四十一章 神仕えの使い魔と神の庭 1
村人達が話していた森は、夜の帳の中、ひっそりと静まり返っていた。
本当にここに化け物がいるのだろうか?
クリエステルは剣の柄を握りしめ、慎重に周りを見回す。
しかし化け物の気配だけでなく、動物の気配すら感じられない。気配が無い森。それはとても不気味な光景だ。
いつの間にか汗ばんでいる手を上着にこすりつけて汗を拭い、辺りを伺いながら一歩踏み出す。
しかしその時、背後の茂みが揺れ―――
「ルイ!」
「ぅぎゃあっ!?」
突然大声で名前を呼ばれ、流衣はびくっとして読んでいた本を放り出した。
怪談話の最中に大きな音がしたのと同じくらいに驚いた。
「……なんじゃ、その蛙がつぶれたみたいな声は」
戸口でアルモニカが呆れ返った目をしている。
いやいや、その原因は君だからね!
心臓をバクバク鳴らしながら、流衣は若干恨みがましい目を向ける。口には出さないけど。
「何の本を読んでおったんじゃ?」
手に分厚いボードと巾着袋二つを携えたアルモニカは遠慮なく部屋に入って来る。ノックもなくいきなり扉を開けるくらいには、最初から遠慮自体が存在していないが。
安静生活三日目。暇を持て余している流衣にグレッセンが本を貸してくれた。タイトルは『ルマルディー建国記』。歴史書のようなタイトルに反し、中身はルマルディー王国の始祖クリエステル・ルマルディーの冒険と戦いと偉業が書き連ねられたヒロイック・サーガものだ。この国でのクリエステル・ルマルディーは、どうやら地球で言うところのアレキサンダー大王のような位置にいる人らしい。
豪気で泰然としていて志も高く、それでいて優しい上に戦闘においては誰も敵わないという無茶苦茶な超人として描かれている。十メートルもの崖から気軽に飛び降りたりとか、岩系の魔物を拳で仕留めたとか。そんな阿呆なと思わず突っ込んでしまうような箇所が幾つかあったものの、話としては普通に面白い。
「ああ、それか。男どもはそういうのが好きじゃよな。で、どこまで読んだ?」
流衣が見せた表紙の文字を読み、アルモニカは少し馬鹿にするように言ったものの、目はわくわくと輝いている。言葉に反して結構好きな話らしい。
「クリエステルが、青の山脈で化け物退治に挑むところを読んでる途中だよ」
青の山脈というのは、ルマルディー王国の西の端にある山脈で、ちょうど隣国との境になっている山だ。物語を読んでいるうちに、だんだん地理関係も掴めてきた。
「もう半分も読んだのか。意外に早いの。で? どの登場人物が好きじゃ?」
流衣の座っているベッドの横に、手近にあった椅子をずるずる引きずってきて座り、身を乗り出すアルモニカ。流衣は少し考える。
「親友の賢者トリスかなあ」
その返事に、アルモニカはむっと顔をしかめる。
「あんな地味なキャラのどこがいいんじゃ?」
「地味かなあ? 影で活躍して、クリエステルの手助けをしてる辺りなんて、すごいことだと思う。なかなか出来ないよね。僕もこんな風になれたらいいなあって思っちゃってさ」
「ふぅん、確かに奴の裏を読む能力と二手三手読んで対策を講じるところは称賛ものか。だがワシは断然、シルフィス・ルマルディーじゃな! ワシのご先祖じゃし」
シルフィス・ルマルディーはクリエステルの血を分けた年の離れた弟で、風の精霊に好かれる温和な青年として描かれている。加え、兄を尊敬し慕っており、何かと助けになろうと奮闘している様は微笑ましくすらあり好印象だ。話を読む限り、グレッセンの優しそうなところはご先祖様似なのかなと思った。目の前のアルモニカは……あまり優しそうに見えないので、きっと遺伝子上の神秘だ。
「お主、何か今、腹の立つことを考えはせなんだか?」
流衣の生ぬるい視線に気づいたのか、アルモニカが半眼で睨んでくる。
「あははは、気のせいだよ、気のせい」
ぶんぶんと右手を振ってごまかす。勘が鋭い。
「まあええわ。主が暇じゃと思うてのう。ボードゲームを持ってきたぞ」
アルモニカは敷布団の上に正方形の木製のボードを置く。簡単に説明してくれた遊び方だと、オセロに似ていた。丸と四角の駒を扱うという違いがあるくらいだ。
「じゃあそっちの巾着は何なの?」
巾着が二つあり、一つは駒が入っていたが、もう一つは何なのだろうと流衣は首を傾げる。
アルモニカはにんまりと笑い、中身を取りだした。
「見よ! 試作品じゃがの、見舞いにやろうと思うてな」
そう言って、ガラス細工で出来た薔薇の花をボードの上に置く。
「昌石で作ってみたんじゃ。普通の六角柱の昌石を持ち歩くのに飽きた魔法使い向けにとな」
「あ、昌石なんだ、これ……」
ガラス細工かと思った。
「これは素晴らしい。アルモニカ嬢の腕前は一流ですな」
ボードの上に飛び乗ったオルクスが、薔薇の花を覗きこんで感嘆の言葉を漏らす。
「花弁の型に溶かした昌石を流し込んで、冷えて固まったそれを、透明な接着剤で固定したんじゃ。まるごと作れればいいのじゃが、流石にワシはガラス職人ではないから無理でのう。いっそガラス屋に依頼した方がいいかと考え中じゃな」
アルモニカは作り方と問題点を話し、小首を傾げる。
「十分すごいよ」
流衣は感心しきりで薔薇の形の昌石を見る。接着剤で止められているなど、言われなければ分からない精巧な出来だ。アルモニカの器用さには感服する。本当に流衣より二歳年下なんだろうか……。
流衣はひょいと薔薇を手で覆う。花弁全てに手の平が当たるようにして、魔力を流し込んでみた。
「おお、青い薔薇みたいだ。すごい」
そして手をずらすと、青く輝く美しい薔薇の花が出来ていた。
アルモニカが唖然と口を開ける。
「な、なんじゃ、手品か!?」
「いや、普通に魔力を流し入れただけだよ。はい」
魔昌石に変わった薔薇型の昌石をアルモニカの手に渡す。初め、「綺麗じゃのう」と呟いて、それをキラキラした目で見ていたアルモニカだが、ハッと顔を上げる。
「何でワシに返すんじゃ!?」
「そういうのは女の子が持ってた方がいいよ。気持ちは嬉しいけど、花を貰っても僕はあんまり嬉しくないというか……。一応、これでも男だからさ」
控え目に訴えてみる。
アルモニカはむすっと頬を膨らませて、問い返す。
「じゃあ何の形だったらいいんじゃ?」
「動物がいいなあ。あ、オルクスみたいなオウムなんていいね」
にこっと笑ってオルクスを示すと、オルクスは照れたように羽根で頭をかく。
「ふむ。男は動物の方がいいのか。それは良いことを聞いた。ではそれでも試作してみようかのう」
アルモニカはぶつぶつと呟いて、何度も首肯する。
「いや、僕が動物好きなだけだよ。花の方が良い男の人もきっといるよ」
「そうか?」
ふぅんと顎に手を当てるアルモニカ。
「ところでアル。……学校に行かなくていいの?」
流衣は気になっていたことを訊いてみる。
見舞いの為に神殿に帰ってきたのなら、もう見舞いは済んだのだし戻った方がいいのではないかと思うのだが……。
「ああ、大丈夫じゃ。馬車で帰ってることになってるからの」
「馬車? どういうこと?」
「エアリーゼから学校までは馬車で片道一週間かかるんじゃ。だからして、往復で二週間はかかるわけだから、学校には二週間とんで三日で休学届を出してきた。今は侍女が馬車でこっちに向かってきておる」
「え? でも転移魔法で帰ってきたんだよ……ね?」
流衣は混乱してきた頭で、辻褄を合わせてみようと努力してみるが、よく分からない。
「あの長距離用の補助魔法陣はまだ実験段階で、誰にも公表しとらんのじゃ。故にセト先生も知らぬこと。否、先生ならば開発しておるやもしれぬがのう」
アルモニカはそこまで言ってから、気を取り直したように咳払いをし、講釈を始める。
「転移魔法はのう、人によって転移出来る距離が変わるのじゃ。魔力が大きければそれだけ遠くまで転移出来る。ワシのように十人並みの魔力ならばここから敷地内の屋敷までくらいが限度じゃが、人によっては隣町程度まで転移出来る者もおる。つまりのう、あの魔法陣は、魔力の少ない者でも遠くに転移出来るようにする画期的な魔法というわけじゃな。魔力を持たぬ者はどうか分からぬが……、魔昌石の力で飛ぶ故、もしかしたら飛べるやもしれぬ」
「つまり……」
アルモニカの話を自分の中で整理してみる。
「公表してないから、アルモニカが転移で来れることを学校の人は知らないわけで、それを見越して多めに休みをぶんどってきたってこと?」
「ぶんどってきたとは人聞きの悪い。頭を使っただけじゃ」
にやりと笑みを浮かべ、アルモニカはとんとんと自分の頭を指先で叩く。
策士だなあ……。侍女さんも可哀想に……。
「ん? 侍女? 学校じゃなかったっけ?」
ふと、とんでもない単語が紛れていることに気付く。
「貴族が八割を占める学校じゃぞ、侍女くらいおるわ。ワシは神殿暮らし故に自分のことは自分で出来るが、跡取りという立場があるから一人だけ連れて行っておる。たまに一人で出来ないこともあるしのう」
流石は貴族とお金持ちの通う学校。レベルが違う。
自分がそんな所に訪ねて行っていいのか、流衣は物凄く不安を覚えた。もしかして……もしかしなくても場違いではないか?
「大変だねえ」
立場を考えたりと、色々面倒くさそうだ。ああ、平凡な家庭に生まれて良かった。
「お主はほんに変な奴じゃのう。育ちが良さそうに見えるのに、貴族の事情にはさっぱり関与しておらん。それどころか常識にも疎いようじゃし……。それにその肌の色と見た目といい、どこの国の者なんじゃ?」
「う……。えーと……、名前も知らない小さな村の出身だよ。とにかくすごく遠いんだ」
前にリドが適当にでっちあげていた話を思い出しつつ、そう返す。
「……名前も知らない、か。南西部の半島と東南部の島国にあるという未開の地の出身ということかのう?」
「さあ……」
へえ、そんな場所があるのか。
「竜が棲んでおるとか、十年に一度の祭祀の時にしか地元民は立ち入らない区画じゃとか、色々と云われておる。魔王がいない時ですら強い魔物がごろごろしておっての、余程腕に自信がない限りは誰も行かぬ場所じゃ。珍しい薬草や鉱石があるから、それ目当てに立ち入る者もおるがのう。大半は戻ってこないそうじゃな」
「ハハハ……、そんな所に僕みたいなのが住めると思えないけど……」
「それもそうじゃな。考えすぎか」
アルモニカはあっさりと肯定する。少しくらい迷ってくれてもいいのに。
「ふん、まあいい。ともかく、勝負じゃ!」
考えるのに飽きたのか、アルモニカはボードゲームを示す。
話が変わったことに内心で安堵しつつ、流衣も頷く。そして、ボードゲームを始めて思いの外のめりこみ、熱戦を繰り広げた。