四十三章 ありがとう、と、さようなら 1
川瀬達也様
手紙をありがとうございます。
まだ、川瀬先輩……さん付けはおかしい気がするので先輩と呼びますね……先輩は地球に帰ってないみたいなので、返事を書きました。
一週間前に起きたところで、何と一年も寝たままだったみたいです。今は体力を付けているところで、とても元気です。
兄さんのことは驚きましたけど、無関係でないと分かってむしろほっとしました。
あと、レシアンテという女神様から、神の園を辿るように言われまして……ええと、寝ている間に夢の中で話したんですけど、それでそう言われて。だから、帰る為にそれについて調べることにしました。
元気になったら、エアリーゼから馬車で一週間行った所にある魔法学校で、転移魔法の権威の先生に会って話を聞いてみるつもりです。
聖具というのがどんなものなのか僕には分かりませんが、こちらでも探してみます。
良ければ、情報が無くても良いので、お返事を貰えたら嬉しいです。日本語を見てると、すごく元気になるので……。先輩も僕の日本語を見て、元気になってくれれば良いなと思います。
では、短いですがこれで。
「うーん……」
ここまで書いて、流衣はペンを持ったまま唸った。
「手紙なんて滅多に書かないから、よく分かんないや。こんな書き方でいいのかな……?」
中学生ではあるが、兄が家を出ていて家に流衣一人ということも珍しくなく、物騒な昨今である為に携帯を持っていたし、パソコンも家族共用の物があったからメールをすれば事足りた。両親ともに祖父母はすでに他界していていないから、余計に書く相手がいないわけで、ほとんど手紙を書いたことがない。せいぜい、ヒロなどの親しい友人に年賀状を出す程度。
(そういや、何故か年賀状がたくさん届いて返事に困ったよなぁ……)
担任教師はともかく、どうしてそんなに話したこともないクラスメイトの女子からも来たのだろう。未だに思い返してもよく分からない。あまり親しくない友人に手紙を返すこと程書きにくいものはなかった。しかも流衣は住所を教えた覚えがないので、郵便受けの前でちょっとした戦慄を覚えたものだ。
「ううむ。助言をして差し上げたいところですが、この文字はわてには読めません。故郷の文字ですか?」
「うん。日本語っていうんだよ」
「ニホンゴ?」
「日本っていう国の言葉だから、日本語」
「ほほう。そういうことですか。セナエ語やシルベラント語のようなものですね」
オルクスの返しはよく分からなかったが、話の流れから察するに外国の言葉なんだろう。流衣は頷く。
「多分、似たようなものだと思うよ?」
流衣は便箋を折り、封筒に丁寧に仕舞い込み、それを上着のポケットに入れる。後で折りを見てウィングクロスに立ち寄らねばなあと思う。
安静にして食事をきちんと摂っていたお陰か、筋張って骨のようだった腕にも肉がついてきた。頬も若干こけていたのが、今では元に戻りつつある。松葉杖を使わないとまだしっかりとは歩けないのだが、ベッドから滑り落ちることが無くなっただけでも僥倖だ。
目が覚めて十日目。医者の了解も出たので、リハビリも兼ねて散歩に行くことにする。
前に着ていた服は、一年の間に一応成長したようで、長袖のシャツだと袖から手が出過ぎてみっともないというので――ズボンも同じ理由だ――神官の誰かのお古を譲って貰ったから、今はそれを着ている。体格にあった服を着るのが、この国の人達の間では普通らしい。部屋では青い糸での刺繍がされた白いシャツと黒いズボンを身に着けているが、外に出るので、暗い青色をした内側に綿が仕込まれた上着を着る。足のサイズはほとんど変わっていないので、靴は前と同じ白いスニーカーだ。そしておまけに青灰色の、羽竜の羽で織られたマントをつけて、完全に防寒対策をする。
成長したことは、本当に嬉しい。背が低いことを気にしていたので、かなり感激した。とはいえ、見違える程伸びたかというとそうでもなく、せいぜい二、三センチ程度。でも流衣には大きな意味を持つ二、三センチだ。
服を整えると、松葉杖を取ってベッドから降りる。
庭の散策をしようと思うが、雪の積もる土地なので冗談抜きに寒い。平原の中にある都市な為か雪はさほど積もらないが、風が冷たい。
(もう少し動けるようになったら、ここを出よう)
ひょこひょこと雪が積もる庭に出て、流衣は予定を考える。
避難民が多くて大変だという場所にのうのうと滞在していられる程、流衣の神経は図太くない。だからこうやって少しでも早く自由に歩けるようになろうと必死だ。
アルモニカは、本来なら明日には三日前に到着した侍女とともに馬車で学校に戻るつもりでいたらしいが、死んだはずの兄が帰るという事態にもう少し居残ることにしたようだ。
家族や故郷を探し当て、記憶を取り戻したリドはとても嬉しそうだった。今までほとんど見たことのない穏やかな笑みを浮かべていて、その顔は確かにグレッセンに似ていた。それに、兄妹という目で見てみれば、確かにリドとアルモニカは似ている。顔立ちというよりも、性格の面で。素直じゃない割に実は結構良い人なところなんてそっくりだ。
アルモニカは「お主なんか兄様ではなく兄貴で十分じゃ!」などと悪態をついていたけれど、兄妹仲はそこそこ良さそうに見えた。
今まで生き別れていた分、ゆっくり家族の団欒をして欲しいなあと思う。
「あ、こちらにいたのですか。ちょうど良かった」
「……?」
後ろから聞こえた声に振り返ると、金髪碧眼の繊細な容貌をした青年が立っていた。
確か、この人はグレッセンの従者の――……。流衣は首を傾げ、自信無さげに問う。
「クレスさんでしたっけ?」
「惜しいです、クリスですよ」
クリスはそう訂正し、庭に立っている流衣の元まで歩いて来る。
「すいません……。えと、クリスさん。僕に何か?」
この人とはそんなに言葉を交わしたこともないが、さっきの口振りからどうやら自分を探していたようだと推測する。
「ええ、とても大事なお話です。あなたにお願いしたいことがあるのです」
冷たささえ感じる程の表情で、クリスはそう切り出した。何となく嫌な予感を覚えながら、流衣はクリスの話を聞いた。
* * *
その日の夜、流衣は部屋でせっせと荷物を纏めていた。その傍らにオルクスがちょこんと立ち、不機嫌オーラを放出している。
『なんなのですか、あの輩は。起きて歩けるようになったのなら、とっとと出て行けとはっ』
要約すればそんな感じだったが、流衣は苦く笑うしかない。
「うーん……、まあ僕は部外者だしお荷物だし、怪しいとしか思えない旅人だしねえ。むしろああいう人がいる方が当たり前というか、安心というか……」
『坊ちゃんはお優しすぎますっ、まだ杖が無ければ満足に歩けないというのに酷ではないですか!』
厄介になる居心地の悪さは感じていたのだ。だから、オルクスが怒るのも分かるけれど、仕方ないとしか思えない。
流衣はちらりと昼間の会話を思い出す。
「単刀直入に言います。具合も良くなって歩けるようになったのなら、あなたにはこの都市を出て行って欲しいのです」
クリスは真剣な顔できっぱりと言った。
「神殿を」ではなく「都市を」というのに、心情が強く表れている。
「卿はお優しいですし、アルモニカお嬢様はあなたを巻き込んだことで引け目を感じておられる。ですから私が言います。折角、ご子息も無事に帰られたのに、どこの誰か分からぬような怪しい者にグレッセン家の周りをうろつかれては迷惑です」
清々しい程に切り捨てるクリスを、流衣とオルクスは呆気に取られて凝視してしまった。もう少しオブラートに包めばいいのにと思うが、そうすると意思が伝わらないと思ったのかもしれない。
だが、唖然とするのに反し、迷惑という言葉はざっくりと胸を突いた。
「それに、勘違いされても困ります。あなたは一介の旅人であり平民。グレッセン家の当主のご家族は身分こそ平民なれど、公爵位と同等というお立場。そもそも、本来なら神殿の長と気軽に口をきけるはずもありません。私の言っていることが分かりますか?」
言葉こそ丁寧だが、中身は厳しい。
「はい……」
理解することは出来たから、素直に頷く。でもその裏では激しく動揺していた。心臓の鼓動が耳鳴りのように耳の内でこだましている。
(ああ、そうか……)
ふと、流衣は理解する。中世的な身分については未だによく分からないが、例えば、一般的なサラリーマンの家庭の子が、いきなり大企業の社長に会えるわけがないということと同じだ。
(今、リドがいるのはそういう所なんだ……)
何だか、こないだまで隣を歩いていたはずのリドやアルモニカが、急に遠い人に思えた。
彼らは自分とは違うのだ。居場所があって、彼らを守ろうとする人がいて、そして身分もある。
異なる世界に来て、元の世界に戻ろうともがいている流衣とは違う。彼らはここの世界の人間だ。そして自分はどこまで行っても異端だ。
――その事実が、今は無性に悲しい。
「分かりました……。出て行きます、明日にでも」
そして無意識のうちにそう口に出していた。
それ以外、流衣に言えることは無いのだから。
「オルクス……」
荷物を鞄に押し込みながら、急にどうしようもない不安に駆られ、傍らのオルクスを見る。オルクスは黒いつぶらな目を流衣へと向ける。
「オルクスは、一緒にいてくれるよね……?」
流衣が一番怖いこと。
それは、この世界で一人ぼっちになることだ。自分のことを――自分の事情を全く知らない人の中で、一人で生きていくことだ。
理解して欲しくても、そう簡単にして貰える中身ではない。異世界の人間だなどと口にしては、気を付けなければ頭のおかしい人間と思われて終わりだろう。
「勿論です、坊ちゃん。わてはこの世界に降り立ってから、あなたが死を迎えるか元の世界に帰られるまで、ずっとお側にいると決めております。何があろうと味方でいます」
まるで誓いを口にするように、頭に響く声ではなく口に出し、オルクスは歌うように言った。誇らしげに。
流衣の中に芽生えた不安が霧散する。そして代わりに、胸の内がほっこりと温かくなる。
「――ありがとう。僕も、絶対にオルクスの味方になるから……」
だからその気持ちのまま、流衣もそう返した。
オルクスはとても嬉しそうに目を細め、流衣もつられて笑みを浮かべる。
やがて、手を止めていたことに気付き、また動かし始める。少ない荷物だから、すぐに片付いた。
その後、本日二通目の手紙をしたためる。宛名はリドだ。
そうして翌朝、その置き手紙だけを部屋に残して神殿を出た。杖を支えにしてしか歩けない為に、オルクスに人型になって貰い転移したので、誰にも見つからずに済んだ。
行き先は相変わらず変わっていないけれど、しばらくはどこかの町でのんびり過ごそうと思う。
リドへ
いや、リディクスへ、の方が良かったのかな。
突然、姿を消して驚いているといけないので、手紙を残しておきます。
ここまで旅に付き合ってくれてありがとう。
リドは記憶と家族を取り戻したし、これ以上、僕の旅に付き合う必要はないと思う。家族との団欒を大事にして欲しいです。
だから、勝手だとは思うけど、君には内緒で旅立つことに決めました。
僕にはオルクスがいるから、一人じゃないから、心配しないで。君って意外に心配性みたいだからさ。
迷惑ばかりかけていてごめん。でも、親友と言ってくれて嬉しかった。
僕が元の世界に帰っても、帰れなくても、君のことは絶対に忘れない。
どこにいても、僕達はずっと友達だって信じてる。月並みな言葉だけど、本当にそう思う。
それから、勝手で悪いけれど、言伝を頼まれてくれるかな。神殿長さんに、お世話になりましたっていうのと、アルに、もしまた会うことがあったらよろしくって伝えて欲しい。
ありがとう。さようなら。
オリベ ルイより