四十一章 神仕えの使い魔と神の庭 2
アルモニカとボードゲームで白熱していた時、ヘイゼルが見舞いに顔を出した。
弟子が世話になったと礼を言うヘイゼルは、師匠というより孫を持つお爺さんのようだった。礼を言われたことには驚いたが、ヘイゼルが帰った後にレッドもやって来て、妹分が世話になったと礼を言いに来たのにはつい笑ってしまった。派手に喧嘩する割に、ヘイゼルとレッドはすることが似ている。
「ったく、何が妹分じゃ。弟弟子はそっちじゃろうに……」
レッドが帰ると、師匠と弟子仲間に揃って挨拶されてしまったアルモニカは、照れたように頬を赤らめつつ、ぶつぶつと文句を呟いて扉を睨みつけた。
「弟弟子って、レッドさんが?」
二十代半ばの青年姿をとっている赤竜を思い浮かべ、そぐわない単語に目を丸くする。
「あ奴、今年で五歳になった子供じゃぞ。まあ、竜は一年経てば大人らしいがの。あ奴はやたら頭が良くて、生まれて半年で人間の子供の姿を取るようになっていたし、膨大な知識量を誇るせいか落ち着いておるが……」
そ、そうなのか。竜ってすごい。
流衣はびっくりな現実に目を白黒させる。
「三年前に親――人間の親じゃが、あの爺さんが死んでしまっての、ヘイゼル爺さんが弟子として引き取ったわけじゃな。ワシは六年前から爺さんの弟子じゃから、姉弟子というわけじゃ。なのに、あ奴、成人の姿を取れる上に精神年齢が高いからとワシを妹扱いしよる。生意気じゃ! 下剋上反対!」
拳を握り、憤然と怒りだすアルモニカ。
本当によく怒る人だ。それに加え、ころころと感情が変わる。女の子って皆こうなのだろうか。同年代だろうと年下だろうとあまり話したことのない流衣には謎だ。
流衣が大人しい性格をしているせいか、気付けばアルモニカばかりが喋っているような状況だが、話すより聞く方が好きなのでまあいっかと諦めている。
「そういえば坊ちゃん。ノエルがレッドのことをやたら慕ってましたよ。自分もあんな風に大きくなる! とか豪語してましたが、それは無理でしょう」
オルクスがさりげなく口を挟み、流衣は吹き出した。
「小型竜だもんね。幾らノエルでも、レッドさんみたいに背が高くなれないよ」
「いえいえそうではなく。変身を解いた竜の姿に感動していたようですよ。二階建ての家くらいの大きさです。どっちにしろ無理ですね」
小馬鹿にする口調でオルクスは断言する。
「もしや白い小さな竜の話か? オルクス、お主は鳥の癖して人語だけでなく竜語も話せるのか。本当に無茶苦茶な奴らじゃの」
アルモニカは呆れ返ったようにオルクスを見、そして何故か流衣まで見る。奴らと一括りにされてしまった流衣は苦笑いするしかない。
「おや、わてはこれでも魔物ですよ。魔物である竜の言葉の理解など、人語よりも容易きこと。精霊とは魔物は誰でも話せますし、わては動物型です故、動物とも話せます。植物や魚類は無理ですがね」
そしてオルクスは胸を張り、自慢げに続ける。
「何せわては女神様の――」
「わーっ! オルクス、ストップ!」
流衣は慌ててオルクスの嘴を塞ぎにかかり、アルモニカに背中を向けてひそひそと言う。
「ねえ、火の神殿長さんみたいに問い詰められるの嫌だから、黙ってよう。お願いだから」
あの時のことを思い出すと、今でも冷や汗が出てくる。あれは怖かった……。
『そうですか? まあ坊ちゃんがそうおっしゃるなら……』
オルクスは渋々といった体で頷く。
それに安堵し、作り笑いを浮かべて恐る恐るアルモニカを振り返る。が、すでに口止めには遅かったようで、アルモニカは疑念を込めてオルクスを凝視していた。
「女神? 女神様と言うたか、今! オルクスという名といい、もしやその使い魔、第三の………」
「ははは、まっさかぁー」
「そうなんじゃな? そのいかにもな目の反らし方といい、そうなんじゃな! お主、一体何者なんじゃーっ!!」
襟首をがしっと掴まれ、がんがん揺さぶられる。
期せずして、火の神殿長再来だ。
怖いっ、アルモニカの目が怖いっ。据わってるんですけど! ていうか、苦しっ!
――結局、隠そうと思っていたことを暴露するはめになった。
あの神殿長程ではないけれど、アルモニカも滅茶苦茶怖かった。最初の第一印象が「おっかない」だから、進歩していないと言われればそれまでだが。
「お主、異界人じゃったのか。道理で毛色が違うはずじゃ。――だがしかし、リドの言う通り、隠しておいた方がいいの。流石は処世術に長けておる男じゃ」
流衣から話を聞き出し、ようやく落ち着いたらしいアルモニカは感心混じりにそう言った。
「ああ、安心せい。他の者には黙っておいてやる。ふふふ、秘密の共有者か。なかなか面白いのう」
そんなことを呟いて、楽しげにほくそ笑む。
どうしてか流衣にはその笑みが悪の親玉の笑みに見え、背筋に悪寒がはしった。
(何か、弱みを握られたような気分になるのは、僕がおかしいのかな……)
疑心暗鬼になっているのか、本能的な勘の方が正しいのか。少し考えてみて、圧倒的に勘の方が正しいと気づく。自分の勘の良さは伊達じゃない。
「お主、最初に会った人間がリドで良かったな。あ奴はノリは軽いが、見た所、用心深い性格をしておる。あ奴が言うことで不利になることは無いじゃろうて」
少し面白くなさそうに、だがはっきりと言うアルモニカ。
結構な高評価だ。友達を褒められれば、流衣も嬉しい。
「リドは良い人だよ。頼りになるし、強いし格好良いし。いいよなあ、僕もあんな風になりたい……」
若干の憧れを込めて呟く。
「よせよせ。あんなのは一人いれば十分じゃ。面倒くさい上に回りくどい。お主はそのままでいい。というかそのままでいろ」
アルモニカはとても嫌そうに顔をしかめ、手をひらひらさせたかと思えば、急に真剣に言い出した。
「う、うん。ありがとう?」
妙に力を込めて断言するので、流衣は少し身を引く。
……二人の間で何かあったのだろうか?
「ねえ、アル。僕、前からすっごく気になってたんだけど……。ここの人達、というより神官の人達って、何で神様の使い魔のことにも詳しいの? 見たこと無いみたいだけど信じてるみたいだから……」
魔法使いの組合の中枢の存在でありながら神官でもあるアルモニカなら、こんな問いをしても答えてくれるかもしれない。流衣は期待を込めて、目の前の少女を見る。
「――ふむ。信じているというよりは、そういうものだと知っている、というのが正しいのう」
「知っている……」
流衣が呟くと、アルモニカは大きく頷いて、しかつめらしい口調で続ける。
「神は三柱おり、その神に仕える使い魔がいる。神は天界に坐して世界を見守り、直接我らに手を貸すことはなくとも託宣によって力を貸して下さる。今では託宣でしか御力をお示し下さらなくなったが、昔――そう、始祖クリエステル様のおわしていた時代には、皆の前に姿を顕すことがあったそうじゃ。その時に連れていた故に使い魔の存在を知り、託宣によりて位があるのを知った」
まるでそこに本があるかのように、アルモニカはすらすらと言葉を並べていく。
「そのように神が姿を現していた場所は、人々に聖地と呼ばれ、今でも魔物を寄せ付けぬ程に清い土地であるという。否、清い場所であるから神が降りられたという説もある。世界に神が顕現されなくなったのは、そのような土地が減ったのだという話じゃな。古来より書きためられている託宣の言葉をつづった聖典による記述だと、神は、人が聖地と呼んだのに対し、そこを庭とおっしゃった」
流衣は、それがオルクスが言っていた「神の庭」のことだとピンときた。
「じゃあ、神の園っていうのは? 何か知ってる?」
アルモニカはこめかみに指先をぐりぐりと押し当て、うーんと唸りだす。
「園、園、園……。何じゃったかのう、どこかで聞いたような気のする単語じゃて……」
「ほんと!? 頑張って思い出して、アル!」
思いがけない好反応に、流衣は身を乗り出す。思い出そうと唸るアルモニカの前で、自分も気を詰めて見守る。
やがてアルモニカは首を振った。
「あー、駄目じゃ。思い出せぬ。聖典の言葉ではなく、どこかで聞きかじった言葉のような気がするのう。それがどうかしたか?」
「僕が元の世界に戻る為の手掛かりみたいなんだよ。そっかぁ、思い出せないか……」
がっかりして肩を落とす。
「そうくよくよするな。そのうち思い出すやもしれん」
アルモニカは男勝りに笑い、ばしんと流衣の右肩を叩いた。流衣は衝撃によろめきつつ、だからどうして皆そうやって肩を叩くんだと内心で投げ槍に呟いた。
「へー、あのお姫さんにばれたのか。まあいいんじゃねえの、お姫さん、やけにお前のこと気に入ってるみたいだし」
アルモニカに自分のことを暴露した――というよりせざるを得なくなった――ことを話すと、リドはあっさりそう言った。
「遊び相手に認定されちゃったのかな? 妹がいたらあんな感じなのかなって思うとなかなか楽しいよ」
流衣はにこにこと笑みを浮かべる。
そうなのだ。アルモニカの相手をしていると、自分に弟妹がいたらこんな感じなのかと想像してしまうのである。
「妹ね……。どう見ても同年代扱いされてるようにしか見えねえが、まあお前がそう思ってんなら別にいいか。……その方が面白いし」
最後の方をぼそりと呟き、顎に手を当てて何やらにやにやしていたリドだが、部屋に入った時から流衣が宙に手をかざしているのを見て、片眉を跳ね上げる。
「んで、さっきから何してんだ?」
「暇だから結界張りの練習中」
読書に飽きてしまい、アルモニカに頼んで貸して貰った中級の魔法の教科書を読んで、室内で使っても問題無さそうなものを試しているところである。前に買っていた教科書が入った大きな荷物は王城の客室に置いてきてしまったので、ここにはネルソフのアジトに落とした貴重品入れの小さなバッグとその時に持っていた大きい鞄しかない。枝の上にばらまいてしまった貴重品は、誰かが拾ってくれたようで本当に助かった。〈知識のメモ帳〉も入っていたので。
結界は、光属性の魔法の一つだ。何でも、光属性と闇属性は相対する性質な上、他の火・風・地・水属性の効果を受け付けない点のみ共通するらしく、結界を張るなら光属性のものが効率的らしいのだ。
そういうわけで、結界の章には光属性のものが中心的に載っていた。瞬間的に攻撃を防ぐとか阻むといった意味では他の属性の魔法もあるようだが、継続的に使用するなら光属性に固定されてしまうようである。
「見て見て、これ、結界の初歩で〈盾〉の結界だよ」
光で文字や図柄が描かれた魔法陣が空中に浮かびあがり、盾のような形を形成している。大きさを変えるには魔力を多めに流せば良く、硬度を上げようと思うなら絶対に壊されないと「信じること」で変わるのだとか。意志で大きく変わる術みたいだ。
リドが来る前から結界を出して遊んでおり、盾を一つ出すだけではなく出そうと思えば幾つか出せることに気付いた。
「光よ、我が身を守る盾と成せ」
呪文を呟き、右の手の平を空中で左から右にスライドさせる。最初にあった〈盾〉の右隣にもう一つ〈盾〉が出来る。
「二つ出来た。これ以上はちょっと難しくてねー」
流衣は両手の平の前にくっつけるようにして出した〈盾〉を、想像することで実際にくるくる回してみたり、段差みたいにしてみて、笑みを浮かべてリドを振り返る。
「ほら、階段! ……なーんて」
リドは頭が痛そうに顔を手で覆い、溜息をつく。
「馬鹿なことやってないで、大人しく寝てろよ」
「大人しくしてるじゃないか。お手洗いに行く時以外、ベッドから降りてないし」
「魔法を使うののどこが大人しいんだよ。というか止めろよ、オウム」
ベッドの柵にとまっているオルクスをリドはちらりと見やる。
「坊ちゃんは大きな魔力をお持ちです。この程度の魔法で疲れることはありません」
「ああ、そうかよ」
訊いた相手が間違ってた、と、リドはやさぐれ気味に言う。
流衣は〈盾〉を消し、苦笑いを浮かべてリドの方を向き直る。
「ごめんって、言う事聞いて大人しくしてるよ。この本もあと少しで読み終わるし」
『ルマルディー建国記』を示してみせる。あと四分の一といったところまで読んだ。
「ああ、それ面白かったぜ。読み書き自体はカザエ村で木こりの師匠に習ってたけど、本なんて読んだことなかったからさ。最初は読むのも苦労したけど、思ってたより面白いもんだ」
リドは本当に楽しそうに言いながら、本を手に取ってパラパラと捲る。そして栞代わりに挟んでいた手紙に目をとめる。
「ん? これ、手紙か?」
「ああ、それ、勇者さんに貰ったんだ~。リドも会ったんでしょ?」
と訊いたら、何のことか分からなかったらしく驚かれた。どうやら勇者こと川瀬達也はオルクスにしか正体を明かさずに去ったらしい。影の塔でオルクス達と合流した際、リンキスタを救出して皆と同じ街に滞在していたが、皆、他の見知らぬ旅人に構う余裕がなかった為に気付かなかったようだ。オルクスが言うには、オルクスは託宣の巫女に気付いてそれとなく訊いてみて予想が当たったものの、大事にしたくないという達也の言葉で口止めされていたらしい。手紙もその滞在中に書いてくれたようだ。
「へ~、お前の兄貴の生徒か。こりゃまた面白れぇ偶然だな」
「本当だよ。でも、まるっきり見知らぬ他人におまけでくっついてきたって思うより良いかな」
完全に無関係なのに引きずり込まれたのではたまらない。それらしい理由があって、むしろほっとしたくらいだ。
「あとはアルが思い出してくれると一番良いんだけどなぁ」
何のことだときょとんとしている友人に、流衣は先程の話を披露するのだった。
七幕で立てていた大筋を変更したので、辻褄合わせに必死だったりします。
今回は大人しく講釈の回ということで。