四十五章 サイモンと流衣 2
「――おい、起きろ」
どすのきいた低い声が頭上から聞こえ、ぐっすり寝入っていた流衣は本能的な危機を覚え、ガバッと跳ね起きた。それとほぼ同時に、音源から大きく距離を取る。
「!!?」
見慣れない部屋、不機嫌顔の黒髪金目の少年、長椅子と小テーブル。
一瞬、ここがどこだか分からないという混乱と恐怖を覚え、現状を把握しようと周囲を見回す。
『坊ちゃん、苦しいですっ!』
「え、あ、ごめんオルクスっ」
無意識にオルクスを腕でぎゅうぎゅうと抱え込んでいたのに気付き、流衣は慌てて腕を緩める。べちゃっと流衣の膝の上に落ちたオルクスは、一瞬足をふらつかせたものの、ぶんぶんと頭を振っている。
軽い酸欠だろうか。
それを見ながら、ふっと思い出す。
そうだった。あの後、何もすることが無くて暇だったせいで睡魔に襲われ、そのまま長椅子で寝入ってしまったのだ。
まだ完全に体調が戻っていないのに走り回ったせいで、思ったより疲れていたみたいだ。敵地ど真ん中で居眠りなんて、普段ならしない……というより出来ない大失態である。
混乱している流衣を冷めた目で見ていたサイモンだが、落ち着いたようだと見ると口を開く。
「荷物を持って、出ろ。行くぞ」
「へ?」
あたかも当然のような発言をするサイモンを、流衣はぽかんと見る。急に行くぞなんて言われても、意味が分からない。
サイモンは立ち上がる素振りを見せない流衣を見て、チッと舌打ちする。
「出かけると言ってる。ついてこい。――何度も言わせるなよ。俺は気が長い方じゃない」
「はっ、ふぁい!」
慌て過ぎて噛んだ。
流衣は口を手で覆って落ち込みつつ、長椅子の足元に置いていた鞄と杖を取り上げる。その肩に、オルクスが飛び乗る。
(気が長いどころか、破滅的に短いと思うけど……)
初対面の流衣ですら、すでにサイモンの気の短かさを十分理解している。気を付けないとスローイングナイフが飛んでくるという恐怖は、心の奥深くにきっちり刻み込まれた。
部屋を出る前に、サイモンは一度立ち止まって振り返る。そして、底冷えのするような目でじろりと流衣を見て言う。
「いいか、逃げようなんて馬鹿な真似はするな。見なくて良い地獄を見る破目になる」
陳腐な言い回しだったが、気の弱い流衣には格別に効いた。
「逃げません! すいません!」
何も悪いことはしていないが、反射的に謝ってしまう。
「……ちなみに、お前は転移魔法を使えるのか?」
「いや、僕は使えません」
「お前は? ふぅん、じゃあ誰なら使えるんだ? そのオウムか?」
その通りだ。が、そこは否定しておく。逃げ道くらい残しておかなくては、後が怖い。
「ええと、前に一緒に旅してた女の子です」
「――ああ、いたな、そういえば赤毛の女が」
サイモンは顎に手を当て、ゆっくりと指でなぞりながら思案気に視線を横に向ける。やがて納得したのか、無言で身を翻し、ほとんど足音を立てずに部屋を出て階段を上っていく。流衣は嘘がばれなくてほっと息をつくと、慌てて後についていった。
「あのー……、結局、どこに向かってるんですか?」
よく分からないものの、サイモンに続いて馬車に乗り込んで三十分程経った頃、流衣はようやく勇気を振り絞って訊いてみた。返事は意外にもあっさり返った。
「教祖様の所だ」
「……教祖、様? 今度っていうようなこと、言ってませんでしたっけ?」
流衣は首を傾げる。
「お前が寝てる間に状況が変わったんだ。……本当に平和な野郎だな。あれだけのうのうとしてられると、腹が立つ前に呆れる」
「……どうも?」
返事に困って、とりあえず首を傾げて返してみる。
サイモンは目を眇める。
「褒めてない。嫌味だ」
……うん、そうだろうと思った。
流衣は内心で呟く。
「質問はそれだけか?」
淡々と問われ、流衣は頷く。一番気になっていたことを訊けたのですっきりした。あとは成り行き任せにしておくことにしよう。考えたって分からないのだから。
「だったら、口閉じてろ。騒がしいのは好きじゃない」
そう言うなり、毛布にくるまって馬車の壁にもたれて目を閉じるサイモン。
(……やっぱ、亜人だから寒いのかな)
積雪のある地方での移動だが、馬車の中は暖かい方だ。この馬車の座席は布地の下の綿がぺちゃんこで座り心地は微妙だが、別に四角いクッションが置いてあり、流衣の分の毛布もあった。くるまる程に寒いわけではないが、足元は流石に冷えるので膝にかけておく。
そして、ちらりと窓を見る。乗った時からカーテンで塞がれていて、外が見えない。
(これってどっち方向なんだろう……。アカデミアタウン方面だといいんだけどな)
いつ頃に着くという話は無かった。どこの町に行くという話もない。アジトだったら町ではないのかもしれない。
流衣はアジトというものにとんと縁が無い平和な人生を送ってきたので、どういう場所にアジトがあるのか分からない。盗賊のアジトだったら、山の中の洞窟がセオリーなのだろうが、こちらは魔王信仰の信者のアジトだ。
色々と考えていても分からないし、サイモンはうるさくするなと言うから、静かにしてよう。
そう決めて背もたれに背を預けていたら、朝と同じでうとうとしてきた。やがて、あと少しで寝そうだというところで、突然、爆音が鳴り響き馬車が大きく揺れた。
「リーダー、魔物です!」
馬車の前方の壁にある連絡用の小さな窓が開き、御者らしき茶色い髪の青年が声を張り上げた。
サイモンは煩わしげに目を開け、小さく舌打ちする。
「スノウギガスでも出たか」
「いえ! ボミングです!」
「ボミングだと……?」
意外そうに片眉を上げるサイモン。流衣は初めて聞く名前の魔物なので、首をひねるしかない。
サイモンは毛布を投げ捨て、素早い動作で馬車の側面についている扉を蹴りつける勢いで開ける。
扉前に立つサイモンの隙間から扉の外を見て、流衣は目を丸くする。
――でっかいテントウムシがいた。
黄色の羽を震わせ、尻がピカピカと光り、「ボム」「ボムボム」「ボム」とハミングするように歌いながら、馬車めがけて五匹ばかり突っ込んでくる。
サイモンは御者台めがけて怒鳴るように指示を出す。
「避けろ! ラズリー!」
「さっきからそうしてます!」
俄かに馬車のスピードが上がる。馬車が通り過ぎたことで誤って地面にぶつかったボミングは、その衝撃を受けて自爆する。ドォンと景気の良い音が後方でこだました。
「ここいらは生息域外のはずだが……。ち、例の異常行動か」
サイモンは扉から身を乗り出すようにして後方部を確認しながら、時折、スローイングナイフを投げる。それがボミングにぶつかると、ボミングはその場で爆発する。
最初は五匹しかいなかったが、気が付けば三十を超えるボミングが追って来ていた。
「オルクス、ボミングって何?」
緊迫感溢れる状況の中、流衣はこっそりオルクスに問いかける。
『大型の昆虫の姿をした魔物で、餌場では大人しいのですが、移動時は危険な魔物です。真っ直ぐにしか飛べない為、前方に障害物があった場合、ぶつかった衝撃で自爆するのです。他にも、衝撃を与えると爆発します。空飛ぶ爆弾ともあだ名される、非常に厄介な魔物ですね。ボムと歌うように鳴くので、ボミングと呼ばれています』
すらすらと説明するオルクス。流衣は青ざめた。空飛ぶ爆弾って……。嫌な魔物だ。
「魔法使いを一人連れて来るんだったな。……いや、そういやここにもいたな。使えそうにないのが」
追って来るボミングを見て、眉間に皺を寄せてサイモンは呟き、ふと思い出した様子で車内を振り返る。
目が合った流衣は、きょとんとした後、ぎょっと身を引く。
(え!? もしかして活躍を期待されてる!?)
そう思ったが、台詞の最後から、完全に流衣を当てにしていないと悟って少しだけへこむ。
いや、期待されても困るけれど、役立たず判定はそれはそれで傷つくというか。実際、流衣は戦闘に関してはほとんどお荷物同然だ。
一人、内心でごにょごにょと呟いているうちに、サイモンは再び外を向いていた。ラズリーという名の御者に声をかける。
「ラズリー! おい、ラズリード!」
「何ですかリーダー! あんま話しかけないで下さい、運転ミスります!」
ボミングを右に左にと避けながら、雪の積もる街道を転倒覚悟で飛ばしているのだ。些細なミスが大事故に繋がってしまう。
そんなわけで、普段はサイモン相手にそんなことは言わないが、焦っていたラズリーはそう怒鳴り返した。
「その先の曲がり角、曲がらずに進路を森に取れ! 一度逃げ込んでやり過ごす! ――それから、ルイだったか? お前、死にたくなかったら手ぇ貸しな。森に入ると同時に、森の入口に結界を張るんだ。旅してんだから、それぐらいの魔法は使えるだろ」
流衣は勢いに飲まれて頷く。
「〈盾〉だったら……」
「それでいい」
サイモンは流衣の腕を引っ張って扉側に押し出し、自身は車内の座席についた。
それはないだろうと思った流衣だけれど、扉は人が一人通れる程の幅しかないから、後方を見るなら二人いては邪魔にしかならない。
流衣は諦めて腹を括り、杖を右手に持って左手で扉の枠を支え、僅かに身を乗り出して後ろを見る。
「うわ、キモッ」
見た目がテントウムシでも、ここまで数が集まると気持ち悪い。どん引きしつつ、杖の先を後ろに向ける。
ちらりと前方を見ると、森の入口はすぐそこに迫っていた。
「光よ、我が身を守る盾と成せ!」
森の入口通過とほぼ同時、大人の身長程の大きさの盾を想像し、森の入口に固定する。更に続けて呪文を唱え、二つ目の〈盾〉を横に並べ、おまけにもう一つだけ並べる。簡易バリケードの出来上がりだ。
二つはともかく、三つの〈盾〉を並べるのは集中力がいる。更に固定した位置から遠ざかるので魔法が消えないように保とうと、〈盾〉に視線を据え、歯を食いしばって耐える。
ドォン! ドォォォォッ!
追走してきたボミングの群れは、〈盾〉のバリケードと森の木々にぶつかり、いっせいに爆発する。
昼間の明るい中でも、その明かりは閃光になって周囲を照らし出した。ついで、白煙と土埃が立ちこめる。
流衣は〈盾〉を解除し、ふうと息をつく。
その途端、肩を掴まれて後ろに下がらせられ、扉から遠ざけられた。流衣に代わり、サイモンは扉から顔を出す。
「残りはいないようだな。ラズリー、もういい。馬車を止めろ」
「了解です、リーダー!」
ラズリーの返事とともに、がくんと衝撃がきて、馬車が止まる。ラズリーはひょいと御者台から飛び降り、緊張が抜けたせいで、よろよろとした足取りで扉前まで来る。さっきは茶色い髪しか見えなかったが、右目が赤色で左目が青色という一風変わった配色をした二十代程の青年で、顔立ちは整っている。人懐こそうな印象だが、キリッとしていて凛々しそうにも見えた。
「ふはぁーっ、ボミング相手に無傷で済むなんて、俺達ついてますね! あんな集団で突っ込まれたら、町一つくらい一晩で消えますよ」
「ふざけんな。俺のナイフの腕とお前の手綱さばきで、逃げられないわけがない。こいつがいなくても、森に逃げればどうにかしてた」
サイモンがひやりとした声で返事したのにも関わらず、ラズリーはへらりと笑う。
「お褒めの言葉、どうも」
「褒めてない。当然のことだ」
サイモンの返答はにべもない。
リーダーが年下で部下が年上という、一見ちぐはぐに見える間柄だが、ラズリーはサイモンを慕っているらしい。あれだけどぎつい返事にも関わらず、誇らしげにしている。
「じゃあちょっと待ってて下さいね。馬車の方に被害が無いか簡単に調べるんで」
「ああ」
ラズリーは開けっぱなしになっていた扉をきっちり閉めると、馬車の周囲を歩き回る。
サイモンはというと、くああとアクビをして、また毛布にくるまって座席におさまった。
(こき使うだけ使っといて、放置というか、無視ですか……)
若干、切なさのあまり涙が出そうになる。流衣は背もたれに体重を預け、やれやれと肩を落とした。
馬車の損害は少なかった。馬車の背面が、ボミングが爆発した余波で少し焦げただけだ。
流衣達を乗せた馬車はすぐに森を出発し、再び街道に戻った。そして一時間ばかり進んだ所で、馬車は止まった。
すっかり居眠りしていた流衣は、馬車がガクンと止まった衝撃で夢から覚める。
「降りろ」
サイモンの簡潔な命令に従って、馬車を降りる。どうやら、目的地に着いたらしい。
そうして馬車から降りた流衣が見たのは、森の中にある壮麗な屋敷だった。英国庭園のような噴水のある前庭の奥に、灰色の石材の母屋がそびえている。母屋の入口の門には、甲冑姿の門番が二人いた。
(う……わぁ……。お屋敷だ……)
面食らって冷や汗が滲み出る。急に緊張してきた。流衣はばりばりの庶民なので、立派そうな建物が昔から苦手だった。居心地が悪いのである。
「こっちだ」
勝手知ったる様子で玄関から中へと入っていくサイモンを、流衣は慌てて追いかける。こんな所に置いてきぼりにされては迷子になりかねない。それで不法侵入者と間違われでもしたら厄介だ。
玄関の大扉を抜けた先にはホールがあった。天井は高く、複雑なアイアンワークが施されたシャンデリアがぶら下がっている。そして壁には絵が飾られ、台には大ぶりな青い花が生けてあった。ホールの先には大階段があり、階段の両脇には狛犬のように化け物の石像が並んでいる。ガーゴイルだ。
もしや動きだしたりするのではとビクビクしつつ、流衣は階段を上る。サイモンはすたすたと淀みの無い足取りで進んでいくので、追いかけるのも一苦労だ。歩くスピードが速いのだ。
「ここがアジト……? 貴族のお屋敷じゃないんですか?」
屋敷の静けさに耐えかね、思い切ってサイモンの背中に問いかける。サイモンは足をゆるめることはなかったが、答えはくれた。
「アジトじゃない、教祖様の自宅だ。魔王崇拝者なんて珍しくも何ともない。名乗らなければ誰も分からないし、知りようがない。ネルソフと違って、普通に暮らせる」
そこまで言い、サイモンは階段の一番上で足を止めて振り返る。にやりと口端を引き上げ、悪魔的な笑みを浮かべた。
「だからこそ、幾ら潰しても無駄なのさ」
――“不死鳥”。
〈悪魔の瞳〉がそうあだ名されているのを、ふと流衣は思い出した。
しかし……。流衣は眉間に微かに皺を寄せる。
「自宅だなんて、部外者に教えていいんですか?」
不用心に過ぎないかと思ったが、サイモンは鼻で笑う。
「お前はただの旅人だ。周囲の住人は教祖様が魔王崇拝者だと知らない。通りすがりの人間が、そんな奴ら相手に何が出来る? 名誉棄損で留置所行きになるのがオチだ」
確かにその通りだ。信用ある隣人と、信用の無い余所者。地元の人間がどちらを信じるかなど、考えるまでも無い。
押し黙った流衣を一瞥し、サイモンは再び歩き出す。それに気付いた流衣も慌てて後に続くが、一番上の段に爪先をひっかけて転んだ。
「いてっ」
絨毯からはみ出た左手が床に当たり、そこだけ若干床が沈んだような気がした。
―――ドスッ
(どす?)
不穏な音が左横から聞こえ、顔だけ上げてそちらを見る。左手の真横、ほぼすれすれの場所に槍が一本突き刺さっていた。
「え? ええっ!?」
ぎょっとし、慌てて右横に飛びのく。
……槍だ。どこから見ても。って、槍……!?
「言い忘れていたが、この屋敷には防犯用トラップがあちこちに仕掛けられてる。死にたくなかったらついてこい。はぐれたら見捨てる」
尻餅をついて呆然としている流衣の後ろにのそりと立ち、サイモンはあっさり言った。
「トラップ!?」
そんな、漫画なんかでしか見たことのないようなものが実際にあるのか!? いや、あるけど。目の前にあるけど……!
動揺する流衣を置いて、サイモンはすたすたと歩き出す。
見捨てると言われたことに遅れて気付いた流衣は、泡をくいながらも慌てて立ち上がる。
「ぎゃーっ待って下さいーっ!」
はぐれたら不法侵入どころか死ぬ!
お屋敷に住んでる信用ある人物というので安心しかけていたが、そもそも魔王信仰の教祖なんだからまともであるわけがなかったのだ。
トラップだらけの屋敷に住むなんて、まともであるわけがない。家の外ならまだしも、家の中まであるのだから。
そして、それを当然のように受け入れているサイモンもやっぱりまともじゃない。
(か、帰りたい……!)
急に郷愁に見舞われつつ、平和な日常を望んで心の中で涙する流衣だった。
幕タイトルはいつも通り適当です。




