四十章 目覚め 4
「落ち着いた……?」
流衣は恐る恐る問いかける。
立ったまま泣いていたアルモニカは途中で立ち疲れたのか、今では流衣の隣にちょこんと座っている。
ずっとすすり泣いていたが、三十分もするとおさまってきた。
泣いている人の側にいるのがこんなに居心地の悪いものとは思わなかった。どうしたら良いのか分からないが、放っておくのも憚られる。かと言って何もかける言葉を思い付かないしで、結局は黙って側にいるくらいしか出来ないのだ。
アルモニカは小さくこくんと頷く。
それを見て、ようやく安堵する流衣。流衣の隣にいたオルクスも、居心地悪げに身じろぎしていたが、ほっとしたようだった。
「すまぬのう……。お主、昨日起きたばかりじゃというのに、ワシに付き合わせてしもうて……」
またマイナスなことを呟きだすアルモニカに、流衣は肩を竦める。このまままた泣きだされても困るので、話題を変えることにする。目についたのが魔法のストーブだったので、手っ取り早くそれに決めた。
「あのさ、あのストーブって便利だよね。もしかしてアルが作ったの?」
アルモニカはちらりと右を見る。
「ああ、あれか。確かにワシの作品じゃな。こんな所で使われてるとは知らなんだ」
「そうなんだ。こまめに換気しなくて済むから、便利だよねー」
話題が得意分野になったせいか、アルモニカの頬に少し赤みが差す。泣いていたせいで目も真っ赤だが、流衣はそれには気付かないふりをした。
「こまめに換気とは、何のことじゃ?」
「んーと、室内で燃料を燃やしたら、一酸化中毒になることがあるから。だからこまめに換気しなきゃいけないんだよ」
「ああ! 確かにそうじゃな。ではワシが作ったストーブはなかなかに良い線をついておったということか!」
緑色の目が生き生きと輝く。
(ふぅ、良かったぁ……)
どうやらもう大丈夫そうだ。ほっと息を漏らす。
するとそれを疲れたと勘違いしたアルモニカは、ひょいと立ちあがった。
「病人に無理をさせてはいかぬな。ワシはもう失礼する」
「うん、分かった。またね」
流衣がそう言って軽く手を振ると、アルモニカの表情がたちまち複雑そうな色を帯びる。
「また……来てもいいのか?」
「うん? 悪くないけど?」
何でそんなことを訊かれたのかよく分からない。
が、流衣の返事に満足したのか、パッと笑顔になる。
「それならまた来るぞ!」
そしてどこか浮かれたような足取りで部屋から出ようとしたが、扉を開けたところで振り返る。
「ああ、お主のことじゃが。お父様には、お主のことを丁重に面倒をみるようにたくさん頼んでおいたからの。何か不都合があれば、言えばすぐに解決じゃ。あとはしっかり休むことじゃな!」
どうだ偉かろうと誇らしげに言い切り、今度こそ部屋を出て行った。
アルモニカが去ると、部屋は静まり返り、平穏さを取り戻した。
まるで小さな台風のようだ。
(………それでか)
妙に高待遇なのはアルモニカのお陰なのかと、流衣は遅れて理解した。
* * *
静かな廊下を歩きながら、アルモニカは頬をほころばせた。
今まで溜め込んでいたものを全部吐き出して、頭の中はすっきりしている。それになにより、またねというささやかな一言が、小さな明かりになって暗澹としていた心に灯っている。
本当に優しい奴だと思う。謝りに行ったはずなのに、気付けばこちらが慰められているのだから。
機嫌良く歩いていたが、廊下の端、勝手口のすぐ隣に座ってにやにやとこっちを見ている人影を見つけて瞬時に無愛想な顔に戻った。
「よぉ、泣き虫のお姫さん」
「なっ何でお主がいるんじゃ! というか、何で知っとるんじゃ!?」
暇を持て余した様子で本を捲っていたリドは、ぎょっと目を剥くアルモニカを笑い飛ばす。
「ははは、それ本気で言ってんのか? あれだけ大声で泣いてりゃ、聞きたくなくても聞こえるっての」
けらけらと楽しげに笑う。
アルモニカは顔を羞恥と怒りで赤くし、キリリと眉を吊り上げる。影の塔以来ときどき話すようになったこの居候は、相変わらず態度が軽い。
「良かったな」
「うっせーわボケ! ……へ?」
思わず反射で悪態が飛び出たが、予想外の言葉だったことに気付いてきょとんとする。いつの間にか、リドは優しい目をしていた。
「お前、あれ以来、どっか思いつめてたっぽいしな。あのウサギ爺も安心するだろうよ」
「な、何でヘイゼル爺さんが安心するんじゃ……」
何となく毒気を抜かれ、尻すぼみの声で言う。
「何でってそりゃあ、弟子が落ち込んでりゃあ師匠も心配するだろ」
「そ、そうか……」
ヘイゼルに心配されるのは微妙な気分だが悪い気はしない。というか気恥かしい。両手を組んで、思わず視線を横へ反らす。
それからはたと我に返る。
「否! そうではなく、お主、そこで何しとるんじゃ……?」
「本読んでる」
リドは立ち上がると、持っている本を掲げて見せる。
「そんなの見れば分かるわ! 何でそんな微妙な位置で……」
「別に? ダチのところに顔出そうとしたら、何故かどこかのお姫さんの凄まじい泣き声が聞こえてきて、入りにくくなったものの気になったから立ち聞きしてたってわけじゃあないぜ」
「つまり聞いておったんじゃな!」
「違うって言ったじゃねえか」
いけしゃーしゃーと否定するリドの飄々とした態度に、アルモニカはむかっとする。
「不っ細工な面」
それを見たリドはアルモニカを指さしてけたけたと笑いだす。アルモニカの怒りのボルテージが瞬時に振り切れる。
「なんじゃとぉーっ!」
右の拳を固めて殴りかかるが、あっさりかわされた。
「お姫様、乱暴はよくねえぜ? はしたない。淑女になる為に学校に行ってるんじゃなかったんすか~?」
リドは相変わらずけらけら笑いつつ、からかいながら歩き出す。それを怒りで真っ赤な顔をしたアルモニカが追いかける。
「その姫に暴言を吐くお主に、淑女がどうのと言われとうないわっ! ええい面を貸せっ! 一発殴ってやるっ!」
建物を出てもまだ追いかけてくるのを見て、リドはまたからかう。それにまたアルモニカが怒る。
小さな少女が、背の高い年上の少年を追いかけて拳を振り回している様は微笑ましい。目撃してしまった神官達はクスクスと微笑む。
やがて辿り着いた所で、リドは急に立ち止まった。後ろから走って来ていたアルモニカは思い切り激突する。
「むむむ……なんじゃ急に立ち止まるな!」
キーッと毛を逆立てて怒るアルモニカの頭に、リドはぽんと手を置く。
「せっかくだし、ちゃんと話してけよ。じゃーな」
「は?」
意味の分からないことを言い、元来た道を戻っていくリドをアルモニカはぽかんと見送る。
「あー良いことしたな俺。これで鬱陶しい奴が減って、すっきり解決ってな」
などと意味不明なことを呟きながら去っていく。
何のことかと顔を上げると、ヘイゼルが宿泊している部屋の前だった。つまりヘイゼルと話せということか。それでわざと怒らせて追いかけさせたというわけなのか、何ていう回りくどい奴だ。そう言えばいいのに。
だがしかし、良いように振り回された気がして釈然としない。ムカツク。
(あ奴……まさしくあれじゃな。誤解されて嫌われる系じゃな)
面倒な性格だ。
これだから男は阿呆なんじゃ、と、まだ十四歳のアルモニカは大人ぶって鼻で笑う。
けれどもリドの言う事も一理ある。自分の中で、あの事件はまだ決着がついていないのだ。
すうと大きく深呼吸し、扉をノックする。
どうぞという声に、扉を開けて入る。
「お、何じゃアルか。ノックなど珍しい、雨が降る前触れか?」
部屋で茶を飲んでいたらしい。テーブル脇の椅子に座っていたヘイゼルは気味悪そうに身を震わせる。
やっぱり帰ろうかと思ったが、意志を総動員して踏みとどまる。自分はどうしても言いたいことがあるのだ。
「………ヘイゼル爺さん」
「師匠と呼べと言っとろうが、全く」
「師匠」
アルモニカが言い直すと、ヘイゼルはマグカップを持ったままぴたりと動きを止めた。無言でゆっくりとこちらを見る。赤い目は驚愕に染まっている。
「――ワシのことで、色々……迷惑ばかりかけて……すみません、でした」
ゆっくり頭を下げる小さな弟子を、ヘイゼルは無言で見つめる。やがて首を振る。
「謝るなと言ったじゃろう。お主が謝ることは何もない。今も……昔もな」
アルモニカはまた目にじわりと涙が込み上げるのに気付く。
ヘイゼルは気付いていたのだ。
あの事件のことだけでなく、ヘイゼルがアルモニカを厄介な荷物と見ているのではないかと気にしていたことを。母の狂気から逃がそうと、父がアルモニカをヘイゼルの元に預けた為に。
ヘイゼルは小さく息をつく。
「全く、お主もレッドもまだほんのガキじゃというのに、すぐにいらぬ荷物を背負いたがる。何の為にワシがお主らを引き取ったと思っとるんじゃ。ガキはガキらしく、ひたすら泣いてひたすら笑っとれ」
ぽむぽむと黒い毛むくじゃらの手がアルモニカの頭を叩く。
「爺……!」
アルモニカは耐えきれず、ヘイゼルの首に飛び付いた。
黒ウサギの獣人である為に、ふわふわしていてあたたかい。
小さい頃によくこうして飛び付いていたことを思い出しながら、アルモニカはまた泣きだした。
そしてヘイゼルもまた昔と変わらず、ふぉふぉふぉと穏やかに笑っていた。
*大幅に改稿しました。
泣いてばっかです。
降水率70%でお送りしてます。
リドはうじうじ悩んでる人が鬱陶しいので、嫌々ながら回りくどいやり方で励ましに行くタイプです。はい、そんな回でした。