幕間4
「陛下、一体何をお考えになっているのです!」
ああ、もうすぐ日が沈む。そう思いながら窓の外をちらりと見て、目の前にある書類から逃避していたら、控えめなノックがされた後、静かに開かれた扉とは正反対に騒々しく、青年が一人、執務室に入ってきた。
ルマルディー王国の当代の女王である、ロザリー・クロディクス・エマ・ルマルディーは、綺麗なスカイブルーの目を、二十代後半の理知的な青年に向けた。
「やれやれ、我が国の宰相閣下は何をお怒りかな?」
腰まで届く緩やかに波打つ深紅の髪をポニーテールにしているので、前髪の部分だけをぐしゃりとかきあげ、ロザリーは溜め息を漏らす。
右目にかけたモノクルが理知的な印象を醸し出している、事実、とても頭の良い青年は、静かで落ち着いた光を宿す緑色の目を、今は懐疑に染めていた。
折角綺麗な金髪をしているのに、まるで乱暴に掻き回した後のようにボサボサだ。
ロザリーはそれが少し勿体無く思えて、僅かに眉を寄せた。
「何を、だと!? 君はもしかして物凄く頭が悪いのかい? 内乱が起きるかもしれないという緊迫時に、素性の知れない旅の人間を客室に泊めるだなんて!」
余程怒り心頭らしい。二言目にして、敬語がすっぽ抜けた。
それが愉快で、ロザリーは赤く紅を引いた唇を笑みの形にする。
「ふふふ、少しは落ち着け。折角の綺麗な顔が台無しだぞ、婚約者殿」
そう、この青年――マギィ・ステファン・コールウェイは宰相であり、ロザリーの婚約者でもあった。
落ち着きの無さに思い至ったマギィは、ゴホンと大げさな咳払いをしてから、じっとロザリーを見つめた。
どうやら、説明を求めているようだ。
「素性は知れなくはないよ。一人はレヤード侯爵家の三男だ。残り二人は確かに怪しいが、素性を隠していたヴィンスを助けた。十分信用に値する」
「しかし!」
「マギィ、可愛い弟の頼みなのだ、私が断れると思うか?」
言い募ろうとするマギィを、右手を上げて遮り、ロザリーは問う。
「たまには断って下さい。本当に、ヴィンセント様のことになると過保護なんですから」
「過保護で何が悪い。唯一の肉親だよ、たった一人の血を分けた兄弟だ。しかも天使のように綺麗で、性格は穏やかで優しい。可愛がらずにおけるか? それとも何か、お前ならヴィンスの頼みを断れるのか?」
ロザリーの問いかけに、マギィは目に見えて言葉に詰まった。そこに畳み掛けるように付け加える。
「ただでさえ、普段からいらぬ気配りばかりして、我侭の一つも言わない。私があれくらいの時は我侭放題だったぞ? 髪色が金色というだけで窮屈な思いをさせて、私はあの子が不憫でならないよ。たまの願いくらい叶えてあげたいと思うのが、姉心ってものではないか」
「ぐむむ、分かりましたよ、分かりましたから涙目になるのをやめて下さい。気持ち悪いです」
マギィが心底気味悪そうに顔をしかめるので、ロザリーはむっとした。
「お前、婚約者の、しかも女性に対してその言い草は何だ。爺だったら感涙ものだぞ?」
「私は祖父と違って目は良いのです。あなたみたいな男勝りが涙目なんて、似合わないにも程があります」
きっぱりと告げるマギィを前に、ロザリーは軽く舌打ちをする。
「ちっ、少しは揺らいだらどうだ、可愛げのない。だが安心しろ、それでも愛しているから」
「はいはい、分かりました。全くもう、何で目をつけられちゃったんですかね、はあああ」
何故だかロザリーに一目惚れをされ、猛突撃をかけられ、最初は断っていたのだが面倒臭くなり、諦めて婚約してしまったわけである。多分、このままだと結婚も押し切られそうな予感がする。
マギィは内心で嘆息し、しかしまあ、ロザリーのことが嫌いなわけではないのだから不思議だ。かといって、大好きという程好きでもないが。
「ところで女王陛下、肉親ではないにしろ、近しい人がもう一人いらっしゃるでしょう?」
「叔父上か。ふん、金に貪欲で野心家で、問題ばっかりだ。しかも嫌味っぽい。めんどくさい。よって、近しいとは言えん。ただの親戚だ。分家だ、分家」
生ゴミでも処理するみたいに、嫌そうな顔でばっさり切り捨てる。実際、ロザリーは叔父が嫌いだった。
「しかも、反乱組織の中核だよ。最悪だ。ああ、早く勇者殿がおいでにならないかな」
夜会への招待状を、勇者宛に送っておいた。見てくれているだろうか。
「勇者様がおいでになられたら、一気に忙しくなるでしょうね」
マギィはそう呟き、思案気な顔になる。
「どういう意味だ?」
「古来から、問題地点に勇者が来ると、一気に解決に導かれる確立が高いのです。良い結果にしろ、悪い結果にしろ。まさに神のお導きというものですね」
「何せ神に召喚された者だ、その例えは的を射ているな」
ロザリーは深く頷いて、また溜め息を零す。
「私はあなたを婚約者にしたことは後悔していないが」
「はあ」
「王になったことは時折後悔するよ。私が後を継いでから、騒動が絶えない」
先代魔王の右手や聖具が盗まれたり、内乱が起きそうだったり。
急に疲れを覚えて、ロザリーは額に手を当てた。
珍しく弱音を漏らすロザリーを見て、マギィは肩をすくめ、軽い調子で言う。
「安心して下さい。私が宰相にいる限り、国を傾けさせたりはしませんから。あなたは国の要です。余計な心配など抱かず、家臣を信用することです」
なんでもないことのように、けれど声は優しく言う。
「ああ、そうだな。私には心強い味方が多い。それだけは感謝しているよ」
ロザリーは目に力強い光を浮かべ、薄らと微笑んだ。