、生徒達は神殿の中庭に出て、自分で結界を張る練習をする。結界張りに必要な魔昌石やチョークは貸し出してくれたので、練習するのに集中すればそれで良かった。
五角形になるように、二重円とその周りに呪文を書き、最後に魔昌石を乗せて呪文を唱えるのだが、いちいち呪文を書かなくてはいけないのが面倒だった。
(これ、簡単に出来ないのかなあ)
結界を張るのは簡単だったが、手間がかかるので、少し頭をひねる。何かこう、紙に書いておいて、それを何度も使えば便利ではないかと思う。小さな厚紙に書けばいい。しかし、それだと魔昌石を置いても風に飛ばされるかもしれない。必要な魔昌石は小さいものだから……。
考え出したら面白くなってきたので、講習会が終わるとリドに断わってから、王都内の店を巡り、厚紙と薄い板切れ、小さめの空の魔昌石五個を買い、城に戻る。そして一人、客室にこもって試作してみた。王城の建物の中では魔法使用を禁じる結界が張られていて使えないので、一通り作ったら、残りは勉強に当てる。
が、すぐに気詰まりして、投げ出した。
読書は好きだが、教科書を読むのはまた別だ。もって一時間半で嫌になり、客室の重厚な樫製の扉を無言で見つめた。
「……何か作りたいなあ」
腹が空いたわけではないが、暇つぶしに料理でもしたい気分だった。何かを作っている時は気が楽だ。楽しいから。
しかしここはお城である。台所を貸してくれとも言い辛い為、侍女に散策しても大丈夫な所を教えてもらい散歩することにした。
「演習場か~」
王城の警備を一手に引き受けている近衛騎士団の団員達が、そこで日々、身体を鍛えているんだそうだ。
ディルがいるかもしれないとそこまで歩いていくと、ふいに横合いから声をかけられた。
「あら、こないだの子じゃない。久し振りね」
リリエノーラ・ヴェルディーだった。ディルの魔法騎士の師匠で、噂の近衛騎士団団長だ。
前にブラッエの町で見たような、白でコーディネイトされた衣装と鎧を身に纏っている。演習場のすぐ横にある宿舎から颯爽とした足取りで歩いてきたリリエは、人好きのする笑みを浮かべて右手を軽く上げた。
「お久し振りです。前は湿布をありがとうございました」
流衣も微かに笑みを浮かべ、会釈を返す。「久し振り」というのは、リリエがディルを連れていった時は、素早すぎて挨拶する暇がなかったからだ。
「ふふ、いいのよ、あれくらい。真面目な子ね」
リリエはくすりと笑みを零し、そこで急に声を小さくした。
「ところで、ディルはどう? 迷惑をかけていない?」
「迷惑なんてそんな。むしろ助かってます。魔法のアドバイスもしてくれるんですよ」
「ふうん、それなら良かった。あなた達についていってるって聞いて、押しつけたみたいで気にしてたのよね。同年代だから仲が良いのかしら?」
リリエは一人でぶつぶつと呟いて結論付け、それからにこりとほほ笑んだ。
「そういえば、あなた達のこと、聞いたわよ。公爵様のことを助けて下さったそうじゃない。近衛騎士団団長として、お礼を言わせて貰うわ。どうもありがとう」
「い、いえ」
大人の女性に急に畏まって礼を言われ、流衣はわたわたと手を振る。
「城に滞在中、何か入用なものがあったら言って頂戴ね。都合するから」
リリエは片目を軽く瞑る。
「弟子がお世話になってるお礼も兼ねて、ね。あの赤い髪の子にも言っておいて」
「はいっ、分かりましたっ」
流衣はぎこちなく返事をして、それからふと思いつく。
「あ、あのう、それなら……」
丁度良いので、思い切って厨房を貸して貰えるように頼んでみた。リリエは目を丸くした後、了承してくれた。
三時間後。
兵舎の厨房を借りて作ったクッキー地のベリータルトをリリエノーラにお裾分けしてから、流衣は自分の分の一皿を持ち、客室の方へのんびり歩いていた。菓子を作っていたせいだろうか、もう夕飯時だというのに、それ程空腹を感じていない。
「おい」
城の方へ続く通路の両脇には赤や黄色の花が植えられている。その間を通っている途中で、ふいにどこかから呼び止められた。
流衣はきょろりと周りを見回した。しかし、どこにも人影が見えない。気のせいかと再度足を踏み出すと、また声がした。
「お前のことだ。例の客人か?」
そこでようやく、声の主を見つける。
白い花が咲いている背の高い木の下に、その人はいた。
鮮やかな赤色の髪をポニーテールにし、爽やかなスカイブルーの目をもった、見目麗しい女性だ。二十代くらいに見える。
「例の?」
流衣は女性の方をきょとんと見返す。
「シャノン公爵を助けたという三人組のうちの一人かと聞いている」
女性はさばさばとした口調で詰問してくる。
「はいっ、そうですっ」
彼女には敬語を使わねばならないという静かな威圧感が備わっていた。身分の高い貴族なのかもしれない。
それにしては、白いシャツやワインレッドのベストや黒いズボンといい、着こなしが男じみていてさっぱり淑女に見えない。
「ふうん、お前がねえ。本当に魔法使いなのか?」
疑いをたっぷり込めた目でじろじろと観察してくる女性。これにはオルクスの方が切れた。
「失礼な! 坊ちゃんを愚弄するのでしたら、わてが相手になりますよ!」
「わあっ、オルクス、ストップ!」
流衣は慌てて止め、怒っただろうかと女性を見やる。
「喋るのか、そのオウム。流石はオウムだ」
しかし心配は杞憂で、女性は頓珍漢なことを言って感心している。
「あ、はは……」
女神に仕えている使い魔だとも言えず、流衣は適当に笑い流す。
やがて女性の関心はオウムから流衣の手に持つ皿に移った。
「それは何だ? 食物か?」
「ベリータルトです。――僕の故郷のお菓子です」
名前を答え、しかしそれで分かるわけがないと、急いで説明を付け足す。
「菓子なのか」
女性は目を丸くした。不思議な物を見るような目で、じろじろとタルトを見つめる。
流衣はとうとう耐え切れなくなり、意を決して問う。
「あのう、お姉さんは、このお城のお役人さんなんですか?」
女性は豆鉄砲でもくらったみたいな顔になった。
「お前、ふざけている……わけではなさそうだな」
流衣の真面目な顔を見て、ふむ、と顎に手を当てる女性。流衣は首を傾げるばかりだ。
「まあ、似たようなものだ。この城で仕事をするのが仕事だ」
「……はあ」
城の仕事なら、城で仕事をするものではないのだろうか。
不思議な謎かけでもされている気分で、流衣は目を瞬く。
「なあ、それは美味いのか?」
が、女性は流衣の心情などそっちのけで、お菓子に興味津々のようだった。目を好奇心で輝かせ、タルトをじーっと見つめる。
流衣はタルトと女性の顔とを見比べ、雰囲気に負けてお菓子を差し出した。
「……食べます?」
「お姉さんは、ここで何をしていたんですか?」
木の根元に座り、おいしそうにタルトを頬張る女性を横目に、流衣は少し離れた場所に立って白い花を見上げながら、何気なく単純な疑問を尋ねた。
女性は咀嚼を終えると、僅かに目を伏せた。
「考え事をしていた。この木の花は父がお好きでな、私は幼い頃、こんな風によく木の根元で、父とともに涼んだりしていたものだ」
思い出話を語る口調だった。少し寂しげにも聞こえて、もしかして父親はもう亡くなっているのかもしれないと、流衣は頭の隅で考えた。
「お父さんと仲が良かったんですね」
「ああ、それは勿論。父は強くて、日向のような人だったな。空の下にいる父が、特に好きだったよ」
微かに微笑む女性。
「だが二年前に亡くなられた。今でも生きていてくれたらと、よく思うよ」
「…………」
流衣は何も言えなくなった。
空はすっかり藍色に沈み込み、白い花が薄闇の中でぼんやりと青白く浮かび上がっている。星が明るいので明かりはいらないけれど、どこか心もとない。そう思えるのは、女性が寂しそうにしているからだろうか。
「なあ、お前には守りたいものがあるか?」
「え?」
急に話題が変わったので、流衣は面食らった。それに思いもしない質問だ。
たちまち女性が詰まらなさそうな顔をする。
「なんだ、好きな女もいないのか? 流石はガキだ」
いきなりのガキ呼ばわりに、流衣は少しだけムッとした。しかし答えられないのも事実で、渋々言う。
「好きな人はいないですけど、家族や友達は守りたいです」
女性はフッと微笑んだ。
「――そうか。お前は恵まれているようだ」
「お姉さんにだってあるでしょ?」
「ああ、あるよ。――自分の身よりも大事なものが、山ほどな」
大事な事を口にするように、女性はゆっくりと言葉を紡ぐ。
それから、まるでそう言えたのが嬉しいと言わんばかりに、ふふと笑みを零す。
「今日はどうも調子が狂う。余計なことばかり口にしてしまうよ」
そして女性は残ったタルトを口に放り込み、もぐもぐと咀嚼し、飲み込むと立ち上がる。
「馳走になった。この菓子、どこの菓子店の物だ? 今度、取り寄せたい」
「それ、僕が作ったんです」
女性は目を丸くし、まじまじと流衣を見てから、にやりと笑む。
「それは素晴らしい。とても美味しかったよ」
「どういたしまして」
美味しいと言われれば嬉しい。流衣はまんざらでもない気分で頷く。
「ではな、客人。また縁があれば会おう」
女性は左手をひらりと振り、流衣に背を向けた。
「あ、はい。さよなら」
流衣は女性の背に声をかけ、しばらくしてから女性が置いていった皿を拾いあげ、客室のある方へと足を踏み出した。
結局、女性の仕事は何だったんだろう?
ちょっと書き直して、第五幕をスタートしました。
章番号は、第一部の続きで振っていきます。一章と振るのも、なんだか奇妙な気がするのですよね……。
あ! もしや初めましての方、いらっしゃいましたら、第一部からお読み下さい。目次の作者名から作品一覧に行けますので。
それでは、これで失礼します。